【十章】オークを追い払ってみた

「ふわあ……、おはようございます、アルガ様。クーちゃん」

 朝、クーの手を引いて一階へと降りると、眠たげなルノの声が聞こえてきた。

 珍しいことに、制服ではなく寝間着姿だ。休日のみ見ることが可能な、貴重な姿である。

「今日はお休みか」

「はい。組合長になってからも週休二日は変わりませんので、こうしてのんびりすることができます」

 ルノが休みを貰う日は、普段より少しだけ朝食の時間が遅くなる。長めの睡眠を取るからだ。

 冒険者組合では職員や冒険者達から頼りにされているが、休日はまったりするのが日課になっているらしい。前回の休日では、一日中ゴロゴロしていたと言っていた。

「今日の受付はミールが担当しますので、よろしくお願いいたしますね」

「ミールか」

 できれば他の職員に対応していただきたい。

「木の実の査定の仕方も教えましたから、ご安心ください」

「助かる」

 新人受付嬢のミールは、現在研修期間中だ。職員募集に名乗りを上げ、あっさりと採用された経緯がある。組合での仕事自体は真面目に取り込んでいるようだが、雑草取りの件で嵌められたからな。

 あっちは意図していなかったとしても、あの手の依頼は二度と御免だ。

「アルガ様、よろしければクーちゃんを見ておきましょうか?」

「頼めるか」

「勿論です」

 組合にルノが不在であれば、談話場に一人でお留守番させるのも申し訳ないからな。クーもルノには懐いているので、この申し出は非常に有り難い。

「クー、ルノの言うことを聞くんだぞ」

「えー」

 クーが膨れっ面になる。裏山で出会った頃からは想像もできないほど、表情が変わるようになってきた。それはいいことなのだが、生意気さが増してきたような気がしないでもない。

「木の実食べたくなーい」

 突然、クーが木の実を話題に出す。

 ……いや、これは別に突然ってわけではないな。

「クーちゃん? どうしたのかな?」

「木の実イヤー」

 どうやら、クーはルノと二人だと木の実料理を食べさせられると思い込んでいるらしい。

 不満気な声を出しているが、だからといって連れていくことはできない。朝食を終えたら、お留守番をしてもらおう。頑張れ、クー。


     ※


「はわあっ、はわわわわっ!! ちょこっとお待ちくださいですううううっ」

 組合内部に入ると同時に、ミールの声が響いた。

 あたふたと行ったり来たり、何度も何度も頭を下げている。

「おおい、アルガじゃないかい。お疲れさん!」

「ボードン。随分騒々しいが……何かあったのか」

 俺の姿に気付いたのか、ボードンが話し掛けてきた。

 此処は小さな町の冒険者組合だ。職員の数も必要最低限に抑えられている。冒険者の数自体が少ないので、国は事足りると判断したのだろう。但し、混む時は混むからな。昼時は勿論のこと、魔物狩りを終えた時間帯など、この町を拠点に活動する冒険者達で溢れ返るのが常だ。

 しかしながら、今日はいつも以上に騒々しい気がしていた。

「裏山でなあ、オークの姿を見たって奴がいるらしくてなあ」

「オークか」

「うむう。裏山には生息しないはずなんだがなあ。どっかから迷い込んできたんだろうなあ」

 聞くところによると、コルンの町の裏山に生息する魔物は、スライムとゴブリンの二種のみ。オークは更に先の地帯に生息しているらしい。だからか、コルンの町は大騒ぎになっていた。

「いやはや、困ったもんだあ。オークといやあ、一ッ星三位相当の魔物だからなあ? この町の奴らじゃ倒すのが難しいぞい」

「……オークを倒せる奴がいないのか?」

「んん? 当たり前だぞい。そりゃまあ、総がかりなら倒せるかもしれないがなあ、先陣を切った奴は確実に怪我するからなあ。誰も戦いたくないさあ」

 オーク一体相手に、冒険者総がかりか。……しかも、それでも躊躇するのか。

 魔物の危険度は、細かく別けられている。

 危険度無核三位が最も低く、二位、一位と高くなっていく。

 一位の次は、一ッ核へと危険度が上がり、再び三位、二位、一位と上がっていく仕組みだ。

 コルンの裏山に生息している魔物の危険度は、スライムが無核三位相当となり、ゴブリンが無核二位相当だ。一方で、今回の騒動の原因であるオークの危険度は、一ッ核三位相当である。

「ボードン、一つ聞いてみたかったんだが、【戦士】の紋章の熟練度は星幾つだ」

「俺なら、まだ無星だなあ。それがどうかしたのかい?」

「それなら、ボードンの仲間達は……」

「みーんな無星に決まってるぞい。頭の俺より熟練度が高い奴がいると思ってたのかあ?」

 坊主頭のボードンは、戦闘職【戦士】の紋章持ちだ。日々、裏山で魔物狩りに励んでいるのだから、熟練度も一ッ星か二ッ星相当だと思っていた。だが、まさか無星とは思わなかったぞ。

「……まあ、確かに」

 一応、もう少し聞いてみるか。

「戦闘職の冒険者の中で、一ッ星相当の奴って……」

「ダーシュだけだなあ」

「あいつだけかよっ!?」

 なんてこった。この町の冒険者は、揃いも揃って熟練度が低い……。しかも、この町で唯一の一ッ星相当のダーシュは、此処で返り討ちにして以来、一切姿を見せていない。

「だからこんな状況なのか……」

 組合内の騒々しさの理由を、ようやく理解することができた。

 オークと対峙するには、せめて一人ぐらいは一ッ星相当の冒険者が必要だ。

「よく考えたらなあ、アルガがオークを倒せばいいんじゃないかあ?」

「俺が?」

「ああそうさー。だってアルガはダーシュよりも強いじゃないかい」

 ダーシュよりも俺の方が強いことは、既に確定されているのか。

「いや、俺は【遊民】だからな……」

「んなこた関係ないぞい。強い奴が正義なんだよ」

「いやいや、あれは単なるマグレだからな」

 実際のところ、俺は【偽者】の紋章の熟練度を四ッ星相当まで上げることができたが、何を持って上がったのかすら理解していない。【偽者】専用の固有能力など持っていないのだからな。

「やめとけやめとけー、そんな弱腰の奴を連れてったらよー、他の奴が死んじまうぜー」

 俺がオーク狩りに行く雰囲気になりつつある中、組合の扉が勢いよく開かれた。

「ダーシュ? 今まで何処に行ってたんだあ」

 組合内に入って来たのは、町から姿を消していた野郎だ。……まだ町にいたのか。

「そこの木の実男に恥を掻かされてからよー、裏山に籠ってずっと修行してたんだぜー」

 修行か。スライムとゴブリンを倒し続けて熟練度を上げたのか。

 だが残念だな。今の俺は、木の実男ではなく雑草男だ。流行に乗り遅れているぞ。

「オレが来たからにはよー、オークなんて一捻りだぜえ!」

「そうだそうだ! ダーシュがいればあっという間だぜー」

「腰抜け野郎は引っ込んでなー」

 ダーシュと共に消えていたはずの腰巾着達も元気なようだ。

「おうおう分かった分かった、それでアルガは戦ってくれるのかあ?」

「おいこらっ、オレの扱い酷くねえか!?」

 仮にも、ダーシュは【盗賊】の紋章の一ッ星相当だ。比較的安全にオークを倒すことができるかもしれない。ということは、俺の出番はないってことだ。

「いや、止めておく。俺は【遊民】だからな」

「そっかあ、仕方ないなあ」

「ボードン。危ないと感じたら、すぐに逃げるんだぞ」

「おおう、そうさせてもらうぞい」

 ダーシュはともかく、ボードンとは軽口を言い合えるようになってきたからな。今後も良い関係を築いていきたいものだ。

「よっしゃあっ! 野郎共ッ、オーク狩りの時間だぜえええっ!!」

「「うおおおおおっ!!」」

 早速と言わんばかりに、ダーシュが場を仕切り始める。それを後押しするかのように、取り巻き二人が雄たけびを上げた。……うるさい奴らだな。

 熟練度はダーシュが一番上だから、当然のことなのかもしれないが、どうにも受け入れ難いな。

「……木の実採り、行ってくるかな」

 オーク狩りは、ダーシュ達に任せよう。

 その間、俺は木の実採りで小金を稼がせてもらおうじゃないか。


     ※


「ダーシュ! ダーシュ!! 走り回ってないで戦わんかあああっ!!」

「うっせえええっ、近付いたら死ぬだろうがボケエエエッ!!」

 コルンの裏山に、ボードンとダーシュの罵声が響き合う。

 彼等は今、総勢二十名にも及ぶ冒険者達と協力し合い、オーク狩りの真っ最中だ。

 だが、オークと遭遇することは叶ったが、先の展開へと進む気配が無いのが問題であった。

「裏山で修業したと言ったのはどこのどいつだあっ!!」

「オレだ馬鹿野郎ッ!! 見てのとおり素早く動けるようになっただろうがっ、ああんっ!?」

「ちょこまか周りを走り回ってるだけだぞい! 素早く動けるならさっさとオークに近付かんかい!」

「うっせえんだよっ!! 無星が一ッ星に指図すんじゃねえええっ!!」

「うへえええっ、オークがこっち向いたあああっ!」

「逃げろっ、逃げろ逃げろ逃げろ逃げろっ!!」

「囮いいいっ! とりあえずダーシュかボードンが囮になってくれえええっ!!」

「「なるかアホオオオッ!!」」

 オークは最初の一撃すら行っていない。動くことを忘れてしまうほど、奇妙な光景を見ているのだ。

 ただただ慌てふためく彼等を瞳に映し込み、なんだこいつ等は……と太い首を傾げている。

「もうダメだっ、町に逃げるんだあああっ!!」

 コルンの町の冒険者は、誰もかれも臆病者ばかりであった。それもそのはず、普段は魔物狩りと言いつつスライムをせっせと倒す日々で、時たま姿を現すゴブリン相手には、万全を期す為に、数人がかりで叩くほどだ。その程度の稼ぎでも食べていくことができるのが、コルンの町である。

 だからだろうか、誰が初めに攻撃をするかで揉めに揉め、「お前がやれよ」「いやお前がやれって」と、譲り合いの精神という名の押し付け合いを演じる始末だ。

 その果てに、彼等はオークと一戦交えることなく、町へと逃げ戻るのであった。


     ※


「ふへえ~、平和ですう」

 夕刻、ソファに寝転がり背伸びする職員が一人。片足をソファの肘掛けに置き、下着が丸見えになろうともお構いなしといった様子だ。

 因みに、受付はおろか組合内は空っぽだ。他に人の気配がない。

「……査定、いいか」

「ほえ? ……えっ、あっ、ええっ!? アルガさんっ、いつからそこにいいいっ!?」

 俺の声に反応し、ミールが体を震わせながら起き上がる。他の職員達は、住民達にオークが出たことを伝えにでも行っているのだろうか。組合内は奇妙なほどに静かだった。

 ……この新人受付嬢、実は怠け者か。

「あっ、……見ました?」

「何をだ」

「もうう、とぼけてもダメですよお? あたしの恥ずかしいところですぅ」

「仕事をサボっていたことか」

「そうじゃないですってばあ~」

 頬を膨らませ、ソファに座ったまま俺を見上げる。……再び足をソファの肘掛けに置こうとする。

「止めろ、見えるだろ」

「あ、やっぱり見てたんですねえ? エッチですう」

 ふと、思い出す。ジリュウに近付く女性の中にも、ミールのように挑発的な女性がいたものだ。

「えっとお、そんなことよりアルガさん? サボってたことはルノ先輩にはご内密に……」

「どうするかな」

「ええ~っ、そこは絶対言わないって約束してくださいよお~」

「腕を掴むな」

 駄々っ子のように訴えてくる。日が浅いとはいえ、他の職員に今までよく見つからなかったものだ。

「内緒にしてくれたら、……特別にいいことしますよぉ?」

「いいこと?」

「はいですう。あたしのことを、好きにしても……」

「ルノを呼んでくる」

「ちょっ、待ってください~っ、嘘です嘘ですっ、木の実の査定額を上げますからあ~」

「いやいや、それもダメだろ」

「別に大丈夫ですよぉ? ルノ先輩には、計算間違えました~って言っときますし?」

 それで「どやあっ」と口にして、得意気な表情で俺を見る。何故、偉そうなのか。

「別に必要無い。黙っておくから、早く査定してくれ」

「はわわ! さっすがアルガさんですう。鎧兜の中が汗や体臭でばっちぃことになってたとしても、極上の笑顔で接客させていただきますねえ~」

 後でルノに報告しておこう。こいつは痛い目に遭わないと反省しない奴だ。

「ところで、オーク狩りは順調なのか」

「あー、どうでしょうかねえ? まだだーれも帰ってきてませんよお? ひょっとすると、全員死んじゃったとか? あははっ」

「笑い事じゃないだろ」

 今現在、組合内にいるのは、俺とミールの二人のみ。それが原因か不明だが、随分と毒々しい喋り方をするものだ。

「っていうか~、そんなことよりアルガさんっ、ルノ先輩とはどんな感じなんですかあ?」

「は?」

「は? じゃないですう。ルノ先輩のこと、もう食べちゃったんですかあ?」

「……よし」

「いやいやなんで急に剣を抜くんですかあ~っ、あたし何か変なこと言いましたかあ~っ」

「余計なことは言わないでいいから、早く査定を済ませてくれ」

「はあ~、はいですう。すっごくめんどくさいですけど分かりましたよ、木の実の査定でしたね?」

 渋々といった表情で、ミールが受付へと向かう。

 木の実袋を手渡すと、中に手を突っ込み、一個ずつ並べ始めた。

「ああ~、これ虫が食ってますぅ」

「どこだ?」

「どこって……さあ?」

「何故聞き返す」

「あっ、こっちの木の実も色合いが悪いですう。査定対象にはなりませんねえ」

「色が悪い?」

「ええ、ええ。ほら見てくださいよ~。真っ黒じゃないですかあ。こっちもあっちもですぅ」

「この木の実は、元々黒色だ」

「じゃあ~、こっちの木の実は刺激臭が堪りませんので、査定不可ってことでいいですかねえ」

「刺激臭なんてするか?」

「しますよ~。汗臭い感じの臭いが……あっ! これはアルガさんの体臭……」

「やはり今からルノを呼んでくる」

「はーい! 丁度今から本気でお仕事したくなっちゃいましたあ! さあっ、査定しますよお~」

 こいつはどうしようもないな。

「……はあ」

「あれ? 溜息吐くと幸せが逃げちゃうって知りませんかあ?」

「とっくに不幸せだよ」

 肩を落とすしかない。頼むから早く査定を終わらせてくれ……。

「畜生ッ、ダメだーっ」

 組合の扉が開く。……今度は何だ。

「はわわっ! 皆さん、お疲れ様でしたあ! オークは倒せましたかあ!?」

 オーク狩りの為に、裏山へと向かっていた冒険者達が、無事に戻ってきたらしい。疲弊した様子のボードンやダーシュが、談話場のソファへと腰掛けていく。

 人が増えた途端、ミールは声色を変えて猫を被る。……なんなんだこいつは?

「強すぎて倒せなかったぞい」

 天を仰ぐのは【戦士】の紋章持ちのボードンだ。その傍らには、彼の仲間が集まっている。

「ちっ、アホがオレの邪魔をしなけりゃ倒せたはずなのによ」

「なんか言ったかい、ダーシュよお」

「聞こえなかったのか? 無星の役立たずが」

「その役立たずよりも使えない奴は、どこのどいつか知ってるのかあ?」

「おいこらボードン、てめえ喧嘩売ってんのか?」

「俺は買った方だと思うがなあ。そうだろう、ダーシュ?」

「ふええ~、皆さん落ち着いてくださいですう~」

 ミール、お前も落ち着け。というか、何処からその声を出しているのか。

「一ッ星も名ばかりだぞい」

「んだと、こら!」

 一触即発だ。とはいえ、俺は別のことに興味が沸いた。

「ミール、一つ聞いてもいいか」

「ふえっ? なんでしょうか、アルガさん?」

 先ほどとは打って変わり、真面目な対応だ。この状態を維持することが出来れば、問題ないのだが。

「オーク狩りの報酬額を教えてほしい」

「ああ~、それでしたら、こちらを御覧くださいですう」

 分厚い書物を手渡してくる。表紙には魔物図鑑と銘打たれてあった。冒険者組合には必ず置いてあるものだ。魔物の種族や名前、攻撃手段、主な生息地、危険度、討伐報酬額など、事細かに記されてある。オーク一体当たりの報酬額も載っているはずだ。

「……個体と魔核が小さくとも、モアモッツァ銀貨五枚も貰えるのか」

 思っていたよりも高いな。

 下手に戦えば命を落とす危険があるから妥当な額なのかもしれないが、ジリュウ達と旅をしていた時、数え切れないほどのオークを狩ってきた。今更ながらに思うが、ジリュウは今までに倒した魔物の魔核を掻き集め、冒険者組合へと運んで報酬額を受け取っていたのかもしれない。

「しっかしよー、こうなっちまった以上、あのオークが元いた場所に帰っちまうのを祈るしかねえな」

「それは俺も思っていたぞい。オークは裏山に住む魔物じゃないからなあ」

 ダーシュとボードンの二人は、お手上げ状態だ。

 他の奴らも同じく、オークとの再戦を望む者はいないみたいだな。

「ふわあ~、この町の冒険者って、どいつもこいつも使い物にならないですう」

 ぼそりと呟くのは、勿論ミールだ。

 ボードン達は気付いていないが、俺の耳にはしっかりと届いている。

「ったく、オーク狩りで時間を無駄にしちまったぜ。気分直しにスライム狩りと洒落込もうぜ!」

「おう! さすが俺達のダーシュだぜ!」

「スライム狩りだぜえええっ」

 腰巾着を引き連れ、ダーシュは組合の外へと出て行ってしまう。オークを倒すことが出来ずとも、スライムが相手ならば調子付くのか。

「んじゃあ、ぼちぼち俺達も行くかあ」

「もう行くのか? オークを倒すのは……」

「町に降りて来ないことを祈るぞい」

 ボードンも、仲間達と共に裏山へと戻ることを決めたらしい。

 但し、狩りの相手はオークではなくスライムだ。ミールが毒を吐く気持ちも分からなくもないな。

「……査定、途中だったよな」

「めんどくさいですう」

 互いに溜息を吐く。

 放っておくわけにはいかないよな……。


 その夜の出来事だ。

 クーが寝付いているのを確認し、ルノに気付かれないように宿屋から外に出る。

 夜の裏山は真っ暗で、昼間の時間帯と比べて気味悪さが増している。だが、そんなことはお構いなしに奥へと進んでいく。……そして、見つけた。

「グ、グゴッ」

 太くて低い声が、木々のざわめきの中に響いた。

 俺の姿を認識すると同時に、臨戦態勢を整える。……が、

「……馬鹿ではないか」

 互いの力量差に気付いたのだろう。武器を手にする前に、背を向け、わき目も振らずに地を駆ける。

 元いた生息地へと戻ったに違いない。

「俺も帰るか」

 久し振りに剣を振るえるかもしれないと思ったが、戦わずして勝つのも悪くない。

 コルンの町の危機を救うことにもなったからな。今日はいい夢が見れそうだ。


 あくる日、クーの手を引いて冒険者組合に顔を出すと、昨日よりも更に騒ぎが増していた。

 ……何故だ?

「あっ、アルガ様! いらっしゃいませ!」

「ルノ、この騒ぎは?」

 受付に立つルノの許へと近づく。随分と忙しそうに見えるが、新たな問題でも発生したのか。

 まさか、俺が追い払ったオークが、群れを率いて戻ってきたか?

 ……だとすれば、俺の失態だ。早急に対処する必要がある。

「昨日、オークが裏山に現れたことは、夕食時にお話しましたよね」

「ああ。職員の人達に聞いたって言ってたな」

 一旦、間を開ける。ルノは息を整え、更に口を開いた。

「そして先ほどのことなのですが、裏山に入ってすぐの場所で、オークの死体が見つかったのです」

「……オークの死体が?」

 俺は追い払っただけだ。何故死んでいる。

「この町に、オークを倒せる奴がいるのか」

「そこなのです! ダーシュ様やボードン様も倒していないと仰っていますので、実はアルガ様が倒したのではないかと思っていたのですが……」

「いや、倒してはいないな」

「……では、いったい誰が倒したのでしょうか」

 この町の冒険者の中に、オークを倒せる奴がいるとは考え難い。……まさか、通りすがりの冒険者が倒したわけでもあるまい。それならそれで、この町に寄っていてもおかしくないのだからな。

「でもよかったですう」

 思考を巡らせていると、ふいに声が掛けられた。

 いつの間にか、ミールが傍に寄ってきていたらしい。

「これでまた平和な町に戻るんですよねえ。万々歳ってもんですよぉ」

「ミール、お前……」

「わっ、はわっ、お喋りしてる場合じゃありませんでしたあ~、お仕事に戻りますう!」

 目が合うと、ミールは他の冒険者の対応へと戻って行った。

「そういえば、教えてほしいことがあるんだが……」

「え、何でしょうか?」

「ミールって、どんな奴なんだ」

 ピクリと、ルノの眉が動く。

「……アルガ様。ひょっとして、ミールのことが気になるのですか?」

「ああ、少しな」

 組合長達の代わりにコルンの町にやって来たみたいだが、これまた一癖ありそうな性格だからな。

 組合の受付業務をしているが、案外戦闘職を持っていたり……なんてこともあるかもしれないから、聞いておくのも悪くないだろう。

「そ、そうなのですか……。アルガ様はミールのことを……」

「どうした?」

「いっ、いえ! 何でもありません! ミールのことですよね、ええっと……」

 目を泳がせ、ルノが口を開く。

「ミールは、コルンの町の生まれなのです。数年前に両親と共に隣町へと引っ越しましたが、つい最近戻ってきました」

「それで、受付嬢になったのか」

「はい。職員募集の時期と重なりましたので。受付嬢になりたいと目を輝かせながら迫られまして、採用してしまいました」

 ということは、ルノと同じくミールの紋章も【受付師】かそれに準ずるものか。

「紋章も聞いていいか?」

「……あの、そんなにミールのことが知りたいのですか?」

「え?」

 気のせいか。ルノが不満気な表情をしているように見える。

「ルノ、どうしてムスッとしているんだ」

「していませんよ」

「……いや、してるよな」

「していませんので」

 明らかに機嫌が悪くなっている。原因が分からない……。後でクーに聞いてみるか。

 というか、ミールのこともクーに聞けばすぐだな。まずはルノの機嫌のことを聞いて……。

「やだ。クー言わないもん」

 すると、腰にしがみ付くクーが首を横に振る。

「おねえちゃんのこと言ったらね、木の実ばっかりになるんだもん」

 それだけ言い残し、クーは受付の中へと入っていく。どちらについた方が良いのか、幼いながらに理解しているらしい。ルノに頭を撫でられるクーは、御満悦な表情を浮かべている。

 更に謎が一つ増えてしまった感じだな。

「機嫌が……」

 ルノが不機嫌になった原因が全く分からなかった。


     ※


 エルデール大陸某所にて。

「はあっ、はあっ、……くはあっ、俺様が何をしたってんだ……ッ」

 ジリュウは頭を抱えていた。何故、自分が酷い目に遭わなければならないのかと。

 本来ならば、今頃は王城の一室で優雅に朝食を取っているはずなのだ。午後には、王族主催による上流階級限定の交流会に参加しているはずだった。だが、今のジリュウはどうなのか。草原をひたすら走り続け、王城から距離を取るように逃げているではないか。

「くそっ、くそがっ」

 そして、頭を抱えながらも、ジリュウは己の判断を褒め称えていた。

 死を偽装し、王城にてホルンの下半身を喰い千切った魔王の頭部は、ロザ王国を恐怖のどん底へと追いやった。その一方、呆気に取られたジリュウは、魔王の頭部を相手に剣を振るうこともなく、己の保身だけを考えていた。

 一刻も早く王城から逃げ出し、己の安全を確保すること。地位や名誉、名声など、全てを手に入れたはずのジリュウだが、それでもやはり最も大切なものだけは譲ることは出来なかった。

「……へ、へへっ、王都が真っ赤だぜ」

 足を止め、後ろを振り向く。

 魔王の瞳が力強く動き出した時、それは確かにジリュウの姿を映し込み、その存在を視認した。

 しかしながら、魔王はホルンの息の根は止めてみせても、ジリュウを相手に喰い掛かろうとはしなかった。【勇者】の紋章を持つ男が、脅威ではないと判断されたのだ。

 ジリュウにとって、それは屈辱以外のなにものでもない。お前は殺す価値が無いと宣言されたようなものだから当然だ。だが、ジリュウは笑う。自分は【勇者】の紋章を持つ男なのだ、と。

 エーニャを置き去りに王城から脱出する策は、誤った判断ではない。魔王の気が変わり、牙を向ける可能性も否定は出来なかったのだから、正しい道を選択したのだ。

 勇者は、命を落としてはならない。

 例え王都が半壊しようが、住民が嘆き苦しもうが、勇者が生きているという事実こそが大切であり、その事実が存在するからこそ、人々は魔王復活に絶望することなく、希望を見い出してしまう。

 一度倒したのだから、再び魔王を倒してくれるはずだと、勇者を崇め讃えてしまうのだ。

「ロザ王国は、もうダメだな」

 人というものは、揃いも揃って間抜けだと、ジリュウは考えている。実力が伴っていなかったとしても、【勇者】の紋章を持つだけで、無条件に信じ込ませることができるからだ。

「アルガを見つけるか……今度こそ確実に魔王の息の根を止めねえとな」

 今、ジリュウがすべきことは、ただ一つ。

 己の代わりに魔王を殺すことのできる人物を見つけ出すこと。

「あの野郎がいねえと魔王なんて倒せねえしな。もう一度利用するだけ利用してやるぜ、くかかっ」

 謝る素振りを見せればいい。

 心を入れ替えたと言えばいい。

 次は手柄を譲ると唆せばいい。

 そうすることで、いとも容易く騙すことができる。

 あいつは所詮、分身なのだから。と、ジリュウは確信していた。

「大陸を渡るのか……めんどくせえな」

 やれやれと、ジリュウは溜息を吐く。

 アルガは隣の大陸へと渡った。行方を探すには、ジリュウも大陸を渡らなければならない。

「次の後ろ盾は、あっちで探してやるか」

 勇者の誕生に湧いたロザ王国は、ジリュウを広告塔に利用し、大国への道を手にした。

 と同時に、ジリュウもまた甘い汁を啜ってきた。

 しかし、魔王復活によりロザ王国での地位を手放した今、新たな後ろ盾を探す必要がある。

「ん? ……村か」

 ただ、とにかく今は疲れを癒す場を求めていた。ずっと走り続けていたのだから、疲れが溜まるのも必然だ。フカフカのベッドに寝転がり、誰にも邪魔されずに熟睡したい、とジリュウは考えている。

「くくっ、休むには丁度いいぜ」

 幸いなことに、山脈へと続く道の先に、薄っすらと灯りが見える。あのような場所に町や村があることをジリュウは知らないが、もしかすると人が住んでいるのかもしれない。

 灯りがある以上、誰かがいるはずだ。故に、ジリュウは草原から山へと進路変更を行なった。

「すみませんっ、誰か居ませんか!」

 ジリュウの目は節穴では無かった。灯りの下に向かうと、村らしき場所へと辿り着いた。

「……どちら様ですかな?」

 大きな声を上げ、気配を窺う。

 すると、杖をついた老人が、ゆったりとした足取りでジリュウの傍へと歩み寄る。

「僕はジリュウと言います。【勇者】の紋章を持つ者です」

 兜を取り、邪気のない笑みを浮かべてみせた。

 この顔に、誰もが騙される。それがジリュウにとっての常であった。

「実は、飲まず食わずで此処まで……休める場所を提供していただけませんか?」

 しかし、だからこそジリュウは驕っていた。

「……はて? 勇者様は王都におられるはずじゃが?」

「はい。王都からこの村へとやって来ました」

「ほっほ、何を馬鹿なことを言うのか。こんな村に勇者様が来るはずもないじゃろう」

 話が通じない。

 苛立ちが顔に出ては都合が悪いので、ジリュウは鎧の上から胸元を指差す。

「後で鎧を脱ぎましょう。そして【勇者】の紋章をお見せいたします」

「そんな見え透いた嘘は吐かんでよいよい。旅の者なら、そう言えばいいじゃろう?」

「いえ、ですから僕は本物の勇者で……」

「全く、勇者様の名を語ったりしおって、この村の者を謀るつもりじゃったか」

「……はあ。申し訳ありませんが、他の方とお話をさせてください」

 ここで押し問答しても無駄に時間を費やすだけだ。

 老人の相手をすることを諦め、ジリュウは村の中へと入る。……だが、その行為が引き金となった。

「これこれ、話は終わっとらんぞ」

「うげっ」

 老人は、手に持っていた杖をくるりと動かし、ジリュウの足へと引っ掛ける。体勢を崩し、ジリュウは無様に転んでしまった。

 しかしすぐに起き上がり、老人を睨み付ける。

「……勇者を相手に、敵意を見せるつもりですか?」

「阿呆が、お主のようなもんが勇者様のはずがないわ」

 老人が、杖の先を空へと向ける。

 それが合図となったのか、村のあちらこちらから人が集まり始めた。

「な、なんだ……?」

 村人達は、ジリュウを中心に取り囲んでいく。

「じいちゃん、こいつの身ぐるみ剥がしたら幾らぐらいになるかなー?」

「勇者様の装備に似せた紛い品じゃからな、あまり期待はできんじゃろう」

「剣の方が良さそうだぜ? おい、鞘から抜いてみろよ」

 村人の一人がジリュウを挑発するが、残念ながら剣を抜くことは出来ない。アルガとの小競り合いの際に折れてしまったからだ。

「一人占めは御法度じゃからな」

「分かってんよー。とりあえず地下に閉じ込めるから、それでいいか、長老?」

「うぬ。任せた」

 ジリュウは、目の前で何が起きているのか理解出来なかった。

「あ、あの、何を言っているのか僕に分かるように説明をしてくれないかな」

「んなめんどくせーことしねーよ」

「地下に閉じ込めるって言ったけど、【勇者】の紋章を持つ者に、そんなことをして……うぅ、なんだこれ……急に、ね、眠気が……うぐっ」

「隙だらけだよ、おバカさん」

「ッ、この……が、ガキが……ッ」

 背に声が掛かり、ジリュウは後ろを向く。小さな女の子が両手を広げ、クスクスと笑っていた。手の平の前には、小さな魔方陣が描かれている。眠りへと誘う呪文を唱え、ジリュウへと行使したのだ。

「……ね、ぅ」

 あっさりと掛かってしまったジリュウは、成す術も無く地面に転がり、やがてイビキを掻き始めた。

「ねえねえ、この顔どっかで見たことあるんだけど」

「気のせいじゃろ、どこにでもおる顔じゃ」

「あははっ、そうだねー」

「武具は競売所に掛けるとして、こいつはどうするつもりだ? いつも通りか?」

「うぬ。男じゃから二束三文にしかならんが、奴隷商に売っぱらうかのう」

「久々の獲物だったから緊張したけど、こいつ弱っちかったねー」

 この村は、草原地帯を少し外れた山々の入口付近に、人目をはばかるようにヒッソリと作られている。一般的には知られていないが、王都から迷い込んだ者を食い物にすることで、ならず者達の間では有名だ。いつからか不明だが、いつの間にか作られた村だ。

 名前は無いが、村の顔を知る者達は、同じ名を口にする。

 通称、山賊の村と……。

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