Dream purchaser:09「返してほしいですか」

「……ようやくお目覚めですか」


 頭の上で声が響く。

 なんなの……と、目を開けた。


 ほころんだカーテンからわずかの明かりがさしこみ、コンクリート肌がむき出しの天井や壁をうっすら浮かび上がらせている。

 ここはどこだろう、暗く飾りっけのない無簡素な室内を眺めながら頭を動かせば、やわらかな枕の感触。

 ベッドで横になってるんだ……と、声のした方をみれば、見下ろすように立つ人影に、おもわず息を飲んだ。


 室内は薄暗いものの、顔を覆う白い仮面マスクごしのこもった声には聞きおぼえがあったし、目元にあいた二つの穴、全身をすっぽり包む黒のロングコートという身なりはまぎれもなく、オボロだった。

 起き上がろうとするも、体中の力が抜けきっているようで、ひどく疲れていた。


「気分はいかがですかな」

「……最悪」


 怒鳴りながら襟首をつかみ、とぼけたオボロの顔面に蹴りをいれる場面を想像すると、指先が少し動く気がした。

 でも力が入らなかった。


「たったいま、夢を買わせていただきました。さすが夢をみない夢泥棒の夢。夢見人の粗悪さはなく、まさに高純度の宝石。その輝きはくらべるものもありません。わたくしはね、カスミ、あなたたち夢泥棒の夢を買い取る瞬間がたまらなく好きなんですよ。どうしてだかわかりますか? わかりますよね、あなたにも」


 知るもんかと胸の中でつぶやいて、おしゃべりなオボロをだまって見ていた。


「恍惚にもだえ苦しみ、快楽に溺れつつ不安を抱えた苦悶の表情。そんな相手から夢を奪う瞬間こそ、まさにわたくしがこの世に存在していると実感できるからです。しかも、いともたやすく夢を盗める特別な存在である夢泥棒の夢を手にするのを許されているのがわたくし、夢買いのオボロなのです」


 ぬうっと彼の顔が近づいてくる。

 つるんとした卵みたいな白い仮面マスクに目と口のところに穴が空いている。でも穴の奥にあるはずの瞳や口は、真っ暗でなにも見えなかった。


「あなたたちは本当に、あっさりと盗ってしまう。なぜなら夢をみないからです。みないからこそ、盗めるのですが……そんなあなたたちでさえ見てしまうときがあります。いやあ、夢をみないからこそみたがるのでしょうか、本当にお気の毒。能力のつかえないあなたがたの存在価値などありませんからね。そこで、夢泥棒のみなさんの役にたとうと、わたくしオボロが『善意』で買って差しあげているわけですよ」


 オボロの手が頬にふれた。

 ありったけの力を目に込め、きつくにらんでやる。


「こわいですね、せっかくの美人が台無しです。カスミのためにしてあげているというのに……感謝されるおぼえはあれ、恨まれるおぼえはないですよ」


 といったオボロの言葉に、全身ふるえた。

 自分はいったい、なんのために生きているのだろう。まるでオボロをよろこばせる道具じゃないか、と考えたとき、胸の奥からつきあがるむなしさに両手を固くにぎった。


「返してほしいですか」

 オボロがつき出してみせたのは、ほのかにピンクがかったビー玉サイズの球体。

「きみの夢ですよ、いやぁ、実にきれいな果実、甘くておいしそう」


 歯の浮くようなことばを平気でいいながらオボロは顔を覆っている仮面マスクの口元の穴へ、わたしの夢玉を放りこんだ。

 瞬間、わたしは全身に鳥肌がたち、悪寒が走った。

 体を震わせもだえるも、ぺちゃぺちゃと音を立てて夢玉を転がされると、ぐんにゃり力が抜けていく……。

 縛られてもいないのに手足が動かない。体の重みでベッドに沈んでいきそう。意識だけははっきりしているのに、感覚がどんどんぼやけていく。なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ……。


「夢は甘美だがほのかに苦い。青臭くてみずみずしい、青春のようにはかない。ですが、夢泥棒のみる夢は、とろけるほどにやわらかく、水蜜桃のようですな。しかも味わった後でしばらく豊潤な匂いと甘みが消えるずに残る。未熟ながらすばらしい。一度、きみを前にしながら、むしゃぶりたいとおもっていましてね。はあ~、すばらしい、この瞬間を光栄におもいます、イヒヒヒッ」


 もう、耐えられなかった。

 彼の言動、すべてが癇に障る。奥底でわきあがる感情に身をまかせ、なけなしの力をあつめて右腕を振りあげた。

 だが、だるさにおもうように動かず、簡単によけられてしまった。


「こわいですね、暴力はいけませんよ」

 笑うオボロの肩が小刻みにゆれた。

「まあ、毎月あれだけの量を盗んでいれば、夢漬けになるのも当然です。おまけに、忠告したにもかかわらず、クズ夢ばかり盗んでいましたからね。夢にのまれても仕方ありませんよ。ですが、これも計画どおりです」

「け、計画……」


 しびれる口を動かし、なんとか声をしぼり出した。


「いきなり強烈な快感を味わったのです。わすれようとしても、きみの肉体に刻まれた感覚は生涯消えないでしょう。本人の意志に関わらず、快感をもとめて無意識に盗みとる夢泥棒になれたのです。どうですか、うれしいでしょう。もちろん、上限をこえてまで盗むのですから、定期的にどうしても夢を見てしまう。ですから、わたくし夢買いオボロが、きみの夢を買い取り、夢泥棒をつづけたい願いをかなえてさしあげますよ」


 オボロは喉をならし、飲みこんだ。


「きみの夢はすばらしくおいしかったですよ。禁止とタブーと偽善の強力な締めつけ、この首かせをゆるめる手段はフラートだけ。ですがそのフラートすら、きみは手にできない。なぜなら、夢泥棒は夢をみれないのですから。許すがよい」


 オボロは権力者気どりのことばを残し、背をむける。


「あ。いい忘れてました」

 ふり返り、

「教えた掟を守って仕事をしているのは感心しました。さあ起きてください。そろそろ自由がきくんじゃないですか。三十分以内に身支度をして、下に降りてきてください。食事にしましょう。シャワー室は扉の手前にある引き戸の奥ですから。それと、逃げようとおもわないでください。窓には柵がついてますので無理とはおもいますが、一応忠告を。イヒヒヒッ」 


 耳ざわりな笑いを残し、オボロは部屋を出ていった。


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