第21話

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「私たち、別になにもおかしくなんてないよね?」

 法子の突き付けた言葉に息が詰まりそうだった。

 相手の気持ちを考えず、辛いのは私だと主張できるなら、きっと楽なのに違いない。

「確かに私は、あんたを羨ましく思っていたかもしれない。それは認めてもいい」

 法子が私にしていたように、私も同情してもらいたかった。話を聞いてもらいたかった。

 遥のように愚痴をこぼしたかったわけじゃない。私はこの胸の中にあるものを、わかる、と言ってもらいたかっただけなんだ。

 けど、私は法子の言葉を認めるわけにはいかない。

 あの時の、小さな女の子の反逆をなかったことにしたくない。

「でも、私はあんたみたいにはなりたくない」

 弘樹と別れた理由は、彼がもっと愚痴を言いたくなるような男だったら良かったのにと考えてしまったから。私の抱いた気持ちは彼に対して失礼だから、別れることにした。

 遥の推理はほぼ正解だ。

 でも、失礼だと思っていたのは、弘樹に対してだけじゃない。

 あの頃の私は、遥の話を素直に聞けていなかった。遥が愚痴をこぼす度、弘樹がもっとひどい性格だったならと考えていた。

 遥の話を聞きながら、自分のことばかり考えていた。

 それは、私の望む姿じゃない。

「どうして?」

 さっきまで嫌らしく見えていた法子の笑顔が、何故だか少し穏やかに感じられた。

「あんたと喧嘩した時、『どうしてわかってくれないの』って思った。だから私は、わかってあげたいんだ」

 私は、わかる、と言ってもらいたかった。

 私は、わかる、と言ってあげたかった。

『幸せな君にはわからない』と私を拒絶したあの子に、あなたの気持ちもわかる、と心に寄り添わせて欲しかった。

 だったら、と法子が口を開く。彼女の表情に張り付いていた幼子の仮面が剥がれ落ちていく。

「あなたはあの子たちの気持ちをわかってあげるべきだよ」

 何のこと? そう言いかけた時、背後から「幸恵」と声がかけられた。

 え? と振り返ると、そこには理沙と遥が並んで立っていた。

「待って? どういう組み合わせ?」

 目の前の情報が何一つとして処理できなかった。理沙が長い背を折り曲げて言った「ごめん」という言葉を、わけがわからないままに聞いていた。

 他の客がなにごとだろうとチラホラこちらの様子を伺っているのがわかる。けど、理沙は全く気にしない様子で頭を下げ続けた。

「理沙、ちょっと顔を上げて。一体、どうしたって言うの?」

 腰を伸ばした理沙は少し俯いてから私に視線を合わせた。

「許してもらえないのなら、それはそれで構わないと思ってる。ごめん、今日のことは私が仕組ませてもらった」

「今日のことって……」

 数時間前に喫茶店で話をしていた遥を見、そして今目の前に座っている法子を振り返った。

「どういう……こと?」

 理沙が隠れてなにかを仕組んでいたらしいという嫌悪感と、それでも彼女を信じたい気持ちとの間で心が揺れ動く。

「ユキちゃん、違うの。理沙を巻き込んだのはあたしなの」

「私を巻き込んだのは三澄さんだけどね」

「ちょっと? せっかくあたしがフォローしたのに。やっぱりあたし、あんた嫌いだ」

「私だって昔から大嫌いだったよ」

 互いに罵倒を繰り返す遥と法子に、彼女たちがどういう意図で集まったのかわからなかった。なにかを仕組むにしては足並みが揃ってなさ過ぎる。

 二人は私をそっちのけにして、先に目を逸らした方が負けだと言わんばかりに睨み合っている。それを見ていると何だかおかしくなってきて、ふふっと小さく息がもれた。

「幸恵……?」

 一人、不安そうに私を見つめていた理沙に微笑み返す。

「びっくりしたけど、悪意は感じないから。説明はしてくれるんだよね? そんなところで突っ立っていられると私が恥ずかしいんだから、二人ともこっちに来て座ってよ」

 鞄をずらし、奥の方へと腰を動かす。私の隣に遥が座って法子の隣に理沙が座った。それぞれ穏やかな対角線と険悪な対角線が交じり合っている。変な感じで、少しだけ愉快だった。

 遥がドリンクを取ってくると言い、理沙が少し悩んでからホットコーヒーと口にした。私もそれで、とグラスを手渡してお願いする。

「立川さんは?」

「……じゃあ私も」

 法子が難しい表情でグラスを預ける。

 遥がカウンターから戻ってきて、改めて四つのカップがテーブルに並べられる。遥だけがホットティーだった。

 まず理沙がどうして二人と知り合いであるかを説明してくれた。

「別に、幸恵が住んでいる校区の中学だからって理由で転校したわけじゃないよ。私の家から次に近い公立中学を選んだら偶々そうなっただけ」

 カップに口を付けてから、理沙がそう結ぶ。

 その様子に法子がカップに手を伸ばす。口元で傾けて、彼女は慌ててテーブルの上にカップを戻した。

「あれ? ひょっとして立川さん、猫舌なの?」

 意地の悪い笑顔で覗き込む遥に「だからホットはいやだったのに」と法子がもらす。

 遥は得意気にホットティーを煽ってから、私へと視線を向けた。

彼女は案の定、楠木に対する私の態度をどうにかしたかったと言い、そこでようやく私にも点と点が繋がった。

「確かに楠木の言ったことで、理沙のことを思い浮かべたんだけど、遥が知っているとは思わなかった。それで理沙に連絡を取って、私にけしかけたわけね」

「経緯はどうあれ、私は藤村さんに感謝しているよ。お陰で幸恵とこうしてまた話す機会を得られたんだから」

 けど、理沙の作戦は失敗して彼女たちは作戦を練り直した。その内容を聞いて頭が痛くなり、思わずこめかみを強く抑えていた。

「待って、理沙に弘樹くんの話をしたの?」

 一体どんな話をされたのだろうと気が気でなかった。

 弘樹と私の間に起こった出来事から、遥と理沙は別々の連想をしたと言う。

 自分の、愚痴を言う恋愛に憧れていたんじゃないかと考えた遥。

 むしろ法子に近いものがあると考えた理沙。

「あ、そうだ。いつかバレるから言っておくんだけど、兄さんの結婚話はユキちゃんから話を引き出すための口実だから。ごめんね」

 この子はかわいらしくごめんねとでも言えば何だって許されると思っているのだろうか。これまで彼女と付き合っていた彼氏たちの苦労を思いため息が出る。

「そんなことだろうとは思っていたけど」

「ホント? 良かったぁ」

「いや、良くはないからね」

 法子に連絡を取った理沙は、幸恵をトラウマと向き合わせて欲しいと彼女に頼んだ。

「急だったから、本当になにごとかと思ったわ」

 今度こそ冷めていたコーヒーにホッと息をついた法子が笑う。

「でも、話を聞いて協力しようって決めた。三澄さんが話を聞いてくれたから、私は自分を省みようと思えたわけで。借りがあるなって思ったし、それに私自身、あなたとはきちんと決着を付けておくべきだと思った」

 その話を聞いて、私が法子に抱いた印象は間違っていなかったのだと気付く。

 今の彼女と、おかしいと言われた彼女、受ける印象がチグハグなのは当たり前だった。彼女が再び責められたのは、随分前の話だった。

 ねぇ、福多さん、と法子は律義に苗字で私を呼んだ。

「そこに居る不良娘と違って、私もあなたも不満をこぼしただけじゃ満足できない。相手に共感してもらえて、わかってもらえて意味があると思ってる。だから私は相手の意見を決め付けた悲劇を演出したし、あなたはわかってもらえないことが怖くてたまらなかった」

「なんだかディスられてる気がするんですけどー」

 紅茶を飲みながら文句を言う遥を指差して法子がニコリと笑う。

「これが一人で完結する愚痴よ。私たちには真似できない」

 数秒後、出汁に使われたと気付いた遥が法子にガンを飛ばしていた。

「あなたの恐れがわかるとは、私は言えない。言う資格がないと思ってる。でも、あなたはわかってあげたいって言った。それは、三澄さんや藤村さんだって同じなんだよ」

 なにも答えられない私に「幸恵」と理沙が呼び掛ける。

「私はさ、あの日の言葉を撤回しないよ。あの時の私はやっぱり君が羨ましく見えていたし、幸せな君に私の気持ちはわからないって思ってた」

「うん」

 横を見ると、遥が咎めるような視線を送っていた。私も理沙がなにを言おうとしているのかわからなかったけど、どうやら彼女たちの打ち合わせにある話題でもないらしい。

 黙って次の言葉を待つ。

「つまり私は君にとってそんなどうしようもない友人だったんだ。立川さんだってそうだ。そんな救いようのない連中のせいで君は他人に相談ができなくなって、不幸であることを羨ましく思ったりもして、けれどそれはいけないことだと悩みもして。要するに、君の人生だってたいがいだと思うんだ」

 同情されているのだと、気付いた。

 私の辛さをわかろうとしてくれているのだと。

「軽々しく君も不幸だなんて言えないけれど、私は君みたいな人生は御免だな」

 ちょっと理沙、それは言い過ぎでしょ、と立ち上がった遥が言葉を散らす。

「遥、いいの」

「でも……え? ユキちゃん、大丈夫?」

 たしなめられた遥が、ギョッとした様子で言った。目頭が熱くなって、遥の顔をちゃんと見られない。

「幸恵、あの時はわかってあげられなくてごめん」

「……うん。ううん。私も、あなたに余裕がないってわかってあげられなかった」

 幸せな君にはわからない。

 幸せなわたしはわかってもらえない。

 遠ざけていたのはどちらなのだろう。

 正面に座った法子がためらいがちにハンカチを差し出してきた。

 みんな、前を向いて踏み出している。

 私はそれを受け取って目に当てる。法子がほっと息を吐きだした。

「ねぇ、みんな。お願いがあるんだ」

 わかってもらえないと思っていたことが、私にはたくさんある。

 今なら、言えるかもしれない。

 三人の顔を見渡して、震える心を抑え付けた。

「私の話を、聞いて欲しいんだ」

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