【十一章】床の修理方法を学ばなければならない

 冒険者組合を出た後、木の実を採りに裏山の中を突き進んでいた。

 クーは談話場でお留守番中だ。

 ルノは、受付業の他に組合長としての仕事をテキパキとこなしているに違いない。

「……っと、しまったな」

 ルノの機嫌が悪くなった理由を考えながら進んでいたからだろうか。

 いつの間にか裏山の奥へと迷い込み、魔物達の縄張りに足を踏み入れていた。

「ギッ、ギギッ」

 魔物が発する耳障りな声が聞こえる。ゴブリンが近くにいるらしい。

 考え事をしていたとはいえ、油断大敵だ。例え相手がスライムやゴブリンであったとしても、今後は気を引き締めて散策するべきか。

「一体、二体、……合計三体か」

 前方に二体、後方に一体のゴブリンが潜んでいる。

 黒緑に染まる全身は、裏山で戦うのに最適な、黒緑に染まる全身は、草むらや木々の陰に身を潜ませるのに都合がいい。しかしながら、これでもかと殺気が伝わってくる。細長い耳をピクピクと反応させて音を拾い上げ、細く赤い眼球をギョロリと動かしながら辺りを見回し、俺の様子を窺っていた。

 ボロボロの獲物を手に、どうやって俺を殺すかと思考を巡らせているに違いない。

「ご苦労なことだ」

 俺に殺されることはあっても、殺すことなど不可能に等しいだろう。

 ゴブリンの他にも何者かが潜んでいる可能性も否定は出来ない。冒険者とか……。

 だからこそ、俺は心を落ち着かせる。大小様々な音を耳に聞かせていく。

「……よし」

 ここら辺に居るのは、ゴブリンだけだ。町の奴らは、もっと遠く離れた場所で狩りをしている。此処でこいつ等を倒したとしても構わないだろう。

「悪いが、付き合ってもらうぞ」

 一月振りの実戦だ。

 背に携えたホルンの剣を掴み、ゆっくりと引き抜く。

 戦闘態勢に入るのを見届け、ゴブリン達も身構える。刃毀れした短剣を握り締め、じりじりと距離を詰めていく。射程範囲内に入るや否や、三体一斉に襲い掛かってきた。

 だが、動じることはない。

 一体ずつ、慌てずに動作を見極める。三体まとめて攻撃を仕掛けてきたとしても、僅かなズレが生じるので、早い順に処理していくだけだ。

「一体……と」

 一歩退いて、剣を突く。

 ゴブリンの胴体に突き刺さり、緑色の血が飛び散った。

 その光景を目の当たりにした残る二体のゴブリンは、一瞬動きが鈍る。獲物であるはずの俺の強さに驚愕し、攻撃を中断すべきか否か迷ったのだろう。

 しかしながら、勢いは止まらない。襲い掛かった時点で後戻りは不可能だ。

「もう一体、っと」

「ギギッ」

 突き刺さったままのゴブリンの体を蹴り飛ばし、剣から強引に引き抜いた。

 と同時に、体を半回転させることで、後方のゴブリンの体を真っ二つに切り捨てる。

 声を上げた瞬間には沈黙している。意識が無くなり、死を迎えたということだ。

「ギッ、……ギギッ!?」

「逃げるのか? 仕掛けたのはそっちだろ」

 仲間を失ったゴブリンは、もはや勝ち目は無いと悟ったのだろう。飛び掛かりながらも無理矢理に体を捻って地面へと転げ落ちると、すぐに起き上がり、全力で逃げ出す。……器用な奴だ。

 勿論、逃がすつもりは毛頭ない。

「木の実採りで鍛えた腕を……ッ!!」

「――ギギャッ!!」

 背を向けて逃げるゴブリン目掛けて、力任せに剣を投げ付けた。狙っていた場所からは僅かにズレてしまったが、どうやら無事に刺さったらしい。地に伏したゴブリンが体を震わせながら手を伸ばしているが、暫くすると動かなくなり、完全に生き絶える。

「……この感覚、何だか久し振りだ」

 ゴブリン三体を相手に、鈍る体を動かしてみた。まずまずといったところだろうか。

 気分的には悪くない。適度に興奮し、戦いの余韻を感じ取る余裕もある。長らく魔物狩りをしていなかったので不安な点もあったが、杞憂に終わった。

「しかしこれ、どうするか……」

 ゴブリンの死体が三つ。他の冒険者が発見したら、再び騒ぎとなるかもしれない。……いや、今回はオークではなくゴブリンだからな。町の冒険者でも倒すことができる魔物だ。

 ……だが、せめて魔核の回収だけでもしておくか?

 いやいや待て待て、それならそれで、このゴブリンを倒した人物は何故報告をしないのかと怪しまれる。ゴブリン三体分の魔核を提出せず、報酬を受け取っていないのだからな。

「逃げた方が無難だったか……」

 コルンの町に面倒な案件を増やしたくはないが、確実に問題視されるはずだ。

 ……まあ、今回は仕方がない。俺が倒したことを隠す為に、魔核もそのままにしておこう。


「ういー、今日は絶好調だったぜー」

 三体のゴブリンを始末してから二時間ほど経っただろうか。

 木の実を採り終え、冒険者組合に戻った俺は、クーと二人で魔物図鑑のページを捲りながら時間を潰していた。すると、意気揚々と扉を開ける人物が一人。姿を現したのは、ダーシュだ。

「ゴブリンを三体も仕留めてやったぜ! 見たかてめえら~」

 その台詞を耳にして、溜息を吐いた。

 ダーシュの奴、俺が倒したゴブリンを自分の手柄にしやがったな……。

 まあ、それぐらい別にいいけどさ。

「……あっ」

 扉が開いたからか、天気が悪くなっていることに気がついた。

 ぽつぽつと、雨音が響き始めている。

「あめー」

「そうだな」

「むしゅーにゅー?」

 小首を傾げ、クーが腕を掴む。

「雨が降ると、その日は無収入になるんだ」

 雨の日は、木の実採りができない。他の冒険者も裏山に出掛けることはなく、そのほとんどが組合内の簡易寝床や談話場に集まり、無駄話に花を咲かせることとなる。

 裏山に生息するスライムやゴブリンも、雨の日は巣穴に引っ込むことが多い。わざわざ雨に濡れてまで行動することもないからな。

 故に、雨の日は双方にとって休息日扱いだ。

「今日の分は収穫したから、安心していいぞ」

「ふーん」

 とは言うものの、前に雨が降った時は手持無沙汰で暇だったからな。雨の中でも採りに行けばいいだけの話だが、単純に木の実が採り辛いからな。何か別の稼ぎ口を探すのもいいかもしれない。

「なあ、ルノ。前々から言おうとは思っていたんだが、何か別の稼ぎ方はあるか」

 受付へと移動し、ルノに訊ねてみた。

「木の実採りの他にでしょうか」

「ああ。雑草取り以外で頼む」

 あれは二度とやりたくない。というか、雨の日に雑草取りをする間抜けはいないだろう。

「……では、家の修理依頼などは如何でしょうか」

「修理か……。誰の家なんだ」

「えと、わたしの家になります」

 というと、宿屋か。この町に来てからというもの、ずっとルノの宿屋で寝泊まりしているわけだが、修繕すべき個所は特に無かった気がする。受付業と組合長の二足の草鞋を履いているにも関わらず、毎朝掃除をしっかりとこなしているみたいだからな。

 ……宿屋の業務を含めると、三つの仕事を掛け持ちしているようなものだな。

「わたしの部屋の床なのですが、どうやら痛んでいるみたいなのです。アルガ様に修理をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 修理するのは、ルノの部屋か。入ったことないから、少し気になるな。

「勿論だ。今から行くか?」

「あっ、いえ、今はまだお仕事中ですので……」

「ああ、それなら仕事終わりに始めるか」

「はいっ」

 ルノは、嬉しそうに笑ってくれた。

 これ以上、長話をしても迷惑が掛かるので、談話場へと戻ることにするか。

「ふう。……何か興味ある魔物はいたか」

「んー? んん~」

 ソファに腰掛ける。

 分厚い魔物図鑑を膝の上に置き、クーはじっくりと読んでいた。

 この町の周辺には、スライムとゴブリンの二種類が生息している。クーが裏山の向こう側の出身の場合、他の魔物について知っている可能性もあるだろう。

「たくさんいるー」

 クーが丁度開いているページには、沼地のドラゴンが載っていた。こいつは沼地に巣を作り、迷い込んだ人々を餌代わりとする凶悪な魔物だが、個体数が非常に少なく、遭遇することは稀だ。

 俺自身、こいつとは一度しか戦ったことがない。当時はまだジリュウと二人で旅に出たばかりだったから、腕も未熟すぎた。討伐敵わず敗走するという、苦い思い出があった。

「これー、気になる」

「……オークか」

 ぱらっとページを捲り、クーが指差す。

「これね、ころしたの」

「は?」

 今、なんと言ったのか。

「クーね、オークころしたよ?」

「いつの話だ?」

「アルガがねー、オークに会いに行った日だよー」

 何故、俺がオークと会ったことを知っているのか。

「……今の、嘘じゃないよな」

「うんー。ほんとーだもん」

 俺の心を読んだ上で、嘘を吐いている可能性も否定は出来ない。

 だが、そんなことをして何になるというのか。……いや、それを言うなら、そもそも何故にオークを殺したのか疑問が残るが……確認しておくことがある。

「誰かに話したか」

「してないよー」

「それならいい。クーと俺だけの秘密にしよう」

「うんー」

 これは誰にも言えないな。ルノにも秘密にしておいた方がよさそうだ。

 ……信憑性を確かめる為に、あれを聞いておくか。

「クーは、何の紋章を持っているんだ」

「もんしょー?」

「胸元に刻み込まれた印のことだ」

「うんー? そんなのないよー」

 小首を傾げ、クーが返事をする。無いとはどういうことだ?

「見るー?」

 服を引っ張り、クーが胸元を見せてきた。……モロ見えだ。

「ねー。ないよー」

「……確かに」

 クーの胸元には、紋章が刻まれていなかった。神の紋章は生まれながらに所持するものだから、無いはずがない。だとすれば、創造神がクーの紋章を刻み忘れたとか……。

「……まさか」

 とここで、俺は正直冗談であってほしいことを考えてしまった。

 クーが魔物なのではないか、と。

 そんなことはありえない。考えるべきではない。と言い聞かせようとするが、一度考えてしまった時点で、もう手遅れだ。

 クーは、人の心を読み取ることができる。つまり、俺の考えは今も筒抜けということだ。

「そーだよ?」

 そして、クーは肯定する。

 口に出さない疑問に対し、その通りだと言葉を返した。

「お待たせしました、次の方どうぞ!」

 雨の日でも賑わう組合内に、ルノの声が通る。

 そんな中、俺はクーから目を離せない。

「アルガー? どーかしたー?」

「いや、なんでもない」

 とにかく何も考えず、頭の中を空っぽにしよう。今は無心でいるべきだ。

 問題事は、後でゆっくりと考えよう……。


「はあー、どうするかな……」

 宿部屋に戻り、ベッドに寝転がって息を吐く。

 考え事は、クーのことだ。雨の日に木の実採り以外の仕事が入り、安堵したのも束の間、床の修理どころの話ではなくなった。

 クーの言っていることが事実ならば、オークを倒すほどの力を持っていることになる。

 しかし解せない。仲間でもあるはずのオークを何故殺してしまったのか。……いや、それを言うならば、俺と一緒に暮らしていることの方がおかしいか。人間と魔物が一つ屋根の下で寝泊まりしているわけだからな。

 見た目が人間に見えるから、ルノは勿論のこと、他の奴らも全く気付いていない。魔物が一体、町の中に住んでいると知ったら、どういった反応を示すだろうか。

 そもそも、クーは自分が魔物であることは知っていても、何故一人でコルンの裏山を彷徨っていたのか分かっていなかった。記憶喪失というわけではないだろうが、謎は深まるばかりだ。

 とりあえず、今言いたいことは一つだけ。

 どの程度の強さなのか、この目で実際に確かめておきたい。

「ううー、さむいー」

 手洗場から、クーが戻ってきた。

 勢いよくベッドに飛び込み、仰向け状態で寛ぎ始める。

「冬の雨は寒さが増すな」

「さーむーいー」

 二月ほど我慢すると、徐々に暖かさが増してくる。だが、それまでは耐え忍ぶ日々を送らなければならない。雨だけでなく雪が降る日もあるだろう。木の実採り以外の仕事を、現実的に考えるべきか。

「ところで、クー」

「んー」

「雨降ってるけど、少しだけ外に出ないか」

「いやっ」

 即、断られた。寒いと言っているのだから当然か。

「頼むよ、クー」

「むううー、おいしいものたべさせてくれるー?」

「ああ、ルノに頼んでやるぞ」

「いやっ、木の実になるもん!」

 ルノ=木の実料理の公式が完成しているらしい。

 仕方がない、ルノには別の料理を作ってもらうことにしよう。


「……いいか?」

「うんー。いーよ」

 素直に頷き、クーがニカッと笑う。

 小雨降る中、ルノの宿屋の裏手に連れて来ていた。

「このぼーで、アルガをたたけばいーの?」

「ああ。思いっ切り叩いてくれ」

「はーい」

 クーが手にしているのは太めの木の棒だ。裏山を探せば幾つでも見つかるような代物であって、決して武器ではない。本人曰く、オークを殺したとは言っているが、武器を持たせるのは二つの意味で危ない気がするからな。もし仮にオーク殺しが事実であれば、武器を持てば危険度が増すだろう。逆に嘘であれば、単純にクー自身が武器で怪我をしないか心配だ。

 一方、俺は手ぶらだ。背の剣は地面に置き、両手を広げた状態で迎え撃つ。

 いつでもいいぞ、かかってこい、と言わんばかりの構えだ。

「せーのっ」

 勢いをつけるつもりか、クーが声を出す。

 そして、俺へと目掛けて地面を駆け出した。

「やあーっ」

「……」

 正直に言おう。クーの足は遅かった。それどころか、全力で振り被った木の棒は、手からすっぽ抜けてしまい、明後日の方向へと飛んでいく。

「っと、大丈夫か?」

「んーっ。アルガがいたからだいじょーぶだよ」

 ぽすっと胸に突進してくる形となったが、頭を打たずに済んだらしい。クーは上目遣いに俺を見て、年相応の表情を浮かべ、柔らかく微笑んだ。

「終わりにするか」

「んー? うん! おいしいもの食べるのー?」

「ルノが帰ってきたらな」

「んーっ」

 別にいいか、と思ってしまった。

 クーがオークを殺そうが殺すまいが、クーはクーだからな。例え紋章が無くとも、仮に人間ではなかったとしても、構うことはない。

「ねー、アルガー? おねえちゃんさー、今日はなにつくってくれるかなー?」

「そうだな、木の実料理は……」

「いやっていったでしょ!」

「反応速度が凄まじいな……」

 少し笑ってしまうが、子供っぽい反応だ。

 木の実料理はほどほどに、ルノには美味しい料理を作ってもらおうじゃないか。


 暫く時が経ち、夜が訪れる。

 冒険者組合での仕事が終わり、ルノが家へと戻ってきた。

「ただいま戻りました!」

「おかえり、ルノ」

「おねーちゃん、ごはんまだー?」

「アルガ様、クーちゃん。ただいま帰りました。ご飯ならすぐにできますよ」

「やったー、おいしーごはん食べるー」

「とっておきのレシピを披露しますからね」

「……あ、そういえば部屋の床の修理はどうするか」

「それはまだいいですから、まずは夕食にしちゃいましょう」

 クーを待たせるのも悪いか。

 とっておきのレシピとやらも楽しみだ。料理が完成するまでは、クーと二人で大人しくしておくか。

「さあっ、腕に撚りを掛けて作りますね!」

 元気いっぱいと言わんばかりのルノが、厨房へと入っていく。……だが、気のせいだろうか。

 というか見間違いだろうか?

「あの形……」

 ルノが持っていた手提げ袋の外側が、丸い形を浮かび上がらせていた。

 それも一つではなく、沢山だ。

「……いや、まさかな」

 木の実の形に似ている気がする。しかし、クーと俺が木の実料理に飽きていることを知っている。

 故に、木の実料理を作るはずがないのだ。

 それなのに、何なんだこの胸騒ぎは……ッ!!

「アルガー、またおんなじのなのー?」

 俺の心を読み取ったのだろう。クーもまた、忌まわしき木の実料理を目の当たりにするかもしれないという恐怖に対し絶望し、何とも言い難い表情を浮かべていた。

「ちょっと、厨房を覗いてくる」

 その場にクーを残し、単独行動の俺は、ルノが腕を振るう最中の厨房へとお邪魔する。

 そして、見た。

「……あ、ああっ、……あああっ」

 呪いか?

 これは呪いなのか?

 ルノは木の実を毎日食べなければ死ぬ病にでも掛かっているのか!?

「ふんふふ~ん♪ ……あっ、アルガ様? どうかされましたか?」

「ルノ、今日は木の実料理ではなくて、別の料理を……」

「そのつもりだったのですが、実は珍しい木の実が手に入ったのです!」

 嬉しそうに顔を綻ばせながら、ルノは食材を見せてくる。……全部、木の実だ。

 しかしよく見ると確かに見たことのない種類だな。

「何処で手に入れたんだ」

「ミールからのお裾分けですよ」

「あの野郎ッ!!」

 余計な事を……ッ。

「実を言うと、アルガ様が木の実を採ってきてくださるようになってから、不思議なことに木の実がとても好きになってきたのです。ですから、アルガ様には本当に感謝しております」

 これからも、頼りにしていますね。と付け加え、ルノは料理に集中する。その姿を見ていると、これ以上声を掛けることはできそうにない。

「……うっ」

 厨房から離れると、背に視線を感じた。

「ねー、また木の実なのー?」

「すまない、クー」

 俺を許してくれ。

 今日の夕食も木の実料理になりそうだ。


     ※


 新しい木の実料理を食べ終え、ふて寝中のクーを部屋へと連れてきた。

「げぷっ」

 嫌だ嫌だと言いながらも全てを平らげてしまうのが、クーの偉いところだ。まあ、その結果、食いすぎで具合が悪そうな顔をしたクーを、ベッドの上にゆっくりと下ろすことになったわけだが……。

「ルノのところに行ってくる」

「んん~、……んん~」

 部屋の扉を閉め、廊下を進んで一階へと降りていく。

「……床の修理か」

 この世界を創り出したとされる創造神は、人々に神の紋章を与えた。しかしその中に床の修理専門職は存在しない。……とは言い切れないのが、実に面白く興味深いところだ。

 魔物狩りに適した戦闘職は、冒険者にとって憧れの存在であり、花形の紋章として人気が高い。

 魔術師型は、各属性を冠した術師を筆頭に、エーニャが持つ【癒術師】や、【屍術師】、【結界師】に【幻術師】等々、様々な紋章が存在する。非魔術型ならば、ボードンが持つ【戦士】や、ホルンの【剣士】、ダーシュの【盗賊】等が存在している。

 だが、戦闘職以外の紋章も数多い。例えば、ルノのように受付業に適した【受付師】の紋章を持つ者や、商人に打って付けの【行商師】、武器作りに一生を捧げる【鍛冶師】、自堕落な日々を送ることを目的とした【遊民】等が存在する。かと思えば、一切役に立たない【偽者】の紋章を持つ者もいる。

 種類等を細かく分類しなければ、【修理師】の紋章を持つ者がいるので、床の修理を安心して任せることができるだろう。魔王討伐の旅の途中、二人ほど出会ったことがあるからな。

 但し、【修理師】の中でも更に修理するものの種類を限定し、床修理専門の紋章を与えられた者が居るか否かは定かではない。

 仮に存在する場合、その人物の紋章は【床修理師】と呼ばれるのだろうか。

「どうぞ、入ってください」

 ルノの部屋の扉を軽く叩く。すると、可愛らしい声が聞こえてきた。

「お邪魔する」

「き、汚い部屋で申し訳ございません。……あの、あまり見ないでくださいね?」

「いやいや、どこが汚いんだ? 凄く綺麗な部屋だぞ」

「綺麗だなんて、そんな……」

 恥ずかしそうに視線を逸らすルノは、指で髪先を弄り始めた。

 室内は、しっかりと整理整頓されている。俺とクーが寝泊まりする部屋の方が汚い気がするが、気のせいではないか。部屋に戻ったら、部屋の掃除でもしてみるか。

「それで、どの辺を修理すればいいんだ」

 本題に戻ろう。

 ルノの部屋の床を観察してみるが、痛んだ箇所は見当たらない。俺が見落としているだけだろうか。

「はいっ。……えっと、この辺が少し痛んでいます」

「……ここが?」

「はい、ここです」

 床にぺたんと座るルノが、部屋の隅っこを指差す。視線を移し、俺はその場所を確認してみる。

 しかし何もないぞ。

「痛んでいるようには見えないが」

「はい。見えはしないのです。聞いてみてください」

「聞く? ……あ」

 指差した箇所に手の平を置き、ルノが力を込める。すると、ミシミシと嫌な音が室内に響いた。

「……なるほどな」

「目には見えませんので、分かり難いのですが、どうしても気になってしまいまして……」

 分からなくもないが、修理が必要な個所は部屋の隅っこだ。そうそう踏む機会は訪れないと思うのだが、ルノはその箇所を踏むことが多いのだろうか。

「とりあえず、修理する箇所は分かった。それじゃあ……」

 直し方が分からない。

 床音が気になる場合、その部分の床板を外せばいいのか? しかし俺は、床の修理などしたことがない。適当に床板を外し、更に被害が増えてしまったら目も当てられなくなるぞ。

「必要な道具はございますか?」

「……ああ、そうだな」

 道具よりも時間をください。頭を悩ませることになりそうだ。

 俺を見込んで修理を頼んでくれたのだから、他の奴らの力を借りるわけにもいかないし……。

 でも、俺には床修理の知識に乏しい。魔物との戦闘はお手のものだというのに……。

「ルノ、あの……」

「あっ、飲み物ですか? 今すぐ持ってきますね!」

 言うや否や、ルノは部屋を出ていった。……俺の話を聞いてくれ。

「他の奴に直し方を聞くか……」

 それがいい。修理に取り掛かるのは先延ばしだ。床修理ぐらい簡単だと高を括り引き受けてしまったが、不甲斐ない結果となった。手の付け方から謎だからな。……今更ながらに思うが、経験が一切無いくせに、よくもまあ修理の仕事を引き受けたものだ。

「アルガ様、お待たせいたしました」

 ルノが、急ぎ足で部屋へと戻ってきた。

 普段よりも機嫌がよく見えるが、何かいいことでもあったのだろうか。

「ありがとう。……ところでルノ、床の修理についてだが……」

「直せそうですか?」

「すまない、やり方が分からない……。だからその、暫く待ってもらっても大丈夫か?」

「え? ええっ、はい! 勿論です!!」

 何故、嬉しそうに返事をするのか。全く意味が分からないぞ。

「でしたら、床が直るまでは毎日わたしの部屋に来ていただいて構いませんので!」

「ん? ……ああ、そうだな」

 とはいえ、さすがに何度も部屋に行くのは迷惑すぎるな。

 早いうちに修理方法を学び、ルノを喜ばせてあげたい。

「今日のところは、これで……」

「アルガ様。お茶も淹れたばかりですので、ゆっくりしていってください。その、せっかくですし、色々と二人きりでお話とか……」

「いや、いつまでもここにいたらルノが困るからな。すぐに飲む」

「えっ、あっ! ゆっくり飲ん……」

「――ふうっ、ごちそうさま」

 美味かった。程よい苦みが癖になる。

「……アルガ様」

 急に目を細め、ルノが俺の顔を見つめる。

 今し方まで明るかったはずの表情が見る見るうちに変わっていく。

「ルノ、どうしたんだ?」

「別に何でもありません。……けど」

「けど?」

 ジト目で、俺を見続ける。

 コロッと表情が変わるのが不思議だ。……機嫌も然り。

「明日は、ゆっくり飲んでください。よろしいですか、アルガ様?」

「……ゆっくりか?」

「はい、ゆっくりです」

 傍に寄り、ルノが言う。……近いぞ。

「ルノがそういうなら、ゆっくりするよ」

 ご所望とあらば、仕方あるまい。明日はゆっくり飲むことにしよう。

「約束ですからね?」

 返事を聞いたルノは、またもや表情を変化させる。

 嬉しげに頬を緩め、口元には笑みを浮かべていた。

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