第4話


 †



「なあ、新庄。お前、漣さんとめちゃくちゃ仲良いよな」

「ん?」


 漣春香と屋上で出会ったあの日から一ヶ月。

 あれから俺は、時間があればはるかと遊んだり、勉強を教えて貰ったりと一緒にいる時間が明らかに増えていた。

 そしてそれは、クラスメイトの目から見ても一目瞭然な程に。


「付き合ってんの? 新庄と漣さんって」


 昨日、徹夜で予習をしていたせいで机に突っ伏していた俺の頭の中は靄がかったようにボヤけていた。そのせいで、即座にちげーよと否定するのが遅れてしまう。

 そして。


「優希君」


 そんな俺の側で、そっと身を乗り出す少女の微笑が近くに寄った。

 同時、鼻腔をくすぐり、香る甘い匂いは漣春香のものだとすぐに理解する。


「ご飯、食べに行こう?」

「ん、あ、もうそんな時間か」


 授業を聞いて、合間の十分休憩の時に机に突っ伏して。

 その繰り返しをしていたせいで、時間感覚が曖昧になっていた。


 こうしてはるかにご飯の誘いを受けるまで、昼食まであと一時限あると思っていた程。


「悪い、ちょっと混む前に飯食ってくるわ。話はその後って事で」

「……あいよ」


 食堂が本格的に混む前に。

 そう思い、話し掛けてくれていた男子生徒——蒼井翔に謝りながら、俺ははるかと共に教室を後にする。



「……やっぱあの二人、付き合ってるな」



 もちろん、確信に満ち満ちた翔のその呟きには、聞こえないふりをする事にした。




「勘違いされても俺はしらねーぞ」


 食堂のおすすめメニュー「たらこうどん」を食べながら、向かいに座ってラーメンを食べるはるかに告げる。

 勘違いとは、先程の翔の言葉。

 食堂で並んでる際には周りに人が多くいたから言いはしなかったが、今は周りに殆ど人はいない。


 だから今、こうして聞く事にしていた。


「別にいいよ。私は」


 ただ、返ってきたのは斜め上を行く回答。

 ああして強制的に会話を終わらせるのではなく、友達って言えば良かっただろうに。

 そう思っていた俺の予想から大きく逸脱したものであった。


「それとも、優希君は嫌だった? 私と、その、恋人に見られる事って」


 固まってしまう。

 そして、はるかの瞳を見詰め、不安が渦を巻くその視線を前に、揶揄う為の冗談とは少し違うのだと理解する。

 ここで、馬鹿な事を言うなと会話を終わらせる事は簡単だ。そして逆に、ここで首を横に振って「嬉しい」とさえ言えば、目の前の少女の嬉しむ顔を見る事が出来るだろう。


 でもだからこそ、すぐに答えられなかった。


「……俺は、お前を助けたかった。そこに嘘偽りはない。今でも、力になりたいと思ってる。それは本当だ」


 漣春香を助けたいと、切に願っている。


「恩なら、感じる必要はない。勉強を教えてくれてるあれで、十分過ぎるくらい俺も恩を受けてる」


 明確な返事を避けて、建前のようなものをぽつぽつと並べ立てる俺に、はるかは「嗚呼、そっか」って、苦笑いをする。

 そして、


「違う。それは、違うよ優希君」


 幸せそうな表情を浮かべて、「違う」と連呼した。


「私はただ、そういう貴方だから、恋人に見られて嬉しかった。私を真正面から見て、心配して、幸せを願ってくれてる優希君だから」


 次いで「それにね」って言葉が続けられる。


「もし、本当に恩返しとか、そんな事を考えてる人がこんな顔を見せると思う?」


 心臓の脈動が早くなってしまう程、幸せに彩られた笑みを見せられて、かろうじて浮んでいた筈の次なる言い訳も霧散し、頭の中が真っ白になる。


 そして、逃避するように漣春香から目を逸らした直後————嫌がらせのように、この一ヶ月で生まれてしまった本心が俺を見ろとばかりに浮上する。

 ちくりと心が痛んだ。


 言葉に変えてしまえば簡単だ。


 俺は、漣春香が好きなのだろう。

 その兆候は、たぶん二日目くらいにあった。


 それで、一緒に遊んで、勉強を教えて貰って。

 お返しの、お返し。そのまたお返しの、お返し。それの永遠ループをしてるうちに、殆どずっと一緒に行動するようになっていて。

 漣春香という人間の心ってやつを見せつけられて。綺麗な笑顔をずっと隣で見てきて。


 気がついた時には、もう手遅れだった。

 だから、奥底にしまって見ないようにしてきた。だって、ここで俺がその感情を吐露してしまえばあの時、助けたことを盾にしているみたいで自分が許せなかった。

 何より、漣春香と俺はつり合わない。

 そして、今のこの関係がどうしようもなく心地が良かった。だから、言葉に変えるわけにはいかなかった。


 贅沢は言わない。

 だからせめて、友達として漣春香の隣にいられたら、俺はそれで。


 そう、思っていたのに。


「私は、好きだよ。そういう優希君だから、好きになっちゃったんだと思う」


 そんな告白まがいの事を言われたが最後。

 必死に押さえつけて堰き止めてきた感情が、溢れ出して止まらなくなっていた。


「だから、欲しくて仕方がなくなっちゃったんだと思う」


 ————何が。


 問いかけるより先に、長い睫毛に縁取られた瞳が俺のすぐ目の前にまでやって来る。

 潤んだ黒曜石のような瞳は、変わらず不安を湛えていて。


「優希君に、ずっと私の側にいて欲しいと思っちゃったんだと思う」


 そうやって、ちゃんと私の事を見て、考えて、優しくしてくれる人と一緒にいたいって。


 か細い呟きを聞いているうちに、後数センチで睫毛がぶつかる程の距離になっていた。


「私じゃ、だめかな?」


 きっと、まだあの時の屋上での出来事から日が経ってないから。

 だから、だから————。


 そんな下らない言い訳が浮かんできて、でも、そんな言い訳はこの場に相応しくないと切り捨てる。

 たとえ卑怯に見られようとも、この場では素直にならなきゃいけないと思った。

 こうして、漣春香が勇気を振り絞って伝えてくれたのに、俺だけ逃げるなんて事をするのはフェアじゃない。


「……だめじゃない。だめじゃないけど、」

「つり合わない、とか言ったら流石に怒るよ」


 言い淀んでいた俺に、はるかが怒る。


「あの時の恩を、私が感じてるからとか言っても怒る。優しくされる事に弱い自覚はあるけど、でもそれだけでこんな事を私が言うと思う?」


 この一ヶ月、漣春香をずっと見てきた俺の目から見て、本当にそう思うのかと問い掛けられる。

 そして、嫌なものは嫌と拒み、楽しい事は人一倍楽しんで、映画に行ったらめちゃくちゃ隣で泣いて、遊園地に行こうとか急に言い出す。

 そこらへんの子供よりも余程楽しんでいた姿を脳裏に思い浮かべながら、俺は首を横に振った。


「それに、好きでもないのに、こうしてずっと一緒にいようとは思わないよ」


 それが決定打だった。


「……でも、ずるいだろ。俺がはるかが好きなのは事実だけど、あの時の事を盾にするみたいだろ」

「……勘違いしてるみたいだけど、たぶん、あの時あの場にきたのが優希君じゃなかったら、きっと私はこの世界の何処にもいなかったと思うよ」


 だから、盾にしてよ。

 ずるいとか思わないで、卑怯とか思わないで、それを盾にしてくれたら良かったのに。

 そしたら私、二つ返事で「うん」って頷いたのに。


 呆れると共に、瞳で訴えかけてくる。


「だから、そんなことで悩む必要なんて何処にもなかったのに。でも、そうやって私の為にって悩んでくれてるのも、実は嬉しかった」


 必死に隠そうとしていた感情は既にバレてしまっている。そして、その感情も、動機も、全てが嬉しいと花咲いたような笑みで肯定されて。


 堪らず手で顔を隠したくなる。


「————好き」


 ロマンチックとは程遠い場所で、はるかは言う。


 もう一秒足りとも待てないと言うように。


「好きだよ、優希君」


 耳に入ってくるその声が、友愛よりも重く深いものだと伝えてくる。

 そして、それを再認識させられて、


「俺も……、俺も、はるかの事が好きだ」

「……そっ、か」


 安堵の笑顔が俺の瞳に映される。

 ただでさえ近かった距離が、更に詰められて。


 やがて、おでこに軽い衝撃が走る。

 熱を測る時のように、おでこ同士がくっついていた。


「本当はキスでもしたかったけど、お昼ご飯食べたばっかりだったから、今はこれで勘弁して」


 顔を見合わせたまま、苦笑い。

 程なく、縮まっていた距離が開いてゆく。

 少しだけ、物寂しくあった。


 きっと、だから————。


「なあ、はるか」

「どしたの?」

「今日の放課後、デートしよう」


 早朝に、二人で机をくっ付けて宿題をしたあの日のように。

 ただ、今回ははるかでなく、俺が彼女をデートに誘う。

 その誘いにはるかは、あの日の俺のように頷いてくれて。


「勉強はいいの? 今日、勉強の日だったと思うけど」

「明日、倍頑張るからいい」

「そっかそっか」


 そう言うと、面白おかしそうに笑われた。

 でも、ダメだと言う気は無いのか。

 じゃ、勉強は明日がんばろっか。


 そう、はるかも同意してくれる。


「それで、何処に行くかとか優希君決めてる?」

「うんや、それはまだ」

「それじゃさ、あの時行ったお祭り。二人でまた行ってみない? 今日もやってるんだって」


 毎月、この時期にあの祭りやってたっけかと思い出しつつ、俺はその提案に首肯した。


「やたっ。じゃあ決まり! 今日は大事な日だし、浴衣でも借りちゃおっかなあ」


 鼻歌まじりに笑顔を浮かべるはるかの表情を見詰めながら、この日常がいつまでも続きますように。


 そんな事を思って、「いいんじゃねえの」と言葉を返す。


「あ、勘違いしてるみたいだけど、私が着る場合は優希君ももれなく着てもらうから」

「……ま、まじか」

「マジです」


 浴衣って動きにくいし、好きじゃ無いんだよなあ……と、反論しようとするけれど、厳しい視線を向けてくるはるかを納得させられる言い訳は思い浮かばなくて。


「……わーったよ」

「うん。それでよろしい」


 早々に俺は観念する。


 そして、向けられる満面の笑みに応えながら、あの時屋上で、はるかの手を掴み取れて本当に良かったと俺は心底思った。

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飛び降り自殺をしようとしていたクラスメイトを助けるお話 遥月 @alto0278

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