著者から見た、書き手と読み手のギャップから生じる、読者に対する苛つきの一例がわかりやすく提示されたもの。
一度は読んで噛み砕いて感じるべし。
読者にも努力と忍耐が必要と感じられないなら、以下のことがらを思い起こせば、必要性を感じるのではないだろうか。
○教科書の文が長いからとか、分からないと言って教科書を使用しないということはなるか。
○論文が長いからといってアブストだけ読んで完全に理解したことになるのか。
○記事の見出しだけ見て、事実を知ったことになるか。
なお、著者と読者のお互いの苛つきの緩和に繋がるのは、文章における句読点、特に読点(、)の受容や、読者側の想像力や妄想力ではないかと個人的には思う。
結果を早く知りたい読者と、過程を語りたい作者のせめぎ合い。筆者の本音を交えて書かれています。
結局、この読者のいう「小説の質を上げろ」というのは、状況を簡素化しろと言うにほかならない。
作者は『過程』を楽しみ、表現に苦労している。書籍で育った人はそうであろう。
いかにあの先生のような表現を書けるか。子供の頃感銘を受けた『物語』に近づけるだろうか……
だが、声を上げる読者はweb小説で育ったように思える。確かに画面に大量の文字を並べられたら、嫌気がするだろう。
しかし、彼らは図書館やら本屋で、小説を読むなり買ったりすることは稀じゃないだろうか?
今まで積み重ねて来た歴代の『物語』の世界を触れたのだろうか?
これから、書籍も電子化が進み、紙媒体としての『物語』が無くなるかもしれない。
そうなった時、簡素化されていない過去の名作を読んで、
「古臭い、質が低い」
なんて話にならなければ……