☆リベンジ★ 主格「が」について

 2021年8月に、近況ノートに設置しました◇相談箱◆へ、主格「が」についての相談事を@bbbbaicaijunさんからいただきました。

 この質問に関しては、すでに回答をして終了しているのですが、私のなかで納得いかない部分があったため、時間を掛けて調べ直しました。

 するとようやく一つの答えに辿り着いたので、今回は主格「が」についての説明をリベンジしたいと思います。よかったら、お付き合いください。


<相談内容>

日本語の非ネイティブスピーカーです。ずっと困っているのは、どうして日本語では好きの対象に「が」がついていますか。

金田一春彦の『日本語』では「が 主格 動作・作用するもの、属性をもっているものを表す」と書きましたが、その中には感情の対象に関する部分がありません。

もしかして、日本人にとっては愛とか話し手が送るものじゃなくて、本来好きな対象にあるものですか。せめて私の国では愛とか送り物として扱われています。

適当に挙げた例文。

『私は新しいゲーム機が好きです』


<回答>

 質問者は「なぜ好きの対象に『が』がついているのか」ということを仰っていますが、格助詞「が」は好きな物の対象にだけにつくのではありません。

 外国人の方が日本語を学ぶとき、「は」と「が」の使い分けを学ぶそうです。しかし、この区別が中々に難しい。日本人は理屈を知らなくても使えますよね。でも、説明を求められたら出来ません。

 これについて結論から申し上げると、「は」は「もう明らかになったことに付く」もので、「が」は「未知のまだ分からないもの」に付きます。これは文法学者の三上章さんが長いこと研究し、その後国語学者の大野晋さんが上記の答えを導き出しました。

 答えとしてはこれでお終いなのですが、それではよく分からないと思いますので、具体的に説明いたしましょう。


 皆さん、桃太郎のお話は分かりますよね。井上ひさしさんが、この話を用いて話すと分かり易いと仰っていたので、私も同じようにしたいと思います。

 桃太郎の出だしは「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」です。皆さんもよくご存じかと思います。

 まず前半の文章。

 「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさん『が』住んでいました」では、「が」が使われていますよね。

 しかしその後の「おじいさん『は』山へ芝刈りに、おばあさん『は』川へ洗濯に行きました」と、どちらにも「は」が使われています。

 何故、最初の文には「が」が使われているのかと言いますと、読者にとって「おじいさん」も「おばあさん」も初めて登場した人だからです。

 しかし、次の文章で「おじいさん『は』」となっているのは、もう前の文ですでに知っているからなんですね。

 よって、「は」は「もう明らかになったことに付」きますし、「が」は「未知のまだ分からないもの」に付くのです。


 今回のことを踏まえて、◇相談箱◆に寄せられた「私は新しいゲーム機が好きです」という一文を見てみましょう。「私『は』」はすでに明らかになっており、「新しいゲーム機が『が』」というのは、初めて登場するから「が」なのですね。

 そのため、質問して下さった@bbbbaicaijunさんが「その中には感情の対象に関する部分がありません」と仰るのも無理はないんです。


 「は」と「が」について考えるとき、有名な一文があります。


 ――象は鼻が長い。


 実は「象」についている「は」は、主語ではありません。

 井上ひさしさんの言葉をお借りすると「もうわかちゃったことを提示している」ので、「皆さんが知っている象という動物について言えば、鼻が長い」ということを言っているんですね。


 格助詞に関しては調べるととにかく奥が深くて、今の所今回の件で説明できるのはこれくらいなのですが、いかがだったでしょうか。

 「は」と「が」については、国語学者や文法学者は本当に本当に長いこと頭を悩ませてきました。調べているプロでさえ分からないのですから、素人が分からなくて当然だと思います。でも、これで皆さんは「は」と「が」の秘密が一つ解けましたね。これからは、この二つを上手く使い分けることが出来るのではないでしょうか。


 回答は以上です。

 リベンジにお付き合い下さりありがとうございました。


<まとめ>

 「は」と「が」の使い分けを考えるとき。

 「は」……もう明らかになったことに付く。

 「が」……未知のまだ分からないものに付く。


🍑『桃太郎』で考えてみる🍑


 ――昔々、あるところに、おじいさんとおばあさん住んでいました。

 →読者にとって「おじいさん」も「おばあさん」も初めて登場した人だから、「が」が使われている。


 ――おじいさん山へ芝刈りに、おばあさん川へ洗濯に行きました。

 →読者にとって、おじいさんもおばあさんも、知らない人ではない。もう前の文ですでに知っているため「は」が使われている。

 

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