第2話 悪役令嬢だったはずの彼女がちっとも悪役令嬢じゃなかったので気になって仕方なかったのだが彼女がある日死んじゃって恋を自覚した僕はどうしたらいい

「あたしね、父さまの婚約者だったという女のひとに会ったの、生まれる前に」


 けろりとした顔で、この国の第二王女さまはそう言った。よりにもよって、王が執務についている、その執務室で。周囲には当然側近たちがおり、重臣たちもいた。彼らは、一斉に動揺したが、表面には出さなかった。


 しかし彼らは、王が溺愛する幼い王女の妄想か夢としか思えない言葉に、恐怖さえいだいたのだ。なぜなら、まだ五歳の王女が、かつてこの王宮で起きた悲劇を知っているとは思えなかった。

 城内では禁忌とされている話題だったからだ。王のかつての婚約者にまつわる話は。

 冷徹で知られるこの国の王も、さす「あたしね、父さまの婚約者だったという女のひとに会ったの、生まれる前に」


 けろりとした顔で、この国の第二王女さまはそう言った。よりにもよって、王が執務についている、その執務室で。周囲には当然側近たちがおり、重臣たちもいた。彼らは、一斉に動揺したが、表面には出さなかった。


 しかし彼らは、王が溺愛する幼い王女の妄想か夢としか思えない言葉に、恐怖さえいだいたのだ。なぜなら、まだ五歳の王女が、かつてこの王宮で起きた悲劇を知っているとは思えなかった。

 城内では禁忌とされている話題だったからだ。王のかつての婚約者にまつわる話は。

 冷徹で知られるこの国の王も、さすがに動揺したのか、書類に署名する手を止め、自分の足元でお人形遊びをしている娘を見やった。


「エスタリア、それはどういう意味かな」


 父王が自分の話を、執務中に聞いているとは思わなかったのだろう。幼い姫君はきょとんとし、そしてにっこりと笑った。


「生まれてくる前にね、どこに生まれるか、選べるの」

「それでおまえは、お父様のもとに生まれることを選んでくれたのかい」


 ちいさな娘を抱き上げて、自分の右膝の上に王は乗せた。彼の左足は若いころに負った怪我のせいで動かない。しかし、彼はその時に失ったものが他にもある。

「そうよ。王女さまに生まれたいって言ったら、お父さまのところに行きなさいって勧めてくれたの。足が不自由だから支えてあげてねって教えてもらったわ。リア、まだ、お父さまのお手伝いできないけど」

「気持ちだけでうれしいよ」

 父王の遠慮の意味を理解しない姫君をよそに、そばに控えていた宰相の顔色はどんどん青ざめていく。

 そのことに気付いている者は、その場には、だれひとり、いなかった。


     ■


「あなたに会いたかった」


 死にたてほやほやの彼の第一声がそれだったので、転生相談担当者となった元公爵令嬢は、きれいなアーモンド型の瞳をぱちぱちとまたたかせた。簡素な白いブラウスに紺色のロングスカート。伊達だろうか、黒ぶちの色気のない眼鏡をかけた彼女に対して、そんな言葉をかける男性が存在するとは思わなかったのだ。


 そもそもこの『仕事』についてから、彼女にとって惚れた腫れたは遠い世界の話になった。毎日は訪れない、転生候補者たちの相談にのるのが現在の彼女に与えられた使命だ。


 その前の人生は公爵令嬢だった。

 誰もがうらやむであろう、第一王子の婚約者さまであった。


 その割に彼女の生活は地味で、毎日毎日貴婦人教育と冠された礼儀見習だのダンスだの、王族という専門職にしか必要のない『お飾り』になるための教育だけを受けていた。楽しかった記憶はない。黒髪で琥珀色の瞳の王子の顔はうつくしくて、彼女はきらいではなかったけれど、彼が彼女に笑いかけてくれた記憶は皆無だ。

 

 その王子の傍らに、幼いころから常にそばにいた──彼の名は。

「フィリベルト、あなた死んでしまったの」

「私も人間ですから死にますよ、そりゃあ」


 きんいろの髪、すきとおるような白い肌。みどりの瞳。幼いころの彼は、とても綺麗な女の子のようだった。

 だから元公爵令嬢で現在は転生相談担当をつとめる──かつての名をアリーゼという──アリーゼは、幼いころ、彼が本当は王子の婚約者なのでは? と疑ってみたりもしたのだ。

 成長するにつれてそんな疑惑は笑い話になったが。


 フィリベルトは十代のころの姿をしていた。アリーゼがシャンデリアの下敷きになって死んだころとおなじ姿を。


「不慮の事故や、急な病で若くして死んだ者は、生まれ変わる先を選べる──そうですね、アリーゼ嬢」


(パイプ椅子に座る姿も優雅だとこと)と、かつてアリーゼであった転生相談担当者は、室内のウォーターサーバーから紙コップに水をくんで、彼の前においた。なぜだかこの空間は、妙に現代の日本に近い物質文化を有しているのだ。


「誰に聞いたの、フィリベルト。と言いたいところだけど、心当たりがあるわ」

「エスタリア王女様ですよ、あなたの元婚約者の娘だ」


 フィリベルトがどんなつもりで、彼の子の名を出したのかはわからない。そもそも、彼はアリーゼにとってよくわからない男だった。常に王子のそばにいて、アリーゼに不思議なまなざしを向けている青年。恋ではなかったはずだ。好かれていればわかる。哀れみでもなかった。


「生まれてくる前に、あなたに会ったと幼い王女様は言った。無邪気に、夢物語のように。私は信じた。そして、上手に死んだ」

「ばかじゃないの?」

「はは。公爵令嬢のあなたなら絶対いわない言葉だ」

「当たり前でしょう。賭けにもなっていないわ、そんな無茶。子供の妄想かもしれないのに」


 言い募るアリーゼのことばを聞き流し、フィリベルトは出された水をひとくち飲んだ。とても冷たくてあまかった。死んでも喉はかわき、水はうまいのだと思った。死んでいるのに、生きているのだ。不思議だ。


「でも、私は、賭けに勝ったよアリーゼ」

「わたくしはアリーゼではないわ、フィリベルト様。さぁ、あなたは次に、どんな人生を選びますか」

 ばさり、と目の前のテーブルの上に書類の束が置かれた。アリーゼは意地でも自分に与えられた仕事を果たすつもりのようだった。


「女性に転生して悪役令嬢になって苦労すればいいわ」

「あなたみたいに? アリーゼ」

 向かいのパイプ椅子に座って書類をめくる彼女の顔をのぞきこむと、あからさまに眉をしかめられた。フィリベルトはなんだか楽しくなる。こんなこと、王子がいた頃には絶対できなかったから。


「苦労したんだ。事故で、人を救って死ぬ。下心ありの偽善で死んで、神様はここに通してくれるかどうか、わからなかったからね」

「……あなた、そんなひとだったの、フィリベルト」

「あなたも、そんなにしゃべる子だったんだね、アリーゼ」

 そこで彼女の頬が赤く染まった。


「あなたがそんな態度なら、わたくし、担当を代わることも出来るのよ」

「それなら代わってもらっていいよ。そして、僕とアリーゼを転生? でいいんだっけ。転生させてくれっていうよ」

 アリーゼは椅子から立ち上がり、フィリベルトをにらみつけた。公爵令嬢時には絶対しなかった表情だ。

 生きているころのアリーゼは、どこかぼんやりとしていて、つまらなさそうで、たのしくなさそうだった。フィリベルトから見て、のはなしだ。


 荒い足音をたてて、部屋から出ていくアリーゼの背中を見送りながら、王妃教育って全然あとまで残らないものなのだな、とフィリベルトは考えていた。

 背をまるめ、うすっぺらい机に頬をくっつけて、ふかくため息をつく。


「とはいえ、私だって一国の宰相だったはずなんだけど」


 全然、まったく、何の策もなく来たわけでもないのに、手も足も出やしない。

 むしろ交渉相手を怒らせてしまった。


「ねぇアリーゼ。きれいなあなたの顔やからだが、ちゃんと、きれいなままで、僕は今、なんだかすごく泣きたいくらい嬉しいんだけど、わかってくれないかな……って、わかるはずもないよね」


     ■


 フィリベルトの転生相談は難航した。

 何しろ本人が転生を希望していないのだ。このまま『場』に残って転生相談担当者としてやっていく道を提示するべきかと長が告げたが、アリーゼがひどくそれを嫌がった。


「ではアリーゼ、おまえが転生なさい。もうそろそろ潮時でしょう」


 フィリベルトにあとを譲ることを打診され、呆然としたのはアリーゼである。悪役令嬢として転生し、悪役を演じることができないまま、王子をかばって死に、再度の転生先を選ぶことができないまま、この『場』で人々の転生相談にのり仲介をおこなって、何年、何十年になるのだろう。


 ここでは時間の経過は意味をもたない。だから彼女はすっかり忘れていたのだ。彼女に前世があり、来世があることを。


「どうしてわたくしと一緒に転生したいの」


 半ばうんざりしつつ彼女が尋ねると、フィリベルトは目をまるくした。

「びっくりしているわね」

「あなたがそれを私に訊いたのは初めてだから」

「……そうだったかしら」

「そうだよ、ふつうは一番最初に疑問に思いそうなのに」


 確かにそうだ。王子の婚約者だった女に、一緒に転生しましょうだなんて、この宰相様はいったい頭がどうしてしまったのか。しかも生前、特に彼女にアピールしてきた節はない。そもそも彼女はろくに学園にも行かず、引きこもりがちな日々で、最低限の社交しかしていなかった。


「あなた、別にわたくしのこと、なんとも思ってなさそうだったわ」

「そりゃあ、幼馴染みでゆくゆくは生涯仕える王子の婚約者相手に、うかつに恋心なんか見せられないでしょう。行く末は王妃になられるお方だ」

「そうね」


「だけど、好きでしたよ、あなたの、王子なんてどうでもよさそうなところとか、公爵令嬢なのに幸福じゃないですって顔してるところとか」

「そう──はぁ!?」


 フィリベルトは、机に頬杖をついたまま、うっとりとアリーゼに視線をそそいだまま、つづけた。昔、王都の学園の図書館で、どうしても必要があって試験まえに一緒に勉強していたときのようだ、と彼女はなんとなく思い出す。あのときは必ず、王子とその近侍たちもそばにいたけれど。


「そのくせ、図書館で、書架のあいだを巡っているときは、戦に向かう勇者のような瞳をしていた。あんな表情、城の舞踏会でも、お茶会でも絶対にしなかった」

「そんなの……知らないわ」


 す、と延ばされた手が、彼女の頬に触れた。びくりと彼女が身じろぎすると、心得た彼の手は引いていく。

「ごめん、許可なく触れるなんて、無作法だった」

 アリーゼが首をふると、フィリベルトは安心したように微笑する。

「仮の身体だけれど、長くこの身でいたから……」

「うん、髪の色も目の色も違うから驚いたけど、すぐにあなただとわかった」


     ■


 あの、婚約破棄の夜。

 フィリベルトは知っていた。王子が彼女に婚約破棄を突きつけることを。それを内心よろこんでいた。

 よかった。彼女は自由になる。あんな、つまらなさそうな顔をしなくてすむのだ。ほかの令嬢たちのやっかみをうけることも減るだろう。

 少なくとも、しばらくの間は、彼女はすこしは自由になる。

 そう、思っていた。

 思っていたのに。



「シャンデリアをなんとかして動かせ! 下に人が」

「巻き込まれた者の治療を優先しろ!!」

「王子を! 王子に早く治療を! 王子の足が!!」


 怒号と喧噪。泣きわめく声。悲鳴。痛みを訴える喘ぎ。血の匂い。割れて散らばったガラスのかけら。巨大なシャンデリアが床に突き刺さり、その下から流れ出るのは──


「アリーゼ! アリーゼ!!」

 こんなはずじゃなかった。こんな結果を望んではいなかった。

 どうして。どうして。

 普段は無表情で沈着冷静な宰相子息がひどく取り乱した。


 ──アリーゼ、私は……僕はこんな結末、けっして、願ってなぞいなかった。


     ■


「どうでもよさそうだったのに、王子を命がけで助けてしまうんだもの、あなたは。嫉妬で死にかけましたよ、私は」

「死んでないでしょう」

「悲しいことに、私は悲しみで死ねないタイプの人間でしたね。だから生きてしまった。そしてエスタリア王女が生まれる前に出会ったという、あなたの話を聞いてしまった」


 フィリベルトは小首をかしげ「あなたの手に触れても?」と尋ねた。アリーゼは首をふった。だめです、と。


「つれないなあ。生きているあいだにもっと口説けばよかったと?」

「そんなことをしたら、あなたもわたくしもたいへんなことになっていたわ」

「どうせ死ぬんだったら、その方が楽しかったかもしれないね。私たちはまじめすぎた。それに、私はきちんと自分の気持ちを自覚していなかった」


 十代……十七歳くらいのころだろうか。その姿のフィリベルトはとてもきれいな少年なので、アリーゼは内心、どきどきしてしまう。

 前世当時は見慣れていたし、フィリベルトはすまし顔で王子のそばに控えていたから、まさか自分に好意をいだいていただなんて考えもしなかったのだ。

 宰相の子息が、まさか。いや、でも公爵令嬢だったので、別に身分的には問題はどちらにもなかった。王子との婚約さえ、なければ。


「私は右手がすこし、麻痺しました。あのシャンデリアが落ちてきたせいで」

「破片でもぶつかったの!?」


 焦った様子でアリーゼが、彼の手をとった。前世の話であり、今の仮の身体ではなんともないというのに。フィリベルトはにっこりと笑い、彼女の手を自らの両手でくるむ。


「あなたの上に落ちたシャンデリアをどけようとあがいて、破片をつかんだんだ。ばかでしょう? どけられるはずも、ないのに」


 目と目があった。彼は嘘を言っていない。そう理解して、アリーゼは言葉を失った。


「ずるいわ……」

「ずるいですね」

「いやって言えないじゃないの」

「はい」


 巨大なガラスのシャンデリアをつかんで、どけようとあがく宰相子息を、数人の兵がなんとかしてとりおさえた。血まみれの彼の両手はずたずたに裂けていた。

 王子は王族専用の病室で何人もの医師によって治療をうけたが、片足は動かないままだった。

 シャンデリアの真下にいた公爵令嬢は、命を落とした。

 それだけ。それだけのことだった。


     ■


「お嬢さま、おはようございます。朝食はどうなさいますか」

 十三歳の公爵令嬢は、ふかふかの羽毛の寝具からゆっくりと起き上がると、のびをした。寝台から降りると室内には陽射しが満たされている。


「もうすぐいつもの彼がくるから、一緒にとることにしましょう」

「そんな言い方をなさって。仮にも宰相子息でいらっしゃいますよ」


 ふふ、と公爵令嬢は笑い、メイドに身支度を整えてもらう。彼女はもう立派なレディである。なにしろ、婚約者もいるのだ。


「アリーゼ様、フィリベルト様がお迎えにいらしていますよ」

「ほらね」


 朝食を一緒にとってから学園に行くつもりの、ちゃっかりした宰相子息とは、この春に婚約を結んでもらった。もちろん、双方の両親合意の上でだ。王室から、彼女への婚約者候補としての打診もあったが断ってもらった。


 学園の制服に身をつつみ、髪も整えてもらい、彼女は部屋を出て階段をおりていく。

 階下に、彼女を待つ婚約者がいる。

「おはよう、アリーゼ」

「ごきげんよう、フィリベルト」


 ねぇ、今度は、ちゃんとしあわせな人生を送れるかしら。

 彼女の問いに、彼はきちんと答えてくれるだろう。


 もちろん。命がけで迎えに行ったくらいなんだから、僕が責任をもってしあわせにするにきまっているよ、と。

 ならば彼女も答えるのだ。

 今度こそ、選んだ人生を、きちんと生きてみせるから、あなたも付き合ってね。



がに動揺したのか、書類に署名する手を止め、自分の足元でお人形遊びをしている娘を見やった。


「エスタリア、それはどういう意味かな」


 父王が自分の話を、執務中に聞いているとは思わなかったのだろう。幼い姫君はきょとんとし、そしてにっこりと笑った。


「生まれてくる前にね、どこに生まれるか、選べるの」

「それでおまえは、お父様のもとに生まれることを選んでくれたのかい」


 ちいさな娘を抱き上げて、自分の右膝の上に王は乗せた。彼の左足は若いころに負った怪我のせいで動かない。しかし、彼はその時に失ったものが他にもある。

「そうよ。王女さまに生まれたいって言ったら、お父さまのところに行きなさいって勧めてくれたの。足が不自由だから支えてあげてねって教えてもらったわ。リア、まだ、お父さまのお手伝いできないけど」

「気持ちだけでうれしいよ」

 父王の遠慮の意味を理解しない姫君をよそに、そばに控えていた宰相の顔色はどんどん青ざめていく。

 そのことに気付いている者は、その場には、だれひとり、いなかった。


     ■


「あなたに会いたかった」


 死にたてほやほやの彼の第一声がそれだったので、転生相談担当者となった元公爵令嬢は、きれいなアーモンド型の瞳をぱちぱちとまたたかせた。簡素な白いブラウスに紺色のロングスカート。伊達だろうか、黒ぶちの色気のない眼鏡をかけた彼女に対して、そんな言葉をかける男性が存在するとは思わなかったのだ。


 そもそもこの『仕事』についてから、彼女にとって惚れた腫れたは遠い世界の話になった。毎日は訪れない、転生候補者たちの相談にのるのが現在の彼女に与えられた使命だ。


 その前の人生は公爵令嬢だった。

 誰もがうらやむであろう、第一王子の婚約者さまであった。


 その割に彼女の生活は地味で、毎日毎日貴婦人教育と冠された礼儀見習だのダンスだの、王族という専門職にしか必要のない『お飾り』になるための教育だけを受けていた。楽しかった記憶はない。黒髪で琥珀色の瞳の王子の顔はうつくしくて、彼女はきらいではなかったけれど、彼が彼女に笑いかけてくれた記憶は皆無だ。

 

 その王子の傍らに、幼いころから常にそばにいた──彼の名は。

「フィリベルト、あなた死んでしまったの」

「私も人間ですから死にますよ、そりゃあ」


 きんいろの髪、すきとおるような白い肌。みどりの瞳。幼いころの彼は、とても綺麗な女の子のようだった。

 だから元公爵令嬢で現在は転生相談担当をつとめる──かつての名をアリーゼという──アリーゼは、幼いころ、彼が本当は王子の婚約者なのでは? と疑ってみたりもしたのだ。

 成長するにつれてそんな疑惑は笑い話になったが。


 フィリベルトは十代のころの姿をしていた。アリーゼがシャンデリアの下敷きになって死んだころとおなじ姿を。


「不慮の事故や、急な病で若くして死んだ者は、生まれ変わる先を選べる──そうですね、アリーゼ嬢」


(パイプ椅子に座る姿も優雅だとこと)と、かつてアリーゼであった転生相談担当者は、室内のウォーターサーバーから紙コップに水をくんで、彼の前においた。なぜだかこの空間は、妙に現代の日本に近い物質文化を有しているのだ。


「誰に聞いたの、フィリベルト。と言いたいところだけど、心当たりがあるわ」

「エスタリア王女様ですよ、あなたの元婚約者の娘だ」


 フィリベルトがどんなつもりで、彼の子の名を出したのかはわからない。そもそも、彼はアリーゼにとってよくわからない男だった。常に王子のそばにいて、アリーゼに不思議なまなざしを向けている青年。恋ではなかったはずだ。好かれていればわかる。哀れみでもなかった。


「生まれてくる前に、あなたに会ったと幼い王女様は言った。無邪気に、夢物語のように。私は信じた。そして、上手に死んだ」

「ばかじゃないの?」

「はは。公爵令嬢のあなたなら絶対いわない言葉だ」

「当たり前でしょう。賭けにもなっていないわ、そんな無茶。子供の妄想かもしれないのに」


 言い募るアリーゼのことばを聞き流し、フィリベルトは出された水をひとくち飲んだ。とても冷たくてあまかった。死んでも喉はかわき、水はうまいのだと思った。死んでいるのに、生きているのだ。不思議だ。


「でも、私は、賭けに勝ったよアリーゼ」

「わたくしはアリーゼではないわ、フィリベルト様。さぁ、あなたは次に、どんな人生を選びますか」

 ばさり、と目の前のテーブルの上に書類の束が置かれた。アリーゼは意地でも自分に与えられた仕事を果たすつもりのようだった。


「女性に転生して悪役令嬢になって苦労すればいいわ」

「あなたみたいに? アリーゼ」

 向かいのパイプ椅子に座って書類をめくる彼女の顔をのぞきこむと、あからさまに眉をしかめられた。フィリベルトはなんだか楽しくなる。こんなこと、王子がいた頃には絶対できなかったから。


「苦労したんだ。事故で、人を救って死ぬ。下心ありの偽善で死んで、神様はここに通してくれるかどうか、わからなかったからね」

「……あなた、そんなひとだったの、フィリベルト」

「あなたも、そんなにしゃべる子だったんだね、アリーゼ」

 そこで彼女の頬が赤く染まった。


「あなたがそんな態度なら、わたくし、担当を代わることも出来るのよ」

「それなら代わってもらっていいよ。そして、僕とアリーゼを転生? でいいんだっけ。転生させてくれっていうよ」

 アリーゼは椅子から立ち上がり、フィリベルトをにらみつけた。公爵令嬢時には絶対しなかった表情だ。

 生きているころのアリーゼは、どこかぼんやりとしていて、つまらなさそうで、たのしくなさそうだった。フィリベルトから見て、のはなしだ。


 荒い足音をたてて、部屋から出ていくアリーゼの背中を見送りながら、王妃教育って全然あとまで残らないものなのだな、とフィリベルトは考えていた。

 背をまるめ、うすっぺらい机に頬をくっつけて、ふかくため息をつく。


「とはいえ、私だって一国の宰相だったはずなんだけど」


 全然、まったく、何の策もなく来たわけでもないのに、手も足も出やしない。

 むしろ交渉相手を怒らせてしまった。


「ねぇアリーゼ。きれいなあなたの顔やからだが、ちゃんと、きれいなままで、僕は今、なんだかすごく泣きたいくらい嬉しいんだけど、わかってくれないかな……って、わかるはずもないよね」


     ■


 フィリベルトの転生相談は難航した。

 何しろ本人が転生を希望していないのだ。このまま『場』に残って転生相談担当者としてやっていく道を提示するべきかと長が告げたが、アリーゼがひどくそれを嫌がった。


「ではアリーゼ、おまえが転生なさい。もうそろそろ潮時でしょう」


 フィリベルトにあとを譲ることを打診され、呆然としたのはアリーゼである。悪役令嬢として転生し、悪役を演じることができないまま、王子をかばって死に、再度の転生先を選ぶことができないまま、この『場』で人々の転生相談にのり仲介をおこなって、何年、何十年になるのだろう。


 ここでは時間の経過は意味をもたない。だから彼女はすっかり忘れていたのだ。彼女に前世があり、来世があることを。


「どうしてわたくしと一緒に転生したいの」


 半ばうんざりしつつ彼女が尋ねると、フィリベルトは目をまるくした。

「びっくりしているわね」

「あなたがそれを私に訊いたのは初めてだから」

「……そうだったかしら」

「そうだよ、ふつうは一番最初に疑問に思いそうなのに」


 確かにそうだ。王子の婚約者だった女に、一緒に転生しましょうだなんて、この宰相様はいったい頭がどうしてしまったのか。しかも生前、特に彼女にアピールしてきた節はない。そもそも彼女はろくに学園にも行かず、引きこもりがちな日々で、最低限の社交しかしていなかった。


「あなた、別にわたくしのこと、なんとも思ってなさそうだったわ」

「そりゃあ、幼馴染みでゆくゆくは生涯仕える王子の婚約者相手に、うかつに恋心なんか見せられないでしょう。行く末は王妃になられるお方だ」

「そうね」


「だけど、好きでしたよ、あなたの、王子なんてどうでもよさそうなところとか、公爵令嬢なのに幸福じゃないですって顔してるところとか」

「そう──はぁ!?」


 フィリベルトは、机に頬杖をついたまま、うっとりとアリーゼに視線をそそいだまま、つづけた。昔、王都の学園の図書館で、どうしても必要があって試験まえに一緒に勉強していたときのようだ、と彼女はなんとなく思い出す。あのときは必ず、王子とその近侍たちもそばにいたけれど。


「そのくせ、図書館で、書架のあいだを巡っているときは、戦に向かう勇者のような瞳をしていた。あんな表情、城の舞踏会でも、お茶会でも絶対にしなかった」

「そんなの……知らないわ」


 す、と延ばされた手が、彼女の頬に触れた。びくりと彼女が身じろぎすると、心得た彼の手は引いていく。

「ごめん、許可なく触れるなんて、無作法だった」

 アリーゼが首をふると、フィリベルトは安心したように微笑する。

「仮の身体だけれど、長くこの身でいたから……」

「うん、髪の色も目の色も違うから驚いたけど、すぐにあなただとわかった」


     ■


 あの、婚約破棄の夜。

 フィリベルトは知っていた。王子が彼女に婚約破棄を突きつけることを。それを内心よろこんでいた。

 よかった。彼女は自由になる。あんな、つまらなさそうな顔をしなくてすむのだ。ほかの令嬢たちのやっかみをうけることも減るだろう。

 少なくとも、しばらくの間は、彼女はすこしは自由になる。

 そう、思っていた。

 思っていたのに。



「シャンデリアをなんとかして動かせ! 下に人が」

「巻き込まれた者の治療を優先しろ!!」

「王子を! 王子に早く治療を! 王子の足が!!」


 怒号と喧噪。泣きわめく声。悲鳴。痛みを訴える喘ぎ。血の匂い。割れて散らばったガラスのかけら。巨大なシャンデリアが床に突き刺さり、その下から流れ出るのは──


「アリーゼ! アリーゼ!!」

 こんなはずじゃなかった。こんな結果を望んではいなかった。

 どうして。どうして。

 普段は無表情で沈着冷静な宰相子息がひどく取り乱した。


 ──アリーゼ、私は……僕はこんな結末、けっして、願ってなぞいなかった。


     ■


「どうでもよさそうだったのに、王子を命がけで助けてしまうんだもの、あなたは。嫉妬で死にかけましたよ、私は」

「死んでないでしょう」

「悲しいことに、私は悲しみで死ねないタイプの人間でしたね。だから生きてしまった。そしてエスタリア王女が生まれる前に出会ったという、あなたの話を聞いてしまった」


 フィリベルトは小首をかしげ「あなたの手に触れても?」と尋ねた。アリーゼは首をふった。だめです、と。


「つれないなあ。生きているあいだにもっと口説けばよかったと?」

「そんなことをしたら、あなたもわたくしもたいへんなことになっていたわ」

「どうせ死ぬんだったら、その方が楽しかったかもしれないね。私たちはまじめすぎた。それに、私はきちんと自分の気持ちを自覚していなかった」


 十代……十七歳くらいのころだろうか。その姿のフィリベルトはとてもきれいな少年なので、アリーゼは内心、どきどきしてしまう。

 前世当時は見慣れていたし、フィリベルトはすまし顔で王子のそばに控えていたから、まさか自分に好意をいだいていただなんて考えもしなかったのだ。

 宰相の子息が、まさか。いや、でも公爵令嬢だったので、別に身分的には問題はどちらにもなかった。王子との婚約さえ、なければ。


「私は右手がすこし、麻痺しました。あのシャンデリアが落ちてきたせいで」

「破片でもぶつかったの!?」


 焦った様子でアリーゼが、彼の手をとった。前世の話であり、今の仮の身体ではなんともないというのに。フィリベルトはにっこりと笑い、彼女の手を自らの両手でくるむ。


「あなたの上に落ちたシャンデリアをどけようとあがいて、破片をつかんだんだ。ばかでしょう? どけられるはずも、ないのに」


 目と目があった。彼は嘘を言っていない。そう理解して、アリーゼは言葉を失った。


「ずるいわ……」

「ずるいですね」

「いやって言えないじゃないの」

「はい」


 巨大なガラスのシャンデリアをつかんで、どけようとあがく宰相子息を、数人の兵がなんとかしてとりおさえた。血まみれの彼の両手はずたずたに裂けていた。

 王子は王族専用の病室で何人もの医師によって治療をうけたが、片足は動かないままだった。

 シャンデリアの真下にいた公爵令嬢は、命を落とした。

 それだけ。それだけのことだった。


     ■


「お嬢さま、おはようございます。朝食はどうなさいますか」

 十三歳の公爵令嬢は、ふかふかの羽毛の寝具からゆっくりと起き上がると、のびをした。寝台から降りると室内には陽射しが満たされている。


「もうすぐいつもの彼がくるから、一緒にとることにしましょう」

「そんな言い方をなさって。仮にも宰相子息でいらっしゃいますよ」


 ふふ、と公爵令嬢は笑い、メイドに身支度を整えてもらう。彼女はもう立派なレディである。なにしろ、婚約者もいるのだ。


「アリーゼ様、フィリベルト様がお迎えにいらしていますよ」

「ほらね」


 朝食を一緒にとってから学園に行くつもりの、ちゃっかりした宰相子息とは、この春に婚約を結んでもらった。もちろん、双方の両親合意の上でだ。王室から、彼女への婚約者候補としての打診もあったが断ってもらった。


 学園の制服に身をつつみ、髪も整えてもらい、彼女は部屋を出て階段をおりていく。

 階下に、彼女を待つ婚約者がいる。

「おはよう、アリーゼ」

「ごきげんよう、フィリベルト」


 ねぇ、今度は、ちゃんとしあわせな人生を送れるかしら。

 彼女の問いに、彼はきちんと答えてくれるだろう。


 もちろん。命がけで迎えに行ったくらいなんだから、僕が責任をもってしあわせにするにきまっているよ、と。

 ならば彼女も答えるのだ。

 今度こそ、選んだ人生を、きちんと生きてみせるから、あなたも付き合ってね。



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