13:侵入

 夜の学院と言えばやんちゃな学生が肝試しに利用したりすものであるが、それとは比べ物にならない程の静寂と緊張が夜の研究施設部分の学院には蔓延はびこっていた。


 遠くでどこからともなく響いている靴音。帝国の最先端の技術が盗まれぬように、日夜施設内を徘徊している学院警備の為の騎士の足音。

 

 普段は隣り合っている仲間のはずが、それから隠れ見つからぬように動く今にタオは苦く顔を歪めた。カツリ、カツリ、と、背徳と不安を踏み潰すような足音が心臓に悪い。地下水路の怪物とは別の種類の怖さがある。


 学院の廊下を照らすは窓からの月明かりと壁から伸びた蝋燭台に灯り。それを塗り潰すような見回り騎士の持つランタンの灯り。


 光の隙間をうように身を屈めながら廊下を進む不良冒険者の背中を見つめ、言葉にはせずにタオは舌を巻く。


 流石は元暗殺部隊と言うべきか、アバカスからはなんの音もにじまない。粗雑な風貌ふうぼうに反して軽やかに影の中を動き回りタオの進む道を先導してくれる。ただし、気になる点が一つ。


「……おい、さっきからなぜ一々通り掛かりの研究室を覗いている? 残って研究している者でもいればバレるぞ」

「昼間はニコラシカの嬢ちゃんが案内してくれたおかげで寄り道できなかったからな。確認してみたがやっぱりだ」

「なにがだ?」

「研究室の設備がな、第八研究室は随分と恵まれてるらしい」


 小綺麗だった第八研究室と比べ、覗く研究室の多くは器具の類が少なくどちらかと言えば閑散かんさんとしていた。無論気配を察してアバカスが人のいない研究室を選び覗いている事もあるが、それだけで分かる事もある。


 どの研究室にも平等に国から資金が提供されている訳ではない。多くは結果を出しているからか、又は誰かがその研究を重要と認め、多額の資金を出資しているか。あるいはその両方だ。


「渡された第八研究室の奴らの経歴書は大したことなかったからなぁ、有力な支援者がいるのが濃厚だ。問題は学院長室まで無事に辿り着けるかだが」

「学院内なら道は私も問題ないぞ。見回りの順路も一応は記憶している」

「俺が気にしてんのはそこじゃねえ」


 話を打ち切り、さっさと先を急ごうと歩みをアバカスは進めるが、不意にコートの端が引っ張られる。


 振り向けば不満顔の女騎士。地下水路ですっかりりたからか、『説明しろ』と顔に描くタオの姿に、気怠そうにアバカスは肩を落とした。


「……いいか? 宮殿の帰り掛けに襲われてなんでわざわざ侵入前に酒場で飯を食ってたと思う?」

「貴様の食い意地が張ってたから」

「それもあるが、襲って来た相手の出方を見るためだ。わざわざ酒場であんな話までして来たんだから上層部が見張ってんなら学院内でそもそも動きがあんだろ。ないならないで傭兵を雇った相手は上層部とはまず関係ねえってことだ」


 傭兵達がアバカスの事をまるで知らなかった以上、依頼者が上層部である確率はそもそも低くはあるが、それをより減らし相手が何者かを絞る為。


 酒場で時間を潰し、侵入しやすい夜の時間まで待つ為という理由も勿論あったが、大きくはそれだ。先に相手がアバカス達が学院に侵入する情報を握っているのであれば、まず何らかの動きが学院内である。


 見回りの増量、学院長室の警備など、今のところそういった動きは見られないが、いずれにしても時間を掛けないに限る。


 そういう事は先に言えと表情を塗り替える女騎士を前に、だから言いたくなかったとアバカスは肩を落としながら先を急いだ。


 研究室の質素な扉を幾枚も通り過ぎれば、廊下の先に姿を現す他の扉よりも装飾の凝った両開きの大扉。聖歌隊の隊長の学院内での事務室であり学院長室でもある扉の前に警備の騎士の姿はなく、アバカスは扉の前で足を止める。


「……どうした? 入らないのか?」

「そう急ぐな嬢ちゃん、急ぎたい気持ちも分かるがな。学園長室が極秘の資料室も兼ねてんなら、仕掛けが何もないはずがねえ」


 部屋の外に警備の騎士が立っていない事もその裏付けの一助となる。


 部屋の中に警備の騎士ないし、まだ学院長が残っているのか。あるいは侵入者を報せるか捕縛する魔法でも仕込まれているか。


 部屋の中から物音がしないか確認しながら、アバカスはタオに腰の剣を貸せと人差し指を小招き合図する。


「剣など使ってどうする? 鍵でも叩っ斬るのか?」

「ある意味正解だ。内側から弾けたドランクや傭兵共を覚えてるな? 術者がそこに居ずとも効果を発揮する設置型の魔法ってやつは効果を発揮するまで魔法陣として刻まれる。作用する場所にな。その魔法陣が発動する前に魔力を込めた剣撃で陣を崩せれば魔法は発動しねえ」


 問題は、その魔法陣がどこに刻まれているのか。もしも一撃で陣を崩せなければ、異常を感知し、侵入者を告げるか捕縛する為の魔法が発動する恐れがある。目で見て分かる外側にあるはずもなく、あるのは内側。


 目視できぬどの位置に魔法陣が刻まれているかは、感知系統の魔法で調べるか経験で導き出すしかない。引き抜いた剣をタオはアバカスに手渡す。


「……斬るのは鍵本体か?」

「惜しいな、取手だぜ。まずは鍵が掛かってるか確かめるもんだろう? 取手ってのは構造上内と外で繋がってるからなぁ、内側の取手にでも刻んどきゃあいいのさ」


 ゆるりと突き出され、横に振られた痩身の剣先がバターにナイフを沈めるかのように滑らかに突き刺さる。刃の動きに合わせて、扉の奥でパチリと小さく弾ける火花。


 そのまま両開きの扉の中央の隙間へと刃を滑らせ掛かっている鍵を切断し、剣を女騎士へと投げ返しながら素早く扉を開けるとアバカスは中へと滑り込み、相方を中に引っ張り込んで静かに扉を閉めた。


「取り敢えずは大丈夫そうだな」


 芳香剤と薄っすらとインクの匂いが漂う学園長室。大きな事務机と高価そうな来客用のソファーを流し見ながらアバカスは鼻を鳴らす。一目で怪しさを匂わせるような物はなにもなく、部屋の作りは単純だ。


 人の姿ない広くはない部屋の中に足を運びながらタオも鞘に剣を収める。


「自前の剣くらい持っておけ、騎士は辞めても冒険者なのだろう貴様は」

「俺にとってそいつはもろい消耗品だ。そんな金の掛かる代物、貰い物でもなけりゃ持ち歩きたくはねえな」

「倹約家で済まされる話ではないぞ……」


 金が掛かるから武器を持たないなど、それこそ酒場の給仕ウェイトレスやただの農民が携帯する必要はないだろうが、冒険者や騎士としてはありえない。


 呆れながらタオも学院長室を見回して、魔法陣が刻まれていたらしい、切断された取手を目に足を止める。


「アバカス、魔力を込めた一撃で魔法陣を崩せたとして、殺されたドランク達はなぜそれをしなかったと思う? 脅されていたのか?」

「そりゃ刻まれた場所の問題だろうぜ。魔力器官に直接刻まれれば、それを壊そうにも器官系を直接傷つける事になるからな。そうなれば最悪魔力が使えなくなる」


 そうなってしまったなら、事実上騎士や魔法使いは引退だ。冒険者や傭兵も同じこと。魔法使いとしての死よりも生命の終わりを選ぶなど愚かな事ではあるが、魔法使いや騎士としての誇りはそれだけ重いと言える。


 内側から身が弾ける魔法陣を刻まれるそれ自体がもう脅しのようなものではある。それを雇われた暗殺者達はまるで気付いていなかったため、ドランクが魔法を刻まれていた事に気づいていたかは定かでないが。


「聞けば聞く程ろくでもない魔法だ。なにを考えてそんな魔法を作ったのか」

「大戦時代にはよくあったぜ? 骨も残さず肉を溶かす魔法だの、脳は生かしたまま体を石化させる魔法だの、味方を敵と誤認させる魔法なんつうのもあったな、大戦後多くは禁止になったが」

「罪深いことだ。それより貴様はさっきからなにをしている?」


 話し歩きながら一定の間隔で拳で壁を小突くアバカスを怪訝な顔でタオは見つめる。


「隠し部屋の類があれば音の反響具合で分かんだろ、今のとこハズレだがな」

「反対側の壁じゃないのか? もしくは普通に机の引き出しの中にでも入っているか」

「五〇以上の研究室の重要書類がそんな小っこい引き出しにあると思うか? それにそっち側の壁の奥には普通にもう一つ部屋があったろ。部屋同士の薄い壁の中に大量の書類を保管する保管庫があるとは────」



 ───────キィィ。



 アバカスの言葉をとがめるように、剣で断ち切られ僅かに歪んだのか両開きの扉が呻き声を上げゆっくりと開いた。


 急激に沸点を超えた緊張にタオは肩を小さく跳ねて剣の柄を握り、アバカスも小さく身を落とし、静かに扉の横に足を寄せる。


「……誰かいるの?」


 恐る恐るといった具合に部屋の中に顔を伸ばした人影は、か細く吐き出した言葉の向かう先、窓から差し込む月明かりを背に立つ身構えた女騎士を目に身を強張らせ、その一瞬の硬直を掠め取るようにアバカスに部屋の中に引き摺り込まれると床に引き落とされる。


 幾枚の紙が宙を舞い、悲鳴より先になめらかに倒れた人物の肺から空気が絞り出された。驚きに目を泳がせる人物にはアバカスもタオも見覚えがあった。叫ぼうとする侵入者の口を押さえながらアバカスは眉尻を波打たせ、タオも思わず口を開く。


「アルサ=ドレインか⁉︎ 第八研究室の聖歌隊員がこんな時間に学院長室になんの用だ?」

「ああ全く気になるね。学院に侵入した俺達を探していたわけでもなさそうだが」


 アルサが暴れようにも力では勝てず、諦めたように少しばかり大人しくなった頃、ようやくアバカスは拘束を緩める。動揺した様子を隠そうともせずに、不良冒険者と女騎士の顔を見回して、息を荒くしアルサも言葉を紡ぐ。


「イヤッ、殺さないで!」

「乱暴されたくなきゃ大声を出すな。だが、殺さないでだと? 俺や嬢ちゃんを見た第一声が『殺さないで』とはどういう了見りょうけんだ? あんたらやはり何か隠してやがるな?」


 失敗したとばかりに顔を歪めるアルサにアバカスは微笑を浮かべ、タオも顔を歪める。


 昼間特に深く突っ込まず、ただ素直に話だけを聞き二人が帰ったのは、学院内に多くの人々がいたからだ。今はアバカスがアルサを脅そうがどうしようが、それを止める障害は何もない。あるとしてもタオの正義感だけ。


 目だけを動かし何かを見るアルサの顔を注視しながら、アバカスはタオに告げる。


「……嬢ちゃん、アルサ嬢が持っていた書類が何か確認しろ。ここに極秘書類の保管庫があるとして、アルサ嬢は新たな研究成果の資料を保管しに来たってとこだろ。昼間聞いた話とは違う研究の記録がそこにあるはずだぜ」

「待ってッ、ダメッ、それはッ」


 抵抗してアルサは手足をバタつかせるが、アバカスの拘束は外れない。アルサを気にしながらも、床に散らばった紙の一枚を拾い上げ、少しばかり目を通しタオは目を見開く。


「貴様らいったいこれを何にッ」

「ダメッ、外部にそれを知られたと知られたら私達は、最悪殺され、私達は、私達」

「……おい?」

「私達は、私、わ、わわわわわわわわわわわたし」


 ボンッ‼︎


 壊れた機械が限界を迎えたかのように、アルサの魔力が膨れ上がり肉と内臓が飛び散る。朱に染まった学院長室の中、形の崩れたアルサから手を離しゆっくりとアバカスは立ち上がる。





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