第2話

「音を出す人間だけじゃなくて、音を届ける人間の力も最大限に借りて、一枚の絵を完成させる。……俺たち、まだ、そんな絵を完成させたことなかっただろ?」


 音楽をやっているはずが、絵を完成させたい矛盾。

 それも、メンバー以外を巻き込んで描かなければ完成させることは難しい絵。


 今までは、ライブでのミスを軽い気持ちで流すことが多かったが、社長から『一度の出会いも無駄にするな』と言われたことを意識し始めている。


「それに、社長が言ってたみたいに、各パートで意識することがバラバラだっただろ?……ギター、ベース、ドラムス、各パートで役目を果たしてなかったと思うんだ。」


 場面を思い描くための下書きで土台を作り、そこに色彩を与える。そんなことまでは意識して出来ていない。


「社長の言葉を確かめながら続けてみて、ダメなら諦めるよ。……それまで、もう少し付き合ってくれないか?」


 元はと言えば、メンバーと社長を引き合わせてしまったのは孝志である。こんなにも影響を受けると思っていなかったが、断る理由もないので続けることには同意した。


「……でも、ヴォーカルについては教えてもらえなかったよな。」

「あっ、それは、自分で考えろって言われた。」

「社長の考え方だと、楽器だけで絵が完成しちゃうよな?」


 楽器だけで演奏される器楽曲もあるので、ヴォーカルは余計なことをしているとも思えてしまう説明で終わっていた。

 だが、社長は『歌』の存在を否定することはない。


「俺、『どうやったら歌って上手くなる』のか社長に聞いてみたことがあるんだ。」

「専門外だ。とか言われて怒られたんじゃないのか?」

「いや、怒られはしなかったけど……。」


 自分のバンドのヴォーカルが、そんな質問をしていたことが意外だった。孝志から見れば十分すぎるほどに上手いと感じていたし、人気もあった。


「上手く歌う必要があるのか?……って言われたんだよ。」


 楽器隊は不思議な顔をしている。聴いてもらうためには演奏の上手さも必要だと言われていたのだから矛盾を感じてしまう。それは、社長の言葉に込められている本当の意味を理解できていないだけでしかない。



 謎解きが必要になってしまった。おそらくは、歌が加えられるためには必要不可欠な最後のピースが埋まっていない。

 オリジナル曲を作りながら今まで作ってきた曲の改編にも動き出すことになった。一曲一曲に描きたい絵を思い浮かべて、それぞれの楽器が絵の中で果たすべき役割を考えながら完成させていく。



「まぁ、やってもいいけど。……そのライブハウスのスタッフさんに失礼が無いように話を進めてくれよ。」


 まだ先の話として、社長に音響をお願いした時の返事だ。

 それぞれのスタッフが誇りを持って仕事している職場に、部外者である社長が入ることになれば大人としての対応が必要になる。先の話にはなりそうだったので、準備は万全に整えたかった。


 社長が音響を担当するライブを実現させる前までに、得られる情報は一つでも多くしたかった。それでも、あまり直接的に質問をしてしまえば『自分で考えてみろ』と叱られてしまうので慎重に進めることにした。


「ベースって、基本的には指弾きが良いんですか?」

「その『基本的に』って考え方は止めておけ。……どんな場面でも対応出来ることが大切なんだ。」

「……でも、あれもこれもやってたら、全部が中途半端になるかもしれないですよ。」

「『中途半端』って何だよ。完璧なヤツなんて一人もいないんだから、全員が中途半端なんだ。……だから練習するんだろ?」


 叱られることはなかったが、説教は繰り返される。


「やっぱり上手くなるように努力しないとダメか……。」


 孝志が漏らした独り言を社長は聞き逃さない。


「なぁ、おい、『上手くなる』って、どんなことだと思う?」

「えっ?……弾けなかったフレーズが弾けるようになる……とかですか?」

「お前はバカか。……ギターもベースも正しい位置を押さえて練習していれば、弾けるようにはなるんだよ。『上手くなる』ってのとは違うんだ。」

「繰り返し練習していれば弾けるようになって、『上手くなる』んじゃないんですか?」


 社長は溜息をつきながら、


「お前は、山頂までキャンバスに納まっていない富士山の絵を見たら、どう思う?」

「……下手クソ。」

「それは、絵を描くことが下手なのか?……違うだろ、描いた本人が何を描きたいのか分かっていないだけなんだ。……そういうことだ。」

「……どういうこと?」


 直接的な答えを避けてくるので、禅問答のようになってしまう。雰囲気だけは伝わってくるが、やっぱり難解のものだった。



 好きな子の気を引くための純粋な気持ちで始めた音響の仕事だが、随分と男臭い環境になってきている。メンバーとの時間、バイトの時間。気が付けば女性と会話している時間は少なくなっていた。


 そんなことを考えていると、突然にチャンスは寄ってきてくれる。


「孝志君、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど……」


 音響の仕事を始めるきっかけになった由貴が声をかけてきた。

 長い髪の小柄な女性であり、大学のサークルでバンド活動に取り組みながら好きな歌を続けていくことを目指している。彼女との会話で、プロを目指していることは窺い知ることが出来た。


「……何?」

「うん、サークルで小さなホールを借りてライブをするんだけど、音響をお願いできないかなって……。ちゃんと、お仕事としてのお願いだからね。」

「でも、出来るだけ安くやってってことだろ?」


 愛嬌たっぷりの笑顔を見せて、『もちろん!』と言葉が返ってくる。この表情にやられた男が何人いるだろう。現状、孝志もその内の一人にすぎなかった。


 すぐにスマホを取り出して、社長に連絡を入れることにした。


「お疲れ様です。……孝志ですけど。」

『おぉ、お疲れさん。どうした?』

「えっと……、〇月×日に、大学の友人がライブやるんで音響出したいんですけど、仕事お願いしても大丈夫ですか?」

『……………女か?』

「えっ!?」

『女かって、聞いてるんだ。』

「いや……、頼んできたのは女の子ですけど。……大学のサークルのライブですよ。」

『…………彼女か?』

「はっ!?だから、違いますって。……友人です。」

『……よしっ!その日は俺も手伝うが、メインはお前な。』

「いや、せっかく社長が来てくれるなら、社長がメインで良いじゃないですか。……俺なんて、まだまだですよ。」

『お前の未熟さなんて、俺が一番知ってるよ。……でも、好きな女が出るなら、その子の良さをお前が引き出してやるんだ。そのために始めた音響だろうが。』

「まぁ、そうですけど。……それなら、もう少し経験を積んでからの方が。」

『次のチャンスがあるか分からないことを躊躇うんじゃねぇよ、バカ。……音楽をやってる男は100%、モテるために始めたんだ。目の前にあるチャンスには挑んでみろ』


 全てお見通しと言わんばかりの話の進め方になっている。いつのまにか比率も上がって、100%になっていたことは驚きだった。


 社長の中で今回の依頼主が孝志の好きな子として確定されてしまったのは不本意だが、次に頼み事をされるかどうかは未定であることも事実。

 今回は、社長の指示に従ってみることにした。


 詳しい話は後日改めてとなったが、とりあえず了解を得たことと照明会社の連絡先を由貴に伝えた。


「ありがとう、そういう事って全然知らないから困ってたの。」

「まぁ、普通はそうだと思うよ。」

「……でも、孝志君もバンド組んで活動してるんでしょ。どうして、音響のバイトしてるの?」


 その質問には答えられなかった。『いつか、君の歌をサポートしたいと思ってる』なんて言ってしまえば、気味悪がられるのは百も承知している。

 それでも、同じバンドで活動したいとは全く考えなかった。どうしてだかは分からないが何か違うように感じていたのだ。


「特に理由なんてないよ。……音楽関係のバイトだから性に合ってるんだ。」


 実際に音響を楽しんでいたのだから、その答えにも嘘はない。

 自分が演奏している時間と同じように、音を作り出すための時間を楽しんでいた。結局は明確な理由なんてなくなってしまっていたことになる。



 一応、社長も手伝ってくれるらしいが、オペレーターを務めることになるかもしれないので予習復習は念入りにしておきたかった。バイトが入っていない日も事務所に行き、社長からレクチャーを受けることになる。


「愛の力だな……。」


 茶化す言葉を無視するのが大変だった。

 そして、サークルのライブ当日に孝志のバンドメンバー全員がスタッフに入っていることに気付かされる。


「こういうことは、バンドメンバー全員が共有しておかないと音楽に一体感が生まれなくなるんだ。」


 絶対に嘘だと分かる理由を社長が述べてくる。尊敬はしているが、こういう時には殺意すら覚えてしまう。それでも、


「孝志君の紹介だからって、社長さん、すごくサービスしてくれたんだよ。本当にありがとね。」


 大学で会った由貴から笑顔で御礼を言われると許してしまいそうになった。孝志の顔を立ててくれているらしかったが、社長曰く『福利厚生の一環だよ』と照れ隠しされてしまった。更に由貴から、


「……良かったら、練習しているスタジオにも聞きに来てよ。」

 

 こんな誘いを受けてしまえば、社長が後押ししてくれたことに感謝すらしてしまいそうになる。社長の思惑通りに進んでいるような展開を実感させられていた。


 ただし、良いことばかりではなかった。由貴から誘われて練習風景を見学しに行ったことが、孝志に違和感を抱かせてしまう。違和感の原因までは分からずに、モヤモヤと漠然とした不快感が生まれていた。

 練習後に誘われた食事まで断ってしまい、嬉しいはずの時間は期待していた通りにはなってくれなかった。


 それでも、忙しい時間は『アッ』と言う間に過ぎていき、由貴所属サークルのライブ当日になってしまう。


 音響部隊は朝早くから会場に入り仕込みを始めて、サウンドチェックとリハーサルも無事に終わっていた。予習復習の効果もあり、かなり良い感じい仕上がっていたが、社長がニヤニヤしながら孝志に語ったのは音に関する指摘とは全くの別物でしかない。


「……可愛い子じゃないか。」


 孝志は、由貴を特定出来る話を一切していないのに、これまでの時間の中できっちり見つけ出していたらしい。


 サークルに所属している数バンドが入替りステージで演奏するライブ。一つのバンドでの音作りは短時間で対応しなければならず、本番中は集中力が必要になる。

 仕事である以上、由貴だけの存在を気にかけて孝志の個人的感情で贔屓する訳にはいかないのだ。

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