第56話「ニュルンベルクの思い出4」
マリアの父親と軽い口論になってから、一夜が経過した。
昨日は自慢げに任せとけなんて言ったが、俺は明日が帰国日だ。
それまでに、何をどうすればいいと言うんだ。
そうは思いながらも、マリアは俺に対して、心だけは許してもらえてるようだ。
今は、マリアの部屋でチェスをしている。
ちなみにだが、マリアのチェスのセンスは、弱い俺が勝ててしまえるほどである。
まぁそういうことだ。
「なぁマリア」
「・・・?」
あぁそうか、日本語は通じないのか。
「When did you start doing something like yesterday?」(和訳:昨日みたいなこと、始まったのはいつなんだ?)
心苦しいかもしれないが、きちんと聞いておきたい。
「It's been so long ago that I'll forget it」(和訳:忘れてしまうくらい、昔のころから)
はっきりといつからとは言わなかったが、マリアの父親が話す限りだと、10年以上も前。
忘れてしまうくらい昔のことなら、その数字もありえるのだろうか。
「I'm sorry I can't do anything」(和訳:何もできなくてごめん)
「That's not」(和訳:そんなことないよ)
どうだろうか。
俺は明日帰国する。そのあと、マリアの将来が心配だ。
10年以上続くのなら、これから先、いつまで続くのかわかったもんじゃない。
いじめる側も、良い歳して・・・とは思うが、日本でも同年代のいじめはあるから何とも言えないところだ。
「I also want to go to Japan. I hear that all Japanese people are kind」(和訳:私も日本に行きたいよ。日本人は、みんな優しいって聞くし)
マリアがそんな愚痴を零した。
とはいえ、日本人である俺からすれば、それは少し疑いたくなる言葉ではある。
確かに、日本人は優しくて親切なのかもしれない。だけど、親切は、親を切ると書いて親切だ。
まるで、その言葉が語っているように、日本人はたまに陰湿だ。
良い部分もあれば、悪い部分もある。
それは当然のことだが、それが、その人の肌に合うか合わないかは別の話だ。
日本よりドイツの方が住みやすいって思うことだってあるし、日本の方が住みやすいと思うことだってある。
だから、俺は思ったことを口から零さないように・・・。
「I welcome Maria when she comes to Japan」(和訳:マリアが日本に来たら、俺は歓迎するよ)
「Thank you」(和訳:ありがとう)
そう言うマリアの表情は、今までに見たことのないほどに笑顔だった。
「Aito was the first to hear my worries」(和訳:私の悩みを聞いてくれたのは、愛斗が初めてだよ)
「Is that so・・・」(和訳:そうだったのか・・・)
「Thank you for your thoughtfulness」(和訳:心配してくれてありがとう)
「You are welcome」(和訳:どういたしまして)
「I want to meet you again」(和訳:また会いたいね)
「I can meet you」(和訳:会えるよ)
「truth?」(和訳:本当?)
「I "like" you so I'll come see you again」(和訳:君のことが好きだから、また会いに来るよ)
俺がそう口にした瞬間、彼女は涙を零してしまった。
誰にも話せず、誰にも頼れず、心のよりどころもなく、それが10年以上。それも、幼い少女が。
辛かったとか、そんなレベルではないだろう。
同時に、そんな人が、なんで俺には話せたのだろうかという疑問も生まれる。
もしかして、昨日の出来事が、全ての歯車を動かしたのではないだろうか。
だとしたら、バタフライ効果というのはすごいものだな。
そんなことを、しみじみと実感した。
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