第3話 なりそこないの悪役令嬢の後を追って転生しようとする宰相子息は結構本気で彼女のことが好きだったのであとのことを任された義理の息子はわりと苦労する

 あのひとは、なんだかじょうずに死ぬことばかり、考えているように見えました。

 そう、確信犯だったのだと、僕だけは知っている。


     ■


 宰相様の養子に迎えられたのは、僕が五歳の頃のこと。

 フィリベルト・アダン・エルブリヒという名のそのひとは、僕と出会ったときは二十代半ばの、いわば若い男性として盛りの年齢だった。当時も、縁談が引きも切らず、たくさん持ち込まれていた。

 彼の両親(僕にとっては義理の祖父母だ)も、彼のしあわせを願って、十代のころから令嬢との婚姻をもちかけていたそうだ。当たり前の話だ。


 しかし彼は、ある日王城でおこなわれたパーティーで、大怪我を負ったという。子供の頃から王子のそばに侍り、彼とともにあったフィリベルト。

 この国の王子様が、パーティーで落ちてきたシャンデリアの事故で、片足を不自由にしたことは有名な悲劇だ。その際に彼が婚約者の公爵令嬢を失ったのは、貴族王族の間では暗黙の秘密であった。秘密のはずで、あった。


 王子の命を身を挺して救った公爵令嬢。

 こんなに大衆受けするネタがあるだろうか。人の口には戸が立てられない。

 この国では彼女がおこした、愛ゆえの悲劇を、知らない者はいなくなった。 


 アリーゼ・フリーデ・アルベルティーナ。彼女の美しい献身的な愛は、舞台や小説、詩となって世間に喧伝されてしまった。

 僕の養父であるフィリベルトは、それらの『アリーゼの恋物語』をひどく嫌悪していた。僕だけが知っている事実だ。


 絵本を読んでほしいとせがんだ僕に、ふだんは優しく温和な彼が、眉をひそめた。その、かすかな表情の変化だけで「おとうさまはこれがきらいなんだ」と子供が理解してしまうほど、彼は疎んじていた。アリーゼを? いや、アリーゼの恋に関するようなすべてのことがらを。


「おとうさまはアリーゼさまがきらいなのですか」

 子供だった僕は、率直に質問した。養父のフィリベルト様はうつくしいみどりいろの目をまたたかせ、そして微笑んだ。

「すまないね、エーヴェルト。ちいさなきみに気をつかわせてしまって。私自身は嫌いではないよ、ただ、王城では彼女の話題は禁止だ。それだけは覚えていておくれ?」

 書斎の長椅子に座り、僕を隣に座らせ、本をふたりで読んでいたのだった。僕らはなぜか性質が近かったせいか、フィリベルト様は僕をあまり子供扱いせず、そばにおいてくれていた。

 禁止だと言われ、僕は秘密で侍女から借りた絵本をそっと背中に隠した。養父を悲しませたくも、怒らせたくもなかったからだ。


「エーヴェルト、この邸の中では隠さないでいいよ、絵本を見せておくれ」

 それはアリーゼという令嬢が、恋する王子様を助けて死んでしまい、天国で神様にどこに生まれ変わるか聞かれるお話だった。アリーゼはお城に咲くきれいな花になった、という終わり方だった。

「花だとすぐに枯れてしまいますね、おとうさま」

「毎年花を咲かせる多年草なら、毎年決まったころに会えるけれど」

「そういうものですか」

「彼女はそういうの、面倒くさがって咲かせなさそうだな」

 遠いなにかを夢見るような、そんな口ぶりの養父を不思議に思って見上げると、彼は僕を頭をなでて笑った。


「彼女も本が好きだったよ、たぶん。お茶会や社交や、学園は嫌いなくせに、図書館にはよく来ていた。物語の本や歴史の本が好きなようで、そのあたりに行くと、時々いた」

「おとうさまはアリーゼさまをご存知なのですか」

 フィリベルト様は頷いた。

「お養父様の仕事を知っているね、エーヴェルト?」

「宰相さまです」

「まだ正確にはそうではないけど、第一王子殿下が王位を引き継ぎ次第、だ。今は宰相補佐だね。お養父様は小さなころから、殿下のおそばに仕えてきた。アリーゼ嬢が殿下の婚約者に決まった以前も、その後も」


 僕は絵本に目を落とし、じっと表紙の女性を見た。絵本の内容は正直、面白くない話だった。どうせ生まれ変われるなら、ドラゴン退治をする勇者や、海をゆく船乗りとか、そういう、もっと『違うもの』になればいいのに思ったからだ。

「その絵とは全然ちがうね、ほんとうのアリーゼ嬢は」

「はい」

「もっと覇気がなくて、たのしくなさそうで、しあわせじゃなさそうで、つまらなさそうだったし、そもそもやる気がないひとだった」

(それ本当に、この絵本のお嬢様のことなのかなあ?)

 と、僕は思ったけれど黙っていた。ずるい子供だったので。


     ■


 フィリベルト様にはアリーゼ嬢の話は禁物、というのはエルブリヒ家での暗黙のルールに次第になっていた。僕が十歳になるころには、もはや禁忌とさえ呼べた。

 別に表立ってフィリベルト様が嫌がったわけでも、禁じたわけでもない。しかし主人の機嫌に鈍感な使用人はエルブリヒ邸には存在しなかった。幸いなるかな。


「アリーゼ様にふられたのでは?」

「横恋慕だなんて、あの真面目な坊っちゃんが? まさか!」

「だから未だに奥様を娶られずに、若くして養子を迎えられたのよ」


 侍女たちの姦しい推測はあながち外れてはいなかった。

 フィリベルト様は実際、誰かと婚姻をむすぶつもりは一切ないようで、僕をエルブリヒ家の後継者として正式にお披露目した。もう、お祖父様もお祖母様も諦めた様子で、そんな息子の行いを許していたし、遠縁の子供にすぎない僕をかわいがってくれた。僕は幸運だったと思う。たまたま、フィリベルト様の祖母の妹が駆け落ちして生まれた、その娘の子だったというだけなのに。


「実際、養父上ちちうえは、どうだったんです」

 世間のことがだんだん理解できてきた僕は、知識を身につけるとともに、くだらない世間の噂をたくさん浴びた。ひどいものになると、僕が父の慰み者であるとかいう馬鹿も一部には存在したようだ。僕は賢く美しく、エルブリヒ家の血がちょっとしか入っていないのに、とても効率よく表面に出ている人間なので、やっかみを受けるのも仕方がない。


「どうだった、とは?」

 養父は右手が不自由だが、幸い、左手は器用に動く。そちらで書類の束にサインしながら、僕のくだらない問いに答えてくれた。彼の書斎はいつもしんとしていて静かで、僕はそこで自習をしたり本を読むのが好きだった。


「養父上は、アリーゼ嬢を、好きだったんですよね」

「初めて聞かれたなぁ、そんなこと。陛下以外に」

 仕事の手を止め、フィリベルト様はため息をついた。お茶がほしいな、というので、僕はいったん部屋を辞してメイドに頼む。そして、養父の書斎に戻ると、彼は長椅子に腰掛けて背をのばしていた。まだ麻痺の残る右手をひらひらさせている。その手のひらにはざっくりと大きな傷あとがあり、左手にもおなじようなあとがあるのだ。


「国王陛下にはね、一時期疑われたよ。おまえはアリーゼが欲しかったのか、と」

「それは疑いなんですかね」

 フィリベルト様は、運ばれてきた紅茶にひとつだけ角砂糖を落とし、スプーンでかきまぜもせずにひとくち飲んだ。最後にあまいシロップのように溶け残るのが好きらしい。おかしなひとだ。


「うーん」

 しばらく考え込んでから、養父は口をひらいた。

「アリーゼはみんなが思うほど、情熱的で、恋に生き恋に死ぬようなひとではなかったよ。保証してもいい。むしろ、賭けてもいいね」

「うつくしい方だったとお聞きしました」

「見た目だけはね」

 即答か! 僕は苦笑した。アリーゼ嬢はよっぽど養父の好みの容貌だったのだろうか。


「だからとても気になったんだよ。滅多に授業にも出てこないくせに成績は優秀。王宮や他の貴族が主催するような行事もなにかと理由をつけて参加しない、そんなことで王子殿下と婚姻してやっていけるのかと」

「──無理では?」

「そう思うよね。私も王子のそばで見ていてはらはらしたよ。でも本人は全然気にする風もない。せっかくうつくしく生まれ、家柄もいい。頭も悪くなさそうなのに、すべてうまく使おうともしない。どうしてこのひとはここにいるんだろう、って私はずっと思っていた」


 僕はきょとんとして、彼の語るアリーゼという女性についてのつづきを待つ。


「この息苦しく狭い、きゅうくつな世界の中で、異分子にしか見えなかったんだ。私にとっての、アリーゼ・フリーデ・アルベルティーナというひとは」

 そう言って僕の養父はすがすがしく笑った。

 僕の養父、フィリベルト・アダン・エルブリヒ。

 彼はたしかに、アリーゼ・フリーデ・アルベルティーナが好きだったんだと思う。


     ■


 その数年後に、暴れ馬に蹴り殺されそうになった僕をかばって死んだ、彼の死に顔はとてもやすらかで、微笑さえ浮かべているようだった。


     ■


「養父上は無事に会えたのかな」

 僕のつぶやきに、婚約者であるエスタリア第二王女殿下は、不思議そうなまなざしを遠慮なく向けてくる。エルブリヒ本家の血を継いでいないにも関わらず、養父にそっくりだという世間の評判のおかげで、僕はすっかり次期宰相としての立場を大人たちにかためられている。養祖父母たちもそう願っているので、老いた彼らの最後の望みを叶えるのが、せめてもの僕の養祖父母孝行だろう。

 一人息子のフィリベルト様は薄情にもさっさと先立ってしまったし。

 あのひと絶対あとのことなんか考えてなかったよね。僕がなんとかすると思ってたよね、賭けてもいいよ。


「エスタリア殿下、きみが悪いんだよ。アリーゼ様に会っただなんて言っちゃうから」

 ぱちくりと目をしばたたかせ、エスタリアは唇をとがらせた。淑女がやる仕草じゃないからね、それ。しかも一国の王女様が。

「小さなころにお父様と側近たちにわたくしが馬鹿なことを言ったのが、どうして悪いの」


 王宮の温室の真ん中につくられたティールームで、二人でのんびり過ごしている時間だった。周囲にいるのは気心の知れた、エスタリアの専属メイドと、近衛騎士くらいで、僕と彼女がくだらない話をしているのを聞き流してくれる。

 僕は養祖父から渡された分厚い専門書をめくりながら、彼女はちいさな頃から気に入っている本を手にしていた。例によってあれだ、この国の女の子が大好きなアリーゼ様の物語だ。いいのかな、彼女のお母さんはアリーゼ様の恋敵にあたるわけだけれど。

王宮内ではアリーゼ様にまつわる楽曲や文学、書籍は禁じられていたが、この王女様は僕を脅しつけて城下に買いに行かせた。まだ七歳くらいのときに、だ。


「そのせいでうちのお養父とうさまが早逝しちゃったから、エルブリヒ家を僕なんかが継ぐことになってしまったし、君も本家から血の薄い、遠縁の怪しい男に嫁がされることになっちゃったよ」

「それが自分の招いたことならグッジョブってやつだわ。わたくし、あなたの顔も体も性格も好きだもの」

「体ねぇ、露骨なことを言うものでないよ、姫君が」

「あら、大事よ。特に首から鎖骨のラインと、腕、それから手。大好きよ。エーヴェルトの顔は素晴らしいわ。推しとして最高だし、会うたびに作画がよすぎて心臓が痛くなるわ。作画監督にお布施したい」

「僕、たまに君が何を言ってるかわからなくなるんだよね」


 エスタリアは本を閉じ、じっと僕を見つめる。

「生まれ変わる前のこと、大きくなってからはあまり他人に言わないようにしていたんだけど。お父様もいい顔をしないし、何よりお母様が可哀想だったから」

「うん、賢明だね」

「でも、エーヴェルト、あなたには全部話してあるじゃないの」

 そのとおり。彼女の前世とやらも、覚えている限りのことを僕は彼女から聞いてあるのだ。


「君は以前は、こことは違う世界に生きていたんだってね」

「そう、脳梗塞──頭の中の病気、で死んだの。そして、アリーゼ様だと思うんだけど、そのひとにお父様の子供として生まれることを勧められたわ」


 子供の頃に周囲のおとなに話し続けたせいで、エスタリアは大きくなってから「子供の頃のあなたは、あんなことを言っていたのよ」と逆に聞かされる羽目になって食傷していた。

「お姫様に憧れてたけど、めんどくさいものだとわかったわ」

「当たり前じゃないか」

 そこでエスタリアは、本を開き、中表紙の絵の女性をしめした。


「このひと、絶対わかってたと思うわ。お姫様も公爵令嬢もそんなに楽しくないものだって」

 アリーゼ。アリーゼ・フリーデ・アルベルティーナ。国王陛下の、かつての婚約者。

「そうかなぁ。きみには結構、向いてると思うよ」

 エスタリアは肩をすくめ、ため息をついた。幾重ものレースで彩られたきれいなドレスをまとい、絹のリボンで結われた、くせのある黒い巻毛が揺れる。


「そうかしら?」

「そうだよ」

「それならいいけど」


     ■


 計画通りにじょうずに死ねた、僕の養父はアリーゼ嬢に会えただろうか。

 そして、彼女をうまくだまくらかして、次の人生を一緒に過ごせるように画策できただろうか。

 僕にはわからない。

 わからないけれど、うまくいったような、そんな確信だけはあるのだ。


 なぜだかは、わからないんだけどね。



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悪役令嬢に転生させてくれると言うので転生先を選ぼうとしたらだいたい全部公爵令嬢で婚約破棄されてた案件ばかりだった 小鳥居 @cotry7777

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