【一章】頼むから早く帰ってくれ
もぐもぐもぐ……。
もしゃもしゃもしゃ……。
朝起きて食堂に向かうと、お馴染みの顔が美味しそうに朝ご飯を口にしていた。
「むぐっ! ……ぐうっ、むぅ。起きたか、アルガ! 今日も私の方が早起きだったな!」
ドヤッ、と胸を張り、声を掛けてくる女性はイリールだ。魔核の欠片騒動から既に二週間が経ち、怪我はすっかり良くなり、左足も問題なく動かせるまでに回復していた。
まあ、それは喜ばしいことなのだが……。
「イリール、早く帰れよ」
「帰れとは? ……ん? どこにだ?」
「エザの町に決まってるだろ」
「ああー、私の故郷ッ!! そうだな、確かに私は長居しすぎているな!!」
くくく、と笑う。しかしすぐに首を横に振り、イリールは「だが、」と付け加えた。
「エザの町の復興は王都が指揮を執ることになったのだ。怪我人の私が手伝おうにも邪魔になるだけだから、暫くは大人しくしておくつもりだ」
「いやいや怪我なら治っているだろ!!」
「ううっ!? 急に太ももが……いた、痛くなって……ッ」
「縄で縛って今すぐエザの町に送りつけてやろうか!?」
怪我が原因か、イリールはコルンの町に居付いてしまった。
それだけならまだマシだが、運が悪いことに木の実料理に嵌ったらしい。
「それにしても、ルノ嬢の手料理は絶品だな。中でも木の実料理は私の舌を蕩かせてくれるぞ!」
「お前が木の実料理に嵌ったせいで、クーはげんなりしているがな」
寝惚け眼のクーが、俺の手を握っている。朝食のメニューを知ったら、きっとふてくされてしまうだろう。舌鼓を打つ暇があるのなら、早く帰ってくれ。
「くぁ……。アルガー、今日のごはんって……木の実なのー?」
「ああ」
「……おねえちゃん、また木の実りょーりにはまっちゃったの……?」
誰かさんのせいでな。
「あっ、アルガ様! クーちゃんも! お目覚めでしたか」
噂をすれば、厨房からルノが顔を覗かせる。
出かける支度は既に済ませているのか、仕事着を着用していた。
「すぐにご用意しますね!」
「お、おお……」
忙しない動きで、ルノがテキパキとお皿を並べていく。その間、俺とクーは、イリールと同じ食卓に座り、全て揃うまで待たせてもらうことにした。
「ルノ嬢、おかわりを貰えるかな?」
「イリール様は食べすぎです! 今朝から何杯目だと思っているのですか!」
「まだ五杯目だと思うが……まさか米が足りなくなったか? ふむ……では米の代わりにパンでも構わないぞ。エザ生まれの私としては米が主食の方がいいのだが、時には我慢することも必要だからな」
こいつ、俺が目を覚ます前に五杯も食っていたのか。
「これ以上食べたら太りますよ!」
「ふっ、ならば望むところだ。太るのが先か、私が満腹になるのが先か、どちらになるのか確かめる為にも、おかわりを所望させて貰おう!」
「ありません!!」
この手のやり取りを見るのも、今では日常茶飯事に組み込まれている。おかずは貰えなくとも、ご飯のおかわりを何度も許してしまうところがルノらしい。何だかんだで優しい……というか甘いよな。
「さあ、食べるか」
三人揃ったので、手を合わせて「いただきます」と言う。
俺達の様子をイリールがジッと見ているが、気にしないことにしよう。
「……ところでアルガ、ものは相談だが……」
「やらん」
「おや、おかしいな。私はまだ何も言っていないのだがな」
「やらん」
「だが敢えて言わせてもらおう。きみの皿の上にあるものを少しでいいから私の皿に移して……」
「やらん」
「……クー嬢、きみは確か木の実が嫌いだったな? ならばこの私に……」
「アルガにあげるー」
「いらん。自分で食べるんだぞ、クー」
「ええー。おねえちゃん、アルガがいじめるー」
「好き嫌いしないで、ちゃんと食べましょうね、クーちゃん?」
「ううー」
「仕方ない、クー嬢の代わりに私が食べてあげ……」
「もぐっ、……もぐもぐ」
「そんなに私に食べさせたくないのかっ!?」
悲しそうな顔のイリールを無視しながら、俺達は朝食を平らげていく。
「ルノ、今日は一緒に行くよ」
「え、本当ですか? いつも午前中はゆっくりお休みになられるのに……」
「モアモッツァ大陸のことを一から調べようと思ってな」
魔王亡き後、魔物達は大人しくなったかのように思えた。現に、人々を襲う数が極端に減ったからな。だが、倒したと思っていたはずの魔王が生きていた。今後は何が起きてもおかしくはない。
とはいえ、ここら一帯は相変わらず長閑だ。コルンの裏山に巣食うゴブリン達が、己の縄張りの外に出て襲い掛かってくることもない。まあ、ダーシュやボードン達には、一対一でゴブリンを倒せる程度には成長してほしいものだが……。
「私も同行しよう。この町の冒険者組合の程度を知るには良い機会だろうからな」
「お前はエザの町に帰れよ」
「ふっ、そう言われて大人しく帰ると思うか、アルガ?」
「自信満々にこっちを見るな」
したり顔のイリールを瞳に映し、悲しくなってくる。ひょっとして、エザの町が元通りになった後も居座るつもりでは……ないよな?
とここで、一つ気付いたことがある。
「……ルノ、味付け変えたのか」
皿の上に並べられた木の実を見やり、それからルノへと視線を移す。
「お気付きになりましたか!」
「やっぱりか。この味も中々美味いな。癖になりそうだ」
「アルガ様にそう言ってもらえると嬉しいです」
えへへ、と笑うルノ。時折見せる恥ずかしそうに微笑む表情は、心の奥に訴えかけるものがある。
はっきり言うが、とても可愛らしい。
「これねー、クーもあきてないよ? だってほらー、食べられるもん」
「クーも気に入ったか。これは当たりだな」
木の実料理に飽きたはずのクーも、問題無しか。
これは味の付け方としては大成功なのではないだろうか。
「ルノ嬢、この味付けには私も涎が止まらなくなったぞ。だからおかわりを……」
「ごちそうさま。……よし、ぼちぼち出掛ける支度をするか」
「アルガ、きみは今、ワザと私の台詞をぶった切ったな?」
「ほら、イリール。留守番したくないのなら、お前も早く支度をしろ」
「むぅ。腹八分目にも満たないが……我慢することにしよう」
朝っぱらから賑やかな食卓だよ、全く。
コルンの町の人口は、一千人を超える。……と、冒険者組合の書棚に置かれた書物に記されているのだが、残念ながら事実ではない。正確に言うならば「一千人以上いた」の間違いだ。
減少傾向にある人口を増やす為に、何かしらの手を打とうとしなかったのが原因か、今では規模の大きい村よりも人口が少なく、町と呼ぶには名ばかりだ。但し、だからこそ此処は過ごし易い。
朝食を取った後、俺とルノ、クー、ついでにイリールの四名は、冒険者組合に足を運んでいた。ルノは受付裏の職員専用室にこもり、本日の準備に追われている。チラホラと別の職員も姿を現し、支度を始めている。分厚い書物を手に取り、ソファに腰掛けた俺は、一ページ目からじっくりと目を通していく。隣に座るクーは、足を投げ出しブラブラさせたり、俺の膝を枕代わりに寝転んでみたり、自由に寛いでいる。
「ねー、アルガー? それたのしーの?」
「ああ。知らないことが沢山書いてあるからな」
「ふーん? ……クー、ねむくなったからねるね?」
寝るねと告げたクーは、顔を俺の腹部へと向け、目を閉じる。
ちっこいので、それほど重くはないのだが、これでは動き辛いな。
「……」
しかし可愛い。クーは人ではなく魔物であり、人の心を読み取る固有能力の持ち主だが、見た目は普通の女の子だ。寝顔は愛くるしく、人肌温かい。
モゴモゴと口を動かし、幸せそうに涎を垂らし始めるクーは、何か美味しいものでも食べる夢を見ているのだろうか。できることならば、ずっと見続けていたいものだ。
「ふうぅ」
ドカッと反対隣に誰かが腰を下ろす。
視線を向けると、背伸びをするイリールの姿があった。
「ここがルノ嬢の仕事場なのだな」
「前に来たことあるだろ」
「む? ……ああ、確かにあったな。しかしあの時の私は周囲に気を配る余裕などなかったものでな」
エザの町を救う為に、イリールは強い冒険者を探していた。
二ッ星以上の冒険者なんて、この町にはいなかったけどな。
「……そう言えばアルガ、きみは聖銀の鎧兜をどうするつもりなのだ?」
「アレか? 部屋の押し入れに突っ込んでるぞ」
「ふ、勿体ないことをするものだな。聖銀の装備なのだから質も良いだろうに」
「今の俺には必要ないものだ」
言葉の通り、今までの俺は金魚の糞のような存在だった。ジリュウに言われるがままの生き方をしていたからな。しかし今となっては必要のないものだ。
……いっそのこと、売ってしまうか。
「きみが聖銀の鎧兜を脱いでくれたおかげで、腐れ外道の顔を思い浮かべずに済むのは有り難い」
「腐れ外道? ……ああ、ジリュウのことか」
「ふうぅ。全くもって理解不能だ。この世界の創造神とやらは、何故に腐れ外道を【勇者】として選んでしまったのだろうな」
その考えには同感だ。
俺の紋章なんて、どんな力を持つのか未だに不明だからな。
「きみを分身体扱いするとは、人を人として見ていない証拠だ。今すぐにでも探し出し、即刻首を刎ねるべきだと思うのだがな!」
「思い返してみても、いいように扱き使われていたよな……」
勇者の固有能力で生み出した分身体扱いは、冷静に考えれば有り得ない話だ。ただ、ジリュウは悪知恵が働く。【勇者】の紋章を持つ者が嘘を吐くはずがないという状況を作り出すことに成功し、魔王の首を獲ったのは自分だと公言してしまった。魔王討伐の手柄を横取りされた俺は、無実の罪を着せられて王都を追放処分となり……散々な目に遭ったよな。
「何処に逃げようとも、私がこの手で必ず……ッ!!」
ホルンを見殺し、エーニャを囮にして、ジリュウは王都を逃げ出した。実の兄との再会を果たすことができずに、イリールは鼻息荒く怒りを露わにしている。
「思い出さずに済む方法は……やはり、金に換えることかな」
「……ふむ? それは本心か、アルガ?」
ぽつりと呟く俺の言葉に、イリールが表情を変えてニヤリと笑う。何か思うところがあるらしい。
「金は幾らあっても困らないからな」
装備一式を売却し、手にした大金を元手に何か新しいことを始めるのも悪くない。但し、聖銀の鎧兜を売り払うとなると、近場の武具屋で下取りしてもらうという訳にもいかないだろう。
「ならば話は簡単だ。アルガ、明日にでも王都へ向かうぞ」
「王都って……ワルドナのことか?」
ワルドナ国は、モアモッツァ大陸の主に北の大地を治めている。エザやコルンが当て嵌まるか。
「我が王都では、競りが連日行われているぞ。金に換えるというのであれば、出品するといいだろう」
「なるほど、競りか。だが俺の素性が……」
「此処は何処だ、アルガ」
ニイッと口角を上げ、イリールが問い掛ける。何だ急に……。
「コルンの町だろ」
「そう、コルンの町だ。そしてモアモッツァ大陸だ。……つまり?」
「つまり? ……あっ」
ここはエルデール大陸ではない。
「大陸が違えば、関係無いってことか」
その通り、とイリールが頷く。
「アルガ、この大陸では誰もきみのことを調べようとは思わないだろう」
勇者の失踪と魔王の復活の話題は、こちらの大陸にも噂が広がっている。だが、賞金首となった俺を捕まえる為に、ロザが大々的に動いたなんて話は一切聞こえてこない。
隣の大陸事情に首を突っ込む余裕がない状況だからだろうか。
仮に、今現在も俺が賞金首扱いのままだとしても、モアモッツァ大陸で俺の身柄を拘束し、魔王が復活したエルデール大陸へと連れて行く手間を考えたら、どう考えても割に合わないだろう。
但し、聖銀の鎧兜を堂々と競りに出せばしまえば、俺が聖銀の騎士であることが発覚すると同時に、魔人ルオーガを討伐したことも知れ渡ってしまう。
最近の俺は、コルンの町でまったりのんびりと暮らしていきたいと考えている。故に、俺の正体が明るみに出て目立つのは極力避けたいのだが……。
「代わりに売ってくれる奴がいないものかな」
「アルガ、きみがきみの代わりに競りに出せばいいではないか」
「……俺が俺の代わりに?」
イリールはイタズラな笑みを浮かべている。
「よく聞け、アルガ。これは良い機会だ。きみはジリュウの代わりに本物の勇者になるといい」
「は?」
「きみがエルデール大陸で追放処分になった時、ワルドナの民でその場に居合わせた者は一人もいない。つまりだ、きみが本物の勇者だと公言し、アレを競りに出せばいいのだ」
「いやいや、さすがにそれは無茶だろう。顔も紋章も違うから、すぐに嘘だとバレるぞ」
「勇者の紋章は、唯一無二らしいじゃないか。しかしアルガ、それはきみの紋章も同じだろう?」
その言葉に、俺は己の胸元へと視線を落とす。創造神より与えられし俺の紋章は、ジリュウが持つ【勇者】の紋章と同じく、他に持つ者がいなかった。
二つの紋章は、どちらも似た形だ。俺が持つ紋章が本物の【勇者】の紋章だと公言してしまえば、少なくともモアモッツァ大陸では俺が勇者として認識されることになる、とイリールは言っている。
とはいえ、図鑑に記された【勇者】の紋章は、ジリュウが持つ紋章の方だ。それに何より、ジリュウの顔はエルデール大陸以外にも広く知られている。……まあ、なれると言われてもジリュウの顔にはなりたくないものだが。
「悪いな、イリール。俺は別に勇者になりたいわけではないんだ。この町で平凡な日々を送ることができればそれで満足なんだよ」
「ふむ。欲の無い男だな、きみは」
「目立ちたくないだけさ」
「致し方ない。であれば私がひと肌脱ごうではないか」
ドンッと己の胸を叩き、イリールがソファから立ち上がる。
「魔人ルオーガ討伐を果たした者の姿形を伝えたのは、この私だ。故に、私がアレを競りに出せば、偽物と疑う者もいるまい?」
「イリールが代理出品してくれるってわけか」
勇者本人の装備か否か判断する材料は、出品者がイリールという点で誤魔化すことが可能だ。
魔人ルオーガを倒した人物の装備一式であることはイリールがその身を持って証明しているので、疑う者もいなくなる。イリールが口を滑らせるようなことがなければ、俺の顔や居場所がワルドナ国の人々に知れ渡ることもないだろう。
「確かに、それなら悪くないか……」
「では決まりだな。さあ、ゆくぞ」
「えっ、今から!?」
「当然だ。時は金なりと言うだろう?」
スッと手を差し出し、握手を求めてくる。しかし残念だな。クーが俺の膝を枕にして眠っているので、俺はイリールの手を握ることはおろか立ち上がることすらもできそうにない。
というかそもそも、コルンからワルドナの王都までどれほど距離があるというのか。装備一式を手放したいからといって、ほいほいと長旅に出ることは難しいと思うのだがな。
「時間は確かに大切だが、今はクーのお昼寝を優先しよう」
「むっ」
イリールと会話しているうちに、冒険者組合の業務開始時間となったらしい。ルノが職員専用部屋から姿を現すと、いそいそと受付に移動する。
「おっしゃあ! 今日も一番乗りだぜえっ! って、げえええっ!?」
意気揚々と扉を押し開け、組合内部へと足を踏み入れたのは、【盗賊】の紋章を持つダーシュとその取り巻き達だ。朝から元気な奴らだ。
「一番乗りじゃなくて残念だったな、ダーシュ」
「てめえっ、まだ開店前だったろーが! どうやって入ったんだよ!!」
ルノの厚意に甘えた結果だ。ダーシュに言うつもりはこれっぽっちもないのだがな。
因みに、本日の一番乗りはクーで、二番乗りがイリール、そして三番乗りが俺である。
「ふへぇ~。皆さんおはよ~ございますぅ」
出遅れて更に一人見知った顔が登場する。冒険者組合が開く時間丁度に出勤してきたのはミールだ。お前は冒険者じゃなくて組合職員なのだから、早めに顔を出すべきだろう。
「アルガ様」
「ん?」
仕事を始めるルノが、受付越しに顔を近づけ、耳元でそっと俺の名を囁く。そして、
「今日も一日、平和に頑張りましょうね」
と言って優しく微笑んでくれるのであった。
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