3-3

 

 「ああ、それなら大丈夫、このうちは私とお母さんの二人暮らしなんだけど、今日はお母さん、帰ってこないと思うから」



 明るく私が答えたのに、なぜかそれを聞いた彼は深刻そうな表情で、眉間にシワを寄せて私を見た。



 「…君はいくつなんだ」



 「え、17歳だけど」



 「高校生か、それで君のお母さんはなぜ今日は帰ってこないんだ?」



 「いや、帰ってこないのは、いつものことだから。

 こないだ帰ってきたばっかりだからさ、しばらくはボーイフレンドのとこにいるんじゃないかな」



 別にたいしたことじゃないので、あっさりと私がそう答えると、彼は深いため息をついた。



 「…そういうのは、よくない」



 「はあ」



 「親が留守中のあいだに、俺のような得体の知れない男を、うちに入れるのはよくない」



 自分で言うなよ。

 ていうか、このひと、妙に考え方が真面目なカンジするなぁ、教師みたい。



 「得体の知れない男なの?」



 「それなりに」



 「ふーん」



 そこで彼は、またお茶をひとくち飲んだので、つられるようにして私も、自分のぬるいお茶を飲んだ。



 「でも外は吹雪いちゃってるよ、東京なのに雪国みたい。

 得体が知れなくても、こんななのに外に放り出すなんてことしたら、やっぱ気分悪いし、ここにいていいよ、そこは素直にさ」



 「…見ず知らずの君に、そこまで甘えることはできない」



 もう外に出れるような状態の天候じゃないってのに、彼は礼儀正しいを通り越して、やや頑固だった、どうあってもイエスと言わない。

 いいから、うちにいろって!

 伏し目がちのまま、いつまでも他人行儀でいる彼に、だんだん私はイライラしてくる。



 「あのさ、私の名前は、美桜(みお)っていうんだけど、あなたは?」



 だから、もう見ず知らずという言い訳を使えないように、堂々と私から名乗ってやると、やはり察しのいい彼は、私の考えがわかったみたいで、苦笑いしながらも、続いて自分の名前を口にした。

 

 

 「犬彦」



 「いぬひこ…? か、変わった名前だね」



 「俺もそう思う」



 犬彦、と名乗られたとき、あまりにも風変わりなその名前は、偽名なのかも、なんて最初は思ったんだけど、さっきまでの真面目発言や礼儀正しさからして、たぶん本当にこのひとは犬彦という名前なんだろうと、私は判断した。


 彼が次に口にした言葉も、どこまでも律儀だったし。



 「ここまでしてもらって、もう充分、君には感謝をしている。

 これ以上、ただ甘えるなんてことは、できない。


 君の親切に見合う何かを返したくても、いまの俺は何も持っていない。

 たいした金もない。

 それなのに人の世話になるだけなど、それこそ俺自身、気分が悪くなる」



 ふーん、なるほどね。

 ここまで彼の話を聞いて、私はピンときた。


 このひとの性格はけっこう律儀で、どうやらギブアンドテイク派のようだ。

 人と人との関係性の中では、常に対等でありたいし(ただ単に、私のような小娘から、一方的に世話になるのがイヤだっただけかもしれないけど)何かをしてもらったら、同じだけ…あるいはそれ以上に返さないと気がすまないタイプなのだ。


 私のお父さんが、まさにそんなタイプの性格だから、よく理解ができた。

 そしてそんなタイプの人には、なんて言えばいいのかも、私はよく知っていた。


 さらにそれと同時に、私の中にひとつの、あるアイデアが浮かんできたのだった。


 いままでそんなこと少しも考えたことなんかなかったのに、まるで神の啓示の光がバッと闇夜の中に炸裂したみたいに、いきなり思いついてしまった。



 「ところでさ、あなたはいま何歳なの?」



 それまでの話の流れとは、まったく違う話題をだしてきた私に、彼は少し戸惑ったように目を細めたけれど、きちんと答えてくれた。



 「19だ」



 19歳、…私の2コ上。

 ぴったりすぎた。


 そのとき、最初の歯車の動き出す音が、私の耳元で聞こえたような気がした。



 「あのさ、こうしない?


 雪が止んで、あなたが安全にここから出ていけるようになるまで、このうちにいていいよ。

 その代わり、うちにいるあいだ、やって欲しいことがあるの。

 ギブアンドテイクってやつで」



 「やって欲しいこと…?」


 

 不思議そうな顔をして私を見ている彼へ、にーっこり笑ってみせると、自分でもどうかしていると思うその提案を、なんでもないことのように言ってみせた。



 「ここにいるあいだ、私のお兄ちゃんになって欲しいの」



 そんなことをいきなり言われて、彼も訳が分からなかったのだろう。

 あの、美しい顔をした眠り姫だったひとが、ぽかんと口をあけて、いかにも呆気にとられましたってカンジで、こちらを見ている様子は愉快だった。


 すぐに彼は何かしゃべろうとしたけれど、それを私は遮って、続きを話した。



 「深く考えないでね、ただのシュミレーション、おままごとみたいなもんだよ。

 兄妹ごっこ、って言ったらいいのかな。


 私ね、いま一人っ子なんだけど、ずっと前から、もし自分にお兄ちゃんがいたら、どんなカンジなのかなって考えることがよくあったんだ。


 あなた、私の2歳年上でしょ、ちょうどいいな、って思って。

 雪が止むまでうちから出れないし、退屈しのぎにもなっていいじゃない。


 もし本当に、私に感謝してくれてて、このままうちにいるのがイヤじゃないのなら、私のために、私のお兄ちゃん役、やってみてもらいたいんだよね」



 変なことを言っているという自覚はちゃんとあったので、彼がヤダと言ったなら、そこでこの話は終わらせるつもりだった(断られた場合には、うちから追い出す…なんてことも、もちろんしない)それなのに彼は、まんざらでもなさそうに考え込むそぶりを見せた。


 …このひとって、わりと流されやすい性格をしているのかもしれない。

 

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