Magical dreamer:08「騙されるのだ」
わたしは、夢使いに手を差しのばし、うやうやしく頭を下げつつ盃を受け取った。
キャラメルのような色。焼きたてパンとバニラっぽい香りを嗅ぎつつ、口へと運ぶ。
とろりと蜜をおもわせる甘味が滑りこんできたあと、ほどよい酸味が甘さをひきしめる。
「なにこれ、あまくて……おいしい」
「古酒だ。不自然に加えず、自然にまかせておけば麹米だけでひとりでに発酵し、これほどうまい酒ができる。我らの命の水だ」
飲みほした盃を返すと、ミツルはしずかに注いでいく。
「そのくせ、夢追い人はいろいろ求めすぎる。ゆえに進むべき道をあやまり、行先を見失う。結果この有様だ。腐敗した欲望であふれた場所ゆえに」
飲みほし、
「騙されるのだ」
うずまき柄のとっくりと盃を夜空へ放おった。
つぎの瞬間、魚に姿をかえた風にあおられ、むかいのビルを越えてとんでいく。
はるか頭上では、空を覆うほどの巨大な影――ヨルが無数の魚となった風を集め、ひとつの光――巨大な夢玉――を生み出していった。
あれが、真如の月か……でかすぎる。
突如として頭上に出現した夢玉のあまりの大きさに、わたしは声も出なかった。
「そうだろ、すっかり腐ってしまった世界を発酵場にするために存在する夢泥棒よ」
「えっ」
考えが追いつかない。
夢追い人って。
発酵場ってなに?
ただでさえ、突然あらわれた夢使いに萎縮していたところへ、まったく知らない話をきかされたのだ。わたしの理解の範疇を超えている。
「おまえを夢泥棒たらしめる夢買いは、なかなかの腕のようだ。あの男らしい。知らぬだろうが夢買いは相手の願いを叶えるかわりに夢を買う。その代償行為の証として、衣服を持ち去るのだ。おぼえがあろう」
毎月、盗みとった夢を渡したあと、オボロが用意してくれた衣服をなんの疑いもなく着てきた。いま着ている黄色いフード付きポンチョだってそう。
こき使われたくないとおもいながら拒めなかったのは、服のせいだったとは……。
ポンチョを脱ごうとすると、
「だれも責めるなよ。互いが望み、かなえた結果なのだ」
おだやかな口調で夢使いが止めた。
「でも、おかげでわたしは、なにも持てなくて……いつも独り……」
「では、ひとつたずねる。おまえが気持ちよいと感じる場所について考えてみよ」
問われてまっさきに浮かんだのは、だれもいない浜辺。
くり返す波の音、風が頬をなで、日差しが音もなくふりそそいでいる。できうるなら……となりに誰かいて、水平線のむこうに浮かぶ雲をながめたい。
「その場所は、あらゆる要素が混在してはいないだろう。物が溢れ、行き交うひとが多く、さまざまな匂いがし、道をまどわす雑音に満ちあふれる巨大都市ではないだろ」
「……はい」
「おまえは多くを持っている。気持ちがよいと感じる場所を知っている。夢泥棒なら誰もがな。なぜかわかるか」
「いえ」
「即答せず考えなさい。おまえたちは夢追い人からなにを盗むのか」
夢追い人とは、夢見人の事をいっているのか……。
ひとつわかると、夢使いの言葉が頭に入りやすくなった。
「……夢です」
ためらいがちに答えると、夢使いの口もとが笑んだ。
「そうだ。夢と同時に相手の知識や体験、記憶の断片すら手にできる。その瞬間、おまえたちは盗んだ相手に近い知恵を身につけられる。ゆえに夢泥棒はあらゆるものを持てる」
「なるほど……」
そういえばときどき、妙に頭が冴えるときがあった。
オボロがノルマを課して盗ませた理由も、その辺りにあるのかもしれない。
「知っているからこそ、腐った世界を発酵場にするため、いともたやすく夢を盗めるのだ。かなしむ必要はない」
わたしは、ポンチョの裾から手を離した。
許され、認められたような、いい知れぬ気持ちが胸の奥からひろがっていく。
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