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仕事が忙しくて家にいる時間が少ない父であっても、子供の私の態度や様子から、感じ取るものがあったのだろう、どうやら母に、死んだ息子のことばかり考えて過ごすのは止めるべきだと忠告してくれてたらしい。
まあ、きっと私だけじゃなくて、父自身も、兄のことで母親からあれこれ言い聞かされたりしていたからなんだと思うんだけど。
私の父は、いつだって理性的で落ち着いた人だったから、父は父なりに息子を失って悲しかったはずなのに、そういった感情を表に出すことなく、思ったことはすぐ口にする母とは違って、兄にかかわる話題などは一切口にはせずに、日々穏やかに私と接してくれていた。
だけど母にとって、そんな父の落ち着いた態度は、裏切り以外の何物でもなかったのだ。
母からすれば、まるで何事もなかったかのようにどこまでも平静に娘の面倒をみる父の様子は、死んだ息子のことをすっかり忘れて、その存在を無かったことにしようとしている、薄情者のようにしか思えなかったのだろう、そういうふうに感じるたび、母は激しく逆上した。
兄や私…子供のことがきっかけで、父と母が口論する姿を、数えきれないほど私は見てきた。
幼い子供は、一人で家から出ることができないのだから、嫌でもそんな両親の不仲を、部屋の隅で見ているしかなかったから。
そしてそういった不毛な口論は、いつも母の勝利で終わった。
父には、やはり母に対する同情心や負い目があって、最後の最後で強く責め立てることができないからだ。
逆に母は、自身が信じる圧倒的正義を掲げて、どこまでも父を追い詰める。
子供を亡くした母親は、どこまでも不幸で、どこまでも強かったから。
だから状況は何年経っても、何も変わることがなかった。
母は、赤ん坊のままの兄の姿をみつめ続け、父は、月日とともにどんどん寡黙に拍車がかかっていくようだった。
そんな父と母、そして赤ん坊であり続ける兄との生活は変化することなく続き、それでも私は少しずつ年を重ねて、成長していった。
そうして死んでしまった兄と同じように、おおむね私たち家族の日常は、閉ざされた棺の中の静けさみたいに、ずっと変わることなくこのまま続いていくんだと、私はなんとなく思っていた。
だけど私の高校受験が終わった頃、家族に大きな変化が訪れた。
父と母がこれまでにないほど大きな口論をして、結果的に、別居することになったのだ。
そうなった経緯の、具体的な理由を私は知らない。
両親の実の子供とはいえ、そういったことは二人の問題だと私は割り切っていたので、受験も終わって精神的に落ち着いていた私は、ただ成り行きにまかせていた。
まあ客観的に見ていても、そろそろこの夫婦は限界なのかもしれないとは、ずっと前から思ってはいたけれど。
とにかくこうして、父と暮らしていた一軒家を出た母は、このアパートで暮らすことになったのである、大切な兄の思い出の品々を抱えて。
離婚はしなかった。
だから父は私に言ったのだ、これからどうするかは美桜が自分で決めなさい、と。
つまり、このまま父と実家に残ってこれまで通り暮らすのか、母についていって新しくアパートで暮らすのか、自分で選んでいいって。
結果、私は母と一緒に、このアパートで暮らすことを決めた。
わりと即答した私を見て、そのときお父さんはちょっと驚いていたみたいだった。
なんだかんだ言っても私は、父と共に実家に残るもんだと思っていたんだろう。
そんなお父さんに申し訳ないなと思いながら、私は母と暮らすことを選んだ理由を、こんなふうに説明した。
だって、アパートの方が学校から近いんだもん、近い分だけ朝長く寝ていられるんだよ。
それにお父さんは一人でも上手くやっていけるでしょ、でもお母さんはさ、あんなかんじだし、やっぱ誰かが近くで見てないとだめかなって思って。
あ、私の部屋はそのままにしておいてね、だからってずっとアパートに住み続けるつもりはないから。
こう私が言うと、やっと父は微かに笑みを浮かべてくれた。
一人っ子というものは、両親それぞれに気をつかわなくちゃいけないので、たいへんなのである。
そんなわけで母との二人暮らしとなった、アパートでの私の新生活。
父とではなく、母と暮らすことを私が選んだ理由は、父に説明したとおりではあったんだけど、でも実はそれだけじゃなかった。
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