【十二章】諦めにも似た姿に「それ以上喋らずに死ね」と告げることにした

「ぐっ、この私としたことが、遊民に不覚を取るとは……ッ」

 戦闘職の紋章を持つ者と、その他の紋章を持つ者は、戦闘能力に大きな差があることは比べるまでもない。神々によって予め定められているのだからな。しかしながら、何もかもが確定しているわけではない。紋章の種類で相手の力量を判断するのは間違いだ。

「まだやるか」

 地に頬をつけ、身動きできない状態のダーガに、問い掛ける。傷口はそれほど深くはないだろうが、今ここで戦闘行為を続けるのは困難なはずだ。それを理解しているのか、ダーガは表情を歪めながらも息を吐き、目線を上げる。

「上には上がいるということか……」

 歪めていた表情に、少しずつ変化が訪れる。

「……貴様を殺したいのは山々だが、どうやら今の私には無理のようだ」

「賢明な判断だな」

 素直に負けを認めたダーガは、眉間にしわを寄せる。

 力を振り絞ったのだろう、体勢を変えて仰向けになった。

「遊民、……名前を教えろ」

「さっき言っただろ」

「殺す相手の名前など、一々覚えるつもりはないものでな」

 だと思ったよ。

 痛みに顔を歪めてはいるものの、既に殺意は無くなっている。今なら忘れずにいるはずだ。

「アルガだ」

「覚えておこう……」

 聖銀の鎧を身にまとうダーガは、僅かに口角を上げる。そう言えば、兜はどこに転がって……。

「あらあら? 金魚の糞に負けるだなんて、だらしがないのねぇ?」

 ナルディアの声に気付き、振り向く。一対一でムニムと戦いながらもこちらの戦況を見ていたのか。

 目の前の敵に集中していたので気付くのが遅れたが、どうやらムニムが劣勢のようだ。

 戦闘能力に関しては、ムニムの方が上なのは確かだろう。だが、いつから増えたのか、ナルディアの傍には鎧を着た兵士が二人。俺の勘違いでなければ、あれはワルドナ国の兵士達のようだが……。

「操ったのか」

 奴は禁忌魔法を扱うことが出来る。

 ということはつまり、牢獄を守る兵士を操り指示することも不可能ではない。

「この子達は、わたくしの壁役になってもらう為に活かしておいたのよぉ、うふふ」

 なるほどな、通りでムニムが攻めあぐねているわけだ。

「うぬぅ、卑怯な手を使いおって……ッ」

「あらあら? 本当に卑怯なのは貴女の方じゃない、ムニム? わたくしの弁明に耳を傾けてもくれなかったくせにねえ?」

 くつくつと笑いながらも手を翳し、新たな魔法陣を描き出す。

 ムニムほどの実力者であれば、詠唱する時間も与えることはない。けれども、ワルドナ国の兵士達が盾になっているので、攻撃手段が限られているらしい。

「ほらぁ、さっさと死になさぁい?」

 魔法陣を描き終えたナルディアは、光り輝く球体を解き放つ。向かう先はムニムではなく、この俺だ。ダーガが倒れされたことによって、戦況は大きく変わる。盾として操る兵士が二人いるものの、俺が加勢に入ることで、打破することが可能となることを理解しているはずだ。

 それ故の牽制なのだろう。しかし、

「――ッ!?」

 魔法陣から放たれた球体は、ナルディアの指示に従うように動き回り、方向転換する。

 不意を突き、新たな目標へと向かっていく。それはミールだ。

「ふえええっ!! なんでこっちに来るんですかあああ~!!」

 ミールの傍には、ルノとクーがいる。少し離れた場所に隠れてもらっていた。

 だが勿論、攻撃は通らない。

「無駄じゃ!」

 攻撃魔法で相殺を試すミールの前に、彼女達の周囲を透明な壁が覆い尽くす。これはムニムが扱うの防御魔法だ。防御壁に直撃した球体は掻き消え、事なきを得る。

「ちょっ、急に壁作らないでくださいですう!!」

 だが、ムニムに助けられた形のミールが抗議の声を上げる。

 自身も詠唱し魔法陣を描き出しており、放つ寸前だったので、一歩間違えば壁の内側にぶつかるところだった。けれども、ムニムは返事をせずに再び魔法陣を生み出し、真っ赤な矢を具現化する。兵士達の間を潜り抜けるように命じ、射るが……。

「ダメよぉ、この子達が死んでしまうじゃないの、うふふ」

「ぐぬぅ」

 ナルディアを守るように、兵士達が壁を作り上げる。

 結局、ムニムが放った矢は急激に速度を落とし、強引に地面へとぶつけることになってしまう。

「人質がおると面倒じゃな……」

「安心しなさぁい、この子達は時期に死ぬから」

 ムニムの愚痴に、ナルディアが返事をする。直に死ぬとはまさか……。

「この子達の体の中にはねえ、卵がタップリ入っているの! あはははっ」

「ナルディア、お主……ッ」

 卵とは、目玉型の魔物のことを指している。初めから彼等を殺すつもりで操っていたわけか。

 しかしだからといって、同じ国に属する兵士達を攻撃出来るようになるわけではない。ムニムには出来るはずがないと、ナルディアは踏んでいるのだろう。

 だが、ナルディアの策はこれだけでは終わらない。

「勿論、この子達だけじゃないわ。そこに転がってる、だらしない男の中にも入っているのよぉ」

「……貴様、今なんと言った」

 俺の足下には、仰向けのまま身動き一つ取れないダーガがいる。体を動かすことは出来なくとも、耳で聞くことは可能だ。そして口を動かすことも。その台詞に目を見開き、ダーガは口を開いた。

「あらあらぁ? 気付いていなかったのかしら? ダーガ、貴方は最初からわたくしの目的を果たす為に選ばれた駒の一つにすぎないのよぉ」

「私が……貴様の、駒だと……?」

「ええ、そう。だってほら、貴方って【使役師】じゃない? ドローマンを使って国に侵入することが出来るし、駒には打って付けだったのよねえ」

 まさか、いやしかし、と。ダーガが瞬きを繰り返し、息を荒くする。

「ふふふふぅ、言っておくけど、わたくしに逆らおうとしても無駄よぉ。だってわたくし、貴方のことも操っているもの」

「私が操られているだと……? 何を馬鹿なことを……」

「自覚がないのが、この力の恐ろしいところよねぇ? それじゃあほら、思い出させてあげるわぁ」

 ナルディアが、笑いながら指を弾く。直後、ダーガが苦しみ始めた。

「が、がっ、なん……だ、これは……ッ!!」

「せっかくだから、昔話もしてあげる。ムニムと金魚の糞に、わたくしのことをたくさん知ってもらう為にねえ……くふふっ」


     ※


 ナルディアは、ワルドナ国の生まれではない。隣国エイジェールの出だ。

 神々より与えられし紋章は【光術師】であり、光属性の魔法を得意としていた。

 エイジェール国では、魔術師としての才能を持つ者は、物心つく前に徴兵され、お国の為に尽くす決まりとなっている。ナルディアも例外ではなく、エイジェール国の為に、幼い頃より魔術師としての腕を鍛える日々を送っていた。

 同世代の魔術師の中では頭一つ抜きんでた存在のナルディアは、将来を羨望されていた。

 ナルディアもまた、お国の為に強くなり戦うことを何よりも望むようになり、己の置かれた境遇に満足していた。しかし、それも長くは続かなかった。

 エイジェール国は、モアモッツァ大陸の国々の中でも特殊な存在であり、他国との関わりを持たない。国交は断絶状態であり、外に情報が漏れないように徹底している。

 理由は一つ。世界的に禁止された魔法――禁忌魔法に手を出しているからだ。

 古くから伝わるものに始まり、ここ最近になって新たに生み出されたものや、魔族が行使した複数の魔法陣を元に組み合わせたものなどなど……。

 エイジェール国の研究は、かつての魔王がゴルゾア大陸を支配していた時代にまで遡る。

 近年。エイジェール国は、とある禁忌魔法の情報を掴んだ。それこそ、ナルディアが手に入れたものである。ワルドナ国が所有する禁忌魔法を手中に収める為に、エイジェール国は当時十歳にも満たないナルディアに一つの命を出す。隣国ワルドナへと潜り込み、足場を固め王族に信用されるほどの地位を得ること。そして禁忌魔法の書物が治められた区域に立ち入る権限を得ること。

 それから僅か五年。

 命を受けたナルディアは、ワルドナ国の魔導騎士団の一員として認められるまでに成長した。

 更に二年の間に、ナルディアは魔導騎士団の総隊長を暗殺し、空いた席に収まった次の総隊長も事故に見せかけ、死へと追いやった。

 その結果、ナルディアは遂に魔導騎士団の総隊長の座を手に入れる。

 空いた団員の席には、新たな魔術師が収まった。その人物こそ、【無術師】の紋章を持つムニムなのだが、当時のナルディアは気にも掛けていなかった。

 全ては、エイジェール国の為に。全ては、禁忌魔法の情報を手にする為に。だがしかし、いつしかナルディアはワルドナ国での暮らしに満足し、エイジェール国への信仰心を失っていた。

 やがて、エイジェール国との接触を断つことを決める。ワルドナ国の民として生きて行く道を選んだのだ。けれども、ナルディアは知らなかった。共にワルドナ国へと潜り込んだ者達がいることを。

 そして彼等がナルディアの裏切りを許しはしないことを……。

 当初の目的を速やかに遂行すること。それが出来ないのであれば、ワルドナ国側に正体を明かすことになるだろうと、彼等はナルディアの前に姿を現し、釘を刺した。

 今の暮らしを捨てたくはないが、エイジェール国の監視の目を誤魔化すことは出来ない。魔導騎士団の総隊長であり、信頼される地位を得ることは出来たが、ワルドナ国の民の誰にも相談することが出来ない。裏の顔は常に孤独なのだ。

 だとすれば、ナルディアに残された道は一つだけ。禁忌魔法の情報を手に入れ、エイジェール国へと提供する代わりに、ナルディアは我が身の解放を求めることにした。

 取引に応じたエイジェール国は、ワルドナ国に潜り込んでいた者に命を出す。ナルディアから禁忌魔法の情報を受け取り、国へと持ち帰るようにと。

 その者は、幼い頃よりワルドナ国の民として潜り込んでおり、競売所の司会進行役の案内人を任せられるまでになっていた。魔導騎士団の総隊長と言葉を交わすことも不自然ではなく、役目を果たすには十分な立場と言えるだろう。

 それから暫くは何事も無く時が流れた。しかし、取引を持ち掛けてから半月が過ぎた頃。

 立ち入り禁止区域へと足を踏み入れたナルディアは、目的の物を手にすることが出来た。だが同時に、禁忌魔法について記された呪文書のページを捲り、その内容を瞳に映し込み、心に変化が訪れる。

『くふっ、くふふふふ……ッ』

 この世には、こんなにも素晴らしい魔法があったのかと。

 これをエイジェール国に提供する必要はあるのだろうかと。――否、必要ない。

 この情報は自分だけのものにするべきだ。禁忌魔法を扱えるのは自分だけでいい。

 記された内容を目にして頭の中で呟いただけなのに、思考は定まらなくなっていく。これは自分の為に存在する魔法なのだと思い込まされていく。目にした瞬間から心動かされ、得体の知れない何かに魅了されているような気分になっていたが、もはやナルディアには何も考えることは出来なかった。

 ナルディア自身、己の変化には気付いていた。だとしても、決して抗うことの出来ない強い力を感じ取っていた。そして、ナルディアはそれを全て受け入れることを決めた。

 禁忌魔法の情報を得たナルディアが、立ち入り禁止区域から出てくる姿を確認し、競売所の案内人を任されている男が歩み寄る。しかし、ナルディアが何も手にしていないことに気付いた。

 そのことについて訊ねようと、男が口を開き掛けるが、ナルディアを止めることは出来ない。

『禁忌魔法なら、わたくしの頭の中に入っているわぁ。欲しいなら取ってみなさぁい?』

 鼻先が触れ合えるほどの距離まで近づいたかと思うと、一切躊躇うことなく、禁忌魔法を行使する。

 男は抵抗することも出来ず、ナルディアが行使した禁忌魔法の餌食となってしまった。

『これで貴方はわたくしの操り人形よぉ……』

 ナルディアが習得した禁忌魔法は、他者を自由自在に操ることが出来るものだ。対象となるのは人間のみだが、数に制限はない。国一つを丸々乗っ取ることも可能とする恐ろしい魔法だ。この力を扱うことで、エイジェール国を支配下に置き、何者にも怯えず、自由に暮らしていくことが出来る。

 ワルドナ国内でそれなりの地位を得て、更には禁忌魔法をも手に入れた今、恐れるものは何もない。

 ナルディアは胸が満たされていくのを感じていた。

 だがここで、想定外の出来事が一つ。禁忌魔法を行使した瞬間を、第三者に見られていたのだ。

『総隊長殿、こんなところで一体何をしておるのじゃ……?』

 その人物とは、魔導騎士団の一員であり、ナルディアの部下でもある、ムニムであった。

 禁忌魔法の対象となった案内人は、その力がどのようなものか知らない。故に、形の無い恐怖に身を晒しているとでも思ったのだろう。

 ナルディアに命じられる前に、ムニムへと助けを求める。立ち入り禁止区域からナルディアが出てくるのを目撃したら、殺されそうになったのだと。

 もはや禁忌魔法を得ることを諦め、己だけが助かる道を選択したということだ。

 その言葉を信じたムニムは、問答無用でナルディアを拘束する。暫しの間、ワルドナ国で平穏な暮らしを送るつもりであったナルディアにとっては、それは思わぬ事態であった。ムニムを言い包めることはできないかと考えたが、その隙を突かれてしまったナルディアは、抵抗することも敵わずに捕らえられてしまった。口惜しげな表情を浮かべ、ムニムへと許しを乞うが、当然聞く耳は持たない。

『残りの人生は牢の中で過ごすんじゃな』

 結局、ナルディアはムニムの手によって捕まり、魔導騎士団の総隊長の座を剥奪され、ワルドナ国の南西部の山岳地帯に作られた牢獄へと投獄されることとなった。

 ムニムの活躍により、事件は解決し、収束するかに思われた。だが、忘れてはならない。

 競売所の案内人の男が、既に禁忌魔法を行使された後だということを……。

 牢獄内部は、エイジェール国の為に身を捧げ捕まった者達で溢れており、見知った顔もチラホラとあった。その中でも特に目を引いたのが、エイジェール国で英雄とまで呼ばれた強者――ダーガだ。

 ダーガは【使役師】の紋章持ちであり、人間に化けたドローマン達を率いて、敵対する国々や、その支配下にある町村を内部から破壊する戦法を得意としていた。

 しかしながら、あまりにも鮮やかすぎる戦い方に恐れを抱いたエイジェール国は、裏切られた時のことを考え、従順なうちにダーガを切り捨てることを決めた。

 ある時、ワルドナ国を内部から落とせと命じられたダーガは、ドローマンを率いてワルドナ国へと向かう。しかしながら、エイジェール国はダーガを始末する為に、当時ワルドナ国で魔導騎士団の一員として活躍していたナルディアに裏で情報を伝え、始末するように命じていた。

 だからか、ダーガはワルドナ国に入国することも叶わず、待ち構えていた魔導騎士団の面々によって、一網打尽にされてしまう。

 奇しくもその時、ダーガを拘束した人物こそ、ナルディア本人であった。

 ダーガは、ナルディアのことを知っていた。故に、エイジェール国に裏切られたことを悟る。

 また原因は異なるが、ナルディア自身もエイジェール国とは手を切ることになってしまった。

 そして再び、ナルディアとダーガは出会う。ワルドナ国が用意した牢獄の中で……。

『その顔は忘れもしない。この私を嵌めた女だな』

『あら、よかったわぁ。貴方まだ死んでなかったのねぇ』

 ナルディアは、エイジェール国に従う輩に裏切られたことを話した。

 己が置かれた境遇を隠すことなく伝えると、ダーガに手を組もうと話を持ち掛ける。脱獄した後、ワルドナ国とエイジェール国を落とすから協力してくれ、と。

 しかしながら、ダーガはそれを断った。牢獄へと追いやった張本人に、協力するつもりなどない。

 では、と。最後の隠し玉として取っておいた禁忌魔法についても口を開いた。この力さえあれば、ここから脱獄することも可能だと。そして母国に復讐することも不可能ではないと。

『魅力的なお誘いだが……やはり私は貴様を好きにはなれないな。手を組むことはないだろう』

『だと思ったわぁ。だって貴方、どこからどう見ても堅物なんですもの。うふふ』

 どのような返事が来るのか、初めから予想していた。けれども、せめてもの情けとして、声を掛けてやったのだ。だからこそ、有無を言わさず従わせる。その為の手段は既に取得済みだ。

『逃げ場はないわ。ここは牢獄だものねぇ』

 必ず、その時は訪れる。ダーガが隙を見せた時が、終わりの始まりだ。

 それまでの間は、ここで大人しくしておこう、と。

 ナルディアは、ダーガ等と共に獄中生活を送ることになった。

 それから半年が過ぎた頃、勇者ジリュウの装備が競りに出されることを、競売所の案内人経由で知る。ダーガの気を引き油断させるには十分すぎるほどの代物だ。

 案内人は、禁忌魔法の対象となった後、暫くは放置されていた。だが、既に発動済みであり、これは呪いの一種でもある。解呪しない限りは永遠に囚われ続ける呪いだ。

 一度でも発動すると、対象者はいついかなる時もナルディアの意思によって強制的に操ることが可能となり、対象者の目を通じて別の空間を見ることや、口を通じて言葉を交わすことも出来る。但しこれは、対象となった人物の中でも一人に限られていた。それもそのはず、三桁や四桁を超える人数の目や口を同時に操ることなど、一人の人間には到底不可能だからだ。

 再び、ナルディアは取引を持ち掛ける。

 聖銀の鎧兜を提供することと脱獄を条件に、力を貸してほしいと。

『勇者ジリュウの装備か……その話が事実だとすれば、協力せざるを得ないだろう』

 聖銀の鎧兜を切っ掛けに二人は手を組む。そして脱獄を計った。だがこの時、ダーガは隙を見せてしまう。禁忌魔法を扱うことが出来るナルディアを前に油断していたのだ。

 その夜、競売所の仕事を終えた案内人の男は、ナルディアに操られて牢獄へと向かう。そこで予め準備しておいた目玉型の魔物の卵を一斉に孵化させ、ワルドナ国の兵士達に奇襲を仕掛ける。

 ダーガの助言により、その日のうちに、ナルディアは案内人の男を操り、目玉型の魔物の卵を数え切れないほど飲み込ませていたのだ。

 目玉型の魔物は、魔力の流れに反応し急成長する。その結果、見事奇襲は成功し、牢獄の扉を開錠してみせた。そこから先は、囚人達の独壇場だ。

 エイジェール国の為に働き捕まった者達を率いる二人は、ワルドナ国の兵士達を一人また一人と亡き者としていく。やがて、ナルディア達は自由の身となった。

 二人は人間に化けたドローマンと囚人達を引き連れ、行商人の一団を装い、ワルドナ国へと向かった。国内に入るには門番兵の目を誤魔化す必要があるが、彼女達は元々騒ぎを起こす為に訪れたので、誤魔化す必要などない。門番兵が荷台のほろを捲り、積み荷の確認を行なう隙を突き、隠れていたナルディアとダーガが背を取り、彼等をあっさりと殺してみせた。

 ここでナルディアとダーガは別行動を取る。ナルディアは第一区画へと移動し、区画の外れにある小さな屋敷へと忍び込む。室内に居たのはロアーナだ。

 そこはロアーナ所有の秘密の屋敷である。週に一度、ロアーナは侍女を一人付き添わせ、足を運び寝泊まりしていた。当時まだナルディアが魔導騎士団の総隊長を務めていた頃、ロアーナの行動が気になり、あとをつけたことがある。そして、ナルディアはロアーナの秘密を知る。

 屋敷内は、ムニムグッズで溢れていた……。

 つまりそこは、ロアーナが一人で楽しむ特別な空間だったということだ。

 今宵は丁度、その日である。これも予め調べておいたことだ。

 ナルディアは屋敷へと忍び込み、まず侍女の息の根を止めた。次いで、ムニムグッズに囲まれて幸せそうな寝顔を晒すロアーナに禁忌魔法を行使する。その理由はただ一つ。ロアーナを操り、第一区画の貴族街に住む者達を集める為だ。ロアーナの命とあっては、誰も逆らうことは出来ない。故に、夜明け前にもかかわらず、貴族集会を開かせることに成功した。

 一方、競売所へと向かったダーガは、囚人達に命じ、出品物を根こそぎ奪い取り、荷馬車へと積んでいく。そのまま、ワルドナ国外へと逃がすことに成功した。途中、遭遇した競売所のスタッフ達にドローマンをけしかけ、助けを乞う間もなく殺していく。

 だが、騒ぎが大きくなってきた。残ったドローマン達に、派手に暴れるように命じた後、ダーガは競売所の外に出ようと試みるが、ここで思わぬ事態に遭遇する。競売所内にアルガとムニムが到着してしまったのだ。

 使役するドローマンを全て破壊されたダーガは、アルガが持つ剣に興味を抱き、二人の前に姿を見せた。だが、剣を奪い取る前に、ロアーナを操ることに成功したナルディアが姿を現し、その場を去ることとなった。

 その後は、アルガとムニムが経験した通りだ。

 王城の一室に何も疑わず集まり始めた貴族達に、目玉型の魔物の卵入りの飲み物をロアーナに振る舞わせ、僅か数時間で王都中の貴族を一網打尽にしてみせるのであった。


     ※


「うふふふ、面白い話だったでしょう? これがわたくしの真実なのよぉ」

「全く笑えない話だが……一つ聞きたい」

「あら、なにかしら?」

 ナルディアの長話に付き合ったことで、此度の動機は理解した。

 ムニムに対する嫉妬だけが原因ではなく、ナルディアの母国――エイジェール国への恨みと、禁忌魔法に対する独占欲が、事の発端ということになる。

 ナルディアとエイジェール国の仲が悪いということはつまり、奴らが盗み取った競売所の出品物は、エイジェール国の手に渡ったわけではなさそうだ。どこか安全な場所に隠している可能性が出てきた。

 しかし、それとは別に気になることが一つ。

「ナルディア、お前は俺の出品物を取引の道具として利用したのか」

 競売所の案内人はナルディアに操られていた。それはつまり、ナルディアは出品物の順番や演出等も自由に指示することが可能であり、俺が出品登録した聖銀の鎧兜一式を落札出来ないように仕向けるのも不可能ではないということだ。ダーガの協力を取り付け、油断を誘う為だけに、俺の出品物が利用されたのであれば、到底許せる話ではない。こいつ等が裏で暗躍した結果、俺は金の工面が出来なくなったのだからな。

「だって仕方ないでしょう~? 勇者の装備に興味を示したんだもの。ねぇ?」

「思った通りか」

 実際に、ダーガが聖銀の鎧兜を身に纏っているのが動かぬ証拠だ。

「ぐっ、……ナルディア、貴様あああぁ」

 とここで、話を聞いていたダーガが怒りを露わにするが、ナルディアは鼻で笑う。

「金魚の糞の始末は貴方自身に任せて上げたのに、使えない男は大嫌いよぉ。だからダーガァ、これから先は、わたくしが貴方を操ってあげるわぁ」

「な、ナル……ディ……」

 名を口にすることもできず、ダーガは目を見開いた。

 かと思えば、何事も無かったかのように立ち上がり、再び剣を構える。

「立ち上がれるはずが……」

 先ほどまで、ダーガは身動き一つ取れなかった。それなのに今はどうだ?

 重傷を負ったのが嘘のように平然とした表情を浮かべているではないか。

「当然よぉ。だってわたくしに操られている間は、痛みなんて感じないものねぇ」

「ナルディア、お主は人としての道を踏み外しとるようじゃな……」

「あら? 貴女に言われたくはないわねぇ。あの時貴女がわたくしの話に耳を傾けてくれていたら、もっと別の未来が待っていたはずだもの」

「お主が支配する世界とでも言うつもりか」

「うふふ、さあどうかしらね?」

 ダーガの体は悲鳴を上げている。今のまま動けば、待ち受けるのは確実な死だ。

 けれども、ナルディアが行使する禁忌魔法は反則技だ。たとえダーガを気絶させたとしても、禁忌魔法の対象となっている時点で関係ないのだろう。恐らくは、死体すらも操ることができるはずだ。

 だとすれば、することはただ一つ。

「ムニム、こいつを生かしてはおけない。……いいか」

「……うぬ、残念ながら同意見じゃ」

 ダーガの体が限界を迎える前に、蹴りをつけよう。

 全ての元凶――ナルディアの首を獲り、決着をつけるのだ。

「さあ、死へのカウントダウンの始まりよぉ」

 陽が落ち始めた山岳地帯の中腹に、真っ赤な塊が姿を現す。ナルディアは己の体を炎で纏い染め上げていく。魔法の詠唱に失敗し、自らが炎の餌食になったかのように錯覚させる光景だ。

 しかしながらよく見てみると、赤々と揺れ動く炎の中心に不敵な笑みを浮かべたまま佇んでいるではないか。炎は次第に形を変え、渦を巻いていく。これでは迂闊に近寄ることも出来ない。

 だが、のんびりと策を考えている暇はない。ダーガは問答無用で斬り掛かってくる。

「ムニム、援護を頼む」

「任せるのじゃ」

 互いに呼吸を合わせ、ナルディアの左右へと回り込む。ムニムの魔法攻撃で隙を作るか、それともホルンの剣で風を生み出し、炎の渦を弱めるか。

「うふふ、金魚の糞が何をしても無意味なのよぉ!!」

「――ッ、アルガッ!!」

 瞳に映る景色の全てが赤に変化する。魔法を行使する際、詠唱を必要としていたはずのナルディアが、無詠唱で魔法陣を生み出したのだ。一瞬のうちに、両手に直径二十センチほどの炎の球体を具現化し、俺とムニムに片方ずつ、動作も無く解き放った。

「ぐっ」

 動きを止め、その場にしゃがみ込む。炎の球体は俺の頭上を通り過ぎ、地面へと激突する。

 これが、禁忌魔法が持つ本来の力か……ッ!!

 今のナルディアは【光術師】というよりは【火術師】だ。

 ムニムへと放たれた分は、水の壁に衝突して掻き消えたらしい。瞬時に判断し、壁を生み出すムニムは、さすがとしか言いようがない。

 しかしこれはまずいな。左右に散ってもお構いなしの攻撃手段を可能としたらしい。

「ちいっ、お主まさか、今まで実力を隠しとったのか!?」

「あはは、ムニムは間抜けねえ。そんなわけないでしょう? これは禁忌魔法の力なのよぉ」

 ケタケタと笑うナルディアは、再度、炎の球体を生み出す。それも二つではなく、無数に……。

「禁忌魔法を扱うようになってから、不思議と力が沸いてくるようになったのよねぇ……。これもわたくしの才能なのかしら? うふふふ」

 ナルディアを中心に一周し、俺とムニムが合流する。

 痛んだ体を動かしながら襲い掛かるダーガは、【使役師】の能力を行使したのだろう。周囲に潜んでいた岩石蟻以外の魔物達がわらわらと姿を現し、俺達の傍へと近づいてくる。

「くそっ、邪魔だ!」

 ホルンの剣を勢いよく振るい、風を巻き起こす。操られているのが原因か、【使役師】としての能力が落ちているのだろうか、魔物達は抗う術もなく、遠くへと飛ばされていく。

 だが、ダーガ自身は別だ。悲鳴を上げる体を酷使して、俺目掛けて距離を詰めてくる。

「――くっ」

 影を重ね、俺とムニムに斬り掛かるつもりか。ナルディアに気を取られていたムニムの反応が一瞬遅れるが、襲い来るダーガの刃をホルンの剣で受け止める。

「すまぬっ」

 すぐに体勢を整え、ムニムは左右の手の平を開いて二つの魔法陣を描き出す。

 水で作られた塊が勢いよく噴射し、ダーガの体を強引に圧していく。

「ど、退け……貴様は邪魔だ……標的は、アルガのみ……」

「断るのじゃ!」

 操られながらも俺のことを覚えているのか、ダーガが俺の名を口にする。

 けれども、はいそうですかと頷くつもりはない。だが、

「むうっ!」

 今度は俺が気を取られすぎたらしい。ナルディアが無数の炎の球体を具現化し、解き放ってきた。

「わしの後ろに隠れるんじゃっ!!」

 即座に水の壁を生み出すムニムだが、数が多すぎる。何発もの炎の球体が水の壁にぶつかり掻き消えていくが、やがて限界を迎えてしまったのだろう。水の壁に穴が空き、残り一つとなった炎の球体が貫通し、ムニムを標的に定める。

「ぐあ……ッ」

 肩を引き、ムニムとの立ち位置を入れ替えると同時に、地面に伏した。ムニムの体に覆い被さり、炎の球体を背に受け止める。炎が背に燃え移り、体力をじりじりと削っていく感覚に襲われる。

「お主ッ、何故わしを守って……ッ」

「仲間だからに決まってるだろ、ぐうっ」

 とっさの判断に一々思考を巡らせ返事をする暇はない。

 目の前に迫る脅威を取り除かなければならないからな。

「だ、大丈夫なのかっ、アルガッ!?」

「ああ、大事ではない……ッ」

 炎は勢いを失い、すぐに消えた。我が身の状態を確かめてみる。炎に焼かれた背中が悲鳴を上げているが、今はそれどころではない。目の前の敵に意識を集中しろ。

「あらぁ、さすがは金魚の糞ねえ? 金魚の身代わりになるだなんて、わたくし、焼いちゃうわぁ」

「ほざいてろ」

 クスクスと感情のない笑い声を上げ、俺とムニムの様子を観察している。余裕綽々といった様子だ。

「でもぉ、あっちの役立たずは避けられなかったみたいねぇ?」

 その台詞に、慌ててルノとクー達が隠れる場所へと視線を移す。……が、何事もない。怯えた表情をしているが、被害はなさそうだ。しかしだとすれば一体誰のことを……。

「ぐ、ぐがっ」

 苦しげな声が聞こえる。視線を彷徨わせ、その人物を瞳に映し込み、俺は表情を歪めた。そこには、炎の球体の直撃を受け、身を焦がすダーガの姿があった。

「……ダーガは、お前の仲間じゃないのか」

「言ったでしょう? ただの駒だってばぁ」

 ここに【癒術師】の紋章を持つ者はいない。このままではダーガを助ける術はないだろう。しかし、これでは終われない。敵同士ではあったが、こいつにはこいつの考えや誇りがあった。その全てを踏み躙り、更には自由を奪うなど、許されざる行為と言えるだろう。

「……ッ、ナルディア!!」

 ホルンの剣を地に突き刺し、風を生み出す。と同時に、風を背に躊躇なく駆け出した。

「ッ、はや……」

 ナルディアの声が漏れる。だがそれは最後まで言い切ることは出来ない。力を込め、脚のばねを限界まで利用する。一歩、そして二歩、それだけの足跡を残すだけでナルディアの傍へと距離を詰めると、最後の一歩で地を垂直に蹴り、ナルディアの頭上へと移動する。

 目を見開くナルディアに向け、腰に差した短剣を抜き取り、腕をしならせ投げ下ろした。

「いっ、ぎゃあぁああぁっ!!」

 炎の渦の中心で笑みを浮かべていたナルディアの肩に、短剣が突き刺さる。重力に逆らえずに炎の渦へと落ちた俺は、その身を焼かれる前に拳を握り締め、顔面を殴り飛ばしてやった。

「ぐぎぃっ!!」

 思わぬ攻撃に油断し切っていたナルディアは、殴られた反動で地面を転がっていく。

 すると、炎の渦が消えていく。

「こ、このわたくしに傷を負わせるだなんて……絶対に許さないわぁ……ッ!!」

 地に寝そべった格好で、ナルディアは片手を伸ばす。すると、赤々と燃ゆる炎の矢が生み出された。

「貫かれて死になさぁい!!」

「お主がな」

「――ムニムッ!?」

 ムニムがナルディアの背後へと回り込んでいた。炎の矢を射る直前に声をぶつけ、集中力を削いだ瞬間に氷柱を地に生やす。ナルディアの片腕が飲み込まれ、炎の矢は氷の中に固まった。

「ぐうううううっ、目障りなのよぉ、ムニムゥッ!!」

 強引に立ち上がり、氷柱に捕まった腕を引き千切ると、もう片方の腕で炎の矢を生み出すが、ムニムはすぐさま距離を取る。標的を失った炎の矢は岩壁へとぶつかった。

 怒りと苦痛に我を忘れつつあるのか、或いは思考が定まらなくなっているのだろうか。

 残された腕で頭を掻き毟り、ナルディアは荒い息を吐く。だが、無駄な時間は与えない。

「これで終いだ」

「――ぎっ」

 ナルディアの声が辺りに響く。地面に突き刺したホルンの剣を掴み取り、再びナルディアとの距離を詰めると、思い切り振り抜く。ナルディアの首が地を転がり、砂まみれになって転がった。

 頭部を失くした胴体が地に倒れるのを見届け、俺とムニムは目を合わせる。

 だが、それはただの油断でしかなかった。

「油断大敵よぉ」

「なっ、生きて……ッ」

 斬り捨てられた頭部の口元が動き、言葉を紡ぐ。直後、胴体が上体を起こし、炎の球体を生み出し解き放つ。ムニムの手を引き、すぐさまその場から離れた。

 二秒後には、炎の球体が地面を焦がし抉り取っていた。

「……なんなんだよ、こいつもまさか不死の力を持っているとか抜かすのか」

 地に転がる頭部を胴体が回収し、首の上に乗せる。

 切断面を両手で触れたナルディアは、傷口を修復していく。

「うふふふふ、わたくしを殺そうだなんて不可能な話なのよぉ」

 息の根を止めたかに思えたナルディアは、あっさりと首をくっ付け、元通りの姿を披露する。

「こいつも……とは、どういうことじゃ」

「魔人ルオーガの件は知っているだろ。そういうことだ」

 ああ、と納得するムニム。死体を操る力を持つ魔人ルオーガには苦戦を強いられたからな。しかしまさか、ただの人間が不死の力を持つとは……。

「……いや、待てよ」

 ナルディアは言っていた。禁忌魔法を扱うようになってから、力が沸いてくるようになったと。

 それはもしや……。

「ムニム、一つ質問だ」

「なんじゃ、こんな時に……」

「ナルディアが覚えた禁忌魔法についてだが……その書物だが、まだワルドナ国にあるのか」

「ぬ? 当然じゃ。誰の手にも渡らぬよう、厳重に保管しておるぞ」

「なるほど、それが狙いだったのか」

 全てを理解し、俺は腰に括り付けた革袋の中から小瓶を取り出す。これは転移砂だ。

「狙いとはなんじゃ? 何か分かったのなら、わしにも説明せい!」

「単純なことさ。禁忌魔法が記された呪文書自身が本体だったんだ」

「……なんじゃと?」

 腕がもげても頭部が斬り落とされても不死身な人間はいない。魔族の中でも魔王クラスでなければ生きることは不可能だろう。だが、ナルディアは死なない。――否、既に息絶えている。

 死してなお、操られているのだ。

 では、誰がナルディアを操っているのか?

 答えは簡単だ。禁忌魔法が記された書物自身だ。

 禁忌魔法の本当の力は、目を通した人物を仮の本体として操ることだったのだろう。

 そう考えれば合点がいく。

「禁忌魔法が記された呪文書を跡形も無く燃やせ。それで全てが終わる」

 禁忌魔法は、ただの呪文書だ。故に、本体は動き回ることが出来ない。だとすれば、その身を守る場所が必要だ。それが魔導図書館だったという訳だ。

 魔導図書館の禁忌フロアに納められることで、安全な場所から人間を操ることが可能となる。つまり、禁忌魔法は自分だけ安全な場所にいることになる。

「よ、よく分からんが……わしに任せい! じゃがここはお主一人で持ち堪えてもらうことになるが」

「これを使えばすぐに終わる。だから安心しろ」

 転移砂が詰められた小瓶の蓋を取り、中身をムニムに振り撒く。

「魔導図書館の入口付近を思い浮かべろ。すぐに転移が始まる」

「なるほどのう」

 ニヤリと笑い、そしてすぐにムニムの体が変化を起こす。肉体転移が始まったのだ。

「ちょっと、貴方達……何をするつもりかしらぁ?」

「お前の本体を燃やしに行くだけさ」

 その台詞に、ナルディアを操る禁忌魔法は焦りの表情を浮かべる。

「そ、そんなことは止めなさぁい? もしわたくしにそんなことをしたら、逆に操ってやるわよぉ?」

「ふん、たわけがっ、お主を詠唱しなければ何の問題もないわ! それはナルディア自身が言うとったことじゃからな!」

「ぐううっ、それなら消える前にムニム、貴女を始末するだけよぉ!!」

「――ッ」

 言うが早いか、両手を重ね合わせた禁忌魔法は詠唱無しで真っ赤ないかずちを具現化し、消えゆくムニムの体を標的に解き放つ。だが、

「残念だったな、ナルディア」

 ホルンの剣を振り抜き、周囲に風を巻き起こす。その風力は大したものではないが、攻撃の方向を逸らす程度のことは可能だ。

 ナルディアが放った真っ赤ないかずちは、ムニムの姿を捕らえることなく、地にぶつかり消滅した。

「頼んだぞ、ムニム……」

 やがて、ムニムの体が完璧に消え去る。転移砂で魔導図書館へと向かったのだ。

 この場から居なくなったムニムに声を残し、俺はナルディアの姿を瞳の中に映し出す。

「ぐ、ぐっ、ぐううううっ、下等種族の人間のくせに……ッ」

「お前は上等種族だとでも言うつもりか? ただの呪文書だろう?」

「殺す! わたくしの本体が燃え尽きる前に貴方とそこに隠れているゴミ共を消し屑にしてやるわ!」

 勿論、そんなことはさせない。

「死がお前を招くまで、付き合ってやるよ」

 再び、俺はホルンの剣を前に構える。

「黙りなさいっ、今すぐ殺してやるわっ!」

 一瞬で距離を詰めるナルディアは、魔法陣を描き出す。

 だが、それを具現化し解き放つ前に、ホルンの剣をナルディアの腹部に突き刺した。

「ぐっがっ、ぐぎゃっ」

「痛いか? 仮の体のくせに痛みを感じることは出来るんだな。……それとも、その痛みはナルディア自身のものか?」

 首を切断した時点で、ナルディアの死は確定している。だとすれば、禁忌魔法自体が痛みを訴えているに違いない。腕に捻りを加え、突き刺した腹部から更に痛みを与えていく。肉を掻き出し、隙間から大量の血が溢れ出てきた。血に染まりゆくホルンの剣を持つ腕に、自然と力が込められる。

「がぼっ、がっ、うぎいいいいいぃっ!!」

 動きを制したかに思えたが、ナルディアが口元から血反吐を垂れ流しながらも、狼の如くけたたましい叫び声を上げた。それは思わず耳を塞いでしまいたくなるほどの大音量で、間近にいる俺は鼓膜が破れてしまうのではないかと表情を歪めるほどだ。だが、これで終わりではない。

「お……おおおおおおっ」

 大地が震える。そして理解した。

「くそっ、地震か!!」

 先ほどの魔法陣は、不発ではなかった。

 地面を対象に振動を与え、人工的な地震を引き起こしたのだ。

「きゃあっ」

「ゆれるー」

「あわわわわっ、なんですかこれなんですかこれえっ!?」

 遠くから驚く声が聞こえる。一瞬、視線を逸らしたのをナルディアは見逃さない。

「油断大敵って、言ったでしょお~?」

「――ッ!?」

 視線を前へと戻すと、口元に笑みを張り付けたナルディアがいた。

 その手には、光を纏う長剣が握られている。

「いつの間に……」

 瞬間、死を感じ取る。

 思考する前に体が動き、ホルンの剣を引き抜くと、ナルディアの許から飛び退いた。

「くふっ、くふふっ、……危機を回避するだけの運は持ち合わせていたようねえ?」

 そう言いつつ、ナルディアは腹部に手を翳す。風穴が空いていたはずが、見る見るうちに傷口が塞がっていく。けれども、それよりも気になる点が一つ。

「……武器を具現化したのか」

 顎で指し、俺はナルディアが握る新たな長剣へと目を向ける。

「ああこれ? ……貴方に屈辱を与えて殺すには、やっぱり貴方が得意とするものを使って圧倒した方がいいと思って作ってみたのよぉ」

 似合うでしょう、と付け加えて、ナルディアが長剣を構える。

「だからさっさと死になさぁい!!」

 叫び、具現化された長剣で空を突く。しかし遠い。俺の許へ届くには距離がありすぎる。だが、

「――がはっ」

 剣先から光が奔る。長剣を一突きするだけで、いかずちが具現化されたのだ。

 突きの動作を目で捉えた時には、既に手後れだ。剣での近距離攻撃を仕掛けてくるかと予想していたが、虚を突かれてしまった。

 いかずちの餌食となった俺は、全身が痺れていくのを実感する。

「うふふふふっ、どうしたのよぉ? 逃げないのかしらあっ!?」

 そうしている間にも俺との距離を詰め、次なる攻撃として近距離での動作を生み出す。

 けれども、ナルディアは長剣を振るわない。両手で柄を握り締め、力を籠めるかのような素振りを見せたかと思えば、俺の視界に映り込む長剣が実体を無くし、光の魔法を放ち出した。

 これは【光術師】のナルディアのものか。

「ぐっ」

「痛いいぃ? ええ、ええ。痛いでしょうねえぇ? でもそれは当然なのよぉ。だって貴方の相手はこのわたくしなんですものねえ!」

 再び、距離を保つ。柄だけになった長剣は、その時には既に新たな実体を形成し終えていた。それを合図に、ナルディアは長剣を縦に振り切る。

 直後、何もないはずの空間に亀裂が入り、空気の流れが二つに別れた。

「っ、……あ、くっ、息が……っ」

 息が出来ない……ッ。魔力で作られた長剣を一振りしただけで空気の流れを絶ち、ほんの一時とはいえ、俺の周りの空気を奪い取る。

「息をしなければ何も出来ない貴方ってぇ、やっぱり下等種族よねえ? でも許してあげないわぁ、さっきのお返しよぉ」

 そう言って、ナルディアは長剣を突き、俺の腹部を貫いた。

「――っっっ」

 息が出来るようになったかと思えば、次は痛みによって呼吸が困難な状況下に置かれた。

「ぐああっ、ぐうっ、」

「くふっ、痛いかしらぁ? もっと苦しみなさい? 貴方が死んだ後は、あそこに隠れてる役立たず達を殺してあげるわ。そしてその後は、尻尾を巻いて逃げたムニムを追い掛けて殺すの。くふふっ」

 苦痛にもがく様子を、ナルディアは追撃せずに観察している。何もする必要がないからだ。

 次第に視界が霞み、意識が朦朧となる。

「……ル、……ルノ……」

 ふと、俺は揺らぐ視線を彷徨わせ、辺りを見回す。苦しさの最中に、俺はルノの顔を一目だけでも見ておきたいと思ってしまったらしい。

 すると運がいいことに、俺はすぐにルノの姿を見つけた。思いの外、その姿は近くにあって……。

「ええーいっ!!」

 同時に、可愛らしいルノの声も、近くから聞こえてきた。

「……貴女、そんな石ころを投げるだけで、このわたくしを倒せるとでも思っているのかしらぁ?」

「倒せなくても投げます! 貴女がアルガ様から離れるまでっ!!」

「ちょまままっ! ヤバイですってばルノ先輩いいいいっ!!」

「クーも! クーもなげるーっ」

 不思議だな。聞き慣れた声が、死を感じ取っていたはずの体に力を与えてくれる……。

 右手は動かないが、左手はまだ大丈夫。ホルンの剣も掴んだままだ。

 だとすれば、やるべきことは一つ……。

「ッッッ!!」

 全身の力を左手に込め、横一閃に思い切り振り抜く。

「いぎいいいっ!!」

 再度、ナルディアの首が刎ねられた。ぼとりと地に落ち転がった頭部は、驚愕に目を見開いている。

「貴方、まだそんな力が残っていたのねえ……」

「はあっ、くっ、……当然だっ」

 今ここで俺が死んでしまったら、誰がルノ達を守るというのか。

「ふうん~、でもわたくしは不死身よぉ、死にぞこないは大人しく死んじゃいなさぁい?」

 首から上を失くしたナルディアの胴体が、頭部の許へと近づく。

「――あ」

 だがその時は、突然訪れた。

「え、えっ、わたくしの体が……燃えて……」

 地に転がる頭部が呟く。けれどもその体は燃えてなどいない。ということは……。

「ムニム……か」

 転移砂で魔導図書館へと向かったムニムが、本体の呪文書の破壊に成功したらしい。

「うそ、嘘よぉ……、こんなところで終わりだなんて、嘘と言ってよぉ……」

 ナルディアの胴体は棒立ちとなり、もはや頭部を拾い上げることもしない。

 ただただ、本体が燃えゆく様を感じ取り、死に身を委ねる他に道は残されていない。

「せっかく……動ける体を手に入れたのに……」

 下等種族と侮っていた存在に、ナルディアを操る本体は敗北を喫した。これ以上の屈辱はあるまい。

「ぐ、……まだ、戦うか……?」

「アルガ様っ、無茶はなさらないで下さいっ!」

 腹部を抑えながらもホルンの剣を構え、息を整える。俺の身を案じたルノが危険を顧みず駆け寄り、肩を貸してくれる。しかしながら、心配することはない。ナルディアは、もはや戦う気も失っていた。

「はああぁ、……残念だわぁ。何もかも終わってしまうのねぇ……」

 もういい、と。

 ナルディアの胴体はその場に寝転がり、少し離れた場所に転がる頭部は、ゆっくりと瞼を閉じる。

「この体で遊ぶのも、なかなか楽しかったわぁ……。できればもう少し楽しみたかったけれどねぇ」

「黙れ、死を受け入れたなら、それ以上喋らずに死ね」

 言葉を交わす価値もない。相手は人間でも魔族でもなく、仮初めの存在なのだ。

「あら、つれないことを言うのねぇ? でも嫌いじゃないわよぉ、金魚の糞も……うふふふふ」

 不敵に微笑み、深い溜息を吐く。

 やがて、その時が訪れる。魔導図書館に収められた本体が完全に灰と化したのだろう。

「その調子で、魔王の本体も叩くことが出来るといいわねぇ……」

 ナルディアの体を操る禁忌魔法は、最期にぽつりと言い残す。

 その言葉は、暫くの間、俺の頭から離れることはなかった……。

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