Dream collector:06「おたのしみのところ、誠に申し訳ございません」

 触れられず、味も香りもない。ただ瑠璃色の風のなか、やわらかな白波を前によりそう二人がいる。

「海はひろいな、ひろすぎるぅー、空もひろいーよ、ひろすぎる~」

 女は適当に口ずさみ、彼方にみえる積みあげられた雲を指さし、

「積乱雲って英語でなんていうの」

 隣の男にたずねた。

 男は、Cではじまるききなれない単語をいった。

 スペルまで教えるも、女はうまく発音できなかった。

「じゃあ、入道雲はどういうの」

「タワリングクラウドだよ」

 ちいさく口の中でくり返し、女は、

「海におふねーを、浮かばせてー、いーってみたいな、新婚旅行~」

 海にむかってさけんだ。

 男がなにも答えないので、

「海ってなんだろうね」

 吐き捨てるようにつぶやく。

「どういう意味?」

 女の顔をのぞき込んで、男はたずねた。

「どうして海はこんなにおおきくて、青くて、わたしを引きつけるのかなって」

 と、答えたが海なんて見ていなかった。

「そうだな……」

 かわいた唇を少し舐め、

「空を好きになったからだよ。その昔、空と海は恋に落ちたんだ。みつめあうぼくらみたいに」

 やさしく歌うように男の唇が動いた。

 肩に手をのせ、腰へ腕をまわす。

 ふるえる唇を指でなぞられ、近づきつつも反発し、かぶさるように重なる。


 と、そこへ……。

 ぬうっと影から抜けでるように男があらわれた。

 飾りのないシンプルなホンブルグ帽に、顔を覆う白い仮面マスクをつけ、纏う黒のオーバー・コートの襟にはビロードがあしらわれている。

「おたのしみのところ、誠に申し訳ございません」

 仮面マスクごしに声をかけられれば、色鮮やかな浜辺の風景が、はぜて消えるシャボンのようにみえなくなった。

 かわりに、カーテンの隙間からもれる月明かりにみえる板床とむき出しのコンクリート壁、備えつけの片開きのクローゼット、小さなチェスト、パイプベッドが現れた。


「また……あの、夢か」

 毛布にくるまりながら見渡すと、

「おはようございます。ようやくお目覚めですか」

 オボロの声に目を閉じる。

「風になびかした黒髪も、いまは寝ぐせがひどくがさついてますね」

 嫌味な声にいらついて目を開ければ、


「ひびわれた唇の紅はあせ、陶器の白さと弾力のあった頬はやせこけ、眼の下にはクマができている。世界の輝きに負けないほど光に満ちていた瞳も、やわらかな牢獄に囚われつづけてきた者がする鈍くうつろな目をしています。気分はいかがですか、カスミ」

「……最低」

 かすれた声が出た。

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