第14話

 昼食のために訪れたダイニングはエントランスの左手にあり、その隣にはキッチンが併設されている。どちらもこの屋敷に似合った広く豪華な作りで、特にキッチンはレストランの厨房と見紛うばかりにリフォームされていた。銀色に光る大型の冷蔵庫が二基並び、業務用らしきIHコンロと電気式のオーブンが一体となったテーブルも設置されている。広いシンクも使いやすそうで、食器棚には一目で高価と分かる皿やカップが展示品のように収められていた。


 もっとも、妃倭子とヘルパーたちの食事を作る程度でこれほどの大規模な設備は必要ないだろう。冷蔵庫以外は使用頻度も少ないらしく、IHコンロも手前の二口だけに焦げ跡が薄く残っていた。


 茜はダイニングの席に着くと、引田と熊川とともにサンドイッチとオニオングラタンスープの昼食を摂る。妃倭子の食事風景を目の当たりにして不安を抱いていたが、こちらは卵もベーコンもスープもしっかり加熱した一般的な料理だった。


「美味しい……光江ちゃん、相変わらずお料理上手だね。こういうのをさらっと作れちゃうのが凄いよ」


「別に。有り合わせの食材で作っただけだから」


 大袈裟に褒める引田に対して熊川は素っ気なく返答する。丸い顔には笑顔もなく、目も合わせようとしない。しかし引田も特に気にする様子もない。二人が強い信頼関係で結ばれているというよりも、毎日こんな調子で暮らしているのだろう。


「あの、本当に美味しいです。いつもお屋敷での料理は熊川さんが担当されているんですか?」


「……何で?」


「何でって……その、上手で、美味しいので……」


「日替わりの当番制だから」


「あ、そうなんですね。すいません……」


 茜は思わず頭を下げて謝罪する。褒めたついでに尋ねただけなのに、どうにもやりにくい。熊川は、当たり前だろ、とでも言いたげな表情をこちらに向けていた。


「そうそう。だから今日は光江ちゃんの番で、明日は私が担当するんだよ」


 引田が途切れがちな二人の会話に割って入る。彼女がこの屋敷にいて本当に助かった。もし熊川と二人きりだとしたら、さぞ息の詰まる共同生活になっていただろう。


「どうしようかなぁ。茜ちゃん、何かリクエストはある? 何でもいいは駄目だよ。でも難しいのは無しね。あ、それか一緒に作ろうか。お料理は得意?」


「い、いえ、私もそれほど料理は……」


 できないとは言わないが、得意とは思ったこともない。料理といえばインターネットのレシピサイトに頼りきりなので、それが使えないここでは苦労しそうだ。


「……そういえば、妃倭子さんはどんな料理がお好きなんですか?」


「え、妃倭子さん?」


「今日の昼食は見ましたけど、他にはどんな料理を出しておられるんですか?」


 毎日の料理が当番制なら、妃倭子に出す食事も作ることになるだろう。雇い主で要介護者なので自分たちよりも気を遣うが、彼女には何を出せば良いのか全く見当も付かなかった。


「ああ、それなら考えなくても大丈夫だよ」


 しかし引田は気楽な口調で答える。


「妃倭子さんは大体いつも同じ物を召し上がりになるからね」


「ということは、あのお肉のスープのような、料理ですか?」


 焼く前のハンバーグを磨り潰したような、料理とも呼べない流動食。あんなものを毎日食べさせて大丈夫なのだろうか。引田は問題ないといった表情を見せているが、カロリーや栄養バランスは考慮されているのだろうか。

 しかし茜は疑問を口にすることなく黙ってうなずく。引田はこれまで通りのやり方に従っており、今まで何の問題もなかったと話していたからだ。それに初日から研修中のヘルパーが先輩のやり方に口出しすべきではない。現場では上級職と見られがちな看護師とヘルパー間でのトラブルはよくある事態だと、インターネットの口コミサイトにも投稿されていた。


 食事が終わると熊川は黙って席を立ち食器を片付け始める。


「あ、熊川さん、私がやります」


「いらない。食事当番が片付けと洗い物までやることになっているから」


 熊川は中腰になった茜を冷たい口調で制する。


「茜ちゃん、明日は私と一緒にお料理しようね。逃げちゃ駄目だよ」


 引田はフォローするように言葉を続ける。彼女が終始嬉しそうにしているのは、妃倭子と熊川以外に会話のできる者が来たからかもしれない。茜は軽くうなずいて椅子に座り直した。


 昼食が終わると今後の予定を聞いた後、茜は自分の部屋に戻って一休みとなった。


 先に引田から説明を受けた通り、住み込みで介護にあたっているとはいえ妃倭子を二十四時間見守っているわけではない。あのような状態だが容体は安定しているらしく、体温や脈拍、呼吸や血圧などのバイタルサインを注視する必要もないそうだ。黒袋を被ってほぼ寝たきりを続けているので動き回る心配もなく、放っておけば日がな一日、あの天蓋付きの豪華なベッドの中で起きているとも寝ているともつかない状態で過ごしている。だから介護も食事と入浴と排泄の介助だけで事足りて、むしろヘルパーが不用意に近づくほうが彼女のストレスになって良くないとのことだった。


 茜は部屋のベッドに腰かけると、体がしぼむほど大きく息を吐いた。


 苦痛を感じるようなことは何もなかったはずだが、全てが初めての経験に加えて、あの不可解な妃倭子の姿と介護を目の当たりにして頭も体も思った以上に力が入っていたようだ。

 しかし疲れている場合ではない。次は午後四時に熊川とともに妃倭子の入浴介助を行うことになっている。仕事にも二人にも早くなれる必要があった。


 持参した二つのトランクを解体して服をチェストに収めたり、小物を机の引き出しにしまったりする。大した物は持って来ていないが、それでも服やタオルは入りきらないので、トランク自体も箱物家具として利用するしかないようだ。

 屋敷自体は山間にあって間取りも広く取られているので都会よりも相当涼しいが、狭い個室の中で動き回っているとやはり蒸し暑い。とはいえエアコンを入れるほどでもないので窓を開放して荷物の整理を続けていた。窓の外側には金属の縦棒を並べた面格子めんごうしが填められている。網戸は付いていないので、夜は閉めきったほうが良いだろう。


 ジワジワというセミの声が延々と部屋に響いている。遠くでかすかに聞こえる足音は、引田か熊川が歩いているのか。初対面の彼女たちは自分に対してどんな印象を抱いただろう。愛想のない地味な女と見られたか、元・看護師の癖に鈍そうな奴と思われたか。二人がこそこそと会話をしている光景を想像して、慌てて掻き消す。あまりそういうことは考えないほうが良い。いずれにせよ付き合ってもらうしかないのだから。

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