変態

ジロギン

変態

今日、息子・俊彦(としひこ)は19歳の誕生日を迎えた。

バースディケーキを用意したが、息子は食卓に姿を現さなかった。


俊彦が2階の自室に引きこもるようになったのは、小学4年生の頃。

成績が悪く、スポーツも苦手だった俊彦はイジメのターゲットになってしまった。

物を隠されたり、持ち物に落書きをされたりなんてことはしょっちゅう。

体にたくさんのアザを作って帰ってくることもあった。


やがて俊彦は学校を休むようになり、不登校になった。

母親である私としては、イジメられると分かっている息子を学校へ送り出す気にはなれない。

部屋にこもっていても退屈しないよう、マンガやゲームを買い与えていた。


あれから約10年。

俊彦は部屋から一歩も出なくなった。

無理にでも部屋に入ろうものなら「殺すぞ!」と脅される。

お父さんが説得しても、聞く耳を持たない。


俊彦の部屋からは三角コーナーのような臭いが漂い始めている。

家にネズミやゴキブリが現れる頻度も年々増えている気がする。


育て方を間違えてしまったのだろうか。

私たち夫婦にとって、俊彦は大きな悩みの種だった。


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深夜。

目が覚めてしまった私は喉が渇いたため、キッチンへ向かった。

真っ暗なキッチンの中に、オレンジ色の光が見える。


毎日キッチンを使う私には、その光が何かすぐにわかった。

冷蔵庫の光が漏れているのだ。


冷蔵庫の前には、モゾモゾと動く何かがいた。


「誰……?」


私が声をかけると、何かはこちらに顔を向けた。

俊彦だった。


つま先から頭頂部まで布団でぐるぐる巻きになっており、隙間から顔と手だけを出して、残しておいたケーキを貪り食べている。

ほっぺは食べたケーキでいっぱいになり、口の周りにはクリームが付着していた。


「俊彦……どうしたのこんな夜中に?それより、部屋から出られたの?大丈夫なの?」


俊彦は顔を冷蔵庫の方に戻し、再びケーキを食べ始めた。


「お腹空いたなら、呼んでくれればいいのに……いつもみたいに部屋まで持って行くから。」


「うるせーな。腹が減って仕方がねぇんだよ。失せろババア。」


「あの……俊彦……お母さん、水だけ飲ませて欲しいのよ。そしたら寝室に戻るから。」


「水か……ほら、飲めよ!」


俊彦はペットボトルに入った水を床にドボドボとこぼした。

そして笑いながら、ケーキを食べ続けた。


息子の振る舞いにショックを受けた私は、何も言わず寝室へ戻った。


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その翌晩も、さらに翌晩も、俊彦は私とお父さんが寝静まった頃を見計らって、冷蔵庫の中のものを食べていた。

布団を体に巻きつけてたままで。


ひとしきり食べ終えると、イモムシのように床を這って、階段を上り、自室へと戻って行く。


私は俊彦に気づかれないよう息を潜め、死角から毎晩観察することにした。

最初はケーキやアイスなどを食べ漁っていたようだが、次第に生肉や生魚など、加熱が必要なものまで食べていることに気づいた。


そして2週間ほど経ったある夜を境に、俊彦のつまみ食いはピタリと止まった。

それどころか、普段部屋の前まで持って行くと残さず食べていた朝食や昼食にも、全く手をつけなくなったのだ。


2日ほどそんな日が続いた。

私はとても心配になった。

食中毒になっているのではないか?

最悪の場合、死んでいるのではないかと。


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「俊彦?いるわよね?返事してちょうだい。最近、全く食べてないようだけど、体調でも悪いの?」


私は俊彦の部屋の前から呼びかけた。

返事はない。


「俊彦?あなた大丈夫なの?俊彦?入るわよ?」


ドアの鍵はごく単純や仕組みで、硬貨を使えば外からでも簡単に開けられる。

勝手に入ると俊彦は怒るだろうが、万が一ということもある。

こういう時まで怯えていては、母親の資格はない。

私は覚悟し、ドアを開けた。


部屋の真ん中に、褐色で丸みを帯びた縦長のの物体が直立していた。

大きさは成人男性くらい。

天井に細い糸のようなものをくっつけて全体を支えている。

まるで巨大な蝶のサナギのようだ。


私は何が起きているのか理解できなかった。


「……入ってくるなっていつも言ってんだろ。」


サナギの中から俊彦の声が聞こえた。


「俊彦!いるのね!?この中にいるのね!?一体何があったの!?すぐに出してあげるから!」


私は物体に触れた。

感触は布団そのものだった。

布団が幾重にも巻きつき、ひだ状になっている。

俊彦の汗や、床を這った際に染み込んだ汚れで褐色になっているようだ。


「やめろよ。というか、アンタが何をやっても無駄さ。この布団は俺の皮膚と完全に癒着しちまってる。俺はサナギになったのさ。」


「何言ってるの……?俊彦、お母さん、あなたが何言ってるのかわからないわ!?」


「むしろ今、気持ちいいんだ。体の疲労感がとれて、エネルギーに満ちている!邪魔するなよ。俺は多分、進化するんだ。生まれ変わるんだよ。これまでの惨めで、イジメられて、社会に出ることすらできなかった俺から変わるんだ!」


「そんなところにいて変われるわけないでしょ!いま出してあげるから!きちんと現実と向き合いましょう?」


「……うぜーんだよババア……ちょうどいいや。生まれ変わったら、まず始めにお前を殺してやるよ。」


相変わらず私を脅す俊彦だったが、このまま屈するわけにはいかない。

俊彦を救い出さないと。


私は布団を引き剥がすことにした。


ビリ……ビリビリ……ビリビリビリビリ……


感覚は、段ボールに付いたガムテープを剥がすのに似ている。


「おい!やめろ!おいババア!やめろ!」


私は俊彦の制止に従うことなく、布団を剥ぎ続けた。


ビリビリ……ビリ……ビリビリ……ビリビリ……


ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁああああ!!!


サナギの中から俊彦の叫び声が聞こえる。

布団を剥がしたところから大量の血が噴き出てくる。


「もう少しよ!我慢してね!すぐ出してあげるからね!」


生暖かい鮮血が、私の顔や手、胸元を覆う。


ああぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!


俊彦は苦しんでいる。

それでも私は手を止めない。


ぎゃぁああああああぁぁあぁあがぁああぁあ


ぐぁあああぁあぎがぁぁああぁあぁおぁあぁ


おぁぁぁぎゃあぁああおぎゃぁああああぁ


おぎゃあああおぎゃあああおぎゃあおぎゃあおぎゃあおぎゃああ


俊彦の叫び声はどんどん若く、幼くなっていき、産声に変わった。


「俊彦……?」


最後の布団を剥ぐと、中から血まみれの赤ん坊が出てきた。

へその緒がついていない男の子。

おぎゃあ、おぎゃああ、と元気よく泣いている。


「俊彦……戻ってきてくれたのね……」


私は赤ん坊をぎゅっと抱きしめた。


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イモムシは蝶へと進化するためにサナギになる。

一方、人間がサナギになるのは赤ん坊に戻るため、つまり退化するためなのだろう。


しかしその退化は、必ずしも悪い結果をもたらすとは限らない。


私は赤ん坊を「新しい俊彦」として育てることにした。

お父さんも納得してくれた。


今度こそ、絶対に失敗しない。


<完>

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