【二章】旅の同行を断ることにした

「お出かけ……ですか? えっ、王都へ!?」

 開口一番、驚いたのはルノだ。エザの町まで徒歩で十日ほど掛かり、更に先のワルドナ国へと行くには、それなりの時間を要することとなる。魔人ルオーガの討伐に出向く際に使用した転移砂を扱えば、一瞬で移動することが可能なのだが、あれは貴重な品だ。不要となった装備一式を売却に行くだけなので、特に必要はあるまい。

「急なお話で驚いてしまいました。……あの、ひょっとして、今すぐに出発を……?」

「いや、出発は三日後を予定している」

 急ぎの用ではないし、旅や戦闘を目的としたものではないので、ちょっとした観光気分だ。

「あっ、でしたらあのっ、わたしもご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」

「ルノも? 俺は別に構わないが……下手したら一月ほど離れることになるぞ。その間、冒険者組合を留守にするが大丈夫なのか」

 コルンの町の冒険者組合に在籍中の職員は、ルノを含めても十名にも満たない。少人数ながら運営が成り立っているのは、ルノの手腕があってこそだ。けれどもルノは、笑顔で頷く。

「はいっ。同僚の皆さんは頼りになりますし、期待の新人もいますので、ご安心下さい!」

「期待の新人……か」

 ここから少し離れた場所で書類整理中のミールが「ふえぇ~」と言っている。

 ……本当に問題ないのか、ルノ。

「ただ、早く戻るに越したことはありませんし、組合が所有する馬車を利用しましょう」

「個人的な用事で出掛けるだけだが、使ってもいいのか?」

「それは大丈夫です。それに、そろそろわたしも王都に行かなければと思っていましたので、その護衛という形でいかがでしょうか?」

「ルノも用事があったのか」

「はい。コルンはワルドナに属していますので、冒険者組合の責任者として報告しなければならないことがあるのです」

 馬車移動出来るとなると、予定よりも早くワルドナ国に到着することが出来るだろう。

 とはいえ、馬車旅は腰と尻への負担が大きい乗り物だ。これは過去の経験則なので、適度に休息や運動を挟みながら馬を走らせ、尚且つ弾力性の高い敷物や枕を持ち込むべきだろう。

「それなら、ルノの言葉に甘えさせてもらおうかな」

「はい!」

 そうと決まれば、早速旅荷の支度に取り掛かろう。食料や着替えは当然ながら、緊急時用の医療具や薬草の類も多めに見繕っておかないとな。

 道中、魔物と遭遇することもあるだろう。となると、武具の代えや手入れ道具も必要だ。ホルンの剣の他にも、幾つか軽めの剣や短剣を用意しておくか。いやしかし、それだけでは物足りないな。距離のある敵との攻防にも備える必要があるだろう。出発までにまだ三日あるから、投擲用に鉄製の棒でもこしらえてみるか。

 手持ちの呪文書も数が少なくなってきたところだ。ワルドナ国に着くまでは問題ないとは思うが、今後のことを考え増やしておいても損はない。王都と呼ばれるほどの場所なので、呪文書専門店もあるはずだ。必要な分を補充して帰るのも有りか。

「ルノ、組合の馬車は何人乗りか分かるか」

「御者台を含まず、五名から六名ほど乗ることが出来るはずです。荷台は別に用意がありますので、ゆったりと寛げると思いますよ」

「それは有り難い」

 中型の馬車か。荷台は仮眠を取る場所としても役立つな。

 御者台で手綱を引く役目は交代制として、旅仲間はルノとイリール、クーの三名といったところか。

「おいおいこら、随分と楽しそうな話をしてんじゃねえか」

「ダーシュ、聞いていたのか」

 ズイッと身を乗り出し、受付場の台に肘をつく。

「王都に行くならよー、腕っ節自慢の用心棒が必要なんじゃねーのか、ああん?」

「いや、必要ない。間に合っている」

 イリールの戦闘能力がどの程度のものなのか、魔人ルオーガ戦ではお目に掛かることが出来なかったが、別段危険な道のりではない。仮眠時の見張り番が欲しいのは確かだが、魔物の相手は俺一人でも何ら問題はない。

「てめえな~、この町にはクソ強え冒険者がいるのを忘れたのかよ」

「強い冒険者か。……ダーシュ、まさかお前のことか」

「おっ? なんだよ分かってんじゃねえか! 案外、てめえも頭が良いんだな!」

 冗談で聞いた訳だが、どうやら本気だったらしい。

「ってことで、オレも旅に同行するぜ! 身内絡みだからよー、用心棒代も安くしといてやるぜ!」

「馬車が狭くなるから断る。そもそも、いつから身内になったんだ」

「ああん? 同じ町に住む仲だろうがよ!」

 俺はダーシュの身内にはなりたくないがな。

「いいか、アルガ? オレは一ッ星の紋章持ちなんだぜ? 確かにてめえはそこそこやるみてえだがな、このオレがちょいと本気を出しちまえば一撃よ」

 足が速いのは認めるが、戦力的に活躍した姿を見た覚えがないのは気のせいだろうか。

 ふう、と溜息を吐き、俺はダーシュと目を合わせる。

「……ダーシュ、お前が居なくなったら誰が町を守るんだ」

「あ?」

「この町で一番強い冒険者が、長い間留守にすることになるんだぞ? もし、お前が居ない間に魔物が攻めてきたらどうするつもりだ」

「お、あ、……まあ、言われてみりゃそうだな」

 もう一押し。

「この町の冒険者を纏め上げることが出来るのは、お前しかいないと思っている。つまり何が言いたいのかというと、お前が町にいるから、俺は安心して旅に出ることができるんだ」

「お、おいおい……なんだよアルガ? てめえ、オレのことよく分かってんじゃねえか」

 ダーシュの表情が緩んでいる。褒められて気分が良くなったのだろう。

「ったく、仕方ねえなあ~。確かにこの町は、オレがいなけりゃ何も出来ねえからよー、てめえらが留守の間、ちゃんと守っといてやるぜ」

 口車に乗ってくれて感謝する。馬車に同乗することにならずに安堵したよ。

「よっしゃあ! てめえと話してる時間が勿体ねえぜ! オレはこの町一番の冒険者だからよー、暇な時間なんてねえし、魔物狩りに行ってくるぜ!」

「頑張れよ」

 そのまま帰らぬ人にならないことを祈っておく。

「……というわけだ。ダーシュは同行しない」

「あっ、……はい! 分かりましたっ」

 振り向き、受付に立つルノへと話し掛ける。

「旅荷の支度もあるから、今から道具屋に顔を出してくる」

「はい! 行ってらっしゃいませ、アルガ様」

 笑顔のルノに見送られ、俺は談話場のソファで寛ぐ二人に声を掛けた。

「クー、イリール。出掛けるぞ」

「ごはんー?」

「道具屋だ。旅荷を揃えに行く」

「ほう。旅の支度ならば、既に済ませてあるが?」

 イリールが口を開く。……ドヤ顔は止めて欲しい。

「馬車で行くことになったから、荷物の量を増やせるんだ」

「む、馬車か。それは実に良いものではないか」

 聖銀の鎧兜を身に着けずに運ぶのは面倒なので、徒歩から馬車移動になって一安心だ。

「ごはんも、いっぱい持ってくの?」

「食料は何よりも必要だからな」

 返事をすると、クーがお腹を鳴らす。

「クーね、おなかなったー」

「……先にご飯を食べるか」

 クーの腹の音には敵わない。

 と言いつつ、実は俺もお腹が空いてきたところだ。丁度いいと思おう。

「やった! おいしーの、いっぱい食べるね!」

「私も食べるぞ、アルガ!」

 同調し、イリールがソファから立ち上がる。

 旅荷の支度は、飯の後ってことで。


     ※


 ガツガツガツ、と。

 食堂のテーブルの上に並べられた料理を次から次へと口に運んでいく。

「……美味いか?」

「うんー」

 ニコッと笑い、またガツガツ。

「むぐっ、……ふむ。むぐっ。これはなかなか美味」

 クーの横に腰掛けたイリールも、張り合うかのようにガツガツと食べている。

「もう少し落ち着いて食べたらどうだ」

 朝食はたらふく食べたはずだ。それなのに、この食欲はなんなんだ。

「もぐもぐ……む。いいか、きみ? 魔物が蔓延るこのご時世だ。いつ何時、ご飯を食べられなくなるかも分からないのだぞ。故に、食べられる時に食べるのだ」

 人生最後の食事を口にしている訳でもあるまいが、言いたいことは理解出来る。だが、ここの食事代は俺が払うのだから、あまり食いすぎないでもらいたい。

 クーはともかく、イリールには自分で払えと言いたいところだが、魔物化した際に衣服や荷物を全て失ったからな。王都に戻れば多少は蓄えがあるだろうが、今は一文無しの身だ。

「きみ、おかわりしてもいいか」

「既に三回目だぞ」

「む? そうだったか、そうだったな。ところでおかわりは」

「勝手にしろ」

「クーも食べるね?」

 無垢に微笑み、スッと茶碗を前に出す。どこかの食いしん坊冒険者と比べて、クーは見ているだけで癒される。この違いの原因を誰か教えてほしい。ホルンの妹でなければ追い出しているぞ。

「あははっ、まだまだいっぱいおかわりしちゃってね!」

 食事に夢中の二人を見ながら、エプロン姿の女の子が声を掛けてくる。この子は、この食堂の看板娘で、確かエリスという名だったはずだ。

「お金さえ払ってくれるなら、こっちはじゃんじゃん料理しちゃうからさー」

 腕まくりするエリスは、明るく活発的な印象を与えてくれる。

「んじゃ、注文があれば言ってねー」

 他のお客さんに挨拶をしつつ、エリスは足早に厨房へと戻っていく。ルノやイリールと差ほど歳も離れていないだろうが、しっかりとした子だ。

「ううー」

「どうした? ……って、なんだそのお腹は」

「ぱんぱんしてるー」

 ずっと口を動かし食べていたクーが、急に動かなくなった。かと思えば、服を捲り腹に両手を置く。

「お腹いっぱいか」

「んんー。おかわりしたのに」

「おかわりした分は、こっちの食いしん坊に食べてもらおうな」

「呼んだか?」

「出番だぞ。これも食え」

「む。任せるがいい」

 空いた口が塞がらない。こいつの胃袋は異次元か。

「ところでアルガ、食後の予定は決まっているのか」

「道具屋に行くって言っただろう」

 衣類は手持ちのものを用意すればいい。仮眠時に必要な毛布類に関しては、ありがたいことにルノが用意してくれることになった。だてに実家が宿屋じゃないな。

 というわけで、用意するものはその他の道具類だ。

「私が役立つ為にも、調合用のハーブやスパイスを用意しておいてくれると助かるぞ?」

「……まあ、そうだな」

 さらっと言われたが、イリールの才能はなかなかのものだ。魔核の在り処を瞬時に見抜くことが可能な薬を調合することが出来るのだからな。星は無くとも【調合師】の紋章を持つだけのことはある。

 コルンの町には、薬草類の専門店は存在しないのだが、一般的なものであれば道具屋で買い揃えることが出来る。役に立ってもらう為にも、集めておいた方がいいか。

「話は変わるがアルガ、ルノ嬢宅で世話になり始めてから常々感じていたが、きみは私を見くびっているな? きみが私を見る際の瞳の動きが、それを如実に物語っているぞ」

「見くびるというか、大食らいな女だなと思っているぞ」

「ふっ、だが今回は私にとっても都合がいい。王都は私の庭でもあるからな。全てを私に任せておけ」

「庭で迷子にならないでくれよな」

「おかわりをいただこう」

「もう止めておけ、金が幾らあっても足りなくなる」

「むっ、それは困るな」

 飯を食いながら笑い、イリールは「私のことを見直してもらうぞ」と呟いている。面倒事に巻き込まれなければどうでもいいよ。

「アルガー、クー寝てもいい?」

「眠くなったか」

「んー、少しだけ」

 そう言って、わざわざ椅子から立ち上がり、俺の膝に座り直す。甘えたがりな年頃か。

 俺の体にしがみつき、あっという間に寝息を立てる。寝付きがいいって羨ましいな。

「疑問なのだが、クー嬢は……アルガ、きみの子なのか」

「違う。迷い子だ」

 過去にダーシュにも指摘されたか。

 まあ、常に一緒にいるからな。勘違いするのも当然だ。

「ちょっと訳ありでな。俺が世話を見ている」

「ふむ。だとすれば、クー嬢は幸せだろうな」

 口の端にご飯粒をつけたまま、イリールはクーの寝顔を見る。

「いやはやしかし、コルンは住み心地がいい町だな。特にルノ嬢宅は快適極まりない」

「飯が出るからだろう」

「そうとも言うな」

 イリールは、クーがおかわりした分も、あっという間に平らげていた。

 その背を椅子に任せ、満足気な笑みを作り込んでいる。

「食べたなら、道具屋に行くぞ」

「お供しよう」

 ぐっすり快眠中のクーを胸に抱いたまま、席を立つ。

「エリス、お勘定頼む」

「はーい! ……っとお、全部まとめてワルドナ銀貨二枚とワルドナ銅貨四枚になりまーすっ」

「ぐっ」

 これは高い。予想を遥かに超えた額だ。まさかワルドナ銀貨一枚を超えるとは思わなかったぞ。

 採った木の実の何個分だ? 幾らなんでも食べすぎだ。

「馳走になった、きみ。次はどの店で食べるのだ?」

「……道具屋に行くって言ったよな」

「むっ」

 もうダメだ。胃袋が小さくなる薬を調合して、自分で飲んでくれ……。


     ※


 三人で道具屋を梯子し、旅荷を整え夕食を取った後、俺達は早めに就寝することにした。

 その翌朝、俺達は荷物を持って馬車へと向かった。

「ルノ先輩~、ホントに行っちゃうんですかあ?」

「うん。わたしが留守の間、よろしく頼むからね、ミール」

「ふえぇ~」

 泣き顔のミールに構わず、旅荷を馬車の荷台へと運んでいく。予想よりも多めになったので、やはり同行者を増やさなくて正解だったか。

 俺の目的は、聖銀の鎧兜の処分とルノの護衛をすること。

 ルノの目的は、冒険者組合絡みの報告をすること。

 クーの目的は、俺の傍で遊ぶこと。

 イリールの目的は、聖銀の鎧兜を俺の代わりに競売所へと出すこと。

「きみ、食料はちゃんと積んだのか」

「安心しろ。片道分キッチリ積んである」

「キッチリか? ふむ。もしもの時を考え、往復分を積まなくても平気か? 例えば誰かが間違って二人分を食べてしまうこともあるかもしれないだろう?」

「予告か? それは予告か?」

 道中、食いしん坊が原因で食料が空になる可能性が出てきた。これは見張り番が必要だな。

「よっしゃあ、さっさと荷物を積むぜー! おらてめえら、さっさと運びやがれ!」

「重えよー、ちっと休もうぜ、ダーシュ~」

「朝飯もまだなのによー、ってか眠いぜー」

 ……何故だろうか。若干三名、明らかにお呼びでない奴らが荷物を持って馬車へと近づいてくる。

「ダーシュ、何故ここにいる」

「ああ? んなこと聞かなきゃ分かんねーのかよ?」

 分からない。否、分かりたくない。

「一ッ星冒険者のオレがよー、てめえらの用心棒になってやるってことだぜ!」

「それは昨日断ったよな」

「バーカ、この町のことが心配って言いてえんだろ? んなこたー気にする意味がねえぜ。なんたってオレのクランの奴らが町を守ってやるってんだからよ~」

「そーだぜ、町のことは任せなー」

「ってか、クソ眠いぜー」

 ダーシュの取り巻き二人が何やら喋っているが、見なかったことにしたい。

「用心棒を申し出てくれるのはありがたいんだがな、馬車内は狭いんだ。御者台に乗る分を合わせても四人が精一杯なんだよ」

 勿論、嘘だが。

「はあ? んじゃあ誰か降ろせよ。他の奴らはオレ以上に強え奴だって言いてえのかー?」

 強いか否かの問題ではなく、各々にワルドナ国へと向かう目的があるのだ。

「きみ、食料を更に増やしておいたぞ。喜べ」

 スタスタと俺の傍に歩み寄り、イリールがドヤ顔で告げる。お前は勝手に荷物を増やすな。

「ああん? 飯を置く場所があるならよー、オレが乗る場所もあんだろーが」

「……む? アルガ、このハエはなんだ? 凄く大きくて目障りだぞ」

「だっ、誰がハエだ!! てめえっ、オレに喧嘩売るのは二度目だよなあ!?」

「二度目? いや私は全く覚えがないぞ。貴様の記憶違いではないか?」

「この町で唯一の一ッ星冒険者に喧嘩を売ってんのか、ああん!?」

「一ッ星? ああ、つまりたいしたことはないな」

「てっ、てめええええっ!!」

 無星のイリールが一ッ星を格下扱いとは、なかなかどうしたものか。兄のホルンは自信過剰な性格ではなかったはずだが、妹のイリールは己のことを高く評価しすぎているか。……いや、評価しているわけではなくて、単純に興味がないだけか。しかしこう見えてもダーシュはコルンの町でトップクラスの冒険者だ。サシで戦えばイリールが負ける可能性の方が高いだろう。

「黙れハエ、口を閉じるがいい。……と、ところでアルガ」

「ん?」

 表情を僅かに強張らせたイリールが、俺の顔を見つめる。

 ダーシュに喧嘩を売ったことを内心焦っているのだろうか。

「昨晩から、腹の調子がすこぶる悪い。私は何か悪いものでも食べてしまったか?」

 訂正しよう。こいつはダーシュのことなど全く気にしていなかった。

「ここ数日、俺とお前は同じものしか食べてないぞ。悪いものを食べたというのなら、俺も腹が痛くなってるはずだ」

「む……確かにその通りだ。では何故、腹痛が……」

「食い過ぎじゃないのか」

「く、食い過ぎ……? なん、だと……!?」

 いやいや、驚きすぎだから。クーは自分の胃の調子を見極め、途中で食べるのを止めていたが、イリールはクーが残した分まで綺麗に平らげていたからな。食い過ぎで調子が悪くなるのも頷ける。

「この状態……で、数日間……馬車に揺られながら、王都まで……行くのか」

「そういうことになるだろうな」

「……くっ、なんたる不覚ッ!!」

 その場で片膝を付くイリールが、悔しそうに表情を歪める。

 額には、じんわりと汗を掻き始めている。

「アルガ、きみに残念な報告がある……」

「残念な報告?」

「むう。……できることならば、私も共に王都へと向かいたかった」

 既に過去形になっているのは気のせいではない。

「だがしかし!! このっ、この腹が、いたっ、……うっ、すまない。喋ってる場合じゃない……ッ」

 残された全ての力を振り絞るかのように立ち上がり、イリールは腹を押さえながら内股で俺の傍から離れていく。

「……ルノ、悪いが確認してきてくれるか」

「は、はいっ」

 言われて、ルノが小走りでイリールの背中を追い掛けていく。

 ワルドナ国への旅の計画を持ち出したのはイリールだというのに、言い出しっぺが出発を目前に同行を断念する……なんてことにはならないといいが。

 イリール以外に、一体誰が俺の代わりに聖銀の鎧兜を競売所に出してくれるというのか。

 しかもその原因が腹痛だなんて間抜けすぎるぞ。

「おお? んだよアルガ~、一人分空きが出たじゃねーか」

 一つ問題が発生したかと思えば、また別の問題が顔を覗かせてくる。

 嫌なところを見られてしまったな。ダーシュは同行するつもりのようだ。

 ……というかもう、イリールが居ないならダーシュでもいい気がしてきた。

「ついて来るか、ダーシュ」

「その言葉、やっと聞けたぜ~」

「だが、一つ条件がある」

「ああん? んだよ、さっさと言えよ」

「用心棒代は無しだ。それが嫌なら町に残ってくれ」

「ぐっ、無しだと……?」

 魔物狩りをせずに金を稼ぐ良い機会だと思っていたのだろうが、そうはいかない。ダーシュを雇うだけの蓄えはないからな。

「……ちっ、一日に付き、ワルドナ銅貨六枚で手を打ってやるぜ?」

「高過ぎだ」

 ゴブリン二体分の報酬を求めるな。

 ……いや、正確に言うならば、高くはない。

 ワルドナ銅貨六枚で一ッ星の冒険者を一日中雇えるのは破格とも言えよう。モアモッツァ大陸の用心棒代の程度は定かではないが、少なくともロザでは銀貨一枚が必要だった。

 とはいえ、先ほども説明したように、手持ちがないのだ。

「くっ、ぐぐうっ、こんちきしょーがっ!!」

 地団駄を踏み、睨み付けてきた。しかし全く恐くない。

 動きが素早いとはいっても、俺よりも俊敏な訳ではないからな。

「覚えてろよ!! オレを雇わなかったことを後悔しても遅えんだからなあっ!!」

「ああ、感謝するよ」

「ちきしょーっ!!」

 ダダッ、と後ろに走っていく。その姿を取り巻き達が悲しそうに見送り、ゆっくりと歩いて戻っていった。あいつら、この町の為にも、もう少し強くなってくれると嬉しいが……。

「お待たせしましたっ」

 ダーシュ達と入れ替わるように、ルノが走り寄ってきた。急いでくれたのか、息を切らしている。

 だが、肝心のイリールの姿が何処にも見当たらない。

「ルノ、イリールは……」

「残念ですが、暫くは動けないかと」

「そんなに酷い腹痛なのか」

「は、はい……。あの、なにやらお尻が……と呟きながら駆け込んでいました……」

 聞かなかったことにしよう。

「よし、そろそろ出発するか」

「はいっ」

「はやくー」

 結局、馬車旅のメンバーは俺とルノ、クーの三名となってしまった。イリール不在の今、些か不安が残るが、競売についてはルノの手を借りることにしよう。

 基本的には俺が御者台で手綱を引き、魔物や山賊などに対処することになるだろう。思っていたよりも大変だな。やはりダーシュを連れて行った方が……いや、うるさいだけだな。

「ん? 二人は後ろに座るところがあるだろう」

「最初はここがいいです」

「クーも」

 御者台に座ると、二人が両側に腰掛けた。三人並んで座れないこともないが、さすがに窮屈だな。

「ここの方が景色も見えますし、アルガさんとクーちゃんとお話も出来ます」

「ねーっ」

 二人揃って仲良く手を取り合ったか。

「疲れたら、途中で後ろに行くんだぞ」

「はいっ」「んー」

 手綱を掴み、馬車を動かす。目指す先は、ワルドナ国だ。

「しゅっぱつー」

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