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「ああ、それなら大丈夫、このうちは私とお母さんの二人暮らしなんだけど、今日はお母さん、帰ってこないと思うから」
明るく私が答えたのに、なぜかそれを聞いた彼は深刻そうな表情で、眉間にシワを寄せて私を見た。
「…君はいくつなんだ」
「え、17歳だけど」
「高校生か、それで君のお母さんはなぜ今日は帰ってこないんだ?」
「いや、帰ってこないのは、いつものことだから。
こないだ帰ってきたばっかりだからさ、しばらくはボーイフレンドのとこにいるんじゃないかな」
別にたいしたことじゃないので、あっさりと私がそう答えると、彼は深いため息をついた。
「…そういうのは、よくない」
「はあ」
「親が留守中のあいだに、俺のような得体の知れない男を、うちに入れるのはよくない」
自分で言うなよ。
ていうか、このひと、妙に考え方が真面目なカンジするなぁ、教師みたい。
「得体の知れない男なの?」
「それなりに」
「ふーん」
そこで彼は、またお茶をひとくち飲んだので、つられるようにして私も、自分のぬるいお茶を飲んだ。
「でも外は吹雪いちゃってるよ、東京なのに雪国みたい。
得体が知れなくても、こんななのに外に放り出すなんてことしたら、やっぱ気分悪いし、ここにいていいよ、そこは素直にさ」
「…見ず知らずの君に、そこまで甘えることはできない」
もう外に出れるような状態の天候じゃないってのに、彼は礼儀正しいを通り越して、やや頑固だった、どうあってもイエスと言わない。
いいから、うちにいろって!
伏し目がちのまま、いつまでも他人行儀でいる彼に、だんだん私はイライラしてくる。
「あのさ、私の名前は、美桜(みお)っていうんだけど、あなたは?」
だから、もう見ず知らずという言い訳を使えないように、堂々と私から名乗ってやると、やはり察しのいい彼は、私の考えがわかったみたいで、苦笑いしながらも、続いて自分の名前を口にした。
「犬彦」
「いぬひこ…? か、変わった名前だね」
「俺もそう思う」
犬彦、と名乗られたとき、あまりにも風変わりなその名前は、偽名なのかも、なんて最初は思ったんだけど、さっきまでの真面目発言や礼儀正しさからして、たぶん本当にこのひとは犬彦という名前なんだろうと、私は判断した。
彼が次に口にした言葉も、どこまでも律儀だったし。
「ここまでしてもらって、もう充分、君には感謝をしている。
これ以上、ただ甘えるなんてことは、できない。
君の親切に見合う何かを返したくても、いまの俺は何も持っていない。
たいした金もない。
それなのに人の世話になるだけなど、それこそ俺自身、気分が悪くなる」
ふーん、なるほどね。
ここまで彼の話を聞いて、私はピンときた。
このひとの性格はけっこう律儀で、どうやらギブアンドテイク派のようだ。
人と人との関係性の中では、常に対等でありたいし(ただ単に、私のような小娘から、一方的に世話になるのがイヤだっただけかもしれないけど)何かをしてもらったら、同じだけ…あるいはそれ以上に返さないと気がすまないタイプなのだ。
私のお父さんが、まさにそんなタイプの性格だから、よく理解ができた。
そしてそんなタイプの人には、なんて言えばいいのかも、私はよく知っていた。
さらにそれと同時に、私の中にひとつの、あるアイデアが浮かんできたのだった。
いままでそんなこと少しも考えたことなんかなかったのに、まるで神の啓示の光がバッと闇夜の中に炸裂したみたいに、いきなり思いついてしまった。
「ところでさ、あなたはいま何歳なの?」
それまでの話の流れとは、まったく違う話題をだしてきた私に、彼は少し戸惑ったように目を細めたけれど、きちんと答えてくれた。
「19だ」
19歳、…私の2コ上。
ぴったりすぎた。
そのとき、最初の歯車の動き出す音が、私の耳元で聞こえたような気がした。
「あのさ、こうしない?
雪が止んで、あなたが安全にここから出ていけるようになるまで、このうちにいていいよ。
その代わり、うちにいるあいだ、やって欲しいことがあるの。
ギブアンドテイクってやつで」
「やって欲しいこと…?」
不思議そうな顔をして私を見ている彼へ、にーっこり笑ってみせると、自分でもどうかしていると思うその提案を、なんでもないことのように言ってみせた。
「ここにいるあいだ、私のお兄ちゃんになって欲しいの」
そんなことをいきなり言われて、彼も訳が分からなかったのだろう。
あの、美しい顔をした眠り姫だったひとが、ぽかんと口をあけて、いかにも呆気にとられましたってカンジで、こちらを見ている様子は愉快だった。
すぐに彼は何かしゃべろうとしたけれど、それを私は遮って、続きを話した。
「深く考えないでね、ただのシュミレーション、おままごとみたいなもんだよ。
兄妹ごっこ、って言ったらいいのかな。
私ね、いま一人っ子なんだけど、ずっと前から、もし自分にお兄ちゃんがいたら、どんなカンジなのかなって考えることがよくあったんだ。
あなた、私の2歳年上でしょ、ちょうどいいな、って思って。
雪が止むまでうちから出れないし、退屈しのぎにもなっていいじゃない。
もし本当に、私に感謝してくれてて、このままうちにいるのがイヤじゃないのなら、私のために、私のお兄ちゃん役、やってみてもらいたいんだよね」
変なことを言っているという自覚はちゃんとあったので、彼がヤダと言ったなら、そこでこの話は終わらせるつもりだった(断られた場合には、うちから追い出す…なんてことも、もちろんしない)それなのに彼は、まんざらでもなさそうに考え込むそぶりを見せた。
…このひとって、わりと流されやすい性格をしているのかもしれない。
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