第2話 マンドラゴラの訪い

|その日、保育園の保護者会は紛糾した。私もその目撃者のひとりだった。

 

きっかけは、議長が何の気なしに発言した一言だった。

「――昨日、園庭にマンドラゴラが育っているのを、保育士さんが発見しました。そのため、今日は子どもたちに園庭に出ないように指導しています。マンドラゴラは、おそらく明日には駆除されるそうです」

 

 議長は、なんでもないただの報告として終わらせようとしていた。しかし、それで済むはずはなかった。居合わせた母親や父親たちの間で、動揺がさざなみのように広がっていく。

 「……マンドラゴラだって?」「危険じゃない?」「どうしてそんなものが街中に」「明日?間に合うの? うちの子が間違って引っ張ったら……」


 真っ先に手を上げたのは、私の隣に座っていたお母さんだった。きっと議長を睨みつけ、叫ぶように発言した。

 「そういった緊急で重大な事項は、ひとつの議題として、このあとすぐ議論すべきです!」


 前に座っている、議長や他の役員のお母さん方は顔を見合わせている。おそるおそるといった調子で、副議長がマイクをとった。

 「……申し訳ありませんが、現在時間が押しております。すでに処理されると決まっている案件については時間をさく必要がない、と執行委員は判断いたします。このあとは、『園の古くなったピアノについて、保護者会としてどのような支援をする必要があるか』について、お時間を頂戴したく……」


 「子どもの安全についてはどうでもいいのか!」と、後ろの方から男性の声で野次が飛んだ。釣られるように、そうだそうだの声が上がっていく。声が大きくなり始め、ホールの天井を揺るがすほどになった時、再び副議長がマイクを取った。

 「それでは、予定を変更いたしまして、『園庭に生えたマンドラゴラをどうするのか』について話し合いたいと思います」


 同じクラスのたつや君のお母さんが、はい、と手を上げ、マイクを待たずに大きな声で「すぐに取り除いてください。今日この後、すぐに」と言った。その発言に、大きく拍手が広がっていく。


 しかし、さっき発言したお母さんと逆側、私の左隣に座っているお母さんが、ぽつりと呟いたのを、私の耳が捉えた。え。でもマンドラゴラって、すっごいレアなんじゃなかったっけ。


 役員の人たちは難しい顔をしている。しばらくして議長が発言した。

「安全性の観点からは、仰る通りです。しかし、マンドラゴラは絶滅危惧種I類にあたるため、駆除や移動に対しては市に届け出が必要となっているのです。その返答を待ってからでないと、勝手に処分してはいけないルールとなっています。おそらく、今回の場合には明日には許可が出るであろう、と判断して、明日駆除する予定であると申し上げました」


 保護者の間で再び動揺が広がる。「じゃあ明日以降になる可能性もあるってこと?」「その間どうするんだ?もし子どもが触ったら……」「早くなんとかしてほしいのに……!」


 その動揺の中、はい、と手を上げたお母さんがいた。私も時々挨拶するお母さんだ。悪い人ではないのだけれど、少々、こうなんといっていいか、地味なのだけどなにか浮いている感じのする人だ、と思っていた。挙手を当てられて、そのお母さんが発言する。

 「こんな時に非常識だとは思うのですが、もし駆除までに時間があるのなら、子どもたちに見せてあげるといいんじゃないかと思います。絶滅危惧種を間近で子どもに観察させるチャンスは滅多にないと思います」


 案の定、何を非常識な、という空気がホールにみなぎった。諭すように、別のお母さんが語りかける。

 「とても危険なのよ。分かっているの?」

 「柵で囲ったり、ガラスで覆ったり、やりようはあると思います。マンドラゴラは絶滅危惧種であるだけでなく、薬効も高く、人間にとって非常に貴重で有益な植物です。子どもたちの環境教育の一環として……」


 「バカなこと言わないでよ!」と、一番最初に発言した、私の隣のお母さんが、感情もあらわに叫んだ。

 「子どもなのよ!?考えたらわかるでしょ!どんな手をつかっても引き抜くに決まってるじゃない!そしたら叫び声で死ぬのよ!?」


 真ん中の列のお父さんが、はい、と挙手をした。「マンドラゴラを教えること自体には、僕は賛成です。ただ、教える方向性はあるかなって」と言葉を区切り、

「危険なものを『危険である』って教えること自体は重要なんじゃないかな、と思います。包丁やナイフが、便利だけど危険だよ、って教えるのが大事なように」と続けた。


「子どもに下手に知識なんか与えたら、悪用するだけじゃないか」と、別のお父さんが挙手を待たず大きな声で発言した。


 議論はなおも続いていく。私は、自分だったらどう考えるかな、と思いを巡らす。自分の家だったら、息子の目につかないうちにこっそり引き抜いて(届け出もせずに)、どこかに捨ててしまうかもな、と思ってしまった。さすがにそんなこと、この真面目な議論の中で言えるはずもない。


 突然、ホールの扉が音を立てて開けられ、保育士さんが駆け込んできた。

「マンドラゴラ、いなくなっちゃいました!」

 ホールがしん、と水を打ったように静まりかえる。どういうことだ? とおそらく誰もが思っている。保育士さんは言葉を続けた。

「自分で土の中から出て、歩いてどこかに行っちゃったみたいです」


 その瞬間、ホールの緊張がどっと解けた。

「2日で成熟するんだ。知らなかった」「早いねー」などの声がちらほら上がる。

 皆の安堵の中、保護者会の議題は当初の予定通り古ピアノの話へと移り、珍しく紛糾した保護者会も、最終的にはつつがなく終了した。


 その後しばらくの間、「しらないくさはさわらない」のポスターが園の中に貼られることとなり、マンドラゴラの件は収束した。ただ心配性な私は、時折、成熟したということは、種はどうなったのかな、大丈夫かな、と思い出しては一人気を揉むことがある。


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