Episode:03 夢コレクター

Dream collector:01「名前で呼んでくれていいぞ」

 壁一面、赤く染まっていた。

 本棚を埋めているのは、赤い背表紙の各大学・学部別の大学入試過去問題集の数々。他に目につくのは辞書の類で、小説は一冊も見当たらない。

 せまい図書室内を埋めるように置かれた長テーブルには、女子生徒たちが競いあうようにノートをひろげて勉強する姿があった。

 わたしはあいていた席に座り、セーラー服の襟についた糸くずをとるしぐさで隣の生徒から夢を盗む。

「旅にいにし、君しも継ぎて夢に見ゆ、吾が片孤悲の繁ければかも」

 つぶやきながら古文の本をひろげ、こっそり口に入れる。 

 辺りの空気が鈍色へと変わっていく。

 目を閉じればまぶたの奥にひろがる闇が色づき、やがて夕暮れ時の渡り廊下がひろがってくる……。






「天岡っ」

 渡り廊下を歩く女子生徒に、男性教師が声をかけた。

 足を止めた彼女はふりかえる。

「本田先生」

「いま帰りか」

「いえ、図書室へ行こうかなって」

「今日もか。偉いな」にこりと先生は笑う。

「え」

「知ってるよ。最近、遅くまで勉強してるだろ」

「……あ、はい」

 彼女は一瞬、息がつまった。

(見ててくれてたんだっ)

 と彼女の理性に、彼女の心がささやきかける。

(先生の教科だけ学校で勉強しててよかったでしょ)

 火照る顔をみられたくないばかりか、彼女はうつむいてしまう。

「暗くなってきたから、ほどほどにしとけよ。俺が送ってやってもいいんだが」

(いまだっ)


 彼女の理性を彼女の心が押しのけ、「ご迷惑でなければ」とお願いした。

 本田先生が運転する車の助手席に座った彼女は、緊張で置物のようにかたくなっていた。

 どこをどう走ったのか……。

 気がつくと、外灯もないどこかの駐車場に停まる。


「かわいいな、風乃。俺が好きなんだってな」

 先生は彼女の名を呼び、熱い息といっしょにうわ言のようなささやきを吹き込んできた。

 彼女の理性を追い払った彼女の心が、小さくうなずかせる。

「本当か。じつをいうと俺も天岡が」

 彼の手がするりとあごに伸びては、親指で唇をかるくなぞる。

「せ、先生……」

「名前で呼んでくれていいぞ」


 次第に近づき、ふるえる唇が重なる。

 密着している部分からはげしくつたわるよろこびが、腰から腹、胸へとひろがり、背中から足の指先までかけまわると、吐息にまざって甘い声がもれた。

 なにをされているのかわからないほど、彼女はのぼせあがっていた。制服を着ているのに、まるで裸になったおもいがしてくる。


「先生は、他の子とも、こういう……」

「なに?」

 彼の手が止まる。

「噂はやっぱり」

 彼女はすくみあがった。

 逃げ出そうかと、手探りでドアロックへと指を伸ばす。

「まてよ、天岡」と肩をつかまれる。「お前にまでそんなふうにおもわれてたなんて」

「だって先生には奥さんが」

「俺の運命の相手はおまえだけだ。ようやく、めぐり会えたんだ」

「だめぇーっ」


 彼女はちいさく左手を振りあげると、先生の頬を打ちすえた……という夢だった

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