【十二章】俺の名を知っているらしい

 長く続いた雨も止み、コルンの町を陽の光が照らし出す。

 水捌けが悪いのか、町の所々に水溜まりができていた。

「失礼」

 午後の木の実採りを終え、談話場で休息を取っていると、見たことのない顔の奴が入ってきた。

 脇目も振らず、真っ直ぐに受付場へと向かい、ルノと目を合わせる。そして、

「この組合には、二ッ星以上の冒険者は所属しているか」

 開口一番訊ねた。

 精悍な顔立ちの青年だ。姿を見るに、冒険者の一人なのだろう。少し大きめの革帽子が目を引くが、使い込まれた装備一式に身を固め、歴戦の強者感を醸し出している。この町を拠点に活動する冒険者達の視線を一身に浴びながらも、物怖じせず堂々とした立ち振る舞いだ。

「ふ、二ッ星の冒険者をお探しですか?」

「所属していないのか」

「申し訳ございません、当組合に所属する冒険者の中には……」

「ならば用はない。邪魔した」

 ガタッと椅子が倒れる音が響く。誰かが急に立ち上がったのだろう。

 その誰かとは、一目見ればすぐに分かることだが、また問題事を起こすつもりか。

「おいこら、なんだてめえ? 余所者ならよ、まずはこの組合で一番強えオレに挨拶すんのが筋ってもんだろうが」

 案の定、ダーシュが口を挟んできた。

 まだそんなことを言っているのか。そんな古い仕来たりなんてないだろうが。

「ふむ、それは知らなかった……。だが安心するといい。弱い者しかいない町に興味はない。二度とこの町に足を踏み入れることはないだろう。つまり今後一切貴様に挨拶することはないから喜べ」

 ダーシュだけでなく、組合内部に居る全員が、呆気に取られていた。

「て、……てめえっ、アルガみてーなことを言いやがって!」

 俺みたいなことって、どういう意味だ。いやいや、勝手に俺の名前を出すな。

「……アルガだと?」

「ああん? 知ってんのかよ?」

「当然だ。アルガの名を知ることは、勇者に認められた証なのだからな」

「意味不明なこと言ってんじゃねえよ、このボケがッ!」

 俺の名に反応し、そいつは眉を潜める。まさか、勇者信者の輩か?

 俺の行方を追って、わざわざ大陸を渡ってこの町までやってきたとか……。

 俺の名前を知ることが、ジリュウに認められることと言っていたが、それはつまり、ジリュウが俺の名を呼ぶところを聞いたことがあるということだが……。

 魔王の首を獲った時、その場にいた者は、俺とジリュウ、ホルン、エーニャ、以上の四名だ。実際には俺を人として数える者はいないので、魔王討伐を果たした勇者一行は三名とされている。

 だが、その他にも旅の途中で少しの間だけ行動を共にした者や、ついてくることが出来ずに離脱する者もいた。彼等は皆、勇者の仲間として名が売れている。

 そんな中、俺だけが例外だった。【勇者】の固有能力によって生み出された分身体を名乗るように、ジリュウから口を酸っぱくして言われていた。

 故に、俺の名を知る者は、故郷の村に住む奴らとジリュウを除けば、ホルンとエーニャの二人だけで、他の奴らは知らないはずだ。

 初めの頃は分身体と呼ばれていたが、いつしか誰もが口を揃えて「聖銀の騎士」と呼ぶようになっていた。装備自体はジリュウと被っていたが、分身体と呼ぶよりは都合がよかったのだろう。

 つまり、俺の名を知る者が此処にいるはずがないのだ。

 ジリュウが俺の名を口外した可能性も否定出来ないが、それはジリュウにとっても危険度が増す行為だ。俺の名が広まり、分身体ではなく生身の人間だということが発覚すれば、ジリュウが手にしてきた全ての功績が無かったことになるだろうからな。

「しかし驚いた……。こんな辺境の町に、私の他にアルガの名を知る者が居るとはな」

 一先ず、見つかる前に此処を脱出した方がいいか。

 こっそりとソファから腰を上げ、クーの手を握る。……が、

「勇者ジリュウの固有能力によって生み出さ――……」

「ちょーっといいか!!」

 やばいやばい! これは非常にまずい!!

 それ以上、口を開かれると困ったことになる。

「む? その姿、まさか……」

「少し話がある。裏に来てくれるか」

「……ふむ、いいだろう」

「ちょ待てよ! この野郎はてめえの知り合いかっ、雑草男ッ!!」

「知るか。以上だ」

「うおいっ、待てこらっ!!」

「ダーシュ様ッ、落ち着いてくださいっ」

「これが落ち着いてられっかよおおおっ」

「ふええ~、乱闘寸前ですう~」

 ルノ、後は頼んだ。ついでに、ミールは少し黙れ。


「……此処なら、誰にも話を聞かれることはないだろう」

「一応聞くが、きみはアルガか?」

 青年が問う。ご最もな質問と言えよう。

「勇者の分身体って認識なら、その通りだ」

「むっ」

 手で顎を触り、目を細める。俺の姿を観察するが、本物か否かなんて分かるはずがない。

 何故ならば、王都には俺と同じ姿の冒険者が数え切れないほどいるのだからな。そのうちの一人だと思われるのがオチだ。

「では、何故隠す? 勇者の分身体と知られて歓迎されることはあっても、困ることはないはずだが? ……いや待て。そもそも何故、分身体のきみが勇者の傍を離れているのだ?」

「賞金首なものでな」

「……賞金首? アルガ、きみがか?」

「ああ、そうだ」

「何故?」

 この反応から察するに、こいつはエルデール大陸の人間ではないようだ。勇者に成り変わり、手柄を横取りしようとした話は有名だからな。その全てがデタラメとはいえ、誰もが信じていることだ。

 だからか。

 俺が聖銀の鎧兜を身に付け、勇者の固有能力によって生み出された分身体といった情報を得ていたとしても、エルデール大陸の冒険者の間で、同じ装備が流行っていることは知らないわけだ。

「そんなことよりも何故、俺の名を知っている」

「むっ。名乗るのが遅れたな」

 革帽子を取り、片手で髪の毛を整える。……って、おいおい。

「お前、女か?」

「む? 男に見えたか」

「いや、まあ……」

「だとすれば成功だ。女だと思われると舐められるからな。男の振りをしている」

 振りをしていたのか。

 革帽子の中に髪を仕舞っていたらしい。改めて見ると、はっきりと分かってしまう。

「自己紹介をしよう。私の名はイリールだ」

「……イリール? 聞き覚えがあるぞ」

「当然だ」

 くくっと喉を鳴らし、イリールが口角を上げる。

「剣士ホルンの妹なのだからな」

「は? ……えっ、いや、……ホルンの?」

「以後、よろしく頼もう」

 ホルンの妹と顔を合わせることになるとは思ってもみなかった。

 しかし何故、この町に来たのだろうか。……まさか、ホルンの死を知ってエルデール大陸に行く途中なのか? それとも俺を探す為に……いや、それはないか。

「アルガ。早速だが、きみの協力を求む」

「……協力?」

 頭を悩ませていると、イリールが口を開く。

「む。魔物狩りだ。それもただの魔物ではない……。魔物の上位種、魔人討伐だ」

「断ってもいいか」

「冗談は必要ない。勇者の分身体が断るわけがないことは知っている」

 いやいや、普通に断るから。

「それに、今の私にはアルガのような強い者が必要だ。故に来てもらうぞ」

 此処での暮らしにも、ようやく慣れ始めてきた。

 だというのに、何故今になって厄介事に巻き込まれてしまうのか。

「アルガ、きみの腕があれば魔人を倒すことも容易いはずだ。違うか」

「違う違う」

 目を輝かせながら、イリールが問い掛けてくる。

 先入観とは恐ろしいものだ。間違った考えを正す必要があるぞ。

「魔人というのは、魔物とは比べ物にならない強さを持っているんだぞ」

 魔人の強さもピンキリだが、三ッ星冒険者がクランを作り、ようやっと挑むことができるかもしれない、といったところか。一人や二人では危険すぎる。

「勿論知っている。故に、きみの協力を求めているのだ」

「はあ……」

 魔王討伐の旅をしていた頃、ホルンが故郷の話を口にしたことがある。モアモッツァ大陸の北東部に位置する、エザという町の生まれだと言っていた。

 魔物の軍勢に町が襲われた時に両親を亡くし、それが切っ掛けで魔王討伐を心に決めたらしい。

 二つ年下の妹を町に残し、俺達と出会ったのだ。

 旅の途中、ホルンは一度だけ故郷に戻ったことがある。兄の帰りを待つ妹のことが心配になったからだ。エーニャに背を押される形で、僅かながらも離脱していた。

 その時なのだろう。俺の名を口にしたのは……。

 イリールは、俺を存在や名前を知っている。例え素顔を見たことがなくとも、ホルンから伝え聞いた話を忘れずに、今まで生きてきたのだろう。

「いいか、イリール? 確かに俺は、何度も魔人を倒したことがある。……だけどな、そのほとんどが仲間と力を合わせながらだ」

 討伐予定の魔人がどの程度の危険度を持つのか、定かではない段階で話を進めるべきではないな。

「つまり、俺一人の力では無理だ」

「む。その点は安心していい。私がいるからな」

「……あのな、イリール。二人でどうにかなると思っているのか」

「アルガ、きみの強さは兄が認めていた。誇るといい」

 ダメだこれは、俺を世界最強の冒険者か何かと思い込んでいるらしい。

「とりあえず聞いてはおくが、何故魔人を倒そうと思っているんだ」

「町を取り戻したい」

「……町を? それって、イリールが住んでいるところか」

「む。それ以外に何処がある」

 イリールが住んでいるのは、ホルンの故郷でもある。つまりは、エザの町ということだ。

「何が起こったんだ」

 一先ず話を聞こう。悩むのは後からでも可能だからな。


 事の発端は、ホルンがエザの町を旅立つ時まで遡る。

 当時、ホルンはエザの町を拠点に活動する冒険者の中でも、頭二つ抜けるほどの強者であった。

 彼が持つ【剣士】の紋章の熟練度は、既に三ッ星へと到達しており、その時点で習得可能な能力の扱いも他の剣士とは比較にならないほど上手く、その腕を存分に発揮し、大勢の魔物を三日三晩狩り続けたこともあったらしい。そんなホルンの許に、とある魔人が姿を現した。

 エザの町を守る為に、ホルンは仲間達と共に魔人の首を獲ることを決める。周到に用意し、町全体に罠を張り巡らせることで、誰一人欠けることなく始末するつもりだった。

 けれども、結果は悲惨としか言いようがない。ホルンの仲間達は全員が帰らぬ人となり、エザの町を拠点に活動する冒険者の半数を喪うこととなった。

 魔人討伐は果たしたが、エザの町が負った傷は深すぎる。モアモッツァ大陸の北部を治めるワルドナ国が兵士を派遣し、復旧作業が終わるまでは魔物から守ってくれることになったのだが、いつ何時、新たな魔人が姿を現すか、住民達は気が気ではなかった。

 全ては、魔を統べる王の掌の上だ。そのことに気付いたホルンは、魔王の首を獲る為に、より強い仲間を求めて旅立った。

 旅の目的は、ただ一つ。魔王を殺し、世界に平和を齎すこと。

 結果的に、それがエザの町の住民の心から不安を取り除くことになると考えた。

 妹のイリールは、旅立つホルンを見送り、待ち続けることを決めた。

 やがて、ホルンがエザの町を離れてから一年以上が過ぎた頃、勇者一行が魔王の首を獲ったとの情報がエザの町へと届く。大陸誌には、勇者ジリュウ、剣士ホルン、癒術師エーニャ、聖銀の騎士、以上四名の名が記されていた。

 兄ホルンが有言実行したことで、世界に平和が訪れる。イリールは心から喜んだ。しかし、魔王が死に至り暫くした日の出来事だった。

 あの時、ホルン達が殺したはずの魔人が蘇り、再び動き始めたのだ。

 魔人の亡骸は、葬られてはいなかった。国の兵士達がワルドナ国の王城へと持ち運んでいたのだ。

 死から蘇った魔人は、ワルドナ国の兵士達を蹂躙し、真っ直ぐにエザの町へと向かった。

 町の住民達は逃げ惑い、無事に生き延びた者も少なからずいる。けれども町に戻ることは適わない。

 魔人が配下の魔物を呼び寄せ、エザの町を棲家としてしまったのだ。

 故郷を奪われたイリールは、ワルドナ国に協力を願った。しかしながら、色よい返事は無い。魔人の目が自国に向けられることを避けたかったのだろう。ワルドナ国には、モアモッツァ大陸随一の魔術師の騎士団があるが、彼等を動かすことも出来なかった。

 ならばと、城下町の冒険者組合を訪ね、魔人討伐を依頼するが、誰もついて来てはくれなかった。

 それもそのはず、殺しても蘇る魔人を、如何なる方法で討伐するというのか。

 結局、イリールは兄ホルンに会う為に、大陸を渡ることを決断するのだった。


「……だから、イリールは強い奴を探していたのか」

「兄に会うのが一番の目的ではあったがな」

「ホルンか……」

「む。兄は強い。あの魔人を倒すところを、この目で見たことがある。故に、兄を連れて来れば、再び死を与えてくれるはずだ」

 ホルンの力を借り、魔人の再討伐を果たすこと。その為に、イリールは長い道のりを歩いてきたのか。道中、町や村を見つけては冒険者組合に顔を出していたらしいが、多少なりとも強い奴を見つけておきたかったのだろう。だが、ホルンは……。

「大陸境はもう間もなくだが、ロザ王国には遠い。長い時間を要すると思っていた……。だが、私は運が良い。辺境の地でアルガと出会うことが出来たのだからな」

 ふふん、と笑う。

 やはりと言うべきか、イリールは知らなかった。ホルンが亡くなったことを……。

「さあ、満足したならば私と共に魔人討伐へと向かうぞ」

「二人だけでいいのか」

「アルガ、きみがいるからな。兄に会うのは次の機会に取っておこう」

 もし、俺がイリールの願いを断ったならば、ホルンを訪ねに行くはずだ。そして知ることになるだろう。ホルンが魔王に殺されたことを……。

「……ああもう」

 俺は今、イリールと共に魔人を倒すことで、ホルンの死を知る瞬間を先延ばしに出来るのではないかと考えている。悲しむ時が、僅かに延びるだけだが……。

 だが、今はっきりと伝えていた方がいいのは明らかだ。しかし、その勇気が俺にはない……。

「私と共について来てくれるな、アルガ?」

「……エザの町までの距離は?」

 背にはホルンの剣がある。言葉を交わしたことはなくとも、心で通じ合える仲間だった。

 だからこそ、今此処でイリールを突き放してしまったら、一生顔向けできない気がする。

「この足で十日ほどだ」

 十日ということは、結構な距離なのだろう。

「仕方ない、アレを使うか」

「む。アレとはなんだ」

「魔道具だ」

 ルノやクーに不安を抱かせてはならない。サッと出掛けて、パッと倒して来よう。

「……ホルンの妹の頼みだ。今回だけは特別だからな」

「むっ。本当か!? 恩に着るぞ!!」

 ようやく、協力者が一人増えた。それが凄く嬉しかったに違いない。イリールは安堵の笑みを浮かべる。まあ、俺としても聞き流すことのできない話ではあったからな。

 一度は死したはずの魔人が、何故再び目を覚ましたのか。まずはこの目で確かめる必要がある。

「だが、今日は休め」

「む。そうしよう。歩き疲れたからな。明日に向け、英気を養うぞ」

「……因みに、一つ聞いてもいいか」

「なんだ? 何でも聞いていいぞ、アルガ」

「イリールは星幾つだ」

 キョトンとした顔で、俺の目を見る。

「無星だが?」

「えっ? ……あ、それなら、紋章は何を持っているんだ」

「紋章か? 私は【調合師】だ。薬を作る時は任せるといい」

「……そ、そっか」

 こいつ、戦闘職ですらないのか……。

 しかも無星ときたものだ。よくもまあ、ダーシュ相手にあの台詞を吐けたな。

「明日は厳しい戦いになるぞ、きみ。心しておけ」

 魔人と戦う時、イリールを連れて行っては駄目だ。俺一人で頑張ろう……。


 イリールは、ルノの宿屋に一泊することとなった。冒険者組合の簡易寝床が埋まっているのが理由の一つとして挙げられる。ルノに相談すると快く承諾してくれたから助かった。

「クー、出掛けてくる」

「どこー? どっかいくのー?」

「腕の鈍りを取りに行く」

 夕食を取った後、俺とクーは部屋で寛いでいた。

 あの日以来、幸いにも木の実料理は出てこない。木の実好きのルノも、クーの機嫌が悪くなることに頭を悩ませたのか、別の料理を作ってくれるようになった。

 だからか、クーは今日もご機嫌だ。

「クーもいこーか?」

「危ないから、部屋でゴロゴロしておいてくれ」

「んー」

 明日の魔人戦に備え、今日は遠出するつもりだ。

 コルンの裏山に生息する魔物は、スライムとゴブリンのみ。地の利を活かした大勢のゴブリンを相手にするのは骨が折れるが、一ッ星以上の冒険者が数人いるだけで対応することができる。不意を突かれた時は、その限りではないが、今は別の相手を探した方がいい。

 これは以前の騒動で判明したことだが、裏山を越えた先にオークの生息地がある。

 あの日以来、木の実採りを終えると、談話場で魔物図鑑に目を通し、コルンの町周辺に生息する魔物の種類を調べていた。夕食後に出発し、朝方には戻ることの可能な距離で、それなりの魔物と戦える場所は、一か所のみ。オークの棲家が適任だ。

「ルノには秘密だぞ」

「はーい。いってらっしゃーい」

 大きく手を振るクーに見送られて、そっと部屋を出た。

 ルノと顔を合わせず慎重に廊下を歩き、階段を降りていく。どうやらルノは、自室にいるらしい。

「……よし、行くか」

 早めに終わらせて、戻って来よう。

 勿論、明日も。


 陽の光は落ち、コルンの裏山は薄闇に包まれていた。そんな中、たった一人で足を止めずに駆けていく。目的地はオークの生息地だ。

「ギッ」

「邪魔だ、退け」

「ギギッ」

 道中、顔を覗かせるのはゴブリンだ。俺の移動速度に目を丸くし、すぐに得物を構えるが、通り過ぎた時には首が地面に落ちている。進路妨害の時に限りホルンの剣を振るい、邪魔にならない場所にいる時は無視して突き進んでいく。律儀に倒しながら進むのは時間の無駄だからな。

「ギギャッ」

 更に一体、走りざまに斬り伏せた。他のゴブリンとは見た目が異なり、体格が大きく、防具を身に付けていた。ホブゴブリンかゴブリンファイターだと思われるが、一々確認しに戻る意味はない。

 早く目的地に行こう。

「……ん? 着いたのか」

 一直線に進んでいくと、いつしか気配が変わっていた。どうやら、裏山を越えたようだ。

「腕を鍛えるには、いい場所だな」

 更に別の山々が出迎えてくれる。周囲に町や村は無さそうなので、人が襲われる危険はないだろう。

 オークの移動範囲は狭く、生息地から足を伸ばすことは滅多にない。この場所であれば、たまに迷い込んできた冒険者を獲物にするか、動物を餌に縄張りを作っているといったところか。

 此処ならば、誰に目も気にすることはない。思う存分戦うことができるはずだ。

「早速、お出ましか」

 草が擦れ、音がする。

 視線を向けると、ゴブリンよりも二回り以上大きな魔物が立っていた。

「ゴッ、……グゴッ」

 喉を鳴らす。その背後には、更には別のオークがいた。

 既に、俺はオークの縄張りに入り込んでいたらしい。久し振りの獲物に興奮しているのか、オーク達は息が荒くなっている。その数、増えに増えて六体となっている。

 もっと奥へと進むことで、棲家に辿り着くことができるか。

 どうせなら、ここら一帯のオークを全て狩り尽くすのも悪くない。この前のように迷い込んでくることもなくなるからな。……いや、それは時間が掛かるか。次の機会に取っておくとしよう。

 太い棍棒を持つ個体が、前へと出てきた。こいつが一番手か?

 ひょっとして、頭か何かか。

「練習台なってもらうぞ」

 ホルンの剣は抜いている。いつでも掛かってこい。

「フ、……フゴッ、ゴ」

「ゴッ、グゴ、……グガ」

「……なんだ?」

 他のオークが、棍棒を持つオークの許へと歩み寄る。

 チラッと俺の姿を視認する。頭の上から足の先まで観察しているみたいだが……。

 まさかっ。

「あっ!!」

 一斉に、オークが背を向けて逃げ出す。なんだこいつら、逃げるつもりか。

「待て待て待てっ、戦ってくれよ!」

 俺は別に恐くないぞ!

 だから戦おうってば!

「フゴオオオッ!!」

「待てってば! 頼むから待ってくれ!」

 くそっ、もしかして魔物の間でも噂が流れているのか?

 聖銀の鎧兜の男には絶対に近付くな、とか。

「ああもうっ、腕を鍛え直すつもりが……ッ」

 逃げ行く相手を追い掛けながら倒す行為は、通常よりも苦労する。

 しかしながら、こうなってしまっては仕方がない。一体ずつ追い掛け、息の根を止めるか。

「逃げ足だけは早いな……」

 六体いたはずのオークは、姿形も見当たらなくなっている。

 だが、魔物特有の気配は至る所にあるからな。隠れても無駄だ。

「見つけたぞ」

 ――ガシュッ、と暗闇に音が響く。ホルンの剣を振り抜き、肉を斬った証だ。

 緑色の血がこびり付くが、一度二度と腕を振り、地面に飛び散らす。そしてまた新たな対象を探して距離を詰めていく。

「フゴッ、ゴガッ!」

「もう一体、と」

 作業的かもしれないが、戦いとはこんなものだ。新米冒険者が俺の戦い方を見たら、何を思うだろうか。少なくとも、派手でカッコいい感じではないからな。憧れることはないだろう。

「……おっ」

 再度、棍棒を持ったオークが姿を現す。棲家に戻ったのだろうか、数十体規模の仲間を引き連れて戻ってきたようだ。俺一人を相手に随分なことだ。

 一体ずつでは歯が立たないと早々に理解するだけ、頭は良いみたいだな。但し、二体ずつや三体ずつと数を増やしながら襲い掛かって来ても、返り討ちにするだけだ。

「次は四体同時か」

 遂には、四方から突進してくるが、これもまた無駄な策だ。

 先ずは一体に攻撃対象を絞り、足を斬り落とす。

「グゴゴッ」

 体勢が取れずに倒れたところで背に乗り、剣を逆手に後頭部を一刺し。そしてすぐに抜き、横へと転がり反撃をかわす。

「次っと」

 倒したオークの得物を掴み取り、思い切りぶん投げる。別のオークの顔面に直撃した。

 怯んだ隙に狙いを定め、腰に付けた短剣を抜き、小石のように投擲する。

「グガアッ」

 胴体に刺さった短剣を引き抜こうと、オークが視線を泳がせる。大きな手で柄を握り、ゆっくりと引き抜く。……が、短剣は抜けない。かえしがあるので、引き抜こうとすればするほど刃が食い込む形状を成しているので、更なる苦痛を与える仕組みだ。

 戸惑うオークから視線を外し、無傷のオークを新たな攻撃対象に定める。相手は棍棒を振り被り、俺を叩き潰す腹積もりだ。地を駆け、一気に間合いを詰め、その一撃を空振りに終わらせる。そして、

「――ガアッ」

「痛いか? でも手加減はしないぞ」

 腕を伸ばし、剣を突く。狙い通りに股間を突き刺した。

 更に力を込め、奥へと突いてみせると、オークは白目を剥いて倒れてしまった。

「……待たせたか」

 オークの股間から剣を引き抜くと同時に、残るオークへと視線を移す。

 突き刺さった短剣の処理に、躍起になるオークは、流れ出る緑の血を止めることが出来ずに苦しんでいる。もう一体の方は、顔を片手で覆いながらも憤怒の形相で睨み付けていた。

「そんなに怒るな」

 堂々と歩み寄り、血を流すオークの首を一瞬で斬り落とす。動きを止めたオークは、力無く横たわる。胴体から短剣を思い切り引き抜いて、血を拭う。

「来るか」

 隙を見せたつもりではなかったが、好機に思えたのだろう。仲間の敵討ちと言わんばかりの猛突進で仕留めに掛かる。

 一歩、引く。重心を崩して体を一回転させる。その流れで短剣を手放し、オークの足へと投げ刺す。

「ググガッ」

 俺の許へと辿り着くことができずに、オークは地に転ぶ。起き上がる素振りを見せるが、勿論させるつもりはない。背に剣を突き立て、胴体に隠された魔核を粉々に砕いてみせた。

「……ふう。まだまだか」

 辺りを見回す。オークの死体が幾つか転がっているが、戦いは始まったばかりだ。すぐに別のオークが姿を現し、戦闘開始となるだろう。

「案外、時間が経つのが速いな……」

 小型の時読盤に目を落とす。数時間が過ぎていた。夜が明ける前に帰って疲れを癒し、魔人戦に備える必要がある。だが、あと少しだけ戦っておくか……。


「おかーえりー」

「……起きてたのか」

「ううん? 眠ってたー。でも今おきたー」

 ルノの宿屋に戻り、部屋の扉をそっと開けると、クーが笑顔で出迎えてくれた。

 クーは実に不思議な子だな。

「にじゅったいもたおしたのー?」

「こら、心を読むな」

「はーい」

 出発時刻まで、余裕がある。

 久方振りに剣を振るったからか、眼が冴えているが、睡眠を取ることは可能だ。

 魔人討伐を終えたら、イリールには早々に町を出てほしいものだ。長く居座られては、気が気ではないからな。魔人の強さも気になるところだが……。

「アルガー、クーもてつだうー?」

「大丈夫だ」

 クーは何でもお見通しだ。しかし危ない目に遭わせたくはない。宿屋の裏手で実力を確かめてみたが、年相応の女の子という結論に至ったからな。

「もう一眠りするぞ、クー」

「うんー」

 戦い辛い魔人が相手ではないことを祈るか。

 頼むぞ、本当に……。

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