【十五章】笑顔が怖いのは何故だろうか

「てめえらっ、今すぐ冒険者を掻き集めやがれ!」

「えっ、……ダーシュ様? いきなり何を仰って……」

「裏山に見たことねえ魔物がいたんだよ! このままじゃ町に入って来るぜ!」

 空が暗くなり始めた頃、冒険者組合の扉が勢いよく開かれた。ダーシュとその取り巻き達が、受付場のルノの許へと駆け寄り、口早に告げる。

「見たことのない魔物ですか?」

「ああそうだ! スライムでもゴブリンでもねえぞっ」

 町の裏山に生息しているのは、二種だけだ。裏山の反対側まで進めば、オークの生息地へと入ることになるが、ダーシュ達が見た魔物は、その何れでもなかった。

「なんだなんだあ? またダーシュが騒いでいるのかい?」

「ボードン! てめえ丁度いいところにいやがったな! 今すぐ俺に手を貸せ!!」

「なんのことだあ?」

「ダーシュ様が仰るには、何やら見たことのない魔物が裏山に現れたそうでして……」

「気のせいだろう? 酒でも飲み過ぎたかあ、ダーシュ?」

「飲んでねえっ、てめえら少しはオレのことを信じやがれっての!」

「いや、だってダーシュだし……」

 チッ、と舌打ちする。その表情には、焦りが見え隠れしていた。それもそのはず、ダーシュは実際に魔物の姿を見た。己の言葉が嘘ではないことぐらい分かっている。

「とにかくだ! 此処にある武具を片っ端から出しやがれ! オレ達で迎え撃つぞ!!」

「何も来なかったら飯奢れよなあ」

「組合連中が奢ってやるぜ」

「ええっ!? 勝手に決められては困りますっ、ダーシュ様!」

「バカか、町がヤベエかもしれねえんだぞ? 飯で済めば安いもんだろうが!」

 素行の悪いダーシュだが、この町が無くなってしまっては困ると考えている。

 アルガだけでなく、ダーシュにとっても、此処は住み心地がいい場所なのだ。

「ううー、こんな時にアルガ様がいたら……」

 有無を言わさぬダーシュを前に、ルノは組合長として決断する。渋々ながらも奥の部屋へと入り、多種多様な武具の状態を確認していく。

「どんな魔物なんですかねえ? あたし、ドキドキしてしまいますう」

「ミールは受付に戻ってて。こっちはわたしがするから」

「は~い」

 町の一大事に、ミールは楽しげだ。

 一方で、アルガとクーの姿が見えないのは、今日は既にルノの宿屋へと戻っているからだ。

「……あの、これでよろしいでしょうか」

「もっとマシなもんはねえのかよ!」

「申し訳ございません、これ以上の武具は在庫が……」

 大きな箱に詰められた武具を、ルノがせっせと運ぶ。持ち上げるには重すぎるので、床に置いて押し進める。箱の中に仕舞われたものを見たダーシュは不満げな様子だが、町の武具屋は閉店しており、組合に頼る他にない。

「おらっ、てめえら武器を持ちやがれ!」

「おおーっ」

「よっしゃあっ! この町の平和の為に、ひと肌脱いでやるぜ! だからてめえらの力を貸せ!!」

「うおおおーっ!!」

 声を上げているのは、ダーシュの取り巻き達だ。

 他の冒険者達は、特に叫ぶことなく武具を手に取っていく。

「おい、ダーシュ。裏山側を見張ればいいのかあ?」

「おう! そっちから来るだろうからな!」

「あ、あのっ、アルガ様はお呼びしなくともよろしいのですか?」

「ああん? 必要ねえだろ。オレがいるんだからな」

「じゃあ俺達に頼るなよなあ」

「それはそれ、これはこれだろうが!」

 行くぞ、と号令を掛け、ダーシュ等が組合の外に出て行った。

 彼等の背を見送った後、ルノはすぐに受付場から移動する。

「あれっ、ルノ先輩どちらに行くんですかぁ?」

「アルガ様を呼びに行くから、受付お願いね!」

「ええっ? あたし一人でですか? そんなの無理ですよぉ」

 教育係でもあるルノが留守にすることで、ミールは内心喜ぶ。それを知らないルノは、アルガの許へと急ぐことにした。しかし、

「来たぞ! あいつだ!!」

「ッ」

 暗闇が強くなりつつある町の中に、ダーシュの声が響く。慌てながらも声の方へと向くと、コルンの町の冒険者達が勢揃いしていた。更にその先に、ゆっくりと動きながら近づく者の姿がある。

「あれが……っ」

 そこにいる誰もが、声を出せなくなった。

 ダーシュの一声のあと、魔物の姿を見た彼等は、皆一様に口を閉ざしてしまう。

「ぅう……ぁあ」

 苦しげな声を発する魔物は、人の姿形を成していた。だが、それはやはり人ではなく魔物だ。スライムやゴブリンよりも明らかに危険度が高いに違いない。コルンの町の冒険者達は、足が竦んでいた。

 オークと対峙した時は、戦う意欲があった。しかしながら今回は別だ。

 動きが鈍く、一見すると大したことなさそうにも見えるが、この魔物からは大量の殺気が漏れている。近付くだけで殺されるかもしれない気配が漂っているのだ。

「お、おい、……ダーシュ、声を出したらこっちに来るぞい」

 ひそひそと、ダーシュとボードンが言葉を交わす。幸いなことに、魔物は民家や彼等を襲う素振りは見せない。只々のそのそと町の中を徘徊し、何かを探していた。

「今のうちに、アルガ様を……」

 様子を見ていたルノは、好機と判断したのだろう。魔物に気付かれないように、そっと宿屋への道を進み始めた。が、

「おい、後ろを向いたぞい」

「……今なら、多分倒せるぜ。一瞬で息の根を止めりゃ勝ちだ!」

 背を向け、別方向に進む魔物の姿に、仕留める機会が巡ってきたと勘違いした。

 ダーシュ達は意を決する。各々が武器を手に、魔物の首を獲るべく駆け出す。

「おわっ!! っとおおおっ、てめえ急に止まんじゃねえ!!」

「それはこっちの台詞だぞい! 怖気付いたのか、ダーシュ!」

「てめえが最初に飛び掛かりゃいいだろうがっ、そーすりゃてめえが囮役になって、オレが攻撃をし易くなるってのによ!!」

「俺は餌じゃないぞい! 言い出しっぺのおまいさんが囮になるべきだろう!」

 攻撃を仕掛ける直前、ダーシュ達は一斉に足を止めた。誰が先頭に立つか揉め始めてしまう。

「……う、うぅ」

 彼等の声が、魔物の興味を引く。その結果、ルノの姿を見つけてしまった。

「ぁ、……れ、あの……き、の……っ」

 歩調が速まる。

 のそのそと歩いていた魔物は駆け足となり、ダーシュ達の間を割り、町の先へと走りゆく。

「おいおいおい! 危ねえぞっ、今すぐそこから逃げろ!!」

「――えっ」

 ダーシュの声が、ルノの耳に届く。

 振り向くと、すぐ傍に魔物の姿があった。

「きゃあっ」

 魔物が腕を振り被り、ルノへと襲い掛かる。

 突然のことに驚きを隠せないルノは、死への恐怖に目を瞑り、立ち竦んでしまった。……だが、

「……ぁ」

 弾ける音が、ルノの傍で鳴る。

 と同時に、ルノは自分の体がふわりと浮かび上がる感覚を覚えた。

 閉じていた目をそっと開けてみる。何故だろうか、魔物は少し離れた場所にいる。自分の身に何が起きたのだろうか。

 その答えは、すぐに分かった。

「あ、……アルガ様?」

「大事はないか」

 ルノの体を抱くのは、鎧兜を脱いだ身軽な恰好のアルガだった。

「ど、どうしてここに……」

「魔物の気配を感じたからな」

 アルガは、優しく笑う。

 そっと、ルノを下ろすと、魔物へと目を向ける。

「この町は、俺にとって大切な場所だ。それを壊すつもりなら……」

 生憎と武具は持ち合わせていなかった。けれどもアルガは動じない。油断しているわけではないが、決して揺るぐことのない自信を持ち合わせていた。

 故に、その言葉を口にする。

「お前の命、摘み取ろう」

「うう……ぁ、グガガ……」

 魔物が声を出す。

 この魔物が何を考えコルンの町に来たのかは知らないが、そんなことは関係ない。

 魔物が来れば排除する。ただそれだけだ。

「ルノ、今からアレを殺す。安全なところに避難しておいてくれ」

「だ、大丈夫なのですか?」

「心配するな」

 ボードンやダーシュ達は、魔物を挟んで反対側に立っている。皆の安全を確保しながら戦う必要があるが、俺は武具を持っていない。ルオーガ戦の時と同様に、背におんぶした状態で戦うこともできなくはないが、ルノは振り落とされそうな気がする。

 だとすれば、早い段階で距離を取り、戦う事だけに集中した方がいい。

「さあ、戦うか」

 魔物が攻撃を仕掛ける前に、地を蹴る。一気に間合いを詰め、魔物の目を俺だけに向けさせる。

「グガッ、ガアッ!」

 魔物も、俺の姿を認識したのだろう。

 反射的に両手を握り、思い切り振り下ろしてきた。

「――っと」

 直前で足を止め、横へと方向転換し、体を一捻りする。

 すぐに体勢を整え腰を下げると、加減することなく右拳を繰り出した。

「グ」

「効いたか?」

 脇腹付近に直撃する。

 急な反撃に魔物は真横へと倒れ掛かるが、片足に力を込め踏ん張ったのだろう。地面に転がることはなかった。あまり痛がっていない様子から察するに、腕力や体力に特化した型の魔物と見て間違いない。攻撃速度はそれなりだが、機敏に対応するのは苦手か。図体の大きさが仇となっているな。

 俺の姿を瞳に映し、攻撃を仕掛ける頃には、既に次の動作へと突入している。

「ガッ、ガフッ、ガガッ」

 何かを訴えるかのように喉を鳴らし、二つの目が俺の姿を捉える。

 だが残念だな、人語を操れない魔物の言葉など、俺には到底理解することができない。

「武器が無いからな、簡単には死ねないぞ」

 基本的には、俺は剣術に特化した戦闘形式を取っている。

 ただ、その他の戦い方に関しても旅の途中で学び続け、魔物との戦闘で腕を磨いてきた。武具を持たない状況下で戦うことも、過去には多々あったからな。

 だから今も大した問題ではない。武具が無いのであれば、己の拳と脚を使うまでだ。

「アルガッ、てめえ一人で全部掻っ攫うつもりじゃねえだろうな!? そいつはオレの獲物だぞ!!」

 武器を手に、ダーシュが視界の端で右に左に動きつつ、罵声を浴びせる。

 あいつはいったい何がしたいのか。

「てめえだけじゃ死ぬだろうがっ、オレの力が必要だってはっきり言いやがれ!」

「はいはい、分かったからそこで見ていてくれ」

「ちっ、仕方ねえからここで見ててやるぜっ、手後れになっても知らねえぞ!?」

 素直な奴だ……。気持ちは嬉しいが、手出しされたら逆に困るからな。

「ガアッ!!」

「おわっ」

 余所見厳禁、声に気付いて意識を戻す。魔物が体当たりを仕掛けてきた。

「あっぶねえ」

 半歩、横にズレる。体当たりをかわし、向き直す前に背を殴った。

 ……硬いな。筋肉が壁の役を担っているみたいだ。

「おらっ、全然効いてねえぞ!」

「そうだそうだ! こうなったら俺達のダーシュが加勢するしかねえな!」

「えっ? いやいやちょっと待てよ、オレは今お腹が……アルガがボコボコになってどうしようもなくなったら助けてやろうって考えてんだよ!」

「ふうー、さすがダーシュ! 英雄は遅れて登場するからなー」

「くっ、くっくっくっ、だからアルガァ! てめえ絶対に倒せよな! オレの出番を作るなよ!!」

 耳を塞ぎたい。とりあえず外野は口を閉じてほしい。主にダーシュとその取り巻き達のことだが。

「……ん?」

 気が散ってどうしようもない時に限って、更に面倒なものを見つけてしまう。

 あの野郎、何故ニヤニヤしながら手を振っているのか。

「ふれ~、ふれ~、アルガさん~。頑張ってくださいですう~」

 安全圏で、ミールが笑顔で手を振っていた。この町の住民は癖が強い奴が多いぞ。

 ああ、ダメだダメだ。余計なことは考えるな。

「頭部を狙うか」

 脇腹辺りは影響が少ないみたいだから、今度は頭部だ。脚を狙うのも有りだと思うが、肉の壁が分厚そうだからな。背中同様に硬そうだ。

 問題は、俺の手が耐えられるか否か。

 格闘訓練をしたことはあるが、俺は格闘系の紋章持ちではない。このまま戦い続けたとして、先に俺の拳が壊れる可能性も大いにある。

 その辺を見極めながら戦うべきだな。

「おらあああっ!!」

 とか考えていたら、ダーシュが何かを投げてきた。

 あれってまさか……。

「ダガーか!? って、危なっ!!」

「オレの出番は無しだからな! それでどうにかしやがれや!!」

「これでどうにかする前に、俺に刺さるところだったぞ!」

「それはそれで有りかもしれねーと思ったぜ!」

 よし、魔物狩りが終わったら殴ろう。今決めた。

「……まあ、有り難く受け取っておくか」

 一応、ダーシュの好意だ。武器があるとないとでは、雲泥の差だからな。

「ふう、中々面白い形状の武器だな」

 手にしっくりくる。よく見ると、通常のダガーとは異なる形をしている。鍔が無く、柄頭には突起のようなものが作られてあった。【盗賊】専用の武器なのか。手入れもしっかりと行き届いている。

「切れ味を確かめるか」

 魔物の動作を先読みし、反対側へと回り込み、ダガーで腕を斬り付けた。

 肉壁を裂き、赤い血が噴き出す。

「ギッ、ガガッ」

「今度は効いたな」

 結局、得物に頼ってしまった。いつ何時、魔物が町に襲い来るか定かではないから、今後は武器になるものを常に携帯しておく必要があるな。

「早めに終わらせるか」

 この武器は使い易い。正直言うと、ダーシュには勿体ないほどだ。

 とはいえ、今は先ず目の前の敵に意識を集中させよう。首を裂き、息の根を止めてから、魔核を粉々に破壊する。

「ねー」

「――ッ!?」

 が、次の攻撃を仕掛ける直前、背後から声が掛けられた。

「クー、なんでここに?」

 いつ来たのか、クーが傍に佇んでいた。

「アルガのあとねー、おっかけてきたよ」

「……はあ。危ないから、ルノの傍に隠れておけ」

 今までに見たことのない魔物が相手だ。倒せることは間違いないが、不測の事態が起こらないとも限らない。クーが怪我をしてからでは意味が無いからな。

「あの人、ころしちゃうのー?」

 小首を傾げ、クーが指差す。

「当然……ん?」

 その台詞に、引っ掛かりを覚える。

「……あの人?」

「うんー」

 人とは、どういう意味か。クーは何を言っているのか。

「あの人、このまえご飯ちゅうに来た人でしょー? ころしちゃうのー?」

「ご飯中? ……まさかっ」

 視線を、魔物へと戻す。

 姿形は全くの別物だ。面影など微塵も無い。アレはどこからどう見ても魔物だ。それなのに……。

「……イリールなのか?」

「うんー。クーね、あの人の心をよんだの」

 クーは、他者の心を読むことができる。

 それはつまり、あの魔物が何を考えているのか全てお見通しということだ。

「まかくー? みたいなのをね、さわっちゃったんだってー」

「魔核を触った?」

「うんー。体のなかにはいってきたみたい」

 魔核。それは魔物や魔人の体内に存在する心臓のようなものだ。魔力を蓄え放出し、自在に操ることができる。しかし何故、イリールの体内に魔核が……。

「そしたらねー、別のわるい人がアルガのこところしにいけーってめいれいするんだって」

「……ああ、そういうことか」

 息を整え、俺は魔物と目を合わせる。

 すると、魔物ではない別の何者かの声が響いた。

『相変わらず、きみは気付くのが遅いよねえ』

「ルオーガ、お前なのか」

『うん、正解だよーん』

 何者かに命じられたかのように動きを止めた魔物は、何処となく悲しげな表情を向けている。

『この子がさあ、魔核の欠片に触れてくれたんだよねえ。おかげさまでギリギリ生き延びることができたってわけだよ、あははっ』

「……ふざけた野郎だ」

 ルノの宿屋で喧嘩別れした後、イリールはエザの町へと戻った。その時、ルオーガの魔核の欠片に触れてしまったというわけか。つまりこれは、粉々に砕かなかった俺の責任だ……。

「追い掛けるのを止めなければ、イリールは魔物にならなかったのか」

『うんうん、そういうこと! 全部きみのせいでこうなったのさ』

「……全く気付いてやれなかったんだな」

 あの時、町内を探し回ったが、イリールの姿は何処にも見当たらなかった。

 エザの町へと戻ったことは明白だったが、そこまで追い掛けようとしなかった俺の判断が誤っていた。町の皆に受け入れられたことが嬉しくて浮かれすぎていた。

『ああ、言っておくけどさ、僕を殺そうとしても無駄だよ? 実際に死ぬのは、この子自身だからね』

 ならば、どうすれば勝てるというのか。イリールを殺さずにルオーガを殺すなんて……。

 イリールが調合した薬を飲めば、魔力の流れが手に取るように分かる。そうすることで、ルオーガの魔核の欠片がどの部分に隠されているのか、瞬時に見極めることが可能だ。しかしながら、薬は手元に無い。それにそもそもの話だが、ルオーガの話を事実だとすれば、欠片の在り処を見つけたとしても、破壊した瞬間にイリール自身も死ぬことになるのではなないだろうか。

「あのね、たすけてーって言ってるよ」

 とここで、クーが声を掛けてくる。

「イリールの声が聞こえるんだな……」

「うん。クーがおしえよーか?」

「……分かるのか?」

「ううん。あの人がおしえてくれたの」

 あの魔物がイリールであることを教えてくれたのは、クーだ。

 そしてクーは、イリールの心の声を読むことで、欠片の在り処を見つけ出すことができる。

「何処にある」

「んー。左のあしのねー、ふともものところー」

 死ぬか生きるか、先は不明だ。

 ホルンを亡くし、エーニャは安否不明になり、更にホルンの妹まで喪うことになるかもしれない。

 ただ、イリールを魔物のままにしておけない。だからやるしかないだろう。

「肉壁を裂き、魔核の欠片を取り出すぞ」

『無駄だって言ってるのに、話が通じない人間だねえ』

「グルルッ、グガッ」

 獣のような声を上げ、頭部に角を生やした魔物姿のイリールが構える。

 心の中では助けを求めていても、欠片を体内に取り込んでしまったことで、自由が利かないのだ。

 魔人ルオーガは、俺との戦いに敗れ、魔核を破壊された。その魔核の欠片には、ルオーガの意思自体は残されていないと思っていたが、俺への復讐心だけは消えなかったのかもしれない。イリールの意思とは関係なく、俺を殺したい一心で、イリールの体を操りエザの町から此処まで来たのだろう。

「全部、俺の責任だが……」

 ルオーガの魔核を破壊し損ねていたこと。

 イリールが欠片に触れてしまったこと。

 魔物と化したイリールが町の平穏を脅かしていること。

「その責任は必ず取る」

 どれもこれも、全て俺が関わっている。これは俺の手で解決しなければならないのだ。

「左の太ももの辺りか」

 背後へと回り込み、ダーシュの武器を突き立て抉り取るか。

 それとも、太ももを縦に斬り付け、この手で肉の壁を開いて取り出すか。

「……痛いだろうな」

 どのやり方にしろ、イリールが苦しむことに変わりはない。

 コルンの町には、エーニャが持つ【癒術師】の紋章を授かった者はいないからな。欠片を取り出したとしても、回復魔法で傷を治すことはできない。魔道具の類に頼るしかない。

 可能な限り傷付けず、痕を残さず、最小限に抑えておきたいところだが……。

「ガアアアッ!!」

「そうはいかないか」

 両脚に力を込め、イリールが思い切り飛び上がった。全身を武器に見立て、真上から落ちてくる。

「くっ、自ら傷付くか」

「グガアッ」

 クーを抱きかかえ、後方へと下がった。今まで立っていた場所にイリールが着地するが、受け身を取れずに手足を痛めたらしい。だが、それでも肉の壁は厚く、大した影響はないように思える。

「ちゃんとねらえるー?」

「任せろ」

 戦闘中にも関わらず、クーは普段通りの様子で話し掛けてくる。この状況を危険だと感じていないのか。そんなクーの頭を撫で、前へと出た。

「これでどうだっ」

 イリールの傍へと駆け、顔面目掛けてダガーで突く。

 勿論、当てるつもりはない。寸でのところで仰け反り回避するのを見越して、次の動作へと移る。

 腕を引き、突いた武器を戻すと、すぐさま身を屈めて左側へと回り込む。太ももの裏ががら空きだ。

「少し痛むぞ……っと!?」

「ガアアアッ!!」

 強引に体を捻り、イリールは左太ももを死守する。欠片が命令を下しているのだろうか。イリールの体が壊れようがお構いなしに動かしている。

「くっ、惜しい……っ」

 イリールとの距離を取り、間合いを保つ。

 後方にはクーの姿があるが、俺とは離れた場所にいるので問題あるまい。

「……これは面倒だな」

 傷付けずに戦うのは骨が折れる。一点のみを狙うのは問題ないのだが、それ以外の場所を攻撃することで隙を生み出すこともできなければ、その場所を中心に守りつつ攻撃を仕掛けてくるのだからな。

 痛みは与えたくないが、時間が経てば経つほどイリールは体を痛め、自滅してしまう。

「そうなる前に、やるしかないか」

 自ら壊れてしまうなら、俺が壊すしかない。そうならないことを願ってはいるが……。

「おいこらっ! チンタラやってんじゃねえぞ! さっさと殺しちまえ!!」

「そうだそうだ! じゃねーと俺達のダーシュが手柄を横取りしちまうぜー?」

 あいつ等は、殴るだけでは物足りないな。

「こっちの事情も知らないくせに……ッ」

 再び、イリールが突進してくる。

 直線的な動きであり、速度自体はそれほどでもないので、避けることは可能だ。

「今度こそ……くっ」

「グルルルウッ!!」

「っとお、またかっ!」

『あははははっ、この子はきみに殺されるよりも先に自分自身を傷めて死んじゃうかもねえ』

 ルオーガの声が辺りに響く。

 地面を横に転がり上体を起こし、立ち上がらずに低めの姿勢で腕を伸ばす。ダガーで太ももの裏を突き、肉の壁を裂きたかったが、イリールはまたしても強引に脚を守る。頭から地面にぶつかり、角が折れ、怪我を負うが、本人の意思は関係ない。欠片さえ無事ならば、それでいいのだからな。

「……埒が明かないな」

 欠片だけは守りながらも、捨て身の攻撃を続けるイリールは、何れ限界が訪れるはずだ。そうなる前に、蹴りを付ける必要がある。

「イリール、悪く思うなよ」

 誰の耳にも聞こえないように、ぽつりと呟く。

 息を吸い、すぐに吐いた。右の靴の踵を少し上げ、指でなぞる。……と。

『――なにッ!!』

「えっ、え? アルガ様が消え……」

 一瞬の出来事だ。この場にいる誰もが、俺の姿を視認することはできなかっただろう。

 踵を指先で触ると同時に、右脚に魔力が宿る。予め靴に施し付与した魔力を解放したのだ。

 これまでとは異なる圧倒的な速度で飛び出し、背後へと移動する。イリールは何が起きたか理解できていない。故に、欠片を守る動作が遅れた。

「グッ、ガアアアッ!?」

『まさか、どうやってそんなに速く動いて……ッ』

「裂いたが……本当にあるのか」

 左の太ももの裏を突き、縦に裂く。

 肉の壁から血が溢れ、イリールに激痛を与える。

「ガ、ガッ、ガガアッ」

『止めろっ、止めるんだ! この子が死んでもいいっていうのかい!?』

「すぐに終わる」

 だから耐えてほしい。

 後頭部を手で抑え付け、強引に押し倒す。

 イリールの背に跨ると、暴れ始める前に、肉の壁の中に指を突っ込んだ。

「……嫌な感触だ」

 人の体の内側を弄るというのは、こんな感じなのか。……だが、この行為も時期に終わりを迎える。

「見つけたぞ」

 にちゃっ、と音がする。指が肉を擦り、血が滑る音だ。

 肉壁から脱出を果たした俺の指は、小さな異物を摘まんでいた。

『こ、こうなったら、きみに乗り移って……』

「それは無理な話だ。今からお前は完全な死を迎えるのだからな」

 左の太ももから取り出したもの、それは魔人ルオーガの魔核の欠片だ。

『止めっ、……分かった、もうこれ以上は何もしないと誓うよ! だから僕を破壊など……』

「死ね」

『ぐううううっ、ただの人間風情がっ、この僕を殺すなどおおおおおおおっ、お――』

 地面に落とし、粉々になるように踏み潰した。その瞬間、ルオーガの悲鳴がぱたりと止んだ。

「おわったのー?」

「一応な」

 クーの声に反応し、イリールへと視線を戻す。魔物の姿を成していたはずのイリールの体に、徐々に変化が見られた。実に不思議な光景だ……。一度は魔物と化したが、再び人の姿を取り戻すとはな。

「……これからが大変だぞ」

 イリールは重傷だ。冒険者組合から薬剤を運んでこなければならない。但し、怪我を負ったのが危険な個所ではなくてよかった。魔核の欠片が体内に取り込まれた状態で破壊した場合、ルオーガの言うとおりになっていたかもしれない。だが、俺はクーの言葉に導かれ、魔核の欠片を取り出すことができた。完全勝利と言っても過言ではないだろう。

「う、……うぁ」

「意識が戻ったか」

 苦痛に顔を歪め、体を捻りながらも、イリールは薄っすらと瞼を開ける。

 しかしこれは非常にまずい。

「ルノッ! と、ミール! すぐに来てくれ!」

「はっ、はい! なんでしょうか、アルガ様ッ」

「恐くてそっちに行けないですう~」

 俺の呼び掛けに、ルノが急ぎ足で駆けてくる。が、ミールは全く近づいてこない。あの野郎……。

「なんでもいいから、体を隠せるものを持って来てくれ! あと、止血用の包帯と回復魔法が付与された魔道具も頼む!」

「隠せるものですか!? わ、分かりました! でもどうして……あっ」

 ルノの目が、イリールへと向けられる。と同時に、俺は目を逸らした。

 先ほどまで魔物の姿を成していたイリールは、元の姿に戻っている。

 だが、服を着ていない。

「ねえー、アルガー。この人はだかー」

「俺に言うな……」

 目の毒だ。いや、良薬か?

 とりあえず、早く何か着せてやってくれ……。


     ※


「……うっ、うああっ!!」

 イリールの全身が、ばねのように跳ねた。瞼を開け、必死に起き上がろうと試みるが、己の体を襲う激痛に勝つことができず、全く動くことができないらしい。

「目が覚めたか」

「ッ、……くっ、むっ。……そこにいる、のは……アルガかっ」

 ベッドに横たわるイリールは、目だけを動かし、俺の姿を見つけ出す。

「……こ、ここはどこ……だ」

「ルノの宿屋だ」

 魔核の欠片を破壊した後、僅かに意識が戻ったかと思えば、イリールはすぐにまた気を失った。太ももだけでなく、全身が傷だらけだからな。ある意味当然か。

 真っ裸のイリールに、ルノが服を用意してくれた。応急処置も行い、そのまま運んできたわけだ。

「……わ、私は生きているのか」

「死んでいるようには見えないな」

「し、しかし私は……体の中から、アレが抜け出た時、死んだかのような気分に……ぐっ、いや、多分生きているのだろう。この痛みが……それを教えてくれる」

 眉をしかめ、溜息を吐く。

「……手を、貸してくれないか」

 まだ、一人では起き上がることもままならない状態だ。

 傍に寄り、イリールの後頭部を手で支え、もう片方の手を背に回す。

「起こすぞ」

「む」

 意識はあるが、全身の力が抜けているのだろう。こいつを背負ったまま、魔人ルオーガと戦っていた時と比べて、重さが増した気がする。

「これでいいか」

「……すまない。助かった」

 ようやく上体を起こし、ゆっくりと肩を上下しながら息をする。少しずつ体に力が入ってきたようだが、暫くは安静にしていた方が身の為だ。

「おちゃー」

「アルガさん、お飲み物をお持ちしまし……た」

 部屋の扉を開け、ルノとクーが入ってくる。飲み物を用意してくれたらしい。

 先の戦闘以来、何も飲んでいなかったからな、喉が渇いていたから有り難い。

「ありがとう、ルノ。……って、どうかしたか」

「いえ、いえっ、……その、何をされているのかと思いまして」

「起き上がりたいと言われてな、手を貸していたんだ」

「あっ、……あはは、そうだったのですね! あ、あはは、よかったです……」

 照れるように笑うルノは、いそいそとテーブル上にコップを置く。

 イリールの傍へと近づくと、僅かに頭を垂れた。

「先ほど、ワルドナ国に報告をしました」

「伝達魔法か」

「はい。十日ほど掛かりますが、熟練度の高い【癒術師】の方に来ていただけるそうです」

 イリールの傷の手当てを完璧に行うのは、まだ先のことになりそうだ。

「イリール、体に異変は感じないか」

「……む。意識も保つことができている」

 欠片の影響は無しか。

 一度は魔物の姿になったとはいえ、元の姿に戻ることが出来て安堵していることだろう。だが、

「ところで、それは取れないのか?」

「む? それとはなんだ」

「頭の……それだ」

「……む? むっ、むっ!? 何か付いているのか!?」

 付いている。折れた角が。

「角が……な」

「むむっ。私は魔物になってしまったのか?」

「まものじゃないよー?」

 クーが口を挟む。魔物のクーがそういうのであれば、安心できるか。

「紋章があるなら大丈夫のはずだ」

「むっ、ならば見てくれ! 私の胸元を見てくれ!」

「いやいや、俺に頼むな」

「わ、わたしが見ます!」

 代わりに名乗りを上げ、ルノが胸元を確認してみる。

「ちゃんとありました。この紋章は……【調合師】ですかね?」

「む。あったか……よかった……」

 角は生えたままだが、人間ではあるらしい。なんとも中途半端な状態だが、元気ならいいか。

「……アルガ」

 とここで、イリールが表情を曇らせる。

 下唇を噛み締め、苦しげな顔で俺達を見た。

「私は、取り返しのつかないことを……」

「していませんよ、イリール様」

「……む」

 言い切る前に、ルノが口を挟んだ。

 優しく目元を緩ませ、イリールの手を握ってみせる。

「イリール様は、操られていただけなのです。何も悪いことはしていませんからね」

「だ、だが……私は……ッ」

「ルノの言うとおりだ」

「ッ、……アルガ、きみまで……ッ!!」

 別に恰好付けるつもりはない。全ての原因は俺なのだからな。

 ただ、イリールは自分だけが悪いと思い込んでいる。その気持ちが以後も残り続ける限り、心の隙を突かれる可能性があるだろう。

 そんなもの、綺麗さっぱり無くした方がいい。

「早く元気になって、エザの町に人が住めるようにするんだろう」

 当面の目標は、エザの町の復興だ。

 ワルドナ国が支援してくれるだろうから、その点に関しては問題ないはずだ。

「……どこまでも、きみ達はお人好しなのだな」

「違う違う、厄介払いしたいだけだ」

「あの、アルガ様。もう少し柔らかい言い方を……」

「ルノ嬢と言ったか? 私には十分伝わっているから構わない」

 くくっ、と喉を鳴らし、イリールが頬を緩めた。

 視線を下げ、太ももの辺りを擦っている。触れた感触が鈍く、不安なのだろう。

「ところで、私の脚は……これまで通りに動くのか」

「知るか」

「だっ、大丈夫です! 安心してください、イリール様! ……もううっ、アルガ様ッ、不安を煽るようなお言葉は謹んでくださいっ」

「俺は魔法を使えないから分からないんだよ。……ただ、」

 イリールの左太ももを触り、ゆっくりと持ち上げていく。包帯を巻いてあるので傷口は見えないが、案外重傷ではなかったようだ。

「肥大化した肉の壁のおかげだな。元に戻った時には、傷口自体が縮んでいたからな」

 脚を下ろし、手を離す。魔物の肉体に感謝しておくといい。

 更に言えば、太もも辺りの肉の壁は欠片を守る為に厚みがあった。それが不幸中の幸いだったな。

「む……」

 ホッとしたのか、イリールの体から力が抜ける。倒れる前に背に腕を回し、ゆっくりと寝かせる。

「……アルガ、きみには二つの貸しができたな」

「どうでもいい。忘れていいぞ」

「ふっ、それは無理な話だ。私は既にアルガのことを……いや、まあいいだろう」

 横目に、ルノの体が揺れる。今日は色々とあったからな、疲れが溜まっていてもおかしくはない。

「イリール、お前に言っておくことがあったな」

「む。私にか」

「ホルンのこと、知りたいんだろう」

 その名を口にすると、イリールは再び起き上がろうとする。だが、肩に手を置いて制した。

「寝たままでいい」

「しかしっ」

「長くなる。だからそのままでいいんだ」

 俺の過去を知る者は、この町にはルノとクーしかいない。

 今此処でイリールに語ることで、三人へと増えることになる。

「俺は【勇者】の固有能力で生み出された分身体などではない。正真正銘、生身の人間だ」

「……やはりか」

 あの時も言っていたが、中々に勘の鋭い奴だ。

「俺が何者なのか、お前には知る権利がある。……聞きたいか」

「む。当然だ」

 ならば話そう。そうすることでホルンとの出会いから別れまでも語ることができる。

「その前に一つ、いいだろうか」

「ん? なんだ」

 何かを思い出したのか、イリールが目を泳がせる。心なしか、頬が赤くなりつつある気が……。

「アルガ、きみは……その、私が元の姿に戻った時、……見たのか?」

「ん?」

「私の、……ほら、あれだ。……この、その、私のはだっ、……か、を」

 真っ裸のイリールの姿を見たのかと。……ああ、やはりあの時、意識があったのか。

「ああ、いきなりだったからな、少しは……」

「見ていませんよね、アルガ様?」

 声が挟まる。隣を見ると、ルノがニコリと微笑んでいた。

「え、あ、……ああ。そう、そうだな! 見てないぞ!」

「だそうですよ、イリール様」

「むっ、そうなのか? ……うむう」

 ルノの笑顔が恐い。何か気に障ることを言っただろうか。

「さあ、アルガ様。お話の続きをどうぞ」

「お、おお……」

 そう言われても、ルノの様子が気になる。

 先ほどよりも更に距離を詰め、俺の真横に座るルノに、何も言えそうにない。

 一先ずは、大人しく話を続けることにするか……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る