第12話 あだ名
昔ヒットした特撮映画がリメイクされて再度映画化されたのがタカトが幼稚園の頃だった。
その映画に出てくる類人猿の怪獣の名前をつけられた女の子がいた。
それが『さっちゃん』だ。
『さっちゃん』という少女は、とにかく恐れられていた。
どこかの金持ちの少女がなぜ庶民的な幼稚園に通っていたのかは不明だが、とにかく我儘で高慢、自分を絶対に曲げないやりたい放題の少女だった。
その子とタカトは入園式が終わって半月後には盛大なケンカをやらかした。たしかおもちゃの取り合いをしたような気がする。
教職員一同が遠巻きに固唾を飲む仲、タカトはそのとき母がはまっていた劇団のモットーを叫びながら悪を成敗した。半月の間、その小さな怪獣が悪さをしていたのを見ていて我慢の限界だったこともある。
タカトの母は常々自分に言い聞かせていた。相手にしたことは、いつか自分に返ってくる。乱暴して意地悪をすれば、いつか少女に返っていく。それが今なのだと思った。
可愛いから許される、金持ちは許される、自分が正義だと言い募る少女に、性格ブスは嫌われる、お前が偉いんじゃなくて親の金、悪者の語る正義なんかないと啖呵を切った。
幼稚園の子供の言い合いにしては高度だな、と今なら思うがタカトは口が達者だった。全て親の受け売りやテレビの台詞だったが。
だが泣いて暴れて殴りかかってくる少女に決してやり返さなかった。女の子には優しくすること、とタカトは母親から言われ続けていたからだ。そのかわりひっくり返して背中に飛び乗って清く正しく美しくと言い続けた。
その日から、タカトの幼稚園生活が変わる。
少女はひそかに怪獣の名前を付けられていた。そしてその映画のヒロイン名がタカトのあだ名になった。なぜかタカトはひそかなあだ名ではなかった。教職員がタカトを呼ぶ名前になったのだから。
俺は男の子だとどれだけ主張してもアンと呼ばれ、アンちゃん助けてと『さっちゃん』と常にセットで扱われるようになった。『さっちゃん』のなかで何が起こったのか、タカトは恐怖の対象になったようでタカトが一言告げるだけで言うことを聞く。保育士や園長の言葉はまるで無視するのに、だ。
仕方なく世話係を受け入れた。
怪獣は懐けば可愛いものだ。と、無理やり思うことにした。
幼稚園でうさぎを飼っていて、その世話をすることがステータスだった。みんなエサをやりたがって可愛がった。タカトも可愛がったが面倒をみるうさぎが一匹増えるだけだと思うことにした。
タカトが関わるようになって少女の問題行動は随分と減った。だがトラブルは尽きなかった。彼女は基本的に集団行動を理解していないようだった。皆で何かをするということが全く向いていなかった。
幼稚園は集団行動を学ぶ場でもあるのだが、残念ながら彼女に学ぶ気がなかったのだろう。孤独を愛し自由に振る舞うことを求めた結果だ。
それでもタカトが呼び戻して言い聞かせればそれなりについてくる。お遊戯会も運動会も遠足も工作もお歌も。タカトが言い聞かせて連れまわして一緒に練習してやらせる。
春も夏も秋も冬も。
一年が過ぎ、二年が過ぎ、三年も過ぎる。
二人で手をつないで言い聞かせた。
清く正しく美しく。人に迷惑をかけなければ、お前は可愛いうさぎさんなんだ、と。
小学校に入って入学式で彼女の姿がないことに心から安堵した。
これでもう二度とアンと呼ばれることはなくなったからだ。
揺りかごの唄~快眠のために難攻不落のお嬢様に告白しなければならなくなった件 マルコフ。/久川航璃 @markoh
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