第4話

 そんな日々を送っていると、疑問が湧いてくる。

 アポも入れずに事務所に来た孝志に『休みの日まで会社に来るなんて暇なヤツだな』と言って明るく迎え入れてくれた。


「……で、何の用だ?」

「社長の話の中で気になることがあったんで聞きに来たんですよ。……一応、自分でも考えてはみましたが、結論が出せませんでした。」

「まぁ、いいけど。……何だ?」

「バンドの全員で一枚の絵を完成させるって言ったじゃないですか、それならピアノの独奏とかはどうなるのかな?って不思議に思ってたんです。」


 色々な音が折り重なって描かれた絵が心に響く音楽を意味しているのであれば、単独の楽器だけでは未完成の絵になってしまう。

 それでも、ピアノの独奏は感動的で心に響くものになっている。


「はぁ……。いいか、ピアノ独奏で聴く時は座ってるだろ。……観客も静かに余計な雑音を消し去ってる。」

「当然、ロックのライブみたいには騒いだり出来ないです。怒られますから。」

「ピアノ単体で描き切れていない部分を、観客自身が埋めるために集中させてるんだ。その絵で感じた色を塗って、メッセージを書き加える。……観客は演奏を聴きながら演奏にも参加してるんだ。」


 ロマンチスト確定の言葉だった。同じことを孝志は口にする勇気がない。

 それでも、心のどこかで憧れも抱いてしまっている。


「……そこまでの意味があったなんて知りませんでした。」

「知ってるわけないだろ。俺が、今、考えついたことを話してるんだから。」

「は?……適当なこと言ってたんですか?」

「バカ言うな、適当なわけないだろ。俺の経験で得たモノの話をしてるんだから。」


 確かに適当ではないのかもしれないが、即興で思いつく答えとも思えない。時間をかけて音響という仕事の中で考えてきた結果なのだろう。


「……なぁ、孝志。俺だって、自分の言ってることが全て正しいなんて思ってない。」


 珍しく名前で呼ばれたことに少しだけ緊張していた。


「でも、いつも考えてるんだ。別に正解に辿り着けなくてもいいから自分なりの答えを出せるようにしている。これまでお前たちに話してきたことも同じだ。あれが全ての正解だとは思うな。……答えを間違えたところで、命を奪われることはないんだ。……間違えてもいいから、自分なりの考えを持ってみろ。」


 いつもの口調とは明らかに違って聞こえていた。大切なことを教えてもらっていることを感じながら、『ハイ』と答えるだけで精一杯になってしまう。


「感動したことのないヤツが、他人を感動させる曲を作ることはできない。楽しいことを知らないヤツが、周りを楽しませる曲を作ることはできない。自分が経験してこそ、音楽として表現できるんだ。……だから、女を好きになれないヤツが、恋愛の曲を演奏しても説得力は生まれないぞ。……こんなところで、俺の話をしているよりも早く彼女でも作ってこい。」


 冗談とも本気とも区別がつきにくいタイミングと声のトーンだった。


「……女に振られたショックで、次の仕事サボるんなよ!またな。」


 帰る時には、いつもの社長で嫌味を込めたあいさつで送ってくれる。収穫は沢山あったので、メンバーとも共有できる情報を持ち帰ることが出来そうだった。



『テレキャスターとストラトキャスター、音に個性はあっていいし、個性がなければつまらない。』

『別々の心臓を持った人間がバンドを組んでいるんだから、周りの音を聴いていなければ、リズムは揃わない。』

『技術を見せたいだけならバンドなんて組まなくていい。』


 雑談の中で社長から聞いた言葉を思い出して、練習を繰り返す。それでも、今の五人が集まっていることに意味がある。

 音響は、音楽を心に響かせる手伝いをしてくれる。それでも、その音楽を作り出せていなければ、せっかくの音響も価値を失ってしまう。



 皆で決めた社長に音響を担当してもらうライブの実現が近付いてきていることを確信出来ていた。

 誰かに聴いてもらいたい、心に響く音楽を作り出せるバンドになれているか早く知りたい。――そんな感覚だった。


 そんな感覚で高揚する中、突然、社長との連絡が取れなくなってしまった。



「電話繋がったか?」

「いや、事務所に行ってみたけど、鍵がかかってるから入れない。」


 数日間、社長と連絡がつかないことは孝志も初めてだった。他のメンバーも心配して、行動を起こしてくれている。


「事故とか、ニュースになってないか?」

「ネットでも詳しく確認してみたけど出てない。」


 自宅の場所までは分からないし、携帯だけで連絡は済んでいたので他の連絡先を誰も知らない。高揚感は消え去ってしまい、心配だけが折り重なっていく。


「一体何が起こってるんだ?……どうしたって言うんだ?」


 突然の出来事に焦りと苛立ちが入り混じってしまう。

 孝志も大学の授業の合間に連絡をしていたが、コールされることもなく留守番電話に切り替わってしまった。


 そんな時、社長の携帯番号で電話が掛かってきた。電話の向こう側で話をするのは、社長の娘を名乗っている。

 一瞬最悪の事態を思い浮かべてしまったが、それは心配ないと言われたが気になることには変わりない。夕方会うことになり、詳しい話を聞くことが出来る。


 メンバーには後で報告すると連絡だけ入れて、孝志一人で社長の娘と会うことにした。


「いつもお世話になってます。娘の志保です。」


 スーツに身を包んだ綺麗な女性で、こんな時でもなければ『社長の娘とは思えない』と軽口でも言えたかもしれない。言葉も態度も穏やかで、孝志に向けられた笑顔から社長がどんな風に伝えてくれていたかを感じ取れる。

 簡単にお互い自己紹介を終えて、近くにあるカフェに入った。


「あの、いきなりでスイマセン。社長は?……その、大丈夫なんですか?」

「……そうですね。怪我をして動けないとか、命に係わる病気とか、そんなのではないんです……。でも……。」

「何があったんですか?」

「父は、耳が聞こえなくなってしまったんです。」


 突発性難聴で両耳が聞こえなくなる極稀なケースだったらしい。治療開始までは比較的早かったのだが、治るかどうか分からない。


「どうして社長が……。それも音が聞こえなくなるなんて……。」


 孝志は人目も気にせず涙を流してしまっていた。

 誰よりも音にこだわり続けて、皆が幸せになれる音楽の場を追い求めていた人が、その音に裏切られたように思えてしまった。


「スイマセン。志保さんの方が辛いのに、俺が泣いてしまうなんて……。」

「いえ、父の為に涙を流してくれる人がいてくれて嬉しいです。」


 そして、志保が他の音響会社にお願いして仕事を代わってもらったりしていたので連絡が遅くなったと謝罪されてしまった。


「……会社は畳むことになります。」

「えっ、そんな。……社長が治るまで、俺たちが出来ることやりますよ。」

「ふふっ、父が言った通りでした。……父からの手紙を預かってますから、読んであげてください。」


 色気のない茶封筒を手渡された。封筒の中には数枚の便箋が入っている。


『バイト辞めるなと言っておきながら、スマン。

 俺の方が早めのリタイアになってしまった。

 お前たちのことだから、会社を閉めるくらいなら自分たちが

 継続させるとか言いかねないから手紙を書くことにした。

 この会社は、俺がいたからやれてたんだ。全て俺の力。

 お前たちでは倒産させてしまうだけ。

 そんなのは嫌なので、会社は自分で閉めることにした。


 まずは、お前たちの音楽を完成させなさい。

 心に響く音楽を届けたくても、

 心に響く音楽を生み出してくれるバンドがいなければ叶わない。

 そんなバンドを経験してから、音響としてサポートするのも

 悪くないと思うぞ。何事も経験だ、遅くはない。


 心に響かせる音楽を伝えるには、それを知っていなければダメだ。

 お前たちは、まだ何も知らない。

 知ることが出来るチャンスがあるのなら無駄にするな。』


 乱雑に書かれている大きな文字が社長らしい。孝志たちの作り出そうとしている音楽をチャンスだと言ってくれている。

 その想いを無駄にはしたくなかった。


「……ありがとうございます。」


 孝志が手紙を何度も読み返している間、志保は静かに待っていてくれた。


「きっと、音楽が父に休息を与えてくれてるんです。無理やりにでも休ませないと、止まらない人だから。……必ず良くなります。元気になった時は、また相手をしてやってくださいね。」


 音楽に裏切られたわけではないと思わせてくれる言葉だった。


 再び御礼を言う孝志に、志保は自分の連絡先を教えてくれた。社長夫婦は志保の姉夫婦のところで生活を送るらしいが、何かあれば近況報告をしてくれることになる。


「私、ゲーム関連のサウンドクリエイターをしてるんですよ。」

「あっ、、音楽関連の仕事なんですね。」

「……初対面なのに、って言われちゃうんですか?」

「俺たちも、社長の言葉に感化されてましたから。……心に響かせる音楽って。」

「あの見た目で、結構気障なことを言うんですよね。」


 二人で笑い合った。生きてれば、治る可能性はある。

 音楽が社長を裏切るはずなんてないのだ。


「ちなみに、志保さんは音響の知識ってあるんですか?」

「……えっ?学生の頃は父の仕事を手伝ったりもしていたので、多少は分かりますよ。……どうしてですか?」

「それについては、いずれお知らせします。」


 謎を残す形になってしまったが、孝志としてはやりたいことが決まっていたのだ。



「社長がリタイアなんて出来るわけないだろ。」

「俺たちでは会社を潰すって、どういうことだよ。」

「素直に応援してるって言えないのか?あの人は。」 

「俺たちが何も知らないって。いつか見返してやらないと。」


 皆、薄っすらと涙を浮かべながら社長からの手紙を呼んでいた。


 それから当初の予定していた、社長に聴いてもらうためのライブを実行することにしていた。メンバーも同意してくれている。


「俺たちの音楽を聴きたくなって、治るのが早まるかも……。」


 そんな期待も僅かに込めている。


 志保の協力も不可欠になり、孝志は連絡を取り合ったが最初は計画を聞いて驚かれてしまった。それでも、最後は了解を得ることが出来た。


 音が聞こえていない人のためだけにライブを開く。社長の言葉に感化されて音楽を続けているバンドが演奏して、社長の娘が音響を担当する。


「俺たちの音楽は心に響くんだから、耳が聞こえてなくても問題ない。」


 自信を持って『心に響く音』を出せるようになるまでは、あの人から聞きたいことが沢山残っている。

 耳が聞こえなくても、社長なら受け止めてくれそうな気がしていた。どんな顔で演奏を聴いてくれるのか、楽しみでしかない。


 孝志は、計画を確認するカフェの中で、志保と笑顔を交わしている。

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心に響く音 ふみ @ZC33S

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