Column2 『NIHONGO』の裏話(前編)

 『NIHONGO』を連載し始め、読者の方から感想やご意見のほかにも、質問も沢山いただいてきました。皆さん、鋭い質問ばかりで、いつもどうやって答えようか悩むわけですが、そんな私の第一の味方は辞書です。


 辞書も一冊だけではなく、数種類駆使しております。よく登場するのは『明鏡国語辞典』や『新明解国語辞典』ですね。他にも有名どころの『広辞苑』や堅実な『岩波国語辞典』なども含め8種類程度の辞書を使っていますが、この2つを使うのは語釈が分かり易く、私が使うのにぴったりな例題が載っていることが多いからです。


 さて、ここで皆さんの中には「『広辞苑』だけで事足りるのではないの?」と思った方もおられるかもしれません。

 もちろん、『広辞苑』でも分からない言葉を調べるためであれば、心強い味方です。辞書として有名ですし見出し語も沢山載っています。そのため「広い範囲の言葉を調べられる」という利点はあります。

 しかし『広辞苑』は、私のような特殊な調べ方をしている人間にとっては、少々物足りません。中型の辞書なので言葉は沢山載っているのですが、欲しい情報が足りない場合があるのです。

 では、「『広辞苑』に問題があるのか?」というと、もちろんそんなこともありません。

 辞書という媒体のなかでは、取り扱うことができる見出し語の数が決まっていますし、語釈に費やせるスペースも厳密に決められています。よって『広辞苑』はこの辞書の特性をしっかりと生かした作り方になっていて、それを分かって使う分には十分な辞書と私は思います。(百科事典的な一面もあるせい、というのもあるんですけど<笑>)だからこそ、多くの人に支持を得ているのでしょう。

 ただ、深く言葉を調べたいと思う人たちにとっては、やはり「どれか一冊の辞書」だけでは不足で、他の辞書と併用して使わなければ中々難しいように思います。


 つい最近、国語学者の大野晋さんの著書『対談 日本語を考える』を読んでいて知ったことですが、どうやら日本語には「自分たちの言葉の辞書」というものがないそうなのです。

 「『日本国語大辞典』があるじゃないか」とも思うんですけど、それについては触れていませんでした。

 『対談 日本語を考える』が出版されたのは、1979年。1972年には『日本国語大辞典』がありましたし、それ以前にこの辞書のもととなった『大日本国語辞典』も発行されているので、国語学者の大野晋さんが知らないわけがないと考えると、もしかすると大野さんは『日本国語大辞典』を「自分たちの言葉の辞書」としては認めてなかったのかな……とも推察できます。

 ただ、大野さんの他の書籍を読んでみないと何とも分からないので、それについてはまた調べてみようと思います。


 そうそう『日本語国語大辞典』を作った人の本も、少しずつ気が向いたときに読んでいるのですが、その編纂作業の大変さは最初の方を読んだだけでも分かります。

 初版が15年の歳月がかかっていて、協力した人の数が2,000人を超えているという一大プロジェクト。当初はおよそ50万語載っているそうなんですが、それは成人した人が理解できる言葉の数の10倍といわれています。ということは、20歳を迎えた人たちは5万字のことを理解できるということですね。……ホントかな(笑)

 それを載せるか載せないかも条件がありますし、生きた言葉かどうかも調べなくてはならない。日本語かどうかについては、古典を読んで確認しなくてははりません。辞書を作るというのは、本当に大変なことなんですけどね……。厳しい世界です。


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