遠野はまだ朝もやの中 第2回


 *


 むかしあったずもな。

 土淵つちぶち村のすけは貧しくてよ、その日食うもんもなくて困ってたど。隣さ住む、清三郎きよさぶろうしようろうの兄弟も同じようなもんだったと。

 ある日、太助は兄弟を誘ってよ、松崎村の金持ちの家さ盗みに行ったと。その家、鍵、かかってて入れなかっだども、馬小屋の扉さ開いてて、三人で馬、盗んだと。

 だども馬、ないたもんで、家のもんに見づかって、あわてて逃げたんだあ。このままじゃ捕まるべってなったらよ、太助が「あでー」と気づいたと。

「こんな道あっただか」

 清三郎と庄五郎、そっちを見たら、やぶん中さ下に降りてく道があったんだ。「行ってみるべ」って、馬こ連れて降りて行ったら、藪の壁に囲まれたちやわんの底みてえなとこさ出てよ、まぁー、きれーいな水の淵があったと。魚こ、泳いでんのが見えるぐれえだったべな。

「ここまでは追ってこんべな」

 清三郎が一息つくと、

「飯にすべ」

 太助が出した山芋の漬物を、兄弟はうめえうめえって食ったと。太助は水さのんだだけで、馬こ売って銭こにして分けるべって話、してたんだと。

「おらにもくれろ」

 誰かが言ったで、

「おめ、何か言ったか?」

 太助がいたけど、清三郎も庄五郎も首振ったと。

「おらにもくれろ」

 また、声がしたど。子どもみてえな声だなと淵のほうさ見て、三人は腰抜かしたんだ。水ん中から真っ赤な顔が出てよ、くりんとした目で三人を見てたと。そして、ぴょいっと飛び出てきただ。

「河童だあ!」

 太助は飛び上がったと。河童、近づいてきて、水かきのついた手ぇ出して、

「おらにもくれろ」

 太助、山芋隠して、

「河童にはやんね」

 と言ったと。河童、かなーしそうな顔してよ、だどもそのあと、顔をさらに真っ赤にして、

「それなら馬こもらうどーっ!」

 ざざざざざざ……、風が吹いてきて、淵の水、波立っだ。ひひひーんって、馬こ鳴いてよ、太助は恐ろしくなって藪ん中さ上って逃げたと。

 太助、どこをどう走ったか村長の家さたどりついてよ、河童のこと、話したんだ。あとで村長の家のもんがその淵さ行ってみたら、馬この姿はなくて、清三郎と庄五郎は淵からちょっと上ったところに離れ離れになって、倒れて死んでたと。二人とも、黒目が満月みてえにかぁっと開いててよ、足は泥まみれで細かーい傷がたくさんついとったと。

「河童に命さ取られただな」

 村のもんはそううわさしたっだな。

 馬はそれから二日ぐれえして、もとの金持ちの家さ戻ってきたと。太助は馬を盗んだことは言わねかったけんども、わかってしまってよ、遠野にいられなくなって、どこかに行ってしまったんだ。

 どんどはれ。


 *


「ほーう……」

 花子の話が終わると、ざんだ坊主は顎に右手を当て、目を細めた。

「おもしろい話だ。しかしおかしいね。河童は『馬こもらう』と言ったのに、なぜ馬ではなく兄弟の命を取っていったのだろう」

「それがわがんねえから、不思議なんです」

「そうなんだろうがね」

 ざんだ坊主は納得いかないようだった。もうええですかと花子は訊こうとしたが、

「実は、遠野の河童の話は別の友人からも聞いたことがあってね」

 ざんだ坊主はまだ花子を解放してくれそうになかった。

「人間に懲らしめられる話だったなあ。人をあやめるような感じはしなかったけれど」

「はあ」

「それに、もし河童が人を殺すなら、淵に引きずり込みそうなものだが。淵から離れたところで死んでいたなんて変だとは思わないかね」

「だども……ミチばあが話してたんです」

 なんなのだろうこの坊主は。たかがむかしばなしの何がそんなに気になるというのか。

「たかがむかしばなしに細かいことを言うのはよくないが……、河童の名誉を守れるかもしれない」

 花子の心を読むような言葉に、どきりとする。まさかざんだ坊主は、さとりの力もあるのだろうか。しかし、気になる。

「めいよ、ってなんだべ」

「兄弟の命を奪ったのは河童ではないということだよ」ざんだ坊主はまた、優しく目を細める。「その淵は茶碗の底のような場所だと言ったね?」

「んだ」

「四方がすべて藪の壁のようになっている。つまり、窪地だ」

「くぼち……」

「ここから西に十三里ばかり離れたはなまきには温泉が湧いていて、つい最近、湯治場が開かれたんだ。盛岡もりおかにもつなぎ温泉というのがあるが、岩手は温泉が豊富な地なんだね」

「はあ……」

「温泉は体にいいけれど、有毒ガスに気を付けなければいけない。二酸化硫黄だの二酸化炭素だのいうが、そういう悪い空気を吸い続けるとよくないのさ」

「はあ……」

 化け物の言うことはやはりさっぱりわからない。花子が困っているのを、ざんだ坊主もわかったようだ。

「やあこれは、小難しいことばかりをすまない。実は少し前、童話を書くために火山の専門書をかじったもので、つい。……つまり私が何を言いたいかというとね、こういう悪い空気は普通の空気より重くって、窪地にたまってしまうことがあるということなんだ。そんな場所に人が入るとどうなると思う?」

「……わがんねです」

「初めは気づかないが、だんだんと頭がくらくらしてくる。手足がしびれてしまったときにはもう遅い。気分が遠のいて、そのまま死んでしまう」

 死んでしまうなら恐ろしいことだ。花子にわかるのはそれくらいだった。

「太助はきっと、他の二人よりも体が強かったのだろう。河童を見たというのも、呼吸が難しくなって混乱したからではないだろうか。まだ体が動くうちに死の窪地をい上がることができたから助かったのだよ」

「はぁー」

 わからなかったが、とにかく感心しているのだということは伝えたかった。この坊主、いろいろなことを知っている。花子のむかしばなしを、もっともらしい話に変えてしまった。きっといろんな人からいろんな話を聞いてきたからだろう。

 そんなことを思っていた、そのときだった。

「いくつか、くえすちょんがある」

 背後から声がしたのでぎょっとした。ざんだ坊主とともに振り返り、思わず花子は「あっ」とのけぞった。

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