第3話
そして、ライブは無事に終了。
孝志が『心に響く音』を作れていたかまでは分からないが、演奏者は満足してくれていた。ジャンルの違いで要求される音も違っているが、そのことを分かり始めていたことが素直に嬉しかった。
だが、音響チームの帰りの車内は少し暗い雰囲気になってしまっている。
「……あの子、リハーサルと本番で歌い方が違ってな。……歌う声の大きさまで違ったら、リハーサルの意味がない。」
当然、あの子とは由貴のこと。
流石に同じヴォーカリストは誤魔化せない。孝志は同じバンドで活動するヴォーカリストが、リハーサルで手を抜いているところをは見たことはない。ヴォーカル以外のメンバーはもう一台の車両で移動中だったが、きっと同じ意見を持っているだろう。
本番の時に力が入るのは理解出来るし、リハーサルと本番が全く変わらないなんてこともない。だが、リハーサルで明らかに手を抜かれてしまえば、リハーサルを行う意味はなくなってしまう。
そして、そんな態度の違いは『本番以外で一生懸命になるのは損』と言われているようにしか思えず、残念な気持ちにさせられてしまう。あの場に関わった全ての人間に失礼な行為と受け取られても仕方がない。
「それに、あの子はギターのヤツと……。」
本番のステージ上でアイコンタクトを不自然なくらいに繰り返して、ギターと寄り添いながら歌う姿を見ていた。
好意を持っている孝志ではなくても、見ている全員が気付いていただろう。
「まぁ、付き合ってるでしょうね。」
他が気遣ってくれているほど、孝志はショックを受けていない。
スタジオで練習を見学していた時にも、ギターとの関係は薄々感じ取っていた。今日のステージを見て、それが確信に変わっただけのこと。失恋したことにはなるが、違和感や不快感の原因ではない。
由貴から魅せられる物がなかったと感じていることがショックだった。
裏方で仕事をする人間へのリスペクトもなければ、ステージから心に響く音楽を届けようとする意欲も感じられなかった。出会ってスグの頃に惹かれていた由貴の歌声や歌う姿は失われていたらしい。
――俺は、この子の何を好きになっていたのか?
そんな風に考えてしまったことが、単純に寂しかった。
仕事で客観的に見つめていた由貴に、女性としてもヴォーカリストとしても魅力を感じられなかったこと。失恋してしまったことのショックよりも、由貴から失われてしまった歌を寂しく感じていた。
「……でも、お前、あの子の為に音響始めたって言ってなかったか?」
「うーん、言いましたね。」
それまで珍しく黙って聞いていた社長が口を開いた。孝志を茶化したりする様子は全くない。
「……音響のバイト、辞めるなんて……、言わないよな?」
その質問には驚いてしまった。いつもの雰囲気ではなく少しだけ聞き難そうになっている。
「えっ?……どうしたんですか、突然。」
「どうしたんですかって、元々の目的がなくなればバイトを続ける意味がなくなるだろ?……それでも、せっかく始めたんだったら辞めないでいた方が良いと思ったんだよ。」
由貴に対する想いとは別にして、この言葉は嬉しかった。
今まで仕事でも褒められることは少なかったが、自分の存在が認められたように感じられて嬉しかった。
こんな予想外の言葉を社長から聞けた嬉しさで、『辞めませんよ』と慌てて返してしまいそうになったが、いつもの仕返しをしたい気持ちが湧いてくる。
「そうですよね、せっかく始めたんだから知りたいことも沢山あるし。……社長が色々教えてくれるなら、自分のためにも続けたいですね。」
「おっ、おぅ。何を知りたいんだ?」
「今日の彼女の歌からは魅力を感じなかったんです。……以前は、そんなことなかったんだ。そんなに上手いとは言えない歌だったけど、サポートしてあげたいと思わせる魅力があったんです。……何が違うんですか?」
以前の由貴を知らなければ比較は難しいかもしれないが、社長であれば何か答えを持っていると考えていた。
「おい、専門家。……お前の分野だから教えてやれよ。」
「……いや、俺、あの子が歌ってる姿見たの今日が初めてなんですよ。以前と比べてなんて、分かるわけないじゃないですか。」
「何だよ、だらしないな。そんなことも分からずに聞いてたのか?」
ヴォーカリストから代わりに答えさせようとして失敗する。
「えっ?教えてくれないんですか?」
今、この瞬間だけは孝志も強気に責めることが許されそうな気がしている。
「あっ、いや、教えてやるけど……。専門分野じゃないから、大雑把にはなるぞ。」
やはり、社長なりの答えは持っているらしい。それでも『専門外』であると保険をかけるあたりは、難しい話になるのかもしれない。
「あれだな、上手く歌おうとし過ぎてるんだ。……あの子は。」
「……上手く歌うことって、ダメなことなんですか?」
「違う、違う。上手く歌おうとして、カッコつけた歌い方になり過ぎてるんだ。」
「カッコつけてはダメなんですか?……ライブなんだから、張り切って歌ったり、演奏したりするじゃないですか。」
「カッコつけるのは別に構わないさ。でも、ベースの音がカッコつけるか?……ベーシストがカッコつけて弾いてても、アンプから出る音はどんな時でも安定してるだろ?」
「そりゃあ、楽器から出る音まで変化することはないですよ。でも、歌は違いますよね。」
「……何が違うんだ?」
少し考える時間を作ってはみたが、楽器と歌は別物としか言えなかった。
「同じ曲でも違う人間が歌えば全く違って聞こえるし、男と女でも違ってるし……。楽器は機材で、歌は人間だから違って当然ですよ。」
「そりゃぁ、個性の問題だ。……人間が言葉を発する楽器として考えれば、楽器としての個性でしかないんだよ。」
「言葉を発する……楽器ですか?」
「そうだな、だから楽器から出された音がメロディ以外でカッコつけ過ぎてはダメなんだ。……個性は必要だが、後から過剰に演出を加えた音には魅力を感じなくなる。」
「素直に個性だけで歌えってことですか?」
「まぁ、半分は正解だな。だが、それでも少し違う。」
確かに由貴の歌は以前に比べて過剰とも思えるビブラートがかかり、聞き難くなっている印象はあった。でも、それだけが違和感の原因になるとも考えられない。
「前にギター、ベース、ドラムスの役割を話したことがあったな。……それなら、楽器としての声はどんな役目を果たしてる?」
「分かりません。」
「もう少し考えてから答えろよ。それなら、ヴォーカルと他の楽器の違いは何だ?」
ベースとドラムスで場面を構成して、ギターやキーボードで色彩を与える。そこにヴォーカルが加わることの意味。考えてみたが結論の出せなかった内容だ。
「……ヴォーカルは唯一、言葉で直接表現できる楽器なんだ。他の楽器みたいに音色やテンポを変えて悲しさを伝える必要がないんだ。……悲しい曲では、悲しいと言ってしまえばいいんだ。」
「えっ?……そんなこと?」
「そう、そんなことだ。でも、そんなことが分かってないから歌い方にだけカッコつけて、一番大事なことを蔑ろにするんだろ。」
「一番大事なことですか?」
「あぁ、歌詞の内容を伝えることだよ。言葉を直接伝えられる楽器が感情を聴き手に伝えなかったら絵は完成しないんだ。」
簡単過ぎて見落としていたのだろうか。少し不安にさせられてしまう。
「寂しい場面で暗い色を塗ってある絵画を見たら、誰だって寂しい気持ちになるに決まってるんだ。……でも、そこに『前向きに頑張っています』ってメッセージを加えたら180度違う印象に変えられる。そのメッセージを加えられるのは歌だけなんだ。歌の魅力を正確に伝えられるヴォーカリストであれば、勝手に魅力的になっていくんだ。」
由貴は自分を良く見せるための歌い方を優先し過ぎていて、歌の良さを伝えようとしていなかった。それは、ただ自分の存在をアピールしているだけになっている。楽器から出る音が変化して、演奏者のことを良く見せるためのアピールはしない。
心を響かせる音を奏でられることと、上手くなることが違うと言っていた理由はそこにあるのかもしれない。
「ちなみに、話す時と歌う時で人間の脳が機能する部分は違うらしいぞ。」
「えっ?……同じように言葉を発しているのに、どうして?」
「そんなことは知らんな、専門家でもないんだから。……だがな、歌で伝えたいことは特別なことだと、本能的に知っているのかもしれない。……上手く歌うよりも、ちゃんと伝えることを優先すべきなんだよ。」
社長の中での歌は『ちゃんと伝える=心に響かせる』になっているのかもしれない。基本的にロマンチストな体質だ。
「人に何かを伝える時に、自己陶酔してたらダメ。他のメンバーが出してる音を聴いてお互いに心に響かせ合わないと、伝えたいことは伝わらないんだ。」
「お互いに心を響かせ合う……ですか?」
「音響の仕事で、『
「勿論ですよ。『中音』が聴こえていないと演奏どころじゃなくなりますから。」
観客に向けて出す音を『
そして、『外音』と『中音』は別の調整が必要であり、ヴォーカリストとギタリストが聴いている『中音』も違っている。音響としては、どちらも重要だ。
「そうだよな。『外音』は観客のため用の音で、『中音』は演奏者用の音。……『音響って、どんな仕事』か一番初めに聞いたのを覚えてるか?」
「覚えてます。『音楽を心に響かせる』って……。あっ!」
「おっ、今回は少し閃いたか?」
「『外音』は当然だけど、『中音』も心に響かせないとダメなんだ。」
どちらかに特定した話ではなかったことになる。演奏者のために出している『中音』を心に響かせる仕事も含まていて当然だ。
「ステージ上でも、お互いの音が心に響くから、テンションも上がるんだ。……相乗効果みたいなもんだな。」
それについては実体験があるので分かり易い。
「……でも、あの子は周りの音を聴いていない。だから、リハーサルでも手抜きが出来る。……結果、どんなに上手く歌っているつもりでも心には響かない。俺は、そう思ってた。」
もしかすると、由貴は自分の歌声すら聴こうとしていなかったのかもしれない。
今日の孝志はライブを成功させるために、出来る限り客観的に由貴を見ていた。社長のように言葉で表現することは出来なかったが、漠然と同じことを感じ取っていたらしい。
由貴の歌に違和感を覚えた時に、孝志の恋愛感情も終わっていたのだ。
「周りの音を聴いて、自分の演奏に集中するってことですか?」
「ステージの上で棒立ちになってたら、魅せることが出来ないだろ。……音響で助けられるのは音だけだ。ステージ上では魅せながら伝えないとダメなんだよ。」
「なんだか、すごく難しいことに思えるんですけど……。」
「だからプロは凄いんだ。」
結局は『そこ』なんだろう。プロは『それ』を実践している。
ただ、プロが実践していることを知っていれば、近付くことが出来るかもしれない。孝志たちは知ることが出来ていたのだ。
辿り着くべき場所が分かったのだから、あとは『そこ』に向かって進めばいい。
知識を得ることが出来た嬉しさが勝ってくれて、失恋の痛手は消え去っていた。
これを『社長のおかげ』とするには癪に障るので、『バイトは続ける』に止めてくことで感謝の気持ちを伝える。
もう一台の車で帰ってきた三人は、孝志たちがスッキリした顔でいるのを見て不思議そうにしている。
彼らなりに失恋男を慰める対応を考えていてくれたのかもしれない。
この日から、ヴォーカルは歌詞を見直していたり、演奏を聴くだけの時間を作ったり試行錯誤を始めていた。それぞれの楽器がどんなフレーズを弾いているか個別に確認したり、毎回の練習を録音して全体を聞き返す。
楽器隊も同じように歌詞を読んで、描きたい絵を確認する。個性も大切にして、全体で描く絵の方向性は同じにする。
一人一人が技術を身に着けてバンドという形の中に納めれば上手くなると思っていた。だが、個々で技術の競い合いをするだけでなく、共同作業も同時進行させなければならないことは楽しくもあり、難しくもある。
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