Magical dreamer:07「まるで掃き溜めの底だね」

 何度目かの夏が終わり、秋が過ぎ、冬が来て、また春になった。

 日々の盗みに没頭するあまり、わたしはなにを探していたのかさえ忘れていた。


 フード付き黄色いポンチョに身を包むわたしが狙うのは、街中をよこぎる川辺に咲く桜をみながらのんでさわぐ花見客――親子連れや気心しれた友人、仕事仲間――が見ている夢だ。

 どういうわけか、あたたかな昼間より、肌寒い夜のほうが集まりがいい。

 そのくせ、笑うように咲く花などだれも眺めていない。

 近隣住人の生活などおかまいなく酔っぱらう連中から盗むなどわけもなく、花見会場を渡り歩いての荒稼ぎはたまらなかった。

 まさに豊穣の盗み場。夢泥棒冥利につきる。


 わたしは青い街灯の下、つぎの花見会場をもとめて駅へと歩き出した。途中、捨てられたテレビや飲みちらかしの空き缶、プラスチックボトル、落書きまみれのシャッターが目につく。路肩にはだれも乗っていない車が数台ならび、歩道には放置された自転車が行く手を阻んでいた。

 邪魔っ、と蹴飛ばせば、倒れもせず足が痛いだけだった。


 迂回してビルの谷間にかかる歩道橋に上がり、

「まるで掃き溜めの底だね」

 ふっ、と橋の真ん中で顔をあげた。


 建物に切りとられ、星の輝きをなくした夜空に満月がある。

 あの光、天元にあいた〈穴〉にみえてならなかった。

 むこう側に、ほんとうの世界が存在しているのではないだろうか。

 閉じ込められていたころの記憶が頭をよぎる。

 目を開けていても閉じているのとかわらない闇、どこかから響いてくる水滴が落ちる音に、自分の鼓動が無意識に重なる。


 この世界は、だれかに捨てられた枯れ井戸の掃き溜め世界。だとしたら、はやくここから出て、本当の世界にもどらなくては……。


 背筋に冷たいなにかが流れおちた。

「ここにいてはだめ」と、あの空にぽっかりあいた穴のむこうから聞こえる気がする。はやく抜け出さなければ……。


 自問をくりかえしていた、そのときだ。

 突然、荒れた風に背中を押された。

 おもわずよろけると、なま温かいなにかが脇を横切っていく。

 ひゃあっと、声をあげて跳ねのけば、太刀魚のように細長く虹色にきらめく魚が、全身をくねらせて目の前を泳いでいった。

 しかも一匹や二匹ではない。

 まるで回遊魚の群れに迷いこんだような光景が広がっていた。


「風が魚に……まさか」


 不思議な魚の群れが車のテイルランプがつくる川を泳ぎ、ビルの谷間をぬけ、空へと集っていく。その先にある解体途中のビルが視界に入ったとき、あらわれた大きな影が音もなくうごめいた。

 やがて影に目があらわれ、アーモンド状の片眼におもわず、


「……猫?」


 とまどいながら息をのんだ。

 不思議な魚たちは、街を泳ぎまわっている。

 ある魚は運転している自動車へ、べつの魚はマンションや住宅、ほかの魚たちもどこかへむかい、小さな光を口にくわえて空へのぼっていく。まるで、巨大な猫にあやつられているかのごとく。

 わたしはぎっと目をつむり、ゆっくり開けた。

 歩道橋から見下ろせば、道行く人も車も、何事もなく行き交っている……不思議な魚の群れのなかを。


「これは夢? わたしにしか……みえてない」

 つぶやくと、

「夢泥棒か、久しいな。大きくなって会いに来るとは」

 突然、透きとおるような声が降ってきた。 

「だが誉めてやろう。たしかにおまえの前に立つ我は夢使いなのだから。誇るがいい。おなじ世界に生きているよろこびを」


 顔をあげれば、巨大な黒い影に運ばれるように夢使いと名のる人物がゆっくりと、歩道橋の手すりに降り立った。

 その姿は、異形の証たる赤に染まっていた。赤黒い外套を頭からすっぽりかぶっているため顔はよくみえないが、赤い髪、赤い瞳。深紅に染まる衣を身にまとう彼女のまわりを、赤い霞のごとく夢魔たちが群れをなして取り巻いている。

 夢使いは、手に持つ智慧の利剣をひと振りして夢魔をなぎ払うと、わたしの前に、音もなくゆったりと降り立った。

 懐から半透明のガラスボトルをとりだし、


「我はミツル・テルミナ。よくぞ世界最大の嘘にだまされずたどり着いた。うれしくおもうぞ」

 朱に染まる皿状の大盃にそそぐや、ずいっと差し出してくる。

「褒美だ。求めず、必要もなく、あるがまま行くべき道をあるいてきた、愛しい夢泥棒に」


 非現実的な美女を前にして、ようやく理解した。

 ついに出会えたのだ。

 

 わたしは見つけた――満月の夜に空を見、すべての真ん中に立っていると気づいた者だけが――夢使いに出会える方法を。

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