4-5

 別にクラス自体には、何の問題もない。

 いくつかのグループに分かれた女の子の集団と、表面上はそれなりに上手く私はやっていた。


 だけど、だめだった。

 その集団の中にいると、やっぱり彼女たちと私は、まったく別の生き物なのだと実感してしまい、その場所に長く居続けると、なんだか酸欠のような息苦しさを覚えてしまうのだ。


 休み時間ごとに集まっておしゃべりする、女の子たちの砂糖菓子みたいに甘い会話、…アイドルの誰某がカッコイイだとか、あそこのお店のスイーツは可愛くておいしい、あの恋愛映画を見たい、雑誌に載っていたブランドショップのコートが欲しい、今度の休みは家族であの遊園地に行くの…なんて、そういうごく普通の女子高生らしい話題で盛り上がる彼女たちを見ていると、表面上は同じように笑って上手く相槌をうっていても私は内心、この子たちは、私とは違う世界に住んでいるんだと冷静に考えていた。


 彼女たちには、お兄ちゃんがいないんだろう。

 いたとしても、生きているお兄ちゃんしか持たない人々なのだ。


 それは、私とは、かけ離れた別の世界だ。


 …今こうして振り返ってみると、そんなふうに感じていたのは、当時自分の家族がゴタゴタしていたことでライフスタイルに大きな変化が起きた私の、精神的疲労からくる、やっかみも多少はあったんじゃないかとは思う。

 だけど、どうしても周りにいる同世代の女の子たちが、ガキっぽく思えてしまって、一緒にいると疲れてしまうというのも事実だった。


 キャーキャーと羊のふりをして、無理にはしゃぐカピバラの私のメンタルゲージは、毒攻撃を受けたゲームキャラのように、ぐんぐんと下降して疲弊していった。


 こんなに疲れるんだったら、静かなボロアパートで、死んだ兄と二人で過ごしているほうが有意義で楽だわ。

 そう当時の私は判断してしまい、注意する大人が周りにいないのをいいことに、最低限の出席しかせず、高校をサボりがちになってしまったのだった。


 しかしこのままでは、私の自堕落な生活スタイルはいつまでたっても改善されないことになる。

 さすがにそれは良くない。

 そこで私は、アルバイトを始めることにした。

 

 そうして始めた、繁華街のそばにあるコンビニでのアルバイトは、とても楽しかった。


 場所柄、そのコンビニで一緒に働くスタッフも、やってくるお客さんも(お客さんは水商売関係の人が多かった)圧倒的に大人ばかりだったので、そこにいる限り、私は学校で感じるような自分自身の異質さに悩まされることがなく(学校を飛び出して社会にでてしまえばそこは、羊の群れの世界ではなく、多種多様の個性が混じった、アニマルワールドだったからだ)また、学生バイトだけど、自分の力で稼いだ自由になるお金を持つことができるようになったことで、自立の誇らしさのようなものも一丁前に感じられたから。


 だからバイトを始めて、私の生活は一気に充実するようになった。


 学校をおざなりにして、バイトに精を出し、自分で稼いだお金で好きなものを買う、自由な時間に好きなことをして、遊び疲れたら、死んだ兄だけが待っている静かなボロアパートに帰る。


 とても楽しい日々だった。

 …もちろん、この生活が世間一般に見れば、歪であることは理解していたけれど。


 理解していたからこそ、私は退屈しのぎに、考えることがあったのだ。

 こんな私の人生に、もし生きたお兄ちゃんがいたのなら、どんな違いがあったんだろうかと。


 昼間に布団の上でゴロゴロしながら、洋服タンスの一番上に飾られている写真立て、その中で永遠に変わることなく微笑み続けている…もう見慣れてしまったその笑顔でこちらを見返してくる写真…赤ちゃんの兄の顔を眺め、もしもこの人が、私が生まれてくる前に死ぬことなく、今日まで生きていたとしたら、私や両親の生活は、どんなふうに変化していたんだろうって、そんな別の世界線の可能性を、ひたすら想像してみた。


 そもそもお兄ちゃんって、どういうものなの?

 お兄ちゃんにとって、私は妹、…妹っていうものは、お兄ちゃんにとってどんなカンジ?


 お兄ちゃんと私は、仲がいい?

 勉強を教えてくれたり、いっしょにゲームをしたり、休みの日は遊びに連れて行ったりしてくれたのかな?


 それともお兄ちゃんと私は、仲が悪くなっていたかもしれない?

 つまらないことでケンカをしたり、夕飯のおかずを取り合ったり、口もききたくないとか、意外と私たちは気が合わなくて、嫌いあっていたかもしれない。


 両親とお兄ちゃんの関係は、どんなものになっていただろうか?


 もし父と母が口論をしていたら、お兄ちゃんが仲裁に入ってくれたのかな。

 それともお兄ちゃんがいてくれたなら、そもそも両親はケンカひとつしなかったのかもしれない。


 家族みんなで食事をしたり、休みの日にはそろって遊園地へ出かけたりしたんだろうか。

 そんなとき、お兄ちゃんは私の手をとって、私に笑いかけてくれた…?


 …なんて、いろんな想像をしてみたけれど、やっぱり、赤ちゃんのままの兄の顔を見ながらシュミレーションするそれは、どこまでも薄っぺらで、1mgほども現実的な重さを感じることはできなかった。


 だって、私のお兄ちゃんは、幻想の存在。

 世界中どこを探したって、存在しないものなんだから。


 だから厳密に言えば、本当の兄妹間の関係性だったりとか、お兄ちゃんのいる生活を体感するなんてことは、この私には永遠に不可能なのだ。


 それはよく分かってる。

 だけど、この不可能を求め続ける私の気持ちは、なんて言えばいいのかな…そう、宇宙船を作りたいと願って研究を重ねる科学者のそれのようなものだった。


 どこまでも遠くまで、宇宙の果てまで飛んでいけるくらい立派な宇宙船を私は作りたい。

 だから一生懸命、宇宙船の設計図を私は書き続ける。


 それを現実に完成させるのは不可能だってこと、実はよく分かってる。

 バカみたいに試行錯誤して、遠い宇宙を追い求めたって、絶対手が届かないことは、充分に痛いほど分かっているんだ。


 それなのに、分かっているのに、やめられない。

 想像の中の宇宙船を形にして、現実にこの目で見てみたい、触れてみたい。


 その気持ちが止められなくて、私は、偶然自分の目の前に不時着してきた素敵な飛行機へ手をのばす。


 この飛行機が、私を乗せて遥かに広がる青空の中を飛んでくれたなら、私は自分の想像の中にしかない宇宙船へ、ほんの少しでも触れることができるかもしれない。

 

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