Dream collector:03「こんな問題もできねぇのか」
天岡風乃と英語教諭の本田紳介との出会いは、最初の授業日。
教室に入ってきた姿を目にした瞬間、電流が全身を駆けめぐったような感覚に襲われたのである。これが世にいう〈一目惚れ〉かもしれない、とおもい知らされた――と彼女の夢にはある。
だけど記憶をさぐると嘘、虚偽、まったくのデタラメだった。
実際はちがう。
出会ったときの教師の髪型や服装は、彼女の記憶にすら残っていない。ただ、ぱっちりとした目とがっしりした輪郭に、黒縁眼鏡が似合っていたおぼえは残っている。彼が二十歳年上の子持ち、ときいても動じなかった。
風乃は、本田先生にまったく興味がなかったのだ。
親の転勤のたびに転校をしてきたせ彼女には、自慢できる〈教師〉との出会いがない。
小学校卒業後に引っ越し、顔見知りのない中学へ入学した彼女。
あたらしい学校に変わるだけでも大変なのに、見知らぬ土地で生活していかなくてはならなかった。
こんなときこそ教師を頼りたいと彼女は切望しながら担任発表をみたとき、一人だけ、あきらかに浮いてる教師がいた。
色黒で年配、背が低く、パンチパーマで紺色のスーツに紫色のネクタイをしめる姿は、まさに極道風。いかにも体育教師という感じ。科目はやはり体育だった。
当たりませんようにと祈るも、担任となってしまった。
教室で目があったとき、「俺が昔、つきあってた女とおなじ苗字やな」ぬひひっと、いやらしく笑われたのだ。背筋に冷たいなにかを感じつつ、苦笑いしてやり過ごすも、その後もなにかとからかわれ、最低な三年間を送った。そんな経緯から、彼女にとって〈教師〉が最悪最低な存在となっていたのである。
だから、
「こんな問題もできねぇのか」
生徒にちょっかいかける本田先生をみても好きになれず、
「本田先生って、マジカッコイイー」
はしゃぐクラスメイトに愛想笑いを返すだけだった。
なのにその子たちが本田先生に興味をなくした七月ごろ、好きになっていったのだ。
薄い眉、たかくととのった鼻、厚い唇、眼鏡の奥のやさしげな細い目。しかもたくましい筋骨、ひろく厚い胸、背中を伸ばし堂々とした姿勢から、若いころは、小さないたずらからはじまり、数々の悪ふざけをしてきた名残りをかんじる始末。
先生の授業も楽しく、予習さえ苦にならない。なのに、いざ先生の授業をうけると、おどろくほど心拍が上がって手が汗ばみ、どこへ視線を向けたらいいのかわからなくなる。
それでも家を出るまえによんだ雑誌の占いに『今月は彼とのラブ運、マジ最高っ』と知れば、鏡の前でアイラインを綿棒でぼかし、ビューラーに数秒ドライヤーで温めまつげをあげる。
ナチュラルという名のメイクに気合いを入れて登校するも、
「今日明日、本田先生は学校にいないんだって」
友人に教えられれば、ふぎゃーっと落ち込んでしまうのだ。
本田先生は非常勤講師なので、祝日をはさむと五日間も会えないときもあった。
(休むと知っていたら、昨日もっと話したのに……。先生に会いたい、LAINしたいっーっ)
きいたら教えてくれるか想像するも、「やだね、教えねーよ」と断られる気がして風乃は奥歯を噛んだ。
冷たい目でいわれたら、それこそ恋は終わる。
噂になるかもしれないから、友達に相談できない。この気持ちがバレませんように、と普通を装うほど食欲はなくなっていく。
(もしキスを求められたらどうしよう。しちゃったら、先生と生徒の域を越えた『不倫』になるかも……)
面識のない先生の奥さんや、親の顔が頭に浮かぶ。
(好きなら奪っちゃえばいいよ)
心に住む魔性のささやきに耳を傾ければ奪いたくなる。でもそんな勇気、彼女にはない。好きだけど、いまは恋する感覚に酔っているだけ。
かなわぬならせめて……、と夢に逃げるほど、天岡風乃は恋の深みへとはまりつつあった。
これはもはや、夢というより病気かもしれない。
――潮時、か。
そろそろ彼女から盗むのをやめたほうがいい。
一人の夢見人から立て続けに盗み続ける経験など、これまでなかった。ごく稀に、過去にも盗んでいた相手だったと後でわかるときもあったが、相手をえらんで毎日盗むのは風乃がはじめてだ。
彼女から盗みはじめて、かれこれ半年になろうとしている。
さすがに盗み過ぎか……。
わたしは、自嘲の笑みが浮かんでしまった。
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