Anecdote:05「自分の姿をみなさい」
アネクドートは応えるようにうなずいて言った。
「それでは、盗夢法の実技特訓を行うことにします」
はい! わたしは大きな声で返事をすると再び暗闇の中。ひとり、立っている。
ただ広くて暗い世界に、アネクドートの言葉だけが広がる。
「眼を閉じて闇をみなさい。闇の中に光をみなさい。光の中に闇をみなさい。闇と光が意識です。森羅万象、万物は互いに干渉しあう因果律の中に存在します。ですが、意識は干渉することもあれば干渉しないこともあるのです。物質は分子の集まりでできています。意識の干渉がこれに働くと、渦を巻くように複雑に絡み合い、やがてひとつに集まる。これを魂といいます。魂という意識の球体の中に核となる、自我が形成されていきます。それこそが夢の結晶、夢玉です。魂から突き出る部分を、自意識と呼びます。魂の中に隠れている部分を、無意識と呼びます。夢泥棒は魂の中に結晶化された意識、夢を抜き取るのです。物質世界から、精神世界への干渉はあり得ないのですが、夢を持たないために不可能が可能になるのです。いいですかカスミ、夢のない魂が満たされようと夢を獲得する、意識の流れを身体と魂と精神の三重性で感じなさい。ほら、目の前に集める光の球体、それこそがあなたの魂です」
感じる、意識の流れを感じる。わたしは体が引き寄せられるような、感覚をおぼえた。目の前には巨大な光の球体がある。その球体が飲み込もうとしていた。その場から動かないようにつま先に力を入れる。でもすぐに、違うと思った。引き寄せられているんじゃない。自分が引き寄せているんだ。そう思ったとき、球体に両腕をつきだした。抵抗もなく、腕が光の中に入っていく。吸い込んでいるのか吸い込まれているのかわからないまま、わたしは光に飲み込まれてしまった。
「いいですかカスミ、あなたの魂はこの光です。光に包まれた世界には夢はありません。でも、自我をもてるほど濃厚な意識の海をもっているのです。恐れることはありません。この光の海の中に、収まりきらないほどの夢を盗んで満たせばいいのです」
アネクドートの言葉を受けながら、わたしは光の海を漂う。
体をまとわりつくような抵抗はあるのに、落ちたり沈んだりすることはない。包まれているという感じ、自分の意識、視野が光の分だけ広がっている。自分が大きくなったような、どこまでが自分なのか、境界がわからないという妙な気分。しばらくすると、それが当たり前と思えるようになった。
「目を開けなさい、カスミ」とアネクドートは言った。
言われるままに目を開ける。彼がいた。
「自分の姿をみなさい」
自分の……姿。言われるまま自分をみた。体が光り、全身を包んでいた。
「いま、あなたは自分の魂をまとっています。意識のオーラ、魂そのものといっていいでしょう。これで直接、夢を触れることができるようになりました」
これでってどういうこと、わたしは訊ねる。いままで盗んできたものは夢ではないというのか。アネクドートはそうですとあっさり言った。
「夢ではなくて、魂から突き出ていたしこりです。夢を持たないだけではその程度しか盗めないのですよ」
知らなかった。膝の力が抜け、その場に崩れてしまった。いままでいきがっていた自分が馬鹿に思えてくる。夢泥棒じゃない、オールド・ハッグといわれても仕方なかったのだ。わたしは笑い出した。笑うしかなかった。
「どうしました、カスミ」
なんでもない、なんでも。大丈夫だから、わたしは両手で自分の顔を覆いながら笑った。
「怯えることはないですよ。いままでのあなたは知らなかっただけのことです。でもこれからは夢泥棒として胸を張って生きていけるのですから。あなたの体をまとっている光はあなたの魂、意識そのものです。この本の中では目にみることができます。でも外の世界ではみることができません。でも忘れないでください。あなたの体にはいつもあなた自身の意識をまとっているのだということを。自信を持ちなさい」
わたしは笑ってはいなかった。泣いていたのだ。泣きながら、アネクドートの言葉を聞いていた。聞きながら彼の言葉を胸に刻んだ。これからは本当に夢泥棒として生きていけると思えた。
「そうですよ、カスミ」
ありがとう、ゆっくり本を閉じた。
体中汗ばみ、上気しているのがわかる。本がみせる明晰夢での体験はすごかった。心地よい高揚感、自信がみなぎるのを感じる。実際に体を動かしたわけではない。すべては、本がみせる夢の中の体験だった。
アネクドートは最後に言っていた。
「現実世界と夢世界は常に均衡を保ちながら形作られている。現実世界で困窮している人は夢世界でうたかたの豊かさを得ることにより、現実に立ち向かう勇気を養うことができる。無意識とは、表面意識よりもはるかに体が何を必要としているのかを知っており、外界にまどわされない解決法を端的に告げるのです」
夢の中で危険に立ち向かい克服する。快楽を追求する。そしてはっきりとした成果を得る。自らを制御する明晰夢により、本当の意味で、自分は成長できるのだ。
わたしは女。わたしは夢泥棒。前にも言ったように女夢泥棒でも女性夢泥棒でも女子夢泥棒でもない。ほかの言い方をするならば、夢をみない少女。夢をみたら、わたしは夢泥棒ではなくなってしまう。
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