【十四章】偽者の顔を見せることにした
「くそっ、イリールの奴めッ!!」
魔人ルオーガを討伐してから、二週間ほどが過ぎた。
エザの町から徒歩で二日の場所に、モアモッツァ大陸の北部を治めるワルドナ国がある。その城下町では、とある噂が流れているらしい。あの勇者様がエザの町の魔人の首を獲ったと。
そしてその噂は、ワルドナ国が統治するコルンの町にも、大陸誌を通じて伝わっていた。
故に、俺は苛立っていた。
イリールは、俺が倒したとは一言も喋っていないのだろう。約束をしっかりと守っているはずだ。
だが、だがだがだが、何故よりにもよって勇者が倒したと嘘を吐くのか!
恐らくは、何処の誰が魔人を倒したのかと問い詰められたのだろう。イリール一人では到底太刀打ちできないことは分かり切っているので、協力者がいることに気付いたはずだ。
しかし、魔人を倒すことができる者は、数多存在する冒険者の中でも一握りしかいない。適当なことを口にすれば、すぐに嘘だと見抜かれてしまう。
……だからか?
聖銀の鎧兜を装備しているから、見た目もソックリだ。
もし、ワルドナ国の兵士達がコルンの町を訪ね、俺と鉢合わせたとしても、勇者が倒したと勘違いするだけなので、俺が倒したとは思われない。……と考えたのだろうか。
いやいやいやいや。違う、それは違うぞ、イリール。
俺は、この町に居ることがバレたくないのだ。
勇者だと偽れば、俺だと分からないから問題ないというわけではない。それでは此処に居続けることができなくなるからな。
「……はあ、どうすればいいのやら」
きちんと説明しなかった俺が悪いわけだが、一難去って、また一難か。
しかも、魔人討伐の功績も勇者のものになっている。
ジリュウの代わりに魔人討伐を果たし、手柄だけを横取りされたようなものだ。
「だいじょーぶー?」
小首を傾げ、クーが顔を覗き込んでくる。その表情を見ていると、少しだけ気分が落ち着いてきた。
「ああ、……大丈夫だ」
一人で悩もうが、どうしようもない。
ジリュウに手柄を譲る形となったことは正直悔しいが、今の俺は名前を売りたいわけではない。
もはや地位や名声、名誉など、求めてはいないのだ。
一日でも長く、いやできることならずっとこの町に住み続けたいと思っている。
その為にも、そろそろ決断するべきなのかもしれない。
「……顔、見せるかな」
トントン、と。
丁度よく、部屋の扉が叩かれた。
「あの、アルガ様……」
扉の向こう側から、ルノの声が聞こえる。
鍵を開けると、普段とは異なる神妙な顔付きのルノが佇んでいた。
「少しだけ、お尋ねしたいことがあるのです。……今、お時間よろしいでしょうか?」
「……入ってくれ」
聞きたいのは、噂のことだろう。
エザの町に勇者が現れ、魔人討伐後に忽然と姿を消したことだ。この話の種は、イリールがワルドナ国で蒔いたものだ。
魔人ルオーガを倒した者が、勇者の姿をしていたと、イリールが証言した。その結果、これほどまでに大きな噂となっていた。
ルノを部屋へと招き入れ、椅子に座らせる。クーはベッドに寝転がり、舟を漕いでいた。
「先日のお話なのですが、エザという町に勇者様と思しきお方が現れたことは……ご存じでしょうか」
「噂になっているからな」
知らないと言う方が嘘くさい。
今やコルンの町においても知らない者は一人もいないのではないだろうか。
「では、その、……っ」
言いよどみ、続きを口にすべきか頭を悩ませている。真実を知りたくないのかもしれない。
だが、ルノは僅かに頷き、俺と目を合わせた。
「そのお方が、アルガ様と同じ姿をしていたことは……」
「勿論知っている。勇者といえば、聖銀の鎧兜と聖剣が目印だからな」
残念ながら、聖剣は真っ二つに折れてしまったがな。
「俺も、その話をしたかったんだ」
「……わたしにですか?」
「ああ。……少し、過去の話をしよう」
コルンの町に滞在し、随分と長くなった。
ルノのことは信頼しているので、そろそろ本当のことを話してもいい頃だと思っていた。
ついでに言うと、いつまでも謎の男のままでは、町の皆と馴染むのも大変だからな。
「ルノには、誰よりも先に伝えておこうと思う」
仮に正体を明かしたとしても、顔を合わせて喋るのが苦手な俺が、違和感なく打ち解けることができるか否か定かではないがな。
「だから、俺の話を聞いてくれるか」
「……はい。アルガ様のことをお聞かせください」
ゆっくりでいい。
一つ一つ、己の過去を話し始めることにした。
エルデール大陸の山奥の村に、俺は生まれた。住んでいる人の数は少なく、五十名にも満たなかったと思う。同年代の奴といえば、【勇者】の紋章を持つジリュウぐらいのものだ。
ある日、ジリュウが口を開いた。
一つは、己が授かった紋章が【勇者】であること。
一つは、お前の紋章は何なのかと訊ねてきたこと。
一つは、俺の紋章が【勇者】とは逆さまの形をしていると知り、分身体と偽りながら共に魔王討伐の旅に出ないかと誘ってきたこと。
元々、俺は家に引きこもって生活をしていた。村の皆ともなるべく顔を合わせることなく生きてきた。何故だか未だに分からないのだが、面と向かって話すのが苦手で、目を合わせることもできないほどの上がり症だった。村では、ジリュウが唯一の話し相手と言っても過言ではなかった。
だからか、俺は二つ返事で引き受けた。
村からジリュウが居なくなれば、正真正銘一人ぼっちになってしまう。自ら孤独な状況を生み出してはいたが、ジリュウが遠くへと行くのは嫌だった。故に、ジリュウが俺の力を借りたいのであれば、可能な限り助けとなろう。そう考えた。
但し、先に説明したように、俺は他人と接するのが大の苦手だ。なるべくなら、一人でのんびりと生きていたかった。そんな俺を気遣ってくれたのか、ジリュウは俺の為に顔が全て隠れる革製の兜を用意してくれた。そのおかげで、俺は村を出て旅をする勇気を持つことができた。
旅のお供として俺を引き連れ、ジリュウが先ず向かったのは、ロザ王国だ。当時は小国の一つに過ぎず、それほど力を持ってはいなかった。
村からは遠く、道中何度も魔物と遭遇し、死に物狂いで戦った記憶がある。とにかく、ジリュウの足手まといにだけはなるまいと、ガムシャラに剣を振るった。
勇者の誕生により、ロザ王国は湧きに湧いた。城下町は連日お祭り騒ぎとなり、他国の王族が訪ねに来るほどだ。ジリュウは【勇者】の紋章を持つ者として祭り上げられて、厚い持て成しを受けていた。その一方、お供として同行した俺は、ジリュウに言われたので、宿屋に待機し続けた。
ようやくジリュウが戻ってきた時、全く同じ鎧兜を渡してくれた。国王に直接願い出て作らせた装備だという。それこそが、俺が身に付ける聖銀の鎧兜だ。
ジリュウは告げる。
今日からお前は俺の聖銀の騎士だ。勇者の固有能力で生み出された存在として生きていくには丁度いい隠れ蓑だろう。そうすることで、他の奴と言葉を交わす必要も無くなる。今までのように目を合わせずに済む。顔を晒さずに生きていくことができる。と、言ってくれた。
……分身体。
それが、苦悩の始まりだった。
ジリュウは、勇者が持つ固有能力として、己の分身体を生み出すことができると国王に語った。だが実際には勇者はそんな力を所持していない。つまり、ジリュウは一国の王に嘘を吐いたのだ。
しかしながら、これは全て俺の為に吐いた嘘だとジリュウは言っていた。そして俺は、その言葉を鵜呑みにして疑うことをしなかった。
ジリュウが持つ【勇者】の紋章とは逆さまの紋章を持つ俺は、自分のことがまるで勇者の偽者のような存在なのではないかと考え、苦悩していた。だからこそ、ジリュウが告げた言葉にはすがってしまったのだろう。
魔王討伐を果たすまでに、幾度も違和感を持ち得ていた。ジリュウは全く手を出さず、俺にばかり魔物と戦わせていたからな。面倒くさかったのか知らないが、ホルンやエーニャの前では俺をアルガと呼んでいたが、他の人達の前では、あくまでも分身体と呼び続けていた。
旅の途中、魔物や魔人と対峙する度に、ジリュウは指示を出す。
戦え、殺せ、と。
それがおかしなことだと気付いたのは、いつからだろうか。
魔王との戦闘中だったかもしれないし、もっと前からかもしれない。
ホルンやエーニャとは、言葉を交わしたことはない。あの時ジリュウに言われて気付いたが、それこそがジリュウの策だったのだろう。【勇者】の固有能力で生み出された分身体が、魔物を倒すことで、その魔物はジリュウが倒したことになる。誰もがその間違いに気付かず、何一つ疑問を感じていなかった。何故ならば、ジリュウは【勇者】の紋章を持つ者だからだ。
勇者が物臭であるはずがない。戦闘行為を他人に任せ、その手柄を横取りするわけがない、と。
誰もが信じていた。
だがこれも全てはジリュウが楽して地位や名声、名誉を手に入れる為に考えたものだ。
それでも俺はジリュウと旅を共にしてきた。命じられるままに魔王討伐も果たした。
その結果が、これだ。
魔王を追い詰めたのは俺だが、魔王討伐の手柄は【勇者】の紋章を持つジリュウ一人のものとなってしまった。俺が何も言わなかったから、事態が悪化したのだ。しかしだ、いつかジリュウの口から俺のことを打ち明け、一人の人間として皆に紹介してくれるものと思っていた。
……まあ、全部甘かったが。
ジリュウは、俺の紋章が【勇者】とは逆さまであることを知った日から、俺を勇者の偽者として利用することだけを考えていたわけだ。
こんな話をコルンの町の皆に言えるはずもない。何処から漏れるか分からないからな。だから皆にはボカシながら説明するつもりだ。
しかしながら、ルノには全てを打ち明けた。長い付き合いではないが、初めて町を訪ねた時も笑顔を浮かべ、快く受け入れてくれた。
それに、誰か一人でもいいから、本当の俺を知っていてほしかった。
だから俺は、ルノに話した。
「証拠を見せよう」
ジリュウが【勇者】の紋章を公表したことで、【勇者】の紋章の形は全大陸へと伝わった。その形は魔物図鑑と同じく、紋章図鑑へと登録されることとなった。
ルノは、冒険者組合の受付嬢だ。紋章図鑑に目を通したこともあるだろう。だとすれば、俺が持つ紋章が【勇者】ではないことを理解できるはずだ。
そしてまた、別の疑問を浮かぶことだろう。
この紋章の形は何なのかと。
「これが、俺の授かった紋章だ……」
鎧を脱ぎ、兜を被ったまま、不格好な姿で紋章を見せる。
「この形……やはりアルガ様は【遊民】ではなかったのですね!」
「……いや、うん」
そこに驚くのか。
確かに、元々は【遊民】の紋章持ちと説明していたからな。
だがこれで、俺が勇者ではないことを証明することができた。
「でも、それなら魔人を倒した人って……」
「ああ、それは俺だ」
「やっぱり!!」
勇者に手柄を横取りされた形になるが、ルノには知っておいてほしいからな。
これでよかったとしよう。
「髭も剃ってないし、髪も伸び放題だが……っと」
だからと言うべきか。俺はもう少しだけ、心を軽くすることを決めた。
「え? ……あっ」
ルノの前で、兜を取る。
コルンの町に来て初めて、俺は町の住民に素顔を晒して見せた。
「……もう、隠すのは終わりだ」
これは、過去への決別だ。
兜を取ったことで、黒髪が露わになる。汗で少しべた付き、兜を被っていたせいで変な型がついているだろうが、気にすることもあるまい。これが俺なのだから、取り繕う必要はない。
ルノからは、さぞ汚く見えたことだろうが。
「あ、アルガ……さま」
「あんまり見るな、恥ずかしいんだ」
「ッ、ごめんなさい! ですが、あの……ッ!!」
目をパッチリと開け、俺の顔をじっくりと見る。
そんなにマジマジと見られては困ってしまう。顔を晒したまま、誰かと視線を合わせて話すことなど、クーの他には久し振りすぎるからな。
「勇者の顔とは違うだろ」
「……う、えっと、あの、……そうなのですか?」
何故、疑問形なのか。
「わたし、勇者様のお顔を拝見したことがないので……」
「ああ、そういうことか」
大陸違いだからな。ジリュウの顔を見たことがないからか。
「ルノ。これからは鎧兜を脱いで生活しようと思う。目を見て話せるようになるまで、少し時間が掛かると思うが……」
「アルガ様ッ、それは凄くいいことだと思いますっ」
頭を振り、ルノが喜んでくれる。
聖銀の鎧兜を身に付けたままでは、何かと不便なこともあったからな。俺としても、これでようやく過去と決別し、楽しく暮らすことができる。
「これからも、よろしく頼む」
「はいっ! こちらこそです、アルガ様!」
ニコッと微笑むルノは、俺の心に安堵を齎してくれた。恥ずかしさよりも、素顔を明かしてよかったという気持ちの方が大きい。これは、コルンの町で暮らしてきたおかげかもしれない。
今だからこそ、はっきりと言うことができる。
俺はこの町に来てよかった。
願わくは、これからもずっとこの町で暮らしていきたいものだ。
※
コンコン、と。
部屋の扉が、軽く叩かれる。
「アルガ様、起きていらっしゃいますか?」
扉越しに聞こえるのは、ルノの声だ。
灯りを消し、ベッドに寝転がっていた俺は、むくりと起き上がり扉を開く。
すると、笑みを浮かべたルノが佇んでいた。
「どうした?」
「あっ、いえ、……その、実は、もう一度ですね、アルガ様のお顔を見たく……なりまして」
「……お、おお」
嬉しいことを言ってくれるものだ。
但しルノ、今は真夜中だ。そしてルノ、日を跨いで既に三回目だぞ。
いい加減、俺も真面目に対応するのに疲れてきた。
「こんな顔でよければ、好きにみてやってくれ」
「はっ、はい! ありがとうございますね!!」
目線を合わせるのは恥ずかしいが、それでもやはり兜を取った状態でルノと直に会話をするのは新鮮だ。今までとは異なる幸福感を得られているような気がする。
「ところで、俺の顔を何度も見て楽しいか?」
「いえあの、楽しいとかそういうことではなくてですね、なんと言えばよいのでしょうか……」
うーんと頭を悩ませ、ルノが眉を寄せる。
「とにかく、今まで見ることができませんでしたので、その分を取り戻したいとでも表現すればいいのでしょうか?」
照れながら言う。その顔を視線の端に映り込ませた。
……悪くない気分だ。
ルノに素顔を晒したのが、昨日の夜の出来事だ。それからまだ数時間しか経っていないが、こんなにも俺に興味を抱いてくれるとは思わなかった。
そもそも、俺という存在に興味を持つ者は、ホルンとエーニャぐらいか。ルノが俺の目を見て名前を呼んでくれるだけで、心が飛び跳ねてしまいそうだ。
「ところで、クーちゃんは……」
「もう寝てるぞ」
扉を更に開く。室内へと視線を向ける。
ベッドの上には、うつ伏せのまま寝息を立てるクーの姿があった。
その様子を確認した後、ルノは再び俺を見る。
「では、あの……、まだ眠たくなかったらでいいのですが、よろしければ、わたしの部屋でお茶でも飲みませんか?」
「……いい案だ」
目を輝かせたルノが、一歩下がる。
クーを部屋に残し、廊下に出た。当然だが、鎧兜は身に付けていない。実に楽な格好だ。
「えへへ、こちらへどうぞ」
夜中にお呼ばれするのも悪くない。ルノと二人きりでまったりとお茶をいただくとしよう。
階段を下り、ルノの部屋へとお邪魔する。室内には、既にコップが二つ用意されていた。
そう言えば、床の修理がまだだった。なるべく早く修理方法を学んで、音が鳴らないように直そう。
「今、淹れますね」
お茶の準備を始め、コップへと注いでいく。
「少し、苦みがあるかもしれません」
「問題ない」
室内には、椅子が一つしかない。
ルノはベッドの上に腰掛け、俺が椅子に座ることになった。
「どうぞ」
「……ん。美味しいな」
「そう言ってもらえると、凄く嬉しいです」
お茶を一口。ルノは料理だけでなく、お茶を淹れるのも上手だ。
「……あの、どうしても言っておきたいことがあるのですが」
「なんだ?」
今の俺は、何も隠すものがない。ありのままを受け入れてくれたルノが、俺に言いたいことがあるならば、何であろうとも聞かせてもらおう。
「それでは、言わせていただきますね……」
すると、ルノはゆっくりと息を吐く。
目を逸らす俺の顔をじっと見つめ、急に表情を変えた。
「……もう、嘘は吐かないでください」
「嘘を?」
「木の実採りに行くと言っていたのに、エザの町に行きましたよね」
確かに、俺は嘘を吐いた。
しかしその嘘はイリールに協力する為であって、仕方のないことだ。協力を拒否した場合、俺の正体が発覚する可能性も否定はできなかっただろう。
それに加え、ホルンの妹の頼みだ。魔人を野放しにしておくわけにもいかないからな。
「あれはその、魔人討伐という名目があってだな……」
「だからこそです!」
力強い声で、俺の言葉を遮った。
思わず、ルノの目を見てしまった。……怒っているのか?
「危険な場所に行くことを、誰にも伝えなかったのですよね? もし仮に、アルガ様の身に何かが起きた場合、帰りを待つクーちゃんや、わたしは……」
次第に、声が低くなっていく。その表情が悲しみへと変わるのがよく分かる。
「……すまなかった」
俺は、全てをルノに話した。しかしそうすることで、ルノは嘘を知ることとなった。
知らず知らずのうちに、ルノを悲しませていたのだろう。
「ルノに誓う。もう二度と、嘘は吐かない」
「……はい」
正直、嬉しい気持ちが俺の中に生まれていた。
勇者の分身体や偽者としてではなく、一人の人間として俺の身を案じてくれたのだからな。
辿り着いた先がコルンの町ではなかったら、ルノに出会うこともなかっただろう。
「……ルノ、俺はこの町に住みたい。皆は受け入れてくれると思うか」
「この町の方々は、既にアルガ様を町の住民の一人として接していますよ。ですから、そんなことを聞く必要などありません」
心強い言葉だ。背中を押された気分だな。
「明日、兜を被らずに会ってみよう」
「ふふっ。明日が楽しみですね、アルガ様」
「あ、その呼び方だが、様は付けなくてもいいぞ」
「え? ですがわたしは組合職員ですので、失礼のないように……」
「それなら、二人の時だけでいい。呼び捨てで呼んでくれ」
ルノの宿屋にいる時も、様付けだ。これは直してもらいたい。距離を感じてしまうからな。
「で、では……アルガさん?」
「さん付けか」
「だっ、だっていきなり呼び捨ては難しすぎますっ!」
「言われてみればそうだな」
「ですよね!」
まあ、今はそれでいいか。ほんの少しだが、距離が縮まったような気がするからな。
恥ずかしげに顔を背けるルノを見て、俺は口元を緩めた。
こんな日々が続くといいな。
「……誰だてめえ?」
あくる日、クーの手を引いて冒険者組合内へと入ると、ダーシュが声を上げた。
「おいこら、新顔野郎。てめえどこの町から来たんだ? ってか、此処に来たってことは冒険者か?」
相変わらずと言うべきか。ダーシュは誰が相手であろうが食って掛かる性格の持ち主のようだ。
今、俺は鎧兜を身に付けておらず、身軽な恰好をしていた。だからか、組合内の皆は、誰もが気付いていなかった。
その一方で、受付場のルノは俺の姿を見て頷き、握り拳を見せてくる。これから起こることが楽しみであり、応援してくれているのだろう。
因みに、ミールはルノの隣で書類整理に追われていた。
「いつも通りだな、ダーシュ」
「ッ!? その声……どっかで聞いたことがあるぞ……?」
声で反応を示すだけでも立派だ。兜越しでは声がしっかりと通らないこともあるからな。
しかしいい加減気付け。クーと一緒にいるのだから、俺だと分かるだろう。
「……もしかして、アルガかあ?」
ソファに腰掛け寛ぐボードンが、恐る恐る口を開く。
「その通りだ」
「おおうっ、やっぱりかい! なんだかそんな気がしたぞい!」
「おいおいマジかよ!! てめえっ、鎧も兜も脱いじまったのか!?」
驚くダーシュは、俺の傍へと駆け寄る。じっくりと顔を覗き込んできた。……あっ。
「いてえっ!! アルガてめえっ、なんで殴りやがった!?」
「すまない、顔が近すぎて、つい」
「それだけ!?」
恥ずかしがり屋の俺にとって、十分すぎる理由だ。
あと、ダーシュが殴りたくなる顔なのも……。
「しかしまた急に、どうして装備を取ろうと思ったんだあ?」
「ははあっ、分かったぞ! どうせ重いからだろうがっ、身の丈にあった装備をしねーから苦労すんだよ、この間抜けが! いでっ、いでえっ!! また殴ったなこの雑草男がっ!!」
「皆に俺の顔を知っておいてほしかったんだ」
ダーシュを無視し、ボードンに返事をする。
暑いから脱いだと言えば楽だが、残念ながら今は冬場だ。コルンの町の地理的にも気温が下がり易く、むしろ鎧兜を身に付けていた方が利口だと思える。
「へえーっ、俺にもよく見せてくれよ!」
「ええーっ、アルガってこんな顔してたのか!」
「黒髪かよ! 金髪じゃねえかなって予想してたのになー」
続々と集まってくる。皆、俺の素顔に興味津々か。
あまり近づかないでもらいたいが、今は耐えるしかない。ダーシュみたいに殴っても構わない奴ばかりならば気が楽だったが……。
「アルガ様」
「ん?」
するとここで、俺の名を呼ぶ女性の声が聞こえた。
目を向けた先には、ルノがいる。受付から出てきたのだろう。
「改めまして、コルンの町へようこそ」
その台詞が、合図となったのだろう。
周りにいた皆が口々に「これからもよろしくな!」とか「今度一緒に飯でも行こうぜ!」などと笑いながら話し掛けてくる。
今までは近寄り難かったのかもしれない。ジリュウから与えられた聖銀の鎧兜が、皆との間に壁を作っていたのだろう。
だが、今はどうだ。
俺の素顔を見るや否や、距離が一気に縮まったぞ。
「よかったですね、アルガ様」
皆に囲まれながらも、ルノの喜ぶ声が耳に届く。
「ふええ~、書類が多すぎて大変ですう~。ルノ先輩助けてください~」
床に書類を落として泣き顔のミールが、ルノに声を掛けている。
ルノには全てを話したが、コルンの町の皆には、まだ素顔を晒しただけだ。とりあえず今は俺の紋章が【偽者】だということは伏せておこう。戦う【遊民】として冒険者の仲間に入れてもらうか。
「っていうかよー、あの装備はどうすんだ? 使わねーってんなら、オレが有効活用してやってもいいぜ? つーか寄越せよ」
「誰がやるか」
しかし言われて気付いたが、どうするかな。
再び身に付けることはないだろう。勇者と勘違いされるのも面倒だから、手放すのが吉か。
「ところで、今日も木の実採りに行くのかあ?」
「ああ、そのつもりだが……」
「せっかくなら、俺達と一緒に魔物狩りするのはどうだあ?」
ボードンが、俺を魔物狩りへと誘う。これも初めてのことだ。
「……そうだな。たまには魔物を狩ってみるか」
「おっ、さすがアルガだぞい。そうこなくっちゃなあ」
「バーカッ、遊民が魔物狩りするなんて聞いたことぐへっいてっ」
解放されたからか、ついつい殴ってしまう。癖にならないように気をつけよう。
少しずつと言いつつ、どんどん取り巻く環境が変わっていく。しかしこれはこれで面白いな。
コルンの町は勿論、皆のことも好きになってきた。
「ルノ、行ってきてもいいか」
「はいっ」
出会ったばかりの頃、ルノは魔物狩りではなく、木の実採りを勧めてくれた。理由は、俺が非戦闘職の【遊民】だと思っていたからだ。
けれども、今は違う。本当の俺を知っているからこそ、不安は無いのだろう。
とはいえ、木の実採りは今後も継続するつもりだ。魔物の種類が二種しか存在しないのも理由の一つとして挙げることができるが、この町で木の実を収穫する者が、俺の他にいないのが最大の理由だ。
というわけで、今日だけは少し息抜きだ。
ボードン達と共に、魔物狩りに出掛けようではないか。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいませ、アルガ様」
ルノに見送られる。
俺は、ボードンとその仲間達と共に、コルンの裏山へと向かうことにした。
※
あくる日の早朝。
ルノが冒険者組合へと出掛ける前に、事件は起きた。
「――アルガは何処だ」
「え? ……あっ、えっと」
凄い剣幕のイリールに対し、ルノは言葉に詰まった。
ちら、と俺を見る。目の前のいるわけだが、イリールは気付いていないようだ。鎧兜を身に付けていないから仕方あるまい。というか、エザの町でルオーガを倒した後、ワルドナ国に行ったはずだが、何故今コルンの町に来たのか。
「久し振りだな、イリール」
「む? ……もしや、アルガか?」
「こんな恰好だけどな」
ジッと、俺の姿を観察し、納得したのだろう。
声や口調、物腰で判断し、俺がアルガ本人であることを理解したらしい。
「知っていたのか、今すぐ答えろ」
「何のことだ」
イリールの目的が定かではない以上、何も分からない。
隣の席で朝食を取り続けるクーと、慌てた様子のルノを置き去りに、イリールは口を開く。
「兄が亡くなったことを……何故、黙っていたのだ」
「……ああ」
そのことか。
何処からか耳に入ったのだろう。イリールは、実の兄の死を知ってしまったらしい。
「ルオーガを倒すことが目的だったはずだ」
ホルンを探す為に、イリールは王都を目指していた。しかしその途中、俺という勇者の分身体と出会い声を掛けてきたのはイリールだ。
魔人討伐に集中する為にも、余計な情報は与えない方がよかったからな。
「むっ。それは確かにその通りだが……。しかしアルガッ、きみは兄の仲間だったのだから、せめてルオーガを倒した後に教えてくれてもよかったはずだ!」
確かに、イリールの言うとおりだ。……でも俺は、ホルンの死を伝えることを拒んだ。
ホルンの妹が目の前で悲しむ姿を見たくなかったから……。
「今のは秘密のはずだぞ、イリール」
「ッ」
既に、ルノは俺の過去を知っている。
故に、何も問題はないのだが、約束を違えるのはいただけない。
「アルガッ、秘密にしていたのはきみの方だ! 兄のことを何も知らない私を傍で見ながら、内心嘲笑っていたのではないか!?」
「俺がそういう男に見えるのか」
「あの、わたしにはよく分かりませんが、お二人とも心を落ち着かせてからお話した方が……」
心配したのか、ルノが声を掛けてくる。だが、それは無用だ。共にルオーガ討伐を果たし、全力で戦う姿を見せたのだから、俺がイリールを笑うような男ではないことぐらい、理解できるはずだ。
それが出来ないということは、イリールにとって俺はその程度の男だと思われていたってことだ。
「用件はそれだけか。朝食の途中なんだけどな」
「ッ!! そもそもきみが勇者の手柄を横取りしようとしなければ、兄はまだ生きてい……ッ!?」
「それ以上、喋るなよ」
場が張り詰める。
俺の声が、イリールの体を硬直させた。
「……さっさと帰れ」
怒りに口が滑り気味だ。
イリールはすぐにでも国に戻った方がいいだろう。そこで少し頭を冷やすべきだ。
俺自身も、素顔を晒した状態で言葉を交わすのはまだまだ苦手だが、今の台詞には反応せざるを得ない。イリールの目を見て、出来る限り感情を抑えて告げたつもりだったがな。
「イリール様でしたか? あの、それは言いすぎだと思います。アルガ様は別に勇者様の手柄を……」
「……もういい。きみの顔は金輪際見ることはないだろう。この町に来るのも、これが最後だ」
「エザの町の再建、頑張れよ」
「うるさい!!」
怒りに身を震わせたまま、イリールは外へと出て行った。
ホルンの死のことだけならばまだしも、ジリュウとの話を持ち出してくるのは勘弁してほしい。
勘違いされたままだが、平穏な日々を送ることが出来るのであれば、それでも構わない。
……いやいや、冷静になれ。イリールがワルドナ国やロザ王国の連中に話す可能性があるぞ。
「大丈夫でしたか、アルガ様?」
「ん。騒がして悪かったな」
「いえっ、わたしは大丈夫なのです。ですが、アルガ様が……」
全く気にした様子もなく、クーはご飯を口へと運ぶ。幸せそうな顔をしているな……。
この問題を後回しにしておくと、コルンの町に迷惑を掛けることになるだろう。やはり、後から当時の状況を説明しておくか。
「ありがとう、ルノ」
ただ、今は朝食が先だ。イリールを追いかけるのは、その後でもいいだろう。
※
何日間、飲まず食わずで走り続けたのだろうか。
気が付くと、いつの間にかそこにいた。
エザの町の中心部に、ただ一人憎しみと悲しみを振り撒く女性の姿がある。彼女はオークの臭いが染み付いたボロボロの町で、兄の死を受け入れなくてはならないことを嘆いた。更には、この町を救ってくれた人物に対し、心無い言葉をぶつけてしまったことを悔やんだ。
もう一度、コルンの町に戻って謝ろう。彼はこの町を救ってくれた恩人なのだ。
それこそが正しい選択のはずだ……と。彼女は自分自身を納得させようとしていた。
「……む」
これは、そんな時の出来事だ。
彼女の足元に、黒く輝く水晶の欠片のようなものが落ちていた。
見たことがないものだ。いったい何なのだろうか。
彼女が気になってしまうのも当然だ。その欠片は、見る者の状態により美しく姿を変えるのだから。
「ッ!? ……ぐ、ぐああっ」
彼女は、欠片を手に取った。
と、次の瞬間、体の中に得体の知れないものが流れ込んでいくではないか。
それは、欠片の中に残されていた魔力だ。
『あははははっ、手に取ってくれて感謝するよ』
イリールの頭の中に響くのは、何処かで聞いたことのある声だ。
目を凝らしてよく見れば、美しさなどは微塵も感じないはずだったのに、心が揺れていた故に触ってしまった。酷く暗く、どす黒いものが、彼女の体中を駆け巡り、一瞬のうちに意識をも飲み込み、全てを蝕んだ。
「くうっ、あっ、ああっ、うあああっ」
一度目はホルンに。二度目はアルガに。それは命を摘み取られたはずだった。
しかしながら、砕き損ねたものが街中に残っていたのだろう。
「だ、だれ……かっ、たすっ、……けっ」
彼女が拾ったもの。
それは、魔人ルオーガの魔核の欠片であった。
※
「はあー、どっかにゴブリンの死体でも転がってねえかー」
コルンの裏山に、ダーシュとその取り巻き達の姿があった。彼等の足下には、スライムの残骸が転がっている。魔物狩りの真っ最中であった。
「魔核を取って報酬だけいただいてよー、あの時はすっげえツイてたぜ」
「さすが俺達のダーシュだな。誰がやったか知らねえけど、手柄を横取りするなんて簡単にはできねえよなー」
「くかかっ、オレは横取りなんてしてねえぜ? たまたま死んでたゴブリンを見つけただけだからな」
笑い声を響かせ、ダーシュ達は裏山を散策する。すると、遠くで何かが動く音が聞こえた。
「おっ、スライム発見かー?」
素早さだけは随一のダーシュが、取り巻きをその場に残し、音の正体を探りに行く。
そして、見てしまった。
「なんだありゃ? 見たことねえ魔物だが……」
人型か。ダーシュが見つけた魔物は、人と似た体型をしていた。しかし魔物であることは紛れもない事実だ。何故ならば、その魔物の頭部には小さな角が生えており、ゴツゴツとした全身が魔物の姿を成しているからだ。
「うぅ、……あぁ」
苦しげな声を発するそれは、ダーシュの姿を視界に捉える。
「うげっ、こっち来んじゃねえよ!」
後ずさりし、距離を取る。得体の知れない魔物が相手とあらば、慎重になるのも当然だ。
一ッ星のダーシュは、別段強いわけではない。だが、危機察知に長け、持ち前の足の速さを駆使することで経験を積んできた。だからこそ理解できた。
「……やべえ、あいつオークより強えだろ……ッ」
アルガとの力量差を見極めることはできなかったが、魔物は別だ。
踵を返すダーシュは、取り巻きの許へと急いで戻る。
「ダーシュ、スライムはいたかー?」
「バッカ野郎ッ、それどころじゃねえんだよ! 今すぐ逃げるぞ!」
「あ? なんだよどうしたんだよー」
「よく分かんねえがっ、明らかにヤベエ奴がいたんだよ!」
訳が分からない取り巻き達は、ダーシュが来た道へと目を向ける。
あの魔物が、のそのそと近づくのが見えた。
「……ぁ、す……て」
魔物の声は、ダーシュ達には届かない。その姿を見た瞬間、一目散に町へと逃げたからだ。
だが、魔物の行く先も同じだ。
その目的は、ただ一つ。
「あ……ある、……ガ」
アルガを殺すこと。それだけだ。
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