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結局、悩んだ末に私が選んだ行動は、これからボロアパートの前の道を通過する男たちの視界に、駐輪場の彼の姿が入らないよう、私が壁となって立っていることだった。
思ったとおり、ボロアパートの前までやってきた集団は、いかにもガラが悪そうな連中で、当時高校生だった私には、そんな奴らが自分のすぐ近くを通過するというだけでもかなりビビっちゃうことだったんだけど、それでも、まったくアンタたちのことなんか気にしていません、っていう態度でガラケーをいじりながら(そう、この頃はガラケーだったんだよね)いかにもちょっと暇潰してるだけ感を出しつつ、奴らが通り過ぎていってその姿が遠くに見えなくなるまで、ただ突っ立っていた。
ホント、そいつらが繁華街の煌めくネオンの向こうに消えていったときは、ものすごくホッとした。
ただ突っ立ってただけのクセして、妙にアドレナリンが出てさ、私なかなかやるじゃん! みたいな、勝ち誇った気分になったものだ。
あいつらは、ここに彼がいることに気づかず、通り過ぎていった。
別の場所へ、どこにも居もしない彼を捜しに行ったのだ、バッカみたい!
やばい、私は、かわいそうな人をひとり助けたんだ!
私なんかにも人を助けることができるなんて!
自分で自分を褒めてあげたいですとは、まさにこのこと、みたいに、そうやって勝手にひとりでテンションを上げていると、背後から微かに声が聞こえた。
「すまない…」
テンションが上がっていたせいで、そのときの私は肝心の、自分が助けてやった相手の存在をすっかり忘れていた。
てっきり意識を失っているものだと思い込んでいた男が、こちらに話しかけてきたもんだから、すごくびっくりしたんだけど、その弱々しくか細い声に、勝利に酔いしれて茹だっていた私の頭は、一瞬で冷えた。
それで落ち着いて、こちらからも声をかけてみた。
「あの、大丈夫なの?」
「……」
でも彼は返事をしなかった。
相変わらず目は閉じたまま、寄りかかった駐輪場のすみっこから動こうとしない。
うーん…とりあえずはヤンキーどもから守ってみたものの、このあとはどうするべきだろうか…。
青白い顔をした彼を、さっきよりも近くに寄ってみつめながら、寒空の下で私は悩んだ。
そんなときだった、ふわりと私の鼻のあたまの上に、なんか白いものがのっかってきたのは。
んん? と思って空を見上げてみると、まさに今、重くたちこめていた灰色の雲が崩れて、数えきれないほどの白い綿雪が、花びらをまき散らしたように、この地上へ降り積もろうとしている瞬間だった。
やっばい、早くうちの中に入んないと!
駐輪場の彼に背をむけて、私は自分のうちに帰ろうとした、…でもやっぱり足を止めて、後ろを振り返ってしまう。
ガラの悪い連中に追われているらしい、傷だらけのイケメン。
雪のように白く、血の気も失せてしまったような色素の薄い肌、相変わらず閉じられているまぶた、そのまつげの長さ、そんな彼の姿は儚げで、わざとなのかと思いたくなるほど、女の庇護欲をかき立てるものだった。
私は自分のことを、善い人だとは思わない。
だからこのとき私が彼に手を差しのべたのは、気まぐれ半分、好奇心半分、それから、このままここで彼が雪に埋もれて凍死でもしたものなら、後の罪悪感がハンパないだろうな、という自己保身のためにやったことだ。
「ねえ、立てる? 雪降ってきちゃったよ…」
目を閉じたままの彼に、私は手をのばしてみた。
でも、手をのばしたからといって、彼は何の反応も示さないかもしれない、とも私は考えていた。
だってさっきから全然動かないし。
だけど彼は、私ののばした手をつかんだ。
相変わらず顔はうつむいたままで、壁に背を預けた状態だけど、ゆっくりと右手をのばして、私の差しだした手をとった。
普段だったら、知らない男の手をにぎるなんて絶対嫌だけど、私の手にふれた彼の手は死人のように冷たくて、その力も弱々しく、そして彼はその手の形すら綺麗で、すべてひっくるめて私はドキッとしてしまった。
だから私は、深い沼の底へ沈んでいこうとしている哀れな人を、ひっぱりあげるような気持ちで、彼の手をぎゅっと掴むと、そのまま座り込んでいる彼を思いっきり起こし上げようとした。
どこかかが痛むのか、微かに彼はうめいたけど、私に引き寄せられるままに、一気に立ち上がった。
立ち上がった彼は、けっこう背が高かった。
痛みのせいか、そのときは猫背ぎみになっていたけれど、背の高さとすらりとしたシルエットに、ちょっとだけ見入ってしまった。
だけどすぐに彼はよろけた。
足がかなり痛むようで、力が入らないのか、ガクリと体のバランスを崩す。
「平気? 歩ける?」
「…悪いが、肩を貸してもらえると、助かる」
つないでいた手と手の重み、それが変化する。
私は、彼の右腕を自分の肩にのっけるようにして引っぱり、体のバランスを取りやすいようにサポートしながら、ゆっくりと先導して歩きはじめた。
よろよろしながらも、彼は私に先導されるままに、ちゃんと歩いてくれる。
気を遣ってくれてるみたいで、そんなに体重をかけられていないようだったけど、それでも相手は私よりも体格のいい男、重てぇ…と思いながらも必死で、私は彼の体を支えた。
そうして降りしきる雪の中、私は知らない男とこれまでにないほど密着しながら、自分のうちを目指して歩いていく。
言っておくけれど当時高校生だった私は、これほどの至近距離で年齢の近い男の子と接触したことはなかったし、自分のうちに男の人を連れ込んだことなど一回もなかった。
だからあのとき、いくら相手が怪我人だったからといっても、見知らぬ若い男に対して、よくもまあ、あんな行動を取れたもんだなと思う。
どうしてだろうって、過去をふりかえるたび、何度も私は思いを巡らせてみたんだけど、結局それは、雪のせいだったんだろうという答えに至った。
あのとき雪が降ってこなければ、ヤンキーどもから彼の姿を隠し終わった段階で、私はひとり立ち去っていただろうから。
それに…ほら、雪が降る夜って、なんか非現実的なカンジがするし。
いつもと違う街の光景、いつもと違う出来事、そこへいきなり姿を現した綺麗な男の子、そんな降り積もる雪のようにしんしんと訪れる非現実感が、このあとさらに大胆な思考を、私にさせた原因に違いない。
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