心に響く音

ふみ

第1話

「『音響』って、どんな仕事か分かってるか?」


 大学の先輩から紹介された音響会社でのアルバイト初日。

 面接もなく勤務日を指定されて、事務所に着いた早々その会社の社長から質問されてしまった。


「……えっと、ライブやレコーディングで音のバランスを調整したり、舞台で効果的な音楽演出をしたり……ですか?」


 突然の質問に慌ててはいたが、優等生の答えを返すことが出来ていた。

 もし、面接があった場合でも対応出来るように簡単なシミュレーションはしている。


「は!?……そんな表面的な説明を聞きたいんじゃないんだ。……もっと、大切なことがあるだろ?」


 先輩からの事前情報では、社長は50代後半で言葉遣いは少し乱暴な部類。昔気質とまでは言わないが、かなり厳しい人でもあるらしい。

 それでも面倒見の良さから、多くの人に慕われているので紹介された。紹介してくれた先輩も就職活動で忙しくなるので、ちょうど交代要員が欲しかったとのこと。


「……もっと、大切な事ですか?」


 中学の頃からベースを弾き始めて演奏専門で現在に至っていたが、ある理由で音響の仕事にも興味を持ち、この音響会社を紹介してもらった。

 高校からバンドも組んでいたのでステージで演奏をする機会は何度もあった。それでも『音響』については単純な知識しかない。ライブの時は『音響さん』や『PAさん』と呼んだりもしていたが、任せっきりになって突き詰めて考えることはしなかった。


「何だよ、分からないのか?お前もステージで演奏したことはあるんだろ?……そんなことも分からずにステージに立ってたのか?」


 ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムス、キーボード。色々な音が組み合わせられて音楽となるし、楽器単体で音楽を奏でることもある。

 ロック、ポップス、ジャズ、レゲエ。音楽のジャンルも沢山あって、それぞれに好まれる音質も全く違ってくる。

 それらを最適な状態にして、大きな会場でも聴き手に届けることが音響の仕事だと考えていた。申し訳ないことだが、それ以上でも以下でもないと考えていた。


 だが、社長曰く、その考えは表面的でしかないらしい。


「よく覚えておけよ。……『音響』ってのはな、『音楽』を心に『響』かせるのが仕事なんだ。」


 見た目や言葉遣いから懸け離れたカッコイイ言葉に面食らってしまう。恥ずかしげもなく気障な言葉を吐き出していた。


「……『音楽』を心に『響』かせる。……ですか?」


「おっ、バカにしてるだろ。……『音響』の仕事がダメだと、音楽は心に響かないんだ。心に響かない音楽は感動を生まない。……心に響く音楽を作ることも大切だが、その音楽が心に響くようにする仕事が噛み合わないと意味はないんだ。」


 決してバカにしていた訳ではなかった。寧ろ、その言葉に少し感激すらしていた。素晴らしい演奏だったとしても、音響次第で不快な音色に変わってしまう。

 そんな適当な仕事をする音響スタッフと出会わなかったことで意識していなかったことになる。それは幸運だっただけなのかもしれない。


 音楽のない世界は寂しい。――これは事実だが、ただ音楽があるだけの世界ではダメだった。ちゃんと音楽が心に響いてくれるようにする存在も重要なのだ。

 機材が揃っていたとしても、そこに人間の手が加えられないと十全に機能しない。


 確かに、そんなことも分からずにステージに立っていたことになる。



 音響の仕事に興味を持って始めた動機は、不純なものだった。

 同じ大学に通っている子を好きになり、その子の音楽活動を手伝うことで距離を縮めたかっただけなのだ。

 サークルのバンドでヴォーカルを担当している子であり、そのバンドのベーシストが高校の友人だった。その友人を介して仲良くなり、小さな体で明るく元気に歌う姿に惹かれてしまっていた。単純に距離を縮める手段が他に思いつかなかっただけになる。


 それでも、社長の言葉を聞いてから、音響の仕事にも結構真剣に興味を持ち始めていた。

 社長の気障な言葉を真似るのであれば、音楽を心に響かせる仕事をしている人たちに恥ずかしくない演奏をしてみたい――といったところだ。演奏者として、音響としてステージに係わる人たちを知りたくなったのだ。


 アルバイトは基本的に、土日祝日がメインになる。

 これはライブやイベントの日程上仕方ないことでだが、遊ぼうと思うと中々に厄介だった。女の子に近付くために選んだバイトだが、男臭い仕事先になってしまっている。

 朝も早し、夜も遅い。薄暗い中で出発して、深夜に帰るなんてことはザラだった。ブラックバイトの部類に入るかもしれないが、あまり苦にはならなかった。


「演奏者は、この日のために練習を積んでくるんだ。その練習時間を無駄にしない音を作れなかったら申し訳ないだろ。丁寧な仕事には時間がかかるんだ。」


 この言葉は何度も社長から聞かされた。

 本心であるとは思うが、仕事が長時間になってしまうことを誤魔化すための言い訳も含まれていたかもしれない。


「仕事の中で失敗しても、俺たちは取り返すことも出来る。……でもな、演奏者と観客にとっては大切な一日で取り返しはつかない。一期一会って言葉を覚えておけよ。」


 失敗した時、社長に蹴られた後で聞かされた言葉。これもパワハラを正当化するための弁明だろう。

 ただ、社長の音楽に向き合う時の真剣な表情を見ていると、全てを納得できてしまう。


 何気なく立っていたステージが作られていく過程は真剣で、実際にライブで演奏される時間よりも準備にかかる時間の方が長い。

 客席全てに綺麗に音が届くようにスピーカーの角度を調整したり、不快なハウリングやノイズを消したり、イコライザーでバランスを取ったりすることは基本。

 楽器のレイアウトを確認したり、ケーブルを丁寧に整頓したりして、気持ちよく演奏出来る環境をステージ上に整えることも仕事。


 それはレーコーディングでも同じことだった。収録される音に拘りながらも、演奏者が音楽に集中できるようにも気を配る。


 聴き手に届けられるまでの時間を共有できることは単純に楽しかった。演奏者と同じように音を楽しんでいられるのだから、『音響』も間違いなく『音楽』の一部だと思わせてくれる。


 そんな風に自然に考えられるようになるまで、それほど時間は必要なかった。自分たちが演奏者になる時、『音響さん』ともバンドのメンバー同様にコミュニケーションを取るようになっていた。自分たちのやりたい音楽をメンバーだけが理解していても意味がない、『音響さん』にも理解してもらうことが必要なことに気付かされた。

 今まで五人だけで構成されていた音楽に、複数のメンバーが加わってくれたことになれば音楽の質は当然向上する。



 何気ない会話の中で、音響の仕事を始めた動機が『好きな子に近付くため』であることを迂闊にも社長に話をしてしまったこともある。不純な動機であることを後ろめたく感じていたからかもしれない。


「バカ、男が音楽を始める理由の9割が『女にモテるため』なんだから、その動機は純粋な気持ちなんだよ。」


 と、一喝されてしまった。

 流石に9割は盛り過ぎだと思うが、たぶんなんだろう。音楽を始めたきっかけが何であれ、一部の人間は長い期間を音楽に魅了されていく。


「俺も昔はギターを弾いてたんだ。……でも、俺は元から女にモテてたから、モテない男たちをサポートするためにギターを止めて音響に変わってやったんだ。」


 この社長が音響の仕事を始めた理由として嘘かもしれないが、昔はモテてたことについては疑っていなかった。



 それから、バンドのメンバーにも社長のところでバイトすることを勧めてみた。

 ベースの音やコミュニケーションの取り方が変わり始めていることに気付いていたメンバーは、勧められるまま社長の気障な言葉に触れていくことになる。


「俺たちの音楽って、聴いてる人たちの心に響いてくれてるのかな?」


 突然、ヴォーカルが真顔で聞いてきた時は驚いてしまったが、メンバーが誰も笑わず一緒に悩んでしまっていた。社長の考えが浸透していた証明だ。


「音楽ってのはな、一枚の絵画と一緒なんだよ。」


 社長は、音楽家をアーティストと呼ぶことの理由を繰り返し話してくれる。


「ベースとドラムは、描かれている場面を構成する土台だ。どんなに上手い画家が描いた絵でも、場面や下書きが悪かったら駄作になる。……お前たちが描きたい絵が、嬉しい場面なのか悲しい場面なのか伝える土台だ。土台が揺らげば何も響かない。」


 何とも言えない難解な話だった。では、『ギターは?』と聞けば、


「ギターやキーボードは、色彩だな。描かれている場面に色を与えるのが役割だ。華やかな色彩、物悲しい色彩、自由自在に色を変えられる。スローテンポの曲も華やかに出来るし、アップテンポの曲を物悲しくできる。だから、ギターは色を使い分けられなきゃ務まらない。」


 それで、『ヴォーカルは?』と聞いた時。


「いいかげん、自分で考えろ。」


 と叱られてしまった。

 能弁に語ってくれていたのに、随分とズルい話だった。



 当然、大学にも通わなければならなかったし、バンドで使う時間も必要になる。バイト三昧とまではいかないが、社長と話す時間も好きだった。

 気付けば、そんな生活が一年以上も経過してしまっていた。こんなにも素直に大人の話を聞けるとは思っていなかったが、当初の目的は一向に達成できそうな兆しはない。


「孝志に誘われるままに音響のバイトしてたけど、何だかんだで社長に感化されてるよな、俺たち。」


 孝志は大学二年になっていたが、他の四人は大学三年である。

 通常であれば、そろそろバンド活動にも区切りをつけて就職活動を意識しなければならず、落ち着いて音楽談議している場合ではない。


「次のライブの音響を社長に頼もうと思ってるんだけど、ハウスPAでもやってくれるかな?」

「専属の音響オペレーターと交代してもらうだけってこと?……事前に確認すれば大丈夫じゃない?」

「……社長の前で演奏したことないから緊張するな。」

「でも、社長の感想を聞いてみたくないか?俺たちの演奏が通用するのかも知っておきたいし……。」


 ファミレスに集まって、今後の打合せ。それでも、今後の目標が生まれていることを孝志は意外に感じている。


「あれ?……バンドで音楽やるのは就職活動までって言ってませんでした?」


 四人は揃って気まずそうに孝志を見る。


「……その予定だったんだけど、ダメかな?」

「いや、俺はまだ二年だから大丈夫だけど……。皆は、大変な時期なんじゃないの?」


 元々、四人で活動していたバンドに孝志がベーシストとして参加していた。元いたベーシストがギターに戻ることで、ギターが一本の構成を二本にするためのベース増員だ。

 ライブハウスで孝志が高校生の時に組んでいたバンドの演奏を見ており、勧誘されて参加することになった。孝志だけが違う大学に通っている状況で、一時的な応援参加と聞かされていたのだが居心地の良さから現在に至る。


「……社長と出会ってから、音楽に対しての考え方が変わってきてるし、もう少しだけ続けてみたくなったんだ。」


 大事な就職活動ギリギリの時間まで使って、社長の語る音楽への向き合い方に自分たちなりの答えを出したいと思っている。プロ志向ではなかったはずのメンバーだが、社長の言葉を考えながら音楽を続けていく内に、少しだけ意識が変わっていたのかもしれない。

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