第5話 襲来

「おい屑鉄。まさかお前、僕に逆らおうってんじゃないよなぁ?」

「そ、そんなこと――⁉」


 ブラックダイヤモンドがこちらを見て否定の言葉を紡ごうとする。


「やっぱり貴方も……」


 それと同時に、彼女は俺に向かって疑いの眼差しを向けてきた。


 どうやらこのタイミングでやってきたあのゴミ屑野郎と俺が仲間で、彼女を嵌めようとしているとでも勘違いしたらしい。


 そんな瞳も可愛いが、だからと言って嬉しいかと言われたら超嬉しいが、もう抱きしめたいくらい愛おしいが……。

 

 それでも駄目だ! あのゴミ屑野郎ぶっ殺す!


「この孤児院、いい加減ボロくなってるし、景観も悪いんだよなぁ。なあ屑鉄、こんなゴミみたいな場所、壊した方がいいと思わないかい?」

「っ――! ごめんなさい! ごめんなさい! なんでもするからそれだけは! ボク、ちゃんと言うこと聞いて負けますから!」


 必死に縋るブラックダイヤモンド。そしてそんな彼女を嘲笑うゴミ屑野郎。なんて最低な光景だろう。


 心の奥底から沸々と湧いて来るこの感情を、俺は知っていた。


 そう……『怒り』だ。


「ふん、そんなのは当たり前なんだよ。しかし今なんでもするって言ったか? ははは、だったら次の試合は裸で会場入りでもするか?」

「ひっ――⁉」

「お前みたいな精霊の裸なんて誰も見たくないだろうけど、遊びとしては悪くないかもね。く、くくく……あーはっはっは」

「おい……」


 汚らしい瞳と声で至高の精霊である彼女を汚した罪――。


「うん? なんだい平民。僕はこの大都市ルクセンブルグの領主の息子で――」

「とりあえず、死んで償え!」

「ブベラッ⁉」


 俺は問答無用でこのゴミ屑野郎をぶん殴る。


 精霊たちのマスターとして、どんな障害でも叩きのめせるように鍛えてきたこの肉体、こんなヒョロヒョロな軟弱者など簡単に吹き飛ばせるのだ。


「……え?」


 ブラックダイヤモンドはなにが起きたのかわからないのか、宝石のような瞳を丸くして驚いている。


 そんな表情も最高に可愛い。この子の裸とか地下労働が決まるくらい大量の借金をしてでも見たいに決まってんだろうが舐めんなよ! 


 そんな彼女をまじまじといつまでも永遠に見つめ続けたいところではあるが、その前にまずはこの男の処分が優先だろう。


「が、あ……あ?」


 頬に手を当てて驚きながら俺を見ているが、汚い瞳でこっち見るな気持ち悪い。


「ふん……それで、なんだったか? 私はゴミです。生きてる価値などないから処分してください、だったか?」

「お、おま……お前ぇ! 僕が誰だかわかってるのか⁉ この都市の領主の息子で――」

「その臭い息をこっちにまき散らすな」

「ブベェ!」


 再び顔を殴り飛ばす。まったく鍛えていないその身体は面白いくらい吹き飛んだ。


 そもそも、こいつの言葉など聞いていない。

 重要なのはただ一つ、俺とブラックダイヤモンドとの大切な触れ合いを邪魔した。だから殴る、それだけだ。


「ブラックダイヤモンド、大丈夫だったか?」

「え? あ、いや……あの?」


 俺の背中越しで彼女が困惑しているのがよくわかる。


 本当はちゃんと振り向いて優しく抱きしめてやりたいところだが、さすがに敵を目の前にしてよそ見は出来そうにない。


「先ほども言ったが、お前に手を出そうとする愚か者は、私がすべて叩き潰してやる。だから私の手を取れブラックダイヤモンド」

「で、でも……ボクが我儘を言ったら、孤児院にはまだ幼い精霊も多いし……」


 いきなりたくさんの出来事が起きすぎて、彼女の頭も混乱しているのだろう。

 それに、問題は相当根強いらしい。


 ブラックダイヤモンドは倒れているゴミ屑を見て、孤児院を見て、そして俺の背中を見て悩んでいる様子だ。

 

 仕方がない。やはりここは元凶であるゴミ屑にはこの世から退場してもらおう。


 そう思って近づこうと一歩踏み出すと、いつの間にかあの男を守るように立ち塞がる紅い髪の女性がいた。


 腰まで伸びた紅く燃えるような髪に、他者をすべて叩き潰そうという激烈な意思。


 それを全方位にまき散らし、こちらに敵意を向けているこの女性は――。


「……見覚えがあるな」

「アマゾネスボルケーノさん……」

「……」


 ブラックダイヤモンドが呟くその名は、この都市における最強の精霊の名前だ。


 鍛え上げられた筋肉は無駄一つなく、俺のようななんちゃって筋肉とは大違いである。


 敵に向けるその視線は苛烈そのもの。


 その名の通り、古のアマゾネスを彷彿させる褐色の肌は太陽光を反射させてとても美しい。


 黒いビキニタイプの服を着て、煌びやかに映るその肉体はまさに眼福ものである。


 エメラルドのようなスレンダーな身体とは違う、大男すら全力で抱擁できそうなその素晴らしい肉体美。


 思い切りダイブしたい衝動に駆られてしまうのも仕方がない。そう、仕方がないのだ!


「ふ、ははは! どうした声も出ないのか⁉ いきなり問答無用に殴ってきやがって! こいつがいる限り、僕は無敵なんだよ!」

「……」


 アマゾネスボルケーノという強い用心棒を得たからか、ゴミ屑が調子に乗り始めた。


 こういうやつは一度徹底的に叩きのめして二度と朝日を拝めないようにしてやりたいところであるが、さすがに精霊が相手では勝ち目はない。


「マスター。ここは私が」

「いや、エメラルド。お前はまだ出なくてもいい」

「……はい」


 俺は一歩、二歩と前に進む。その俺の行動に、エメラルド以外の全員が驚き目を剝いている。


「お、おい⁉ なんでこっちに来るんだよ!」

「なんでだと? 向かわなければ、お前を殴れないだろう?」

「ふ、ふざけるな! いいかこれ以上近づいたらアマゾネスボルケーノに攻撃させるからな! マスターの指示だったら精霊だって人にも攻撃出来るのを、知らないわけじゃないだろ⁉」

「ああ……良く知っているさ」


 精霊は人とは違う。


 かつて魔王が現れ、人の太刀打ちできないレベルの魔物が世界に溢れた暗黒時代に、そんな魔物たちと戦って世界を平和に導いた存在。


 強き力で人類を守る守護者であり、慈悲深い心で人々を癒す天使。それが精霊だ!


 だから、こんな風に誰かを傷つけるために使役するなど、していい訳がない!


 なにより、そんな彼女たちが命令とはいえ人間に攻撃出来るはずがないのだ!


「な、なんだよお前っ――⁉ くそ、ボルケーノ、やってしまえ!」


 俺が前に進んだことでビビったのだろう。ゴミ屑がアマゾネスボルケーノに指示を出す。


 瞬間、とてつもない殺気と共に彼女の剛腕が俺を叩き潰そうと迫る。


 見た目はパワータイプで少しスピードに難がありそうだが、実際は普通の人間では反応することが難しいほどの速度。


 こんな攻撃が当たれば、人間なんてひとたまりもないに違いない。


 まあだけど大丈夫。俺にはエメラルドがいる。


 こういうとき彼女は俺をいつも守ってくれて……ところで結構遠くにいるみたいだけど間に合わなくない?


 迫るアマゾネスボルケーノの拳。


 なんか「ご主人様なら大丈夫」とか信頼した瞳でこっちを見ながら一歩も動く気配のないエメラルド。


 あ、俺死んだ……。


 い、いやだ―! まだ精霊ハーレム作ってない! イチャイチャしたい! エチエチしたい! 死にたくなーい!


 そう心の中で叫びながら絶望した俺に攻撃が当たる瞬間、アマゾネスボルケーノの腕がピタリと止まる。


「すげぇなアンタ。アタイの攻撃を目の前にして眉一つ動かさないたぁ……なんて胆力だ」

「……ぐ、なんなんだよお前! そりゃあ当てたら殺しちゃうから当てないさ! だけど普通、精霊の攻撃が目の前に迫ったらビビって情けない姿を見せるだろ⁉ なんでそんな余裕なんだよ!」


 完全にビビッて固まっていた俺に対して、アマゾネスボルケーノとゴミ屑野郎がなんか言ってる。


 正直何が起きたのか理解してないが、とりあえず……。


「ふっ……」


 ちょっと自信ありげに笑っておこう。これまでの経験上、だいたいこれで解決することを俺は知ってるのだ。


 まあ、これすると後で何かしら厄介ごとが起きるのだが、それは明日の俺に任せよう。いつもそれで上手くいくし。

 

 よし……頑張れ明日の俺。

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