14:クライシス
「うぷ……ッ」
「阿呆、
返り血に濡れた頬を親指で拭い、アバカスは大きく舌を打つ。アルサ=ドレインの破裂した音を合図とするように、至る所で鳴り響く硬質の小さな足音。警備の騎士達が異常を察し一斉に動き出す。
「ぐッ⁉︎ クソッ、こんなッ! マズイぞアバカスッ! この状況……ッ、見ようによっては」
「どう見ようがそういう魂胆だろッ、誰が裏で笑ってやがるッ」
窓辺に近寄りアバカスは目を細めるが、月明かりの下に人影は見当たらない。魔法が遠隔にせよ時限式にせよ、タイミング的にアルサに魔法を刻んだ相手が近くにいる事は明らか。だが、それを探しているだけの時間がない。
ドランク=アグナスがどう殺されたのか知っている者は限られており、それを追う者達が不法に学院の学院長室にまで侵入し、ドランクと同じ第八研究室の聖歌隊員の死体と並びその血に身を染めている状況。
事情を知らない者が見れば殺人犯だと疑われても仕方ない。最悪その場で斬り殺される。
「外に逃げるか?」
「馬鹿を言え、そもそも警備の包囲網の内側に滑り込んでんだ。逃げる合間に間違いなく接触する。逃げる為に警備の騎士をボコしてられねえだろ。それとも相手の聞き分けがいいとでも期待するか?」
血濡れの冒険者と女騎士と接触し、相手が素直に話を聞くはずもない。急速に使える時間が減ってゆく中で、アバカスはなんとか頭を回して学院長室を見回す。
アルサ=ドレインの死体。血に濡れた床と壁。身を隠せるような物は何もなく、部屋に誰かが踏み入ろうものなら一発で存在がバレる。
その通り、次第に警備の騎士達の靴音が大きさを増す混乱の中、再び学院長室の扉が開き踏み入った者は二つの人影を視界に収めた。
「……おや? お二人さん何してるの?」
「ッ、ニコ⁉︎ おまえなぜ⁉︎」
暗闇の中でふわりと柔らかに銀髪が揺れる。眼鏡の奥で目を細め、服と肌を返り血に濡らすアバカスとタオを見比べるとニコラシカは床に倒れる無惨な死体に変貌した聖歌隊員に目を留め、その脇に屈み込む。
「ありゃまぁ、これはまた派手にやっちゃったね。死因はドランクさんと同じだね。可哀想にアルサちゃん、今度食事にでも行こうって約束してたんだけどなー」
「……ニコ?」
「この時間まで残ってる人達の研究の手伝いをいつもしてるんだよ僕。それにしても、あー……」
「待てニコッ!私達は」
タオの言葉を手のひらを向けてニコラシカは押し止めた。
騒がず
友人がどんな審判を下すのか、恐々と消費される時間の中、タオは身を縮こまらせ、アバカスは学院の魔女の機微から目を離さない。
そんな獰猛さを増す不良冒険者の双眸と目を見合わせて笑みを若干ばかり深めると、ニコラシカは指を弾き
途端、ニコラシカの背後、アバカスに両断されていた両扉の取手が逆再生するかのように、両断される前の姿へと修復された。
「今深くは聞かないよ、深入りしないのが長生きするコツだからね。僕が言えるのは、困ってる友人に手を貸すのが一番ってこと。情けは人の為ならずってね」
外から聞こえる近付いてくる足音に目を向けて、アルサの死体を
ずるりと壁がの一部が消失し、中に広がるのは膨大な資料が幾つもの棚に並んだ巨大な資料庫。
空間圧縮魔法。
魔女ならまだしも、人間の魔法使いでは使える者は一握りの奇跡。その産物をホイホイ見せる正体を隠す気があるのかないのか分からない女騎士の友人にアバカスは眉間に
「取り敢えずここに身を隠しなよ、出られそうになったら呼びに来るから」
「ニコッ、でも……」
「タオがどんな子かは知ってるつもりだよ? 友達だからね。僕は外道とは友達にはならないよ。ささっ、早くしないと人が来ちゃうよ。僕は大丈夫だから気にしないで」
「すまないッ、助かった!」
間一髪とばかりに迷わず開けた秘密の資料庫へとタオは飛び込み、アバカスは動かず学院の魔女を睨む。
「ほら早くしないと、貸し一だよアバカス君」
「……俺が貸す以上に借りてんだろあんたは」
「だから助けてあげてるでしょ? だいたいお互い様だし。相変わらず面倒そうな仕事ばっかりで、騎士辞めた意味なさそうだよねきみって。魔女
「喧嘩売ってんのか?」
アバカスの目の鋭さが増そうが、気にせずニコラシカは悪戯っぽく笑う。が、いよいよ警備の騎士達が近付いて来た事を察すると、話を打ち切るように手を振るう。
「ほ〜ら早くしないと見つかっちゃうよ? それとも僕の親切は無視して騎士達と殺り合う? きみなら全員殺れちゃいそうだけど」
「ふざけろ。別にこちとら殺人鬼でもねえんだよ。それにこんな仕事今回限りだ」
「そうだといいね?」
そうはならないだろうと確信したように笑うニコラシカが面白くないと、通り過ぎ間際にデコピンを一発お見舞いし、アバカスも資料庫へと身を滑らせた。
光が消え闇に資料庫が支配される。アバカスとタオの息遣いが空間を埋める頃、一人勝手に部屋の中の蝋燭台に火が灯る。
学院長室の隣には別に部屋があるはずが、その部屋の大きさを超える資料庫の圧と緊張からの解放に、背を壁につけ二人は呼吸を整えた。
「…………薄い壁の間に資料庫があったな」
「……そのようで、流石は帝国騎士様、大変頭脳明晰でいらっしゃる」
「それほどでもある」
皮肉に皮肉を返し、満足そうな顔をする帝国騎士に肩を
各研究室の何年分かも分からぬ資料。一枚一枚手に取っていては、一日やそこらで見終わるはずもない。研究室ごとに纏められてはいるはずだて予想しながらアバカスは足を動かし、未だ動かぬタオに目を向ける。
「嬢ちゃん、アルサ嬢の持ってた資料はどうだった? そこにもう答えはあったか?」
「……一応な。だが、この件に関係があるかは分からない。資料を探ろう、そこで確認できれば間違いない」
「そりゃあ」
間違いであろうが、一先ず教えて欲しい事ではあったが、青い顔をしたタオの顔色を見てアバカスは口を閉ざした。
アルサ=ドレインの突然の死に、友人の登場から隠された資料庫の出現。今のタオ=ミリメントの処理できる情報の許容範囲を超えている。現状を深く掘り下げるだけの余裕のないタオに話を投げても仕方ないと、アバカスも並ぶ資料に向き直った。
予想通りと言うべきか、二人にとってはありがたい事に棚にはそれぞれの研究室の番号が書かれた仕切りによって分けられていた。魔法使い達の特徴の一つである几帳面さがそこに
並ぶ番号を追うようにアバカスは足を動かし、タオを手繰るように手を招く。
第八研究室のみならず、並ぶ他の研究室の資料も今は問題になっておらずとも、一枚捲ればそこに記されているのは陰謀渦巻く目的を遂行する為の魔法使い達の
比喩でもなくここはパンドラの箱であり蠱毒の中。許可ない者の立ち入りがバレた時点で抹消されてもおかしくはない。
目移りするように顔を動かす女騎士の注意を引くように指を鳴らし、アバカスは第八研究室と刻まれた棚の資料を引き出し覗くと顔を
「……これか」
次の資料を手に取り眺める。次の資料を、次の資料を、新しい日付の物から順に漠然と必要そうな情報を流し見て、資料をタオへと投げ渡す。
「さっき嬢ちゃんが学院長室で見た資料もこれ関連で間違いないな?」
顔色悪く無言で頷くタオから視線を切り、今一度渡した資料を手に取るとアバカスは資料に目を落とす。
『人体の作成』
『意識の複製と定着化』
それは、禁忌の一欠片で間違いなかった。
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