Dream collector:09「だれにとっての命の水なのか」

「カスミ、ベイリーズ・オレだよ」

 ミツキがつくってくれたグラスに手を伸ばし、口元へ運ぶ。

「ん、あまい……かな」

 飲みすすめると、グラスをもった手の、かさついた指先に赤みが差していく。


「ですが見積もられている推定数の九割がまだ発見されていないそうです。確認されたうち、二〇〇種余りいる猿と類人猿のなかで、毛皮に覆われていない一種は、自らを『知恵のある人ホモ・サピエンス・サピエンス』と名乗り、頂点捕食者きどりで資源ほしさに同族同士争っては住処を汚し、母なる星を蹂躙している。その数およそ七十億以上」

「夢をみるのは自分たちに許された特権、そうおもいあがってますからな夢見人は」


 ミツキがしずかに口角をあげた。

 横目でオボロをみると、さっきから飲みもせず、ずっと目の前のパイント・グラスをみつめている。


夢見人以外の存在アンデレ・ヴェーゼンたるわたくしたちが、夢見人と生きていくにはシナントロープでなくてはなりません」


 シナントロープ――ゴキブリ、ハエ、地下家蚊、家畜のように管理下に庇護を受け、生殺与奪権をにぎられているのではなく、寄生動物のように、宿主が死ねば一蓮托生という関係ともちがう。

 文明に順応しながら利用し、自身の野生は断固としてゆずらずたくましく生きつづける野生動物だ。


「むしろ頑固に適応できないでいると、落ちこぼれ、阻害されて生存できない危惧があります。自然環境が壊されたのは仕方ないが、だからといって都市環境で我慢しようというのでもないのです。都市環境のほうがなにかにつけて好都合であり、むしろ積極的に進出するのが望ましい」


 雄弁に語っているあいだに泡が落ち着き、やがて泡とビールの境目がきれいに細い線になっていく。

 気づけば、深くて濃い、ギネス本来の真っ黒な色となった。


「環境選択の幅はひろい。あらゆるものを取りこみ、適応、順応性に富み、丈夫で、ずうずうしく、繁殖旺盛で知恵がある。わたくしたちも見習って群れを成し、共同体を生み、汚染にも強くあらねば」

 オボロは仮面マスクをずらしてひと口飲み、

「うまいっ」

 笑みを浮かべた。

「炭酸は非常に細かく、喉ごしがいい。苦さの中にコクがあり、この味こそクセになる」


「そんなにおいしいの?」

 わたしが首を傾げてグラスをにらむと、

「カスミも、強く意識して仕事に励んでもらいたいものですねぇ」

 さりげなく嫌味をいわれた。


 そんなに高校へ通っているのが気に入らないのか。毎月のノルマだって十二分すぎるものを盗んでいるのに、盗む夢の種類に偏りがあるとか、綺麗な球形をしていないとか、文句ばっかり。

 なんとかしてオボロを懲らしめる方法は……。


「ミツキ爺、おかわりっ」

 飲みほして、わたしはグラスを差し出す。

 ふぉふぉふぉっと、オボロが笑いだした。

「リキュールごときで元気になるとは。カスミもまだまだだな。夢泥棒ならアイリッシュを飲みなさい」

「なにそれ」


「アイリッシュ・ウイスキーのことだよ」

 オボロのかわりにミツキが答える。

「いまカスミが飲んだものにだってはいっている。新鮮なミルクから分離したクリーム、カカオ、バニラなどをアイリッシュ・ウイスキーにくわえてつくられた『ベイリーズ』をつかったカクテルさ。まろやかで飲みやすかっただろ」

「たしかに」

 わたしはミツキへうなずく。

「オボロがいいたいのは、アイリッシュ・ストレート・ウイスキーなら、もっと元気になるってことさ」

「どうして?」

 わたしの問いかけに、ミツキの高説を口走る。

「ウイスキーの語源は、ゲール語でウシュク・ベーハー。『命の水』という意味がある。だれにとっての命の水なのか。すなわち、夢をみないわしらにとっての大事な水なのさ」


 酒飲みのいい訳にしか、このときのわたしには聞こえなかった。

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