5-6
「ああ、…昼すぎくらいに、牛丼家に行った」
さっきまで、あんなにうきうきしてたくせに、ここから一気にお兄ちゃんの口調は歯切れが悪くなった。
「お昼にごはん食べたきりで、今まで何も食べてないの?
もしかして、お腹すいてる?」
「……」
どうやらお腹がすいているらしい。
テーブルのすみに置かれたままの、さっき私が食べたコンビニ弁当の空き箱に目をやる。
バイトが終わった後にまさか、こんな状況になるなんて想像もしていなかったから、当たり前に私の分の食べ物しか買ってきてない。
「これ食べる? 蒸しパン」
とりあえず弁当箱の横に置いたままにしていた、蒸しパンをお兄ちゃんに渡してみた。
もし隣の部屋のトラ猫が駐輪場にいたら、いっしょに食べようと思って買っておいた蒸しパンは、こうして役立つこととなった。
これは君の分なんじゃないか、ときかれたので、多めに買ってきたやつだから別にいいの、と答えたら、やっとお兄ちゃんは蒸しパンに口をつけた。
お兄ちゃんとしての精密なシュミレーションをするためにと、やたら真面目にルール設定にはこだわるくせに、こういうところはいつまでも律儀だった。
それとも一般的なお兄ちゃんも、こんなかんじで妹に対して遠慮するもんなんだろうか?
よっぽどお腹がすいていたらしくて、あっという間にお兄ちゃんは蒸しパンを完食してしまった。
ま、こんなちんまりした蒸しパン一個じゃ、男の人はお腹いっぱいになるわけないよね。
「ねえ、うどんでも作ろうか。
雪が降ると思って、ちょっと前から食品買いだめしてたんだ、すぐ出来るよ」
そう言って私がイスから立ち上がり、すぐそこにある台所へ歩き出すと、お兄ちゃんはいかにも申し訳なさそうに何かを言いだそうとしたので、すぐに私はそれを遮り「妹は、お腹がへっているお兄ちゃんに、夜食を作るものだと思うから」とぴしゃりと言い切ったら、口を閉じてくれた。
水を入れた鍋を火にかけ、冷蔵庫から長ネギと豚肉、油揚げを出して、準備を始める。
ざくざくと具材を切りながら、私はじっと静かにテーブルの前に座ったままのお兄ちゃんへ、引き継ぎちょっとした質問をしてみることにした。
こんなこと尋ねてもいいのか迷ったけど、他にこれといった話題もみつからなかったしね。
なにせ私たち兄妹は、ついさっき数時間前に出会ったばかりなのだから。
「あのさー…言いたくなかったら別にいいんだけど、なんでお兄ちゃんは、あんなガラの悪い連中に追っかけられてたの?」
「ああ」
もしかするとこれはデリケートな話題かもしれないと、私は内心ちょっとドキドキしながら質問してみたんだけど、特に嫌がるそぶりもなく、あっさりとお兄ちゃんは答えた。
「あのクソどもは、路駐の常習犯なんだ」
「ふーん?」
さっきからずっと優しげな響きをしていたお兄ちゃんの声が、何か苦いものでも噛んでしまったかのように、忌々しげなものに変わる。
よっぽど奴らに対して腹を立てているんだろう、まあ見るからにボコボコにされてるっぽいしねぇ。
「あの中のバカの一人が普段から、よくうちの事務所の前に路駐しやがるんだ。
しかも、ふざけた位置にな、うちは出入りがしにくくなるうえに、周囲のテナントからはそれがうちの車だと思われて文句を言われる、たまに運転手に遭遇してうちが注意をしても聞き耳を持たない、いい加減うんざりしていたんだ。
そんなときにだな、俺はちょっとした用事ができてこの街に立ち寄ったんだが、あのクソ野郎のクソ車が、またしても路駐しているところに偶然遭遇してしまった。
ナンバーを覚えていたからな、あのどこかで見たようなワゴン車はもしやと思ったら、まさにビンゴだったわけだ。
車内には誰もいなかった。
それでだな、日頃の恨みをここで晴らしてやろうと思って、その足でコンビニへ行ってアロンアルファを買ってきて、運転席側のドアの鍵穴に注入してやった」
「えっ!?」
なにそれ、なんかさらりと、とんでもないこと言ってません!?
長ネギを切る手を止めて、後ろをふりかえると、お兄ちゃんはもうぬるくなったお茶に、イギリス紳士のごとく優雅な佇まいで、悠々と口をつけていた。
しゃべっている言葉の内容と、それを淡々と優雅に語りかけている態度とのギャップがすごすぎて、訳わかんないんですけど?
「鍵穴をぶっ壊してやろうと思って。
すべてのドアの鍵穴を埋めてやるつもりだった。
ここは俺の地元じゃない、だからこそ、そのときやってやろうと思い立ったんだが、地元じゃないからこそ油断があったんだな、作業中に車の持ち主が戻ってきてしまった」
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