けものの仕業

月野夜

病院にて……

「じゃあ、君が好きな女の子は水泳の時間は必ず休んでるんだね」と斜向はすむかいのベッド上でパタパタと足を動かしてるトシヤ君に言った。


あどけなさの残る少年は、はたから見ると、とても元気そうに映る。

夏休みだというのに、同情を禁じ得ない。



「どうしてか分からないけど、熱や風邪なら学校も休むじゃない? なのにジュンちゃんは学校に来てる。ね? 不思議でしょ?」とトシヤ君は学校の七不思議を教えるかのように言った。



「ジュンちゃんは、人には言えない秘密を隠してるのかもよ」と僕は純朴な少年に、よからぬ事を吹き込んだ。空調の効きが悪いのか、病室には扇風機が持ち込まれていた。カラカラと鳴る扇風機もどことなく気だるそうだ。


 トシヤ君はまだ下の毛も生えていない様な小学五年生だった。

 彼が好意を抱いているジュンちゃんという女の子には、おそらく初潮がやってきたのだろう。

 男性よりも女性の方が身体的な発育が早いのは、母性本能の発芽まで十代で達してしまうためだろう。

 なに分、自分にもようやく妻という伴侶がみつかり、これから父親としての自覚が芽生えるであろう時だというのに、胃の隅に小さな陰を見つけたわけだ。



「ジュンちゃんは秘密なんて無いよ。素直だし隠し事が嫌いなんだもん。そうそう、友達のヨシコちゃんが嘘ついた時なんて怖かったなぁ」トシヤ君はベージュ色のレールカーテンを手で叩きながらつまらなそうな表情をした。


 デジタル時計は午後五時五十分を表示していた。おそらくお腹でもすいているのだろう、あと十分もすれば夕食の配膳が始まる。

 その雰囲気がパタパタと駆ける足音と共に廊下からじんわりと滲んできた。


 僕がここに入院した経緯は、最近体調がすぐれず、近くの市民病院に検査のため訪れたが、結果も教えられず急遽入院することとなった。

 夏休みともなると日本人は海外旅行や国内旅行などの静養を好むが、なかには検査入院などという静養ではなく療養を希望する人も、それなりにいるらしい。

 そのためか一般病棟は満床だったので、急きょ入院となった僕にあてがわれた部屋が、小児病棟に唯一空きのベットが有ったこの病室だった。

 病室は四人部屋のはずが、今はトシヤ君と僕の二人だけという少し煩わしい現状でもあった。



「ジュンちゃんは、ヨシコちゃんに何かしたのかい?」退屈だった。


 テレビもなければ本もない。

 急な入院で手ぶらのまま即ここにやってきたのだ、相手が子供だろうが暇つぶしにはなりそうだと僕は思った。

 明日には妻が見舞いにやってくる。それまでの辛抱だ。

 彼女は今頃何をしているだろう。



「給食の時間に、ジュンちゃんが当番の週、ヨシコちゃんの器に、何かを入れたんだ」とトシヤ君は気だるそうに答えた。


 それは本来なら、大きな問題になることではないのか? 子供のいたずらにしてはなにか陰湿だなと、僕は感じた。


 また、その状況を話しているトシヤ君にも、違和感を覚えた。まるで紙芝居を読んでいるかのような、そんな軽薄さがあったからだ。


「何かって、なんだい?」


「わっかんないよ、ジュンちゃんに聞いてみてよ。月曜日から金曜日まで、ジュンちゃんはヨシコちゃんの器に、何か入れてたんだ。それだけはハッキリ覚えてる」とトシヤ君は誇らしげな表情を浮かべた。


「好きな子がそんな事をしてて、君はどうして見逃したりしたんだい。僕は好きな人がそんな悪いことをしてるのは、見過ごせないよ」


 子供相手に感情的になる必要もなく、僕は取り留めのない表層的な面を、軽く小突く程度の注意をした。

 最近の子供たちはどうも何を考えてるのか分からない、闇と言ってしまえばそれは漠然としすぎていて、大人は真正面からその闇と向き合うことに恐怖すらしてる。

 真剣になるだけ無駄だとは思うが、妻をもつ男としてそこは避けて通れなかった。



「好きな子が好きなことをしてるのに、止めなよ、なんて言えないもん。実際、嬉しそうだったもん、ジュンちゃん」トシヤ君はけたけたと笑う。


 時刻は午後五時五十五分を過ぎていた。

 まだ配膳車はやって来てないのだろうか、香りというものはまだ病室はおろか、廊下にすら届いていない。


「何をジュンちゃんはそんなに、嬉しそうにしてたんだい?」


「次の週からヨシコちゃんは学校に来なくなったからだよ。先生が朝礼でヨシコちゃんのこと話してたらジュンちゃん机に顔伏せて笑ってたもん。大きな声で」トシヤ君はジュンちゃんの、その光景を思い出していたのか、頬を赤く染めた。


 気持ちの悪い少年だ、と僕は思った。

 さきほど感じた子供たちの闇、何を考えてるのか分からないといった疑念がそのまま彼に憑依したような感覚にとらわれた。


「先生は注意しなかったのか?」


「先生は全然気付いてなかったよ。知ってたのは僕だけ、あ、あとヨシコちゃんだけか。病院で最後の最後で多分気づいたんだよ。やられたって」


「病院?」


「そっ、病院。大変な病気に罹って死んじゃったんだよね」トシヤ君はけたけたと笑う。


 時刻は間もなく午後五時五十九分になる所だ。


「お前は狂ってる。人の命をなんだと思ってるんだ!」頭の中で血管が沸騰し顔全体が暑くなっていくのを感じた。


 目の前にいるのは悪魔だ。

 いや、悪魔の下僕だ。本体はジュンちゃんという女の子だ。

 ジュンちゃん? 僕は引っ掛かりを覚えた。


 どうして?


「お前なんかと飯を共にするのはゴメンだ。俺は別の部屋に移動を願い出る」


「別に僕は構わないけど、ジュンちゃんがなんて言うかな。ひどく怒るんじゃない?」


「な、なんで。どうして、お前は、ジュンを…」


「だって、好きだから」トシヤ君はゲラゲラと笑う。時刻は午後六時六十分…?


「な、なんで、時計が」

 表記がおかしい事に気づき僕は慌てる。

 心做しか、部屋の照明も薄暗く感じられた。



「お前とジュンはどんな関係なんだ!」僕は叫ぶ。



「奥さんになったからって気安くジュンちゃんを呼び捨てにするなよ」トシヤ君はニヤニヤと笑う。


 時刻は午後六時六十二分。



「ジュンちゃん、小学生の時、プールよく休んでたでしょ?」


 そうだ、妻は生理が来たから、と言ってよくプールを休んでいたと、いつか話していた。


 僕は返答せず、状況を整理する。


 六時を過ぎても誰もこの部屋に来ない。


 いや、そもそも人の気配が、既になくなっていた。


 僕は慌ててナースコールを押す、が反応はない。



 窓の外は混沌とし、ただ雲が生物のような柔軟な動きをしているのが視界に入る。


 吐き気を催すほどに不気味な動きだった。



「親友のヨシコちゃんの話は聞いた?」


「あぁ、ある日の朝礼で、突然、佳子ちゃんが亡くなったと聞いて、潤は教室で泣きわめいた、と」


 お互いの家を行き来するような親友がある日突然居なくなる、空想や妄想でも補えない想像を超えた事象は潤の心に大きな穴を開けたはずだった。


 しかし、「佳子ちゃんは殺されるようなことを潤にしたのか? ただ本当の病気で亡くなっただけだろう!」



「ジュンちゃんは猫を飼ってたんだよ、ミケっていう可愛い猫だった」


 私が幼稚園生の時に、雨の日の園庭で子猫がダンボールの箱に入って濡れてたの。


 捨て猫だったから先生も欲しい人が居たらあげます、って。


 だから私、お父さんとお母さんにお願いして飼って貰ったの。


 すっごく可愛かった…。


 でも、私が小学五年生のときに死んじゃったの、私の不注意で、死んでしまったの。


 潤はそう話していた。




「猫は飼っていた。写真も家に飾ってある。けど、それと佳子ちゃんは関係がないだろ」




「ミケを殺したのはヨシコちゃんなんだよ」トシヤ君はお腹を抱えて笑った。時刻は午後六時六十四分。




「ジュンちゃんの不注意ってのはね、ミケが殺される前にヨシコちゃんを殺せなかったってことなんだよ、悪いことしたら、それは全部自分に帰ってくる。ね、シンジさん。ジュンちゃんはさ、愛着が沸くと見境がつかなくなっちゃうんだよね。隠し事も嘘つきもだーいっ嫌いなんだよね。シンジさん、隠し事してない?」




 ドキッとした、手足の指先から微量な電気を流されたような痙攣がじんわりとのぼってくる。




「ちゃんと好きな人は、ジュンちゃんだけ、だよね。他の人とか、もちろんいないよね?」




 電流が徐々に強まり、痙攣が激しくなる。


 身体中から汗が吹き出し、既に衣服は湿っていた。




「まさか、ジュンちゃん以外の人と、子供なんて作ってないよね?」トシヤ君は憤怒していた。憎悪を込めた血走った瞳が、僕をとらえて離さない。


 悪寒も感じ、胃のあたりがギュっと握りしめられたかのように痛い。


 このまま破裂してしまうのではないかと薄れゆく意識の中で思う。




「お前がそんなのだから、ジュンちゃんは毎日ご飯の中に何かを入れてたんだよ」トシヤ君は幸福そうな笑みを浮かべた。






 時刻は午後六時六十六分に、なって、いた……

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