Deed to deep:01「パワーズ、プリーズ。疲れてて力がほしくてね」
ティル・ナ・ノーグには、夢の数だけ夢魔がいる。その数は夜空にまたたく星の数ほどだといわれる。まじめに数えたやつがいるかどうかは知らない。
ここアハッ・クリアはティル・ナ・ノーグ最大の都市であり、首都でもある。それでいてその風情はどこまでも庶民的で、親しみやすい。夢見人が築く街のきらびやかさや重々しい空気も感じることはない。
地方都市をそのまま大きくしたような街で、ちょうど路地裏をのぞくと、赤ら顔の酒樽みたいな太ったおばさん連中が世間話に花を咲かせ、わんぱく坊主たちが走り回って遊ぶ。アハッ・クリアはそんなのどかな雰囲気が漂っているところだ。
黒くよどんだカムリ川が、街の中央を東から西に流れている。そこにかかるドロイトカムリという橋を南へ渡り、すぐ左手に入るとテンプル・バーという地区がある。古きアイルランドを彷彿させるような石造建築が通りに建ち並ぶ。この地区には夢泥棒や夢コレクター、夢買いがたむろするパブがひしめき合っている。テンプル・バーの中でいちばんの老舗パブ、『
「パワーズ、プリーズ。疲れてて力がほしくてね」
冗談まじりに言うと、にんまり笑ってバーマンがグラスになみなみとウイスキーを注いでくれた。
メルシー、といってわたしは手を伸ばす。
「その前にカスミさん、借金を払ってくださいよ」
「へへんだ、今日はオボロのおごり。わたしの借金もうわのせしてオボロに払わせといて」
笑いながら本音を言い、バーマンからグラスを奪った。
わたしの後ろに立つオボロは黙ってうなずき、「カスミ。仕事に支障がでないように、ほどほどにしておきなさい」バーマンにギネスをオーダーした。
早朝とはいえ、席はほぼ埋まっていた。この店の席が空いているところをわたしはみたことがない。カウンターで立ち飲みをしながらみると、大半がギネスのグラスを傾けている。ウイスキーを味わっているものもいるがそのほとんどがスコッチだった。ギネスをチェイサー代わりにするのはよくあることだが、何を飲んでいるかでどんな客が来ているのかがここではわかる。夢買いはギネスしか飲まないし、夢コレクターはスコッチを好む。
カウンターの棚に目をやると、中央にずらりと並んでいるのはアイリッシュ・ウイスキーのボトルだった。右端に追いやられるようにスコッチが五、六種類、バーボンも七種類。カナディアンもジャパニーズも同じくらいそろえていた。
以前はアイリッシュ・ウイスキーしかお目にかかれなかったパブだったが、わたしたち夢泥棒の数が減少し、夢コレクターたちが増えたせいだ。
わたしは二杯目のパワーズを飲みながら、アイリッシュこそナンバー・ワンだと思った。いや、夢泥棒なら誰もがそう思っているだろう。
オボロとならんで飲んでいると、わたしは胸の奥で不安がうずくのを感じた。仕事前になると決まって襲ってくるプレッシャーとは少しちがう。
コートのポケットから召喚状を取り出す。ここに来る途中、オボロから渡された。パブのつけを肩代わりしてくれるかわりに、事細かに書き込まれたスケジュールをこなさなくてはならない。綿密すぎて、紙が黒々しているほどだ。
普段、一カ月の盗みに備えての仕事ならば山のようにあり、次から次へとこなしていかなくては間に合わない。一番おもしろくない仕事だが、一つひとつ根気よく片付けなければ一番楽しい部分――夢を盗む本当の仕事がやってこない。
でも、この朝に感じた強い不安はそれとはちがっていた。本来、大規模な盗夢は満月にあわせて上弦の月から下弦の月のあいだに行われている。いつもなら満月が出る前後がいちばん心躍らせて盗みを楽しんでいるころなのだ。なのにわたしはパブで飲んだくれている。召喚状とオボロの命令は絶対だから、どうして仕事からわたしをはずしたのか問いつめたくてもできなかった。そして満月の今日、わたしに特別な仕事をさせようとしている。
盗みの準備が充分でなかったためにさんざんな目にあった話は耳にたこができるくらい聞いているし、自分でも嫌になるほど経験してきた。ボス、リーダー、仲間が細部まで綿密な注意を払わなければならない。突発的な事故を最小限にとどめる必要がある。だからできる範囲で最大限の備えをしておかなくてはならない。
オボロは手はずをととのえる名人だ。盗みを始める準備、盗夢術の技術向上と修練、再装備を確実にこなす達人だった。立て続けに仕事をしてベッドに沈むわたしに、夢の中にまで入って「次の仕事です」というのはオボロだけだ。
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