Prequel:03

 常若の国ティル・ナ・ノーグ――夢見人が夢見た、妖しの存在が住む幻想世界のことだ。

 大航海時代から産業革命を経て、近代文明を築き「科学」という力を手に数々の夢を実現していった夢見人の錬金術的な行為は、神への道を急速に駆け上がった。近代文明は都市文明に象徴され、機械工業型であり、重工業型であり、開放生態系であり、資源浪費型であり、情報操作型である。夢見人は住居を大都市に集中させ、自然を破壊していった。その結果がもたらしたのは、夢の住人同士による夢を奪い合う争いだった。

 現存する夢は乏しく、夢見人と共に存在した常若の国ティル・ナ・ノーグは、もはや幻想の産物として、みえない存在となってしまった。野生動物が開発によって、山や森を奪われて姿を消していったように。


「都市化のなかで姿を消した野生動物とわたしたちは同じなのね」ルリは皮肉を込めてメギドに笑みをみせた。「都市化が進めば野性は遠のき、ファッションやスタイル、まがい物の映像であふれ、家畜か観葉植物しかみられなくなった。まさに夢見人のパラダイス、これも夢の産物よ」


「それはちがいますよ、ルリ・バステート」

 メギドの瞳が一瞬、輝いた。

「我々と野生動物はおなじ、というのは正しいです。ですが、巨大都市でも野生動物はみられます。ノライヌやノラ猫、ドブネズミやカラス、ドバト、スズメ、ツバメにムクドリなど、生息環境が都市のなかになり、食物を人間の捨てた残飯で依存し、ねぐらや休憩場所、繁殖の場所などに建造物を利用しているに過ぎないのです」


 やさしい口調なのにすごみを感じる。

 ルリはメギドに圧倒されて言葉も出なかった。


「ゴキブリやハエ、地下家蚊のように、人間と同居するも家畜のように人間の管理下に庇護を受け、生殺与奪権を握られているのではない。また、寄生動物のように、宿主の人間が死んだら一蓮托生という関係にあるのでもありません。彼らも我々も人間や文明にうまく順応しながらも自身の野生は断乎として譲らない野生動物、シナントロープなのです」


 シナントロープ――常に人類と共にあって、文明を上手に利用しながらもたくましく生き続ける野生動植物の総称だ。

 夢の住人もおなじ、とメギドは言いたいのだろう。

 ルリは半分納得できたが、自分がゴキブリやハエとおなじとする考えには納得できなかった。だから「残飯をあさるほど落ちぶれてはいない」と言い返す。


「偏見ですね。潔癖症は汚れたと思ったとき、つらいですよ」

 ルリをみながらメギドは風にささやいた。

「夢見人でない我らは、所詮彼らとは分かり合えない。彼らが関心をよせるのは、常に同族であって、あなたではないのですよ」


 伏せがちな顔を、ルリはあげてメギドをみた。

「それでも母は、人と結ばれてわたしが生まれた」


「夢見人の心は移ろいやすくはかない。あなたの父親は、限りがあるから永遠を生きる我々にあこがれを見出しただけですよ。その証拠に、あなたの父親は側にいないのではないですか。おろかな我が友よ」


「でも」

 ルリは大きく声を出す。

 けれど、言葉がつながらない。

 二人は愛していたし、いまもそうだと言えるのに。夢見人は限りがあるから夢をかなえようとあきらめないのだと言えるのに。気持ちは変わるかもしれないし、昔のことは忘れるかもしれないけどまた思い出すことができると言えるのに。両親はやさしく、いまも大切な娘としてみてくれると言えるのに。

 かわりにルリは自分の気持ちとはちがうことを口にした。

 本人が一番おどろいたが、すぐにこれが本音かもしれないと納得していた。


「メギドの言うことは……正しいのかもしれない」

 言葉にすると不思議だ。自分はそんなことを思っていたのだと簡単に納得してしまう。いや、させられる気分になる。それが自分の意思だろうとメギドの誘導から造られた気持ちだとしても、目覚めた気持ちは夜を越えて朝が来たとしても、胸のなかから消えないことをルリはわかっていた。


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