【五章】木の実男と呼ばれているらしい

「アルガ様、おはようございます」

 トントン、と扉を軽く叩く音が聞こえた。

 寝惚け眼でベッドから起き上がり、欠伸を一つ。此処は何処だ?

「……ああ、そうだ」

 ルノの宿屋に泊まっているのだった。

 寝心地が良すぎて、心も体も寛ぎ過ぎたらしい。すっかり忘れていたぞ。

「今、開ける」

 鎧を身に付ける時間は無い。一先ず兜だけでも被っておくか。

「あっ、おはようござ……います?」

「おはよう、ルノ」

 途中で疑問形になったのが気になる。兜だけを被った俺の姿を見たからか。

 いつ頃からだろうか、今までは面と向かって言葉を交わすことなんて一切出来なかったのに、昨日はコルンの町の人々と普通に会話をすることが出来た。目覚ましいほどの進歩と言えるだろう。

 ただ、兜を取り、目と目を合わせて話すのは難易度が高すぎる。徐々に慣らしていこう。

「朝食のご用意が出来ましたので、お知らせに来たのですが……」

「え、朝食があるのか」

「はい。ロビーの横に宿泊客用の食堂を作っております。そこで毎朝振る舞うのが務めです」

 朝食付きで、ワルドナ銀貨一枚か。

 破格も破格だ。ロザ王国の宿屋にも見習っていただきたいものだ。

「今朝になって気付いたのですが、アルガ様は夕食を口にしていませんよね?」

「ああ、食べる機会を逃してしまったからな」

「よかった……。えっと、今日の朝食は多めに作ってありますので、いっぱい食べて下さいね」

 ニコッと笑い、首を垂れる。

 ……何と言うか、とてつもなく可愛らしく見えるのは気のせいではあるまい。ルノとは昨日出会ったばかりだが、こんなに優しくされては勘違いしてしまいそうだ。

「気を付けるか」

「何をでしょうか?」

「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ」

「? はあ……」

 よく分からないといった表情で、ルノが瞬きをする。

 一度可愛いと思ってしまうと、どんな仕草でも見惚れてしまいそうだ。

 駄目だな、しっかりと気を引き締めよう。

「下でお待ちしていますね」

「すぐ行く」

 扉が閉まり、タタタと廊下を早足で進む音が耳に届く。

 こんな朝も良いものだな。

「……っと」

 腹の音が鳴る。

 睡眠欲は解消されたが、空腹は未だに継続中だ。装備を整えて一階に下りるとしよう。

 ルノが用意してくれた朝食を堪能した後は、裏山で木の実採りだ。今日こそは金を稼ぐぞ。


     ※


 コルンの裏山は、町の北側と東側に面している。

 大陸境から俺が迷い込んだのが、北側の中でも更に西に面した辺りだ。その辺には魔物の気配が全く無かった。大陸境と町との通り道でもあるので、危険度の低い魔物は人との遭遇を恐れ、北から東へと生息地を変えているのだろう。

 昨日、俺が木の実採りをする為に足を踏み入れたのは、東側に当たる。裏山の入口付近を散策していたので、こちらも魔物との遭遇は無かったが、その代わりと言ってはなんだが、町の冒険者達の姿を目撃することが多かった。

 故に、本日は木の実採りの場所を北側へと移した。

 周りには誰もいない。仮に隠れて見に来る者がいたとしても、撒けばいいだけの話だ。

「手始めに……」

 真っ直ぐに伸びた太い木が、俺の眼前にあった。

 視線を上げ、木の上を確認すると、幾つもの木の実が生っている。あれを全て収穫することが出来れば、今日もまたルノの宿屋に寝泊まりすることが可能となる。

 目指せ、連泊ッ!!

「……剣を使うか」

 しかし見られる可能性があるからな。念には念を入れて、町の誰かに見られても全く困らない採り方を編み出す必要があるな。

 というわけで、背の剣を引き抜いた。

「ホルン、力を借りるぞ」

 今までは魔物を倒す為に扱ってきた。

 しかし今日は木の実を収穫する為に利用させてもらおう。

「試しに斬ってみるか」

 ……いやいや、そんな馬鹿な真似は出来ない。

 町の住民が目撃したら驚くことは間違いないだろう。別の案を考えるのだ。

「となると、風圧か」

 上空へと目掛けて剣を勢いよく振り抜き、風の刃を作り、木の枝を切り落とすか。

 ……いやいやいや、それこそ更に驚愕するぞ。魔力の類を介さず、剣を振るだけで刃を生み出せるとなると、剣を専門に扱う戦闘職の者でも二ッ星以上の熟練度を求められるからな。コルンの町の冒険者が、どの程度の星を持つのか定かではないが、不用意に技を見せない方が利口か。

 星とは、各紋章の熟練度を示す値だ。

 人は誰しも無星に始まり、経験を積んでいくことで紋章の色が変化し、一ッ星へと格が上がる。

 過去の例を参照するに、紋章は五つの色を持つ。故に、熟練度は五ッ星まで存在している。だが、九割以上の人々は一ッ星か二ッ星で打ち止めだ。生まれ持った紋章に対する差に違いは有れども、日々の努力も必要となってくる。その辺は結構厳しいかもしれない。

 因みに、俺の紋章は四ッ星だ。熟練度を上げることで星の数を増やしても、固有能力の類は特に無く、目立った変化は見られない。【偽者】が示すものが何なのか、未だに不明なのだ。

「振動を与えるか」

 ただ、俺の紋章のことなんて、今はどうでもいい。

 町の住民を驚かせることなく、木の実を効率良く収穫する方法を考えているのだからな。

「腕に力を込め、振動を与え……」

 剣の先を幹に差し、腕を振るわせてみる。……だが、何も起きない。もっと強く大きく振動を与えることで木が震え、木の実が落ちてくるような気がするが、傍からは変人にしか見えないな。

 まあ、あの町の住民からすれば、俺は素性の知れない新顔だ。多少の変な行為は「ああ、やっぱり変な奴か」で終わる可能性も……いや、無いな。

「でも、やるしかないんだよな……よしっ」

 魔物狩りで稼ぐこともできなくはないだろうが、俺は第二の人生を歩み始めたばかりだ。一人で悩んだり人任せにしたり諦めたりするのは嫌だ。

「腕に力を込めてみるか」

 傍で見なければ分からない程度に、けれども先ほどよりも確実に振動を大きくし、木を震わせる。

 すると、

「お、……おっ、おおおっ!?」

 剣先から幹へ、幹から上へと振動が伝わり、葉がざわめく。

 今度こそ、木の実を手に入れることが出来るか?

「落ちろ、落ちろ、木の実よ落ちろっ」

 振動を与えながらも念じる。だが落ちない。木の実は沢山生っているのに、一個も落ちてこない。

 俺の顔に落ちてくるものといえば、虫か葉っぱのみ。肝心の木の実が手に入らない始末だ。

「くそっ、難しいな」

 振動の伝え方が悪いのか。木の実に狙いを定めることは出来ないものか。

「……ん?」

 ふと、目に付いた。

 地面に転がる小石を手に取り、まじまじと見て触る。

「これ、ひょっとして……投げればいけるか?」

 木に登る必要は無い。剣を扱う理由も無い。木に衝撃を与える意味も無い。

 今、必要なことは、木の実だけだ。

「木の実本体じゃなくて、枝の部分を狙って……」

 両脚の裏で地面を掴むように接し、体重を預ける。全身がふら付くことなく腰に重心を置く。僅かに体を捻り、小石を持つ手から腕、腕から肩まで、全てが連動するかのように力を伝え、己の瞳は標的を捉えて離さず、正確に腕を振り抜く。……投擲ッ。

「――ッ、おおっ」

 俺が投げた小石は、木の実が生る枝部分に命中する。しかし力を加減し過ぎたのか、枝が跳ねるだけで木の実は落ちてこない。

 だが、これはいける。見た目は石を投げているだけだからな。

 精度は問題無し、後は威力を上げて木の実を収穫するのみ。

「今度こそ……」

 もう一度、試してみる。

 同じぐらいの大きさの小石を掴み取り、呼吸を整えた。周りの気配を感じ取り、誰一人いないことを確認した上で、力を込めて再投擲する。

「おっ、危なッ」

 見事命中し、二度目にして木の枝が折れる。

 木の実が地面に落ちる瞬間を目にし、少し慌てながらも手を伸ばす。地面に落ちてしまう前に、無事に手に入れることが出来た。

「……ふう、やったぞ」

 遂に、俺は木の実を採ることに成功した。収穫方法も問題無いし、万が一見られても恐れることは無い。狙った場所に石を投げるのが特に上手というだけで、戦闘能力とは全く関係が無い。故に堂々とすることが出来るだろう。感無量とは正にこのことか。

「まだまだ、もっと採るぞ」

 感動ばかりでは食っていけない。気を引き締め、木の実採りを再開しよう。

 ……ところでこの木の実、美味しいのだろうか。初めて見る形で、名前も味も知らないからな。

「ルノに聞いてみるか」

 それも有りだな。又は、俺の分を残しておくのも悪くない。コルンの裏山でしか採れないと言っていたが、木に生っている量からして、それほど貴重というわけでもあるまい。組合長の命令とはいえ、収穫報酬額も低いからな。

「それっ」

 小石を投げる。木の実の生った枝が折れ、再び地面へと落ちてくる。これで二個目だ。この分であれば、良い具合の速度で収穫出来そうな気がするぞ。

「籠がいるな」

 小一時間も採り続ければ、一人では持ち帰ることの出来ないほどの量を採ることが出来るだろう。

 一つ一つの価値が低くとも、それなりの額を稼ぎ出すことが可能だ。

「小金持ちも夢じゃないな」

 辺境の地で、木の実採り。

 木の実採りで、小金持ち。

 魔物狩りは一切行うことなく、好きな時に好きなだけ木の実を収穫して生きていくことが出来る。

 何とも素晴らしい生き方か。

「よし、もっと採るか」

 初日は挫けたが、二日目は絶好調だ。

 持ち切れない量の木の実を冒険者組合に持ち込み、ルノをあっと言わせてみせよう。


     ※


「わっ、わわっ、……大量ですね?」

「効率よく収穫する方法を見つけた」

 三十分も経たずに、採った木の実の量は持てる範囲の限界に達してしまった。手持ちの革袋では少量しか仕舞うことができないのが悔やまれる。

 ホクホク顔で町に戻り、冒険者組合の扉を開く。迷いなく受付に歩み寄り、ルノに木の実を見せる。

「査定してくれ」

 俺が収穫した木の実は、一種類ではない。五種類ある。今日の査定でどの木の実に良い値が付くのか確認し、明日以降に活かそう。

「あっ」

 革袋から木の実を取り出すと同時に、ルノが声を上げる。

「どうした?」

「いえ、あの……、枝ごと採ったのですか?」

 枝ごと?

 指摘されて木の実を見ると、確かに枝がついたままになっていた。

「邪魔だったか? 次からは予め取っておく」

「いえ、そうではなくてですね……何故、枝が折れているのかと……」

「ああ、俺の採り方だと、こうなってしまうんだ」

「で、でしたら……、別の採り方を考えていただけたら、助かります」

 非常に言い辛そうに、ルノが願いを口にする。

「枝を折ってしまいますと、収穫ができなくなるかもしれませんので……」

 ルノに言われて、ようやく気付いた。

 手っ取り早く収穫する為に、手頃な小石を投げ付け、枝を折って木の実を手にすることができたが、この手法は長く続けることができないだろう。

 何故ならば、たった一度でも枝を折ってしまえば、来年以降、その枝の先に木の実が生ることは二度とないからだ。この町に住み、木の実採りを続けていくのであれば、それだけは絶対にしてはならないことだ。

「すまなかった。次からは気を付ける」

「あっ、はいっ、こちらこそ注意事項などを伝えていませんでしたので……」

 一拍置き、ルノが「ふふっ」と口元を緩める。意識を査定に切り替えたのだろう。

「では、ええっと、アルガ様に持ち込んでいただいた木の実は……三種類ですね」

「三種類? いや、五種類あるはずだが」

「判別し難いとは思いますが、こちらとこちらは綺麗な花が生りますが、木の実ではないのです」

 見た目は完全に木の実だ。形も大きさも、他の三種類と似ている。けれども実際には花であって木の実ではない。花に騙された気分だ。

「あっ、ですが残りは全て木の実ですので、ご安心下さい」

「助かる」

 収穫したものが揃いも揃って木の実ではないと指摘されたら、さすがに心が折れていたかもしれない。恐らくは、魔物を狩る為に裏山を駆け回っていたはずだ。

 そうならなくてホッとした。

「カプリの実が二十個に、サギタの実が五個、それとアクアの実が一個ですね? それでは今から木の実の質を確認いたしますので、暫くお待ちください」

 採ってきた木の実の名前を今此処で初めて耳にする。形と名前を覚えるのに苦労しそうだな。

 白くて細長い角のような形をしているのがカプリの実で、黒い扇形の形をしたのがサギタの実、青くてまん丸い形の実がアクアか。今のうちに記憶しておきたいところだ。

「質は問題無いみたいですね。では、査定額をお伝えいたします」

 仕事が速いな。確認作業が終わったのか、ルノがテキパキと木の実を種類別に並べて口を動かす。

「カプリの実一個で半銅貨二枚ですので、二十個で銅貨四枚になります。アクアの実は時期的に収穫数が少なく、こちらも一個で半銅貨二枚となっております」

「それは地方貨幣での価格か」

「はい。ワルドナ貨幣での査定ですね」

 なるほどな。額だけを聞けば安いが、数は多い。合計額は期待出来るかもしれないな。

「サギタの実についてですが、間もなく収穫の時期を終えてしまいます。ですので、一個でワルドナ半銅貨二枚ですね」

「カプリの実と同じか」

「いえ、正確には誤差があります。サギタの実の方が今は貴重ですので、数が五個以上になりますと、半銅貨一枚分を追加させていただきます」

「ということは、半銅貨十一枚分ってことか」

「はい、そうなります」

 計算が面倒だが、追加で貰えるのは有り難いな。

「以上で、ワルドナ銅貨五枚と半銅貨三枚の査定となります。問題が無いようでしたら、引き続き査定額のお支払いに移らせていただきますが、如何いたしますか?」

「頼む」

「畏まりました。それではこちらの書類にお名前をいただけますか」

 一個ずつ丁寧に木の実を掴み、受付内の籠へと入れていく。

 空いた受付に引き出しから手に取った書類を置き、四角い空欄の箇所を指差す。

「よし、確認してくれ」

「……はい。アルガ様のお名前を確認いたしました。誠にありがとうございます」

 ニコリと微笑み、ルノは一旦背を向ける。

 受付奥の貨幣置場から査定額分の貨幣を取り、浅めの器に置いて戻ってくる。

「木の実の収穫報酬になります。ご確認下さい」

 銅貨が五枚と、半銅貨が三枚か。額としては上々だな。一時間ほど木の実採りに集中すれば、銀貨一枚分は稼ぐことが可能ということが分かった。

 ただ、今のままでは同じ程度の量しか収穫出来ない。木の実を入れる籠か袋を買う必要があるだろう。昼飯を食べた後で、道具屋に顔を出してみるか。

 器の上の貨幣を受け取り、革財布の中へと仕舞う。

「邪魔したな」

「いえっ、木の実を収穫して下さる方がいなかったので、本当に助かりました! 査定額が低く申し訳ありませんが、今後ともお願いできますか?」

「任せてくれ」

 ぱあっと、ルノの表情が明るくなる。

 やはり可愛い。木の実採りなんて行かずに、ずっと此処でルノを見ていたいと思ってしまう。

「組合長も喜びますっ、ありがとうございますっ」

「……お、おお」

 組合長が木の実を欲していたのを忘れていた。ルノの宿屋に泊まる為、ルノに喜んでもらう為、と思いながら木の実採りをしていたが、全ては組合長に繋がっている。何とも言えないこの気持ちは、どうすればいいのか。

 とはいえ、魔物を狩らずに生活していくことが出来るのは、非常に有り難い。組合長の一声で、木の実の価値が暴落する危険性も若干あるにはあるのだが、しっかりと稼がせてもらおう。

「おら、余所見してんじゃねえよ、木の実採りの雑魚が」

「いてっ」

 振り向き様に、革の鎧を着込んだ男が肩をぶつけてきた。こいつには見覚えがある。確か昨日も同じことをしてきたはずだ。ついでに舌打ちも。

 今のところ、この町で嫌な奴といえば、組合長とこの男ぐらいか。

「へいへーい、ダーシュの邪魔になるから退けっての」

「そうだぜー。目障りなんだし町から消えちまいなー」

 訂正しよう。こいつの取り巻きの奴らも加えておく。

「遊民のくせに冒険者みてえな恰好しやがってよ、魔物の一つも倒せねえ腰抜けの分際で、よくもまあオレと同じ空気を吸おうと思えるな?」

 空気を吸うのは俺の勝手だ。

「死ぬのは御免だからな」

「はっ、死が恐くて魔物狩りなんてやれっかよ! これだから腰抜けは苛々すんだよなー」

 死を恐れなければ魔物に立ち向かうことなんて出来ないな。今はまだ無事みたいだが、何れあっさりと死ぬことになりそうな気がするよ。

「ダーシュ様ッ、組合内での揉め事は御法度ですよ!」

「ちっ、言われなくても分かってんだよ。ただよー、こいつの面を見てると無性に腹が立ってくるんだよ。なあ、お前らもオレと同じだろー?」

 ルノが仲裁に入るが、ダーシュと呼ばれた男の口は止まらない。

「新顔ならよー、まずはオレに挨拶すんのが礼儀ってもんだろ? んなことも分かんねえのかよ」

「そんな礼儀が必要だったとは初耳だな。じゃあよろしく頼む」

「おっせえええんだよ、このボケがっ!! もう手遅れだって言ってんだろうがっ!!」

 何が手遅れなのかお尋ねしたいところだが、この手の輩には話が通じないからな。

 この場は一先ず退散するのが吉か。

「ルノ、また来る」

「は、はいっ」

 注目を浴び続けるのも居心地が悪いからな。俺は足早に冒険者組合の外へと避難する。

「……ふう」

 言いがかりを付けてくるのであれば、剣で実力差を見せつければいいだけの話だ。

 しかしながら、今の俺は目立たないように生きることを目的にしている。このまま調子付かせなければいいが……難しいだろうな。


     ※


 小石が木の枝にぶつかる。

 折れた枝にはカプリの実が二つ生っていた。

「半銅貨四枚分……っと」

 コルンの町に着てから、何度目の朝を迎えたか。既に一週間は過ぎたはずだ。

 冒険者組合の受付嬢を務めるルノの勧めで、俺はコルンの裏山で木の実を採って生活の足しにする日々を送っていた。初日や二日目こそ、木の実採りに苦戦したものだが、今ではコツを覚えたからな。楽に木の実を収穫することが出来るようになった。

 枝に生る木の実の根元を確実に狙い落とす為に、二日目は別の的を用意して投擲の練習に明け暮れた。小石の投げ方や威力、枝を折らずに木の実を落とす角度等々、より精度を上げることに努めた。

 その成果もあり、今では木の実の部分だけを採ることが可能となった。

 新調した木の実袋の中に放り込む。この流れを黙々と繰り返すだけで、小一時間に銀貨二枚ほどの額を稼ぐことが出来る。

「今日の分はこれでいいか」

 木の実袋の中を確認してみる。我ながら大量に採ったものだ。ルノに見せたら喜んでくれるだろう。

 冒険者組合の簡易寝床に空きが無い都合上、現在も尚、俺はルノの宿屋のお世話になっている。と言いつつ、仮に空きが出たとしても移る気は更々ない。

 借りた部屋の変更を頼む機会を失ったが、あの部屋は実に快適で満足しているからな。宿泊代を支払う為にも、俺は木の実採りに精を出す。

 早くに両親を亡くしたルノは、あの大きな家に一人で住んでいるらしい。元々宿屋を営んでいたので、流れ着いた俺を泊めることも出来たのだ。

「……日が暮れる前に戻るか」

 手持ちも問題無い。早めに山を下りて報酬を戴くことにしよう。

 ここ最近、ルノとは気軽に言葉を交わせるようになった気がする。町の住民もほぼほぼ友好的なので、町での生活も悪くない。

 但し、ルノは勿論のこと、この町の住人は誰一人として俺の素顔を見たことがない。正直、兜を取る機会を逃してしまった感は否めない。だが、いざ兜を取ったとして、ルノと目を合わせて話すことが出来るのかと問われると、自身を持って肯定することが出来ない。

 これも全ては、聖銀の鎧兜の呪いか。

「全部呪いってことで片づければ楽なんだけどな」

 そんな訳が無い。もっと人と話すことに慣れよう。兜を取るのはそれからだ。

「ん?」

 木の実袋を腰に巻き、下山していく。その途中、少し離れた位置から視線を感じ取る。

 辺りを見回すと、やはり誰かが立っていた。

「……何だ、俺に用事か」

 声に反応し、その人物はふら付きながらも一歩ずつ近寄り、片手を前に出す。

「それ、ちょーだい」

「木の実か? ……欲しいのか」

「うん。ちょーだい?」

 小柄な体躯の女の子だった。

 薄汚れた衣服に、ボサボサの黒い髪の毛。土に濡れた裸足に、目の色は蒼く、眠たげに瞼が閉じかけている。連れはいないのか?

「どれが欲しいんだ」

「んっとねー、これがほしいの」

 黒い木の実を指差す。サギタの実か。

「ちょっと待っとけ」

「うんー?」

 殻を剥き、実の部分を取り出すと、この子の手の上に乗せる。

 すると、嬉しそうに笑って実を口元へと運ぶ。

「んあ、おいしー」

「よかったな。……ところで、此処には一人で来たのか」

「んー、そーだよ」

 モグモグと口を動かしつつ、返事をする。

「名前は?」

「クー」

「クー? 俺はアルガだ」

「んー、アルガありがと」

 クーがニコッと微笑む。この辺にいるということは、恐らくはコルンの町の子供なのだろう。一人で遊んでいて、裏山に迷い込んだのかもしれない。一緒に連れて帰った方がいいよな。

「町に戻るから、一緒に行くぞ」

「まちー? うん、いーよ」

 空いた方の手を、クーが伸ばす。

 その手を掴み、俺はクーと一緒に下山していく。

「おやあ? おまいさんはアルガじゃないかあ。こんなところで会うとは奇遇だぞい」

「ボードンか。町に戻る途中なんだ」

「ああ、そうだったのかあ。……って、なんだあその子供は?」

「山で迷子になっていたんだ」

「ほほお、そりゃ大変だったなあ。てっきり俺は、アルガの子供かと思ったぞい」

「冗談は止してくれ」

「はっはっは、そうだなあ」

 兜を被ったままだから、見た目は分からないか。

 しかしだ、故郷の村では引きこもっていたし、その後もジリュウの分身体という名目で長旅を続けていたからな。恋人なんて作る余裕は無かった。子供なんてもっての外だ。そもそも、俺はまだ子供を持つほどの年齢ではない。

「ボードンは……これから狩りに行くのか」

「おおう、そうだぞい。精々死なないように祈っててくれよお」

「ああ。そうさせてもらうよ」

 ボードンの傍には、彼の仲間が立っている。ボードンを頭に据えたクランか。

 手を振り、ボードン達が裏山の奥へと進んでいく。その後ろ姿を見送りながら思考してみた。

 一週間とは、人と人との距離を近づかせるには丁度いいのかもしれない。ボードンとは、軽口で言葉を交わせるようになってきたからな。

 兜を外して、素顔のままで話してみるのも悪くないかもしれないな。そう思わせてくれる人物だ。

「ねー、アルガ? 木の実おとこって、アルガのことー?」

「ん? ……木の実男?」

「さっきの人たちねー、アルガ見て木の実おとこって頭の中で呼んでたよー?」

「頭の中で?」

 思わず眉を潜め、再びボードンの背を探す。

 既に奥へと入ってしまったのだろう。その姿は何処にも見当たらない。

「……クー、もしかして心の声が読めるのか?」

「うんー。アルガの考えてること、言うー?」

 仮にそれが本当だとすれば、とんでもない固有能力と言えるだろう。今までに聞いたことが無いぞ。

 クーが何の紋章持ちなのか、俄然興味が沸いてきた。

「えっとねー、ルノって女の子のことをねー、かわいいなーっておもって」

「いいっ!? もういいもういいっ、それ以上は言わないでいいからっ」

「うんー?」

 本物だ。クーの力は間違い無く本物だ……。

「……と言うか、ボードン達が俺のことを、木の実男って呼んでいたのか」

「そーだよー」

 しっかりと頷く。

 どうやら俺は、仲良くなれたと思っていた奴に、裏で木の実男と呼ばれていたらしい。

 少しだけ、ほんの少しだけだが、悲しい。

「木の実おとこって呼ばれると、少しかなしいのー?」

「うっ、心の声を読むのは反則だぞ」

 魔法陣の類は生み出さずに、いとも簡単に俺の心の声を聞きとってしまう。

 これは迂闊なことは考えられないな。

「……町に戻るか」

「うんー」


     ※


「あの人もー、この人もー、そっちの人もー、木の実おとこって呼んでるー」

「ッ、どいつもこいつも……ッ」

 町に戻り、住民とすれ違う度、クーが指差して心の声を口にする。精神的苦痛が怒涛の勢いで増していくのを感じるぞ。この町に着てから一週間が過ぎたが、俺の知らないところで俺の呼び名が勝手に決められていたらしい。

「木の実男か、はああぁ……」

 深い溜息を吐く。

 せめて、せめてだが、ルノにだけは裏でも名前で呼ばれたいものだ……。

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