野口英世の娘 第1回


 一、


 大正四年(一九一五)九月五日、よこはま

 ほしはじめは、速度を緩めつつある馬車の窓外を眺めている。左隣には、口ひげを生やした友人が乗っている。アメリカにいた時分より目じりのしわが増えた気がする。

 友人は今さっき、シアトル発の旅客船「橫濱丸」にて大桟橋にたどり着いたばかりである。港には彼を出迎えようと、日章旗を振る人がたくさん押し寄せていた。一言お願いしますと群がる新聞記者を押しのけ、一は彼の手を取り、待たせてあった馬車に乗せたのであった。

 馬車は、海風に吹かれる洋風の建物の前に停まった。堂々たるクラシックなたたずまい──明治六年(一八七三)の創業以来、外国文化の渦巻く橫濱のシンボルとなっている、グランドホテルである。

「どうぞ」

 若い御者が扉を開けた。馬の足が立てるほこりが気になるのか、鼻から口にかけて手拭いで覆っている。

 一は馬車を降りた。ためらいがちに友人も続く。

わき先生と小林こばやし先生が到着するのが、午後三時だそうだ。それまでのあいだ、部屋をとってある。休め」

「部屋代、たけえんじゃねえのか」

 友人は右手で口ひげをいじりながら一にたずねた。左手を上着のポケットに入れたままなのは相変わらずだ。

「旅費おごってもらっといて、今さら何を気にしてんだ」

 一の経営する《星製薬》は今や、日本人なら知らぬ者はいない大企業である。作る薬は売れに売れ、一はかなり羽振りがいい。

 手拭いで鼻から下を隠した御者が、荷台から下ろしてきたトランクをえっちらおっちらとホテルの出入り口へ運びはじめる。人が一人すっぽり入るくらいの大きなトランクだ。一は友人を促して御者のあとを追った。

「ミリオンダラーって、知ってるか?」

「なんだって?」

「このホテルで生まれたカクテルだ。アメリカ人たちにも人気があるらしいが、実は俺もまだ飲んだことがねえ。一緒に飲もうぜ」

「カクテルかよ。俺は久しぶりに日本の酒が飲みてえがな」

 すっかり十年前に戻ったような友人の口ぶりに、一は嬉しくなる。何も知らない人間が彼を見て、ノーベル賞の候補になるほどの医学者だとは信じないだろう。

「そんなもん、福島に帰ったらいっぱい飲めんだろ」

 一も軽口を返し、入口へ続く階段に足を乗せた──そのときだった。

「もしかして、ドクター・ノグチではありませんか?」

 太い柱の陰から一人の女が姿を現し、友人に話しかけた。友人は立ち止まり、彼女をじっと見た。水色の洋服に束髪といういでたちは大人っぽく見えるが、ずいぶん若い。十五歳かそこらだろう。

「……そうだが」

 返答する友人の横で、一は「おかしい」と思っていた。港に群がっていた新聞記者たちは完全にまいてきたはずだ。このホテルを一が予約したことは、誰にも知られていないはずだが──。

 すると彼女は突然、友人に走り寄り、抱きついた。

「お会いしたかった」

「ちょ、ちょっと、なんだね?」

「あなたにお会いすることを何度夢見たことでしょう。

 鉄棒で後頭部を殴られたような衝撃を一は受けた。抱きつかれている本人──医学者、ぐちひでもまた、目を見開いてその少女を見つめていた。

 トランクを持った御者はすでに、ホテルの中へ消えていた。


 二、


 星一が商業の勉強を志し、まったく知り合いもいないアメリカへ渡ったのは明治二十七年(一八九四)、二十歳のときだった。職業を転々としながらコロンビア大学を卒業し、雑誌業・新聞業に手を染め、資金繰りに苦労し……そんな十二年のアメリカ生活でたくさんの人間に出会ったが、中でもいちばんの変わり者は野口英世に他ならない。

 出会いはアメリカに来て八年目の九月、フィラデルフィアのモリス夫人の家でのことである。この未亡人はなぜかやたらと日本人が好きで、知り合った日本人を自宅に招いては食事会をするのを趣味としていた。ニューヨークで英語の雑誌を創刊したばかりだった一は、わくわくしながら夫人の家を訪れた。

 大広間にとおされ、「そこに座ってね」とモリス夫人に示されたのが、その小男の隣だった。背は低く、髪の毛は農閑期の雑草のようにぼさぼさで、その貧相な顔をごまかすように鼻の下にひげを蓄えていた。ジャケットはあちこちほつれ、ほうはつからは妙なにおいを漂わせ、気難しそうな顔をしていっこうに打ち解けない。そればかりか、左手を上着のポケットに入れたまま出そうとせずに右手だけで食事をし、ワインをぐびぐびと飲む。ペンシルベニア大学の医学部の助手だというが、なんとも行儀の悪い男だと思った。

「なんだ、おめえ、いわきの出か」

 その野口が急に親しげになったのは、一が出身地を明らかにしたときだった。

「俺はあいだ。さんじようがたつってよ、ばんだいさんなわしろ湖に挟まれたちっこい村だ」

 そういえば懐かしい、福島弁のイントネーションであった。

 正直なところをいえば、海沿いであるいわき地方出身の一は、内陸の猪苗代湖には行ったことがなかった。しかしアメリカの地で同県人に出会え、気分が高揚したのは間違いない。心の距離は急速に縮まり、会がお開きになったあと「うちで飲みなおさねか?」と野口のほうから誘ってきた。

 ペンシルベニア大学に近い野口の下宿はそこら中に本や資料や論文が積まれ、薄汚い台に顕微鏡と、試験管がずらりと並んでいた。

「この試験管の中には何が入ってる?」

「蛇の毒だ。アメリカにはラトル・スネーク(ガラガラヘビ)っておっかねえ毒蛇がいてよ、毎年たくさんの人間がそいつにまれて死ぬんだと。師匠のフレクスナー先生は、その血清を作る研究をしていて、俺は成分分析の手伝いをしてんだ」

「へぇー。毒が専門なのか」

「いや、学んだのは細菌学だ。だけど師匠の言うことならやるしかねえ」

 野口は試験管の横に置いてあった空のビーカー二つにウィスキーを注いで、そのうちひとつを一に突き出してきた。

「ほれ」

「蛇の毒、入ってねえだろうな?」

 ウィスキーを二人で飲みつつ、しばらく話をしていた。農家の出であること、大志を抱いて無理やり渡米したことなど共通点が多く、話が楽しくなってきたところで、

「ところで星、新聞やって儲かってんだろ。金、貸してくれねえか」

 何の脈絡もなくぶしつけなことを言ってきた。一は正直に答える。

「そりゃダメだ。新聞ってのは紙代、印刷代、人件費がものすげえのよ。そのわりにまったく売れねえで、ひいひい言ってるんだ」

「そうか、おめえも文無しか」

 別に残念そうでもなく、むしろ同じ仲間を見つけたとでも言いたげに笑った。

「野口は研究所から給料はもらってねえのか」

「正式な研究員じゃねえから雀の涙よ。しかも俺は金を持ってると、みーんな飲んじまう」

 このあと野口が話したほうとうエピソードはすさまじいものだった。いわく、猪苗代を出て東京で苦学生をしていた頃、お世話になった先生に借りた金ですぐ飲みに行ってしまった。いわく、検疫の仕事でしん国に赴任していたときには、月に二百円という破格の給料をもらっていたが、毎月すぐに遊興場で使ってしまった。

 もっとも耳を疑ったのは、渡米を控えたときの話だ。貯金がないのにどうしてもアメリカで勉強がしたかった野口は、さいとうというほうと話をつけ、娘を嫁にもらうから持参金を先にくれと先方から渡航に十分な額の金を受け取った。二年間の留学が終わったら必ず結婚をするという約束だったが、なんとその金のほとんどを、渡米前に橫濱の《しんぷうろう》という高級料亭で、仲間とのどんちゃん騒ぎで一晩で使い果たしてしまったというのだ。

「それで野口、どうやってアメリカに来たんだ?」

「そりゃおめえ、また血脇先生を頼ったのよ。ほうぼうに借金してくれて、本当に苦労をかけっぱなしだ」

「おめえの先生は大変だな。それに、相手の家は怒ったろう?」

「ああ、斉藤の娘さんな。結局、結婚の話はなくなっちまったから、今はどうしてるか知らねえ。それも血脇先生が話つけてくれた」

 持参金を前借りしたうえ一晩で使い果たし、結婚話を白紙に戻し、尻ぬぐいはすべて他人任せ。そんなことをしておきながらあっけらかんとしている目の前の男に、一は呆れを通り越して尊敬の念すら憶えていた。

「さっすが会津の人間、放蕩っぷりが桁外れだ。はらしようすけさんでねえか」

「馬鹿いえ、なーにが『朝寝、朝酒、朝湯が大好き』だ。俺はどんなに飲んでも朝ははええし、風呂なんか何日入らねえでも平気だ。もう三日、シャワーも浴びてねえ」

「どうりで臭うと思った」

 二人で顔を見合わせ、大笑いをした。

 一は当時、ニューヨークに事務所を構えて新聞と雑誌を発刊していたが、これ以降ワシントン取材にかこつけてしょっちゅうフィラデルフィアで途中下車し、この風変わりな医学者の卵と安いウィスキーを酌み交わすようになった。

 野口が蛇毒の分析で成果をあげたのは、それから二か月ほどあとのことだ。血清の合成につながる大発見をし、ガラガラヘビに嚙まれて死ぬ事故を大幅に減らせる見通しがついたと、学会は大騒ぎしているようだった。

「大したもんだな」

 一が褒めると野口は謙遜するでもなく、答えた。

「忍耐強さっていうか、凝り性が俺の武器だからな。人の何倍も研究するわけよ」

 実際、「ノグチはいったいいつ寝ているんだ」と同僚のアメリカ人の目を白黒させるほどの働きぶりは、勤勉というより凝り性といったほうがしっくりくるように一には思えた。チェスをやりはじめれば勝つまでやめない、酒を飲み始めれば潰れるまでやめない。研究も同じスタイルなのは想像に難くない。身長わずか百五十三センチの日本人が、体の大きな白人研究者がぐうぐう寝ている間もせこせこ動き回って成果を上げている姿を思い浮かべ、一は愉快になったものだ。

 しかしやはり、それ以上に一を愉快にさせたのは、酔っ払ったいつもの野口英世の姿だった。日本を離れ、遠いアメリカで夢を語り合う自分たちは、まさに立身出世の四文字を心に抱く明治の人間なのだというこうまいな意識があった。

 もちろん、若者特有の馬鹿もやった。あるとき野口は、「俺は猪苗代湖でこんなでっかい魚を釣ったんだ」と釣竿を持って無理やり一を外に連れ出し、真夜中のデラウェア川に釣り糸を垂れて「会津磐梯山」を大声で歌い散らした。愉快になって一も一緒に歌っていたら、警官がやってきて職務質問され、医学者とジャーナリストだと答えたら噓をつくなと殴られそうになった。

 野口はよく、初恋の話もした。相手は会津出身で医学を志し、野口がドイツ語や基礎医学を教えていた女性だそうだが、思いを打ち明けたらこっぴどく振られたらしい。かつて自分で書いた恋文の文言を一字一句復誦し、「ヨネ、ヨネ」とその女の名をつぶやきながらぼろぼろ涙を流す野口は、まるで下手な私小説の主人公のようだった。

 酒と金にルーズで女に不器用。心底まで人間っぽい野口だが、研究者としての優秀さは本物で「天才的かつ精力的な日本人医学者」として学会での知名度はどんどん上がっていった。

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