Column1 「」の中に句点を入れるようになった理由
以前、9月の「Column5」で、「『』の終わりに句点を打つか、打たないか」ということを書きました。結論として、それは作者さんの自由にしていいんですよ、と言う話をしたんですが、どうして「」の終わりに句点をいれるようになったのか、理由が分かったのでここに記載しようと思います。
井上ひさしさんの著書『井上ひさしの日本語相談』の中に、昭和二十二年と二十五年に文部省国語課が発表した「くぎり符号の使い方」というものの影響を受けているということが書かれていました。
それには、文の終わりは「」の中であろうとも句点を付ける、と決められています。私はこの著書を読むまで知らなかったのですが、公用文も「」の中の文の終わりには句点が付けられているようです。
しかし現在の小説の多くは「」で会話文を表現する場合、「おはよう。」ではなく「おはよう」としています。それは皆さんもお分かりになるように、鍵括弧(」)で会話文の終わりが分かることから、重視されなかったようです。
実際「おはよう。」としてしまうと、区切り符号の重複になり、煩わしいと思う方もいらっしゃるでしょう。また新聞など字数が細かく決まっている世界では、「おはよう」としたほうが字数の節約にもなるので、句点を打たないようです。
ただ皆さん、記憶をちょっと呼び戻してみてほしいのですが、小学生の教科書(中学生は分かりませんが)には、「おはよう。」という表記があったと思います。
井上さん曰く、「いちいちうるさく区切り符号を使わせることで、生徒たちに文意識を植え付けようとしているのかもしれません」とのことです。
だから、児童文学などでは、教科書にならって「~。」という表記をしているところもあるのかもしれません。
ちなみに、日本で句読点が文章の中に用いられるようになったのは、あくまで漢文訓読の読解を助けるためでした。それが書き手の表現法の一つとして使われるようになったのは、明治以降のこと。それまでは句読点が使われることがなかったんです。
日本語は文の終わりに決まった文節があらわれるので、句点を付けなくてもよかったので、それまでは句読点を付ける習慣がありませんでした。
では、何故それが使われるようになったかと言うと、どうやら欧米から輸入された句読法(バンクチュエーション)に刺激されたから、と井上さんは仰っています。
そのため、暫くはそれを使う、使わないというのは、書き手次第だったようです。
余談ですが、公用文の書き方にはちゃんとしたルールがあるのですが、これが今年の3月に約70年ぶりに改訂されたそうですよ。
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