Anecdote:04「隠れた真実という名をもつ虚像の鏡」

 わたしは納得できなかった。

 夢泥棒の技なのに夢泥棒が使えないのはどういうことなのか、とアネクドートにくってかかった。けど彼に「あなたの意志力ではまだまだ遠くおよばないのです」と軽くあしらわれてしまった。それでも自分のものにしたい。わたしはアネクドートに頼んだ。くり返し、必死に、何度も何度も。やがてわたしの熱意が通じたのか、ため息まじりに「少しだけですよ」と言って教えてくれた。


 突然、わたしは暗闇に包まれた。

 音も光も感覚もなにもない世界。アネクドートを呼んでも答えはなく、ただひとり暗闇にいた。はてしない時間が過ぎ、わたしにはふたつの時間が残された。

 わたしという有限時間と、果てしない闇という無限時間だ。終わることのない無限の世の中で、限りある時間を生きるがゆえに怖くなった。死にたくない、死ぬのが怖い。アネクドートに置き去りにされた気持ちを吹き飛ばすほど、生の渇望に恐怖した。その恐怖も、闇は飲み込み、生死も等しく感じはじめていた。

 生きているのか死んでいるのか、それすらもわからずただそこにあるものとして、闇とともにいた。そうなるとおかしなもので、生きよう生きようと思わなくても生きる自分が無限に感じてきた。むしろ、闇こそが、限りある脆弱な存在に思えてくる。闇に光をあたえると、目的が生まれて闇からべつなものへとむかいはじめてしまう。心の中に生きる時間の無限さが、限定された世の中で生きるがゆえに人生の意味を深く味わうことができるのではないだろうか。

 わたしの中にひとつの考えが生まれたとき、アネクドートの言葉が聞こえてきた。


「そうです、カスミ。終わることなく果てしなく続くことを永遠とはいいません。経験されるたびに、その経験を通じて自分自身が変わっていく、その形が永遠なのです。真の答えはひとり、闇をみつめることでしか手にできません。闇とともにあることで、あなたの意志も高まり、九星運を使いこなせる日が来るでしょう」


 本当にそんなときがくるの? 弱気な言葉を彼に返す。


「大丈夫。この本は明晰夢と同じ。夢の中で体験したことはすべてあなたの実力となります。本を読むだけで成長できる。それがこの本のすごいところなのですから」


 それが事実なら、本当にすごい。でもどうして、そうまでしてまでわたしに盗夢術を教えてくれるのだろう。小さな疑問はわたしを悩ませる。アネクドートが信用できないからではない。教えてくれた内容が理解できず困っている、というわけでもなくて見覚えがあるのだ。確かに昔、自信は持てないけど、彼、アネクドートに会ったことがある。どこでだろう。それこそ夢かもしれない。


「夢ではありません」アネクドートが静かに応えた。「あなたはわたしを知っています。わたしは鏡、あなたの心の鏡。とこしえなる闇の中であなたを見守る鏡です」


 心の鏡だって? わたしはつぶやく。


「そう、鏡。あなたの中にある夢守を映しだして、姿を借りているのです」


 夢守、それは何かとわたしは訊ねる。彼は応えた。「それは欲が産み出す虚像。生きていく上で誰かにすがりたい、甘えたい、と願う気持ちは誰しももっています。夢泥棒とておなじ。一番しあわせと感じたものが心のよりどころ、支えになり、尊敬する思い人として心に作られる。わたしはカスミ、あなたの祖父」

 おじいさんなの、わたしは驚いた。アネクドートは静かにうなずき、口を開ける。


「ですが、あなたの思い人が変われば、わたしの姿も変わる。わたしはアネクドート、〈隠れた真実という名をもつ虚像の鏡〉に過ぎません。おぼえておきなさい、どんな姿になろうとも、わたしはあなたの心の虚像を映し出す鏡にすぎないということを。鏡も虚像も真実にはなれないということも知っておきなさい」


 わたしは大きくうなずいた。自分が思い描く虚像とはいえ、肉親と顔を合わせて話ができたことにうれしかった。

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