見知らぬ指輪

尾八原ジュージ

 七歳の冬の日、捨てられたことがある。

 わたしを捨てたれいこさんは、わたしの母方の叔母だ。まだ若くてきれいで優しくて、わたしは彼女のことをとても慕っていた。

 わたしを捨てた日、れいこさんはいつものように黄色い軽自動車に乗っていた。学校帰り、ひとりで歩いていたわたしの横に車を停めて、「ないしょで遊びにいかない?」といたずらっぽく誘ったのだ。

 わたしとれいこさんの「ないしょの遊び」というのは、たとえば素敵な喫茶店でパフェをいただくとか、ショッピングセンターでちょっとした小物を買ってもらうみたいな、幼いわたしにとってはとても素敵なものと決まっていた。そういう積み重ねがあったから、わたしは喜んでれいこさんの車の後部座席に乗ったのだ。

 車は街を離れ、海沿いのハイウェイを軽快に走った。ワクワクしながら、どんどん家から遠くなることに不安もあった。

「遅くなるまでに帰れるかなぁ」

「大丈夫大丈夫」

 車はぎりぎり道と言えるような道に入り込み、ガタガタと揺れながら岬についた。

 わたしたちは車を下りた。よく晴れた寒い日で、時々強い風が吹きつける。目の下に広がる海がきれいだったけれど、岬の先端には手すりもないので怖かった。

「すごぉい、いい景色ね」

 れいこさんは海に向かってうーんと伸びをした。茶色の髪が風に吹かれてなびき、やっぱりれいこさんはきれいだな、と思った途端、正面から海風がどっと吹いた。

 彼女はわたしが身震いするのを見ると、

「待って、マフラーとってきてあげる」

 そう言って車に戻った。わたしは言われるままに海を眺めていた。日光を受けて海面がきらきらと輝いていた。いつか海みたいに光る宝石がほしいな、とふと思ったそのとき、車の発進する音と、タイヤが石を跳ねとばす音が聞こえた。振り向くと、黄色い軽自動車がみるみるうちに遠ざかっていくところだった。

 わたしは呆然とそれを見送った。泣きながら走って追いかけるとか、大声でれいこさんの名前を呼ぶとか、そういうことはしなかった。何よりも困惑していて体が動かなかったし、れいこさんはきっと戻ってくるだろうとも思った。

 でも、いくら待っても黄色い軽自動車は帰ってこなかった。携帯電話もなければ、電話をかけるための小銭も持っていないわたしは、途方に暮れるしかなかった。

 岬にはいくつも立て看板があった。どれも古びている上に、手書きのものばかりで読みにくかった。ただやたらと「■■■せ!」とか「■■■な!」とか命令調を思わせるものが多く、眺めているうちにわたしはどんどん心細くなった。後になって思えば、あれは自殺を思い留まらせるための看板だった。あの岬は自殺の名所だったのだ。

 わたしの普段着のコートは、海辺では少し厚さが足りなかった。マフラーはれいこさんの車の中だし、そういえばランドセルも持っていかれたままだ。手元にあるものといえば、スカートのポケットに入れていたハンカチくらいのものだった。風が吹くと芯から体が震えた。

 コンクリートのブロックがひとつ落ちていた。その上に座ってみると、お尻が冷たかったけれど、地面に座るよりはいい気がした。風の強さも、立っているときよりはマシになった。

 れいこさんはまだ戻ってこない。どうしてわたしをこんなところに置いていったのだろう。

 膝の上で握りしめていたこぶしに、ぱたっと水滴が落ちた。自分の涙だった。わたしは声をあげてわんわん泣いた。れいこさんは戻ってこなかった。

 やがて泣き疲れたわたしは、並んだ膝小僧の上に頭を載せて休んだ。そのとき、何か光る、小さなものを足元に見つけた。

 拾い上げてみると指輪だった。プラチナの土台に小さな宝石が嵌っていた。内側には「K to N」という刻印がある。当時はそれが意味するところはわからなかったけれど、これが指輪の名前なのかなと思った。

 掌の上で指輪を転がしながら、わたしは「捨てられちゃったの?」と呟いた。それは自分自身への問いかけでもあった。世界中に指輪とふたりぼっちになってしまったような気がした。もう母にも父にもれいこさんにも会えないのだと思うと、目のふちに新しい涙がこみ上げてきた。


 たまたま通りかかった観光客がわたしを見つけて警察に通報し、パトカーに乗せられるとき、わたしはポケットの中で指輪を握りしめていた。冷たい風の吹く寂しい岬に置き去りにされる指輪のことを考えるととても悲しくて、絶対に手放したくなかった。今思えば、そのときのお巡りさんに落とし物として渡せばよかったのだけど、当時のわたしにとってその指輪は単なるものではなく、辛い経験を共にした仲間だった。

 岬から家に帰ったわたしはひどい風邪をひき、一時は入院が必要なほどだった。わたしが熱で朦朧としている間に家では色々なことがあったらしく、体調を回復したわたしが家に帰ると、父がいなくなっていた。

 父とれいこさんが不倫をしていたと聞いたのは、わたしが大きくなって就職し、何年も経ってからのことだ。七歳のあの日からこの方、わたしは父にも、れいこさんにも会っていない。


 進学、就職、転勤、結婚と、人生のイベントに伴ってわたしは四回の引っ越しを経験し、そのたびに指輪はわたしと一緒に移動した。落とし物を横領したという罪の意識もあったけれど、やっぱり手放すことができなかった。実印などの貴重品を入れた箱の片隅に、その指輪はいつもひっそりと収まっていた。

 転々とした先でわたしが野々山さんに出会ったのは、きっと運命というものなのだと思う。

 そのひとはわたしのパート先の先輩で、話好きな気のいいおばさんだ。単純作業の間の四方山話にふと、彼女は「昔、結婚指輪を落としたことがあるのよ」と言った。

「もう二十年以上も前なんだけど、夫と××県にドライブに行ったとき、景色のきれいな場所があったから寄ったのね。何にもない岬で、下にわぁーっと海が広がってるの。寒くてすぐに車に戻ったんだけど、どうもそこで落としたらしいのよ。私、結婚後に自炊するようになって激痩せしたのね。そのせいで指輪がブカブカになってて」

 うふふふ、と笑う野々山さんを、わたしは魔法をかけられたような顔で眺めた。わたしは野々山さんの名前を必死で思い出した。彼女は尚子さん、そして確か旦那さんは浩一さんというのではなかっただろうか。

 K to N 浩一から尚子へ

 まだ決まったわけじゃないと思いながら、頭の中で野々山さんと指輪がどんどん結びついていくのを、止めることができなかった。わたしの心中など知らず、野々山さんは陽気に話し続けている。

「後で取りに行こうとしたんだけど、調べたら自殺の名所だって言うじゃない? 浩一さんが怖がっちゃってねぇ。一晩待って、次の日に探しに行ったの。でも見つからなくって……ねぇちょっと、どうしたの?」

 野々山さんが心配そうにわたしの顔を見つめた。

 わたしは泣いていた。あの指輪は捨てられたわけではなかった、ずっと誰かが探していたのだと思ったら、涙が後から後からあふれて止められなかった。野々山さんに心配されながら、わたしは岬に置き去りにされた子供時代のように泣いた。

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