【三章】辺境の地で受付嬢と出会いました

 雨に降られて森の中へと入り、空を覆う大きな木々の根元で雨宿りをした。翌朝には雨も止み、ぬかるみに馬車の轍が残る道を見つけ、再び歩を刻む。

 道中、急いだ様子の馬車とすれ違うはあっても、魔物との遭遇はなかった。この一帯には魔物の巣が無いのだろうか。……否、周辺に町村があるのかもしれない。俺とジリュウが生まれ育ったような村であればともかく、人口の規模が町以上になると、大抵は冒険者組合が存在する。魔物狩りを専門とする者達が集う場所に、魔物は集まり難いからな。

 つまり、町が見えるのも間もなくといったところか。

「ん? ……村ではなくて、町かな?」

 森というか山を抜けた先に、小さな町が姿を現す。大小それなりの家々が立ち並び、住民らしき人々の姿もちらほらと確認することが出来る。ただ、此処は町の裏手に位置するのか、手製の木柵が地面に打たれてある。中に入る場所は何処にも見当たらない。……と思ったが、扉状になっている箇所を発見した。木柵を乗り越えず、此処から出入り出来そうだ。

「失礼しますっと」

 木扉を開き、名も知らぬ街中へと一歩踏み入れる。

 今までの俺は、横を向けば必ずジリュウがいた。ホルンとエーニャも傍にいてくれた。俺が言葉を発しなくても、顔を一度も見せたことがなかったとしても、旅仲間として受け入れてくれた。そこにいるのが当然だったからな。

 旅の途中で新しい町や村に入ることがあっても、彼等の背について行くだけだ。己の意思は持たず言わず考えず、ただ単に言われるがままで、正直それが楽だった。

 では、今の俺はどうなのか?

 傍には誰も味方してくれる者はいない。今後は、自分の道は自分自身で切り開いていく必要がある。

「……不安はないな」

 それなのに、不安な気持ちよりもワクワク感の方が強かった。

 この町でどんな出会いがあるのか、楽しみで仕方がないのだ。

「第一声が大事……第一声が……」

 笑顔で「こんにちは!」と言おう。不審者扱いされたら即終了だ。

 頼むぞ、ここが気張り所だ。

「きゃっ」

「ッ!?」

 策を練っていると、すぐ傍で声が聞こえた。

 その方向に視線を動かすと、短い黒髪の女の子と目が合う。前髪が目に掛からないようにする為か、ピンでキッチリと留められている。服装は見覚えがあるような気がするが、すぐには思い出せない。

 胸はぺたんこで、胸元からお腹の辺りまで真っ直ぐだ。

「……こ、こっ」

「こ?」

 何度も言うが、第一声が大事だ。笑顔で元気よく「こんにちは」と口にしよう。

「こっ、こんにちはっ!」

 ニコッと笑い、自分でも驚くほど大きな声を出す。

 すると、女の子はビクリと肩を震わせ、瞬きを繰り返す。

「っ、しまっ」

 やってしまった。会心の笑みを見せつけたつもりが、兜をかぶったままだった。

 兜越しなので第一声もしっかりと伝わったのか不安だ。これでは全てが台無しじゃないか。

「……あは、あははっ」

 一拍置いて、女の子が急に笑い出した。

「え、……え?」

「くふっ、ごめんなさい、ちょっとおかしくて……っ」

 何がおかしかったのか、俺にはサッパリだ。疑問が頭に張り付いて取れないぞ。

「ふ、ふふっ、……あの、もしかして旅のお方でしょうか?」

「……あ、ああ。そうなんだ。俺は旅のお方なんだよ」

「ぷふっ」

 俺は馬鹿か。うん、馬鹿だ。

 自分自身を旅のお方って……何処のお偉いさんだ。

「ふふ……、面白い方ですね? ……えっと、わたしはルノって言います。この町の冒険者組合で、職員をしています」

 そう言って、ルノと名乗る女の子が手を差し出す。俺との握手を求めているのだ。

 初対面であり、顔も見せない輩を相手に、緊張した様子など微塵も感じさせない。だからか、ついつい俺は手を握ってしまった。

「貴方のお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」

「あ……、アルガだ」

「アルガ様ですね?」

 ニコッと微笑む。兜の内側で俺が浮かべたであろう笑顔とは比べ物にならないほどに、ルノの笑顔は柔らかで可愛らしかった。

「ようこそ、アルガ様。コルンの町は貴方を歓迎いたします」

 せっかく挨拶をするのだから、兜ぐらい取った方がよかったかもしれないが、それにしても懐の深い子だ。不審者だと大声を上げられ、罵られてもおかしくない状況であったにも関わらず、この子は歓迎し、受け入れてくれた。それが素直に嬉しくてたまらない。

「アルガ様は、コルンの町は初めてですか」

「ああ。二日ほど前に大陸を渡ったばかりで、右も左も分からない有り様だ」

「エルデールの出ですか? ……あっ、だからその装備なのですね?」

 だから、とルノが言う。

「エルデールでは勇者様と似た装備が流行っているとの噂を耳にしています」

「……そ、そうなのか」

「はいっ! アルガ様も、勇者様に憧れているのですね?」

 大陸を渡って早々、これだ。魔王どころか勇者の呪いだな。

「凄くお似合いですよ、アルガ様」

「あ、ありが……とう」

「はいっ」

 打算や裏など全く無い。純粋な目を向け、ルノは笑い掛けてくれた。

 勇者への憧れなどは持っていないが、ルノの笑顔を見ていると否定するのも躊躇いたくなる。どうせジリュウには二度と会うことも無いのだからな。気にしたら負けだ。

「あ、ちょっとそのままで」

「へっ?」

 ルノの頭部に手を伸ばし、くっ付いていた花弁を摘まみ取り、ルノへと渡す。

「ごめんなさいっ、先ほどまで裏山に行っていたので……」

「いや、こちらこそ勝手にすまない」

 よく見ると、ルノの服には裏山でついたと思われる汚れがあった。

「ところで、その袋は……」

 ルノは、小さな袋を片手に持っていた。

「あっ、これですか? カプリの実の殻が入っています」

「カプリの実?」

「はい。ここ数ヶ月のことになるのですが、裏山に不法投棄する方がいまして……」

「不法投棄か……穏やかじゃないな」

「ですよね! なんとかして捕まえることができたらいいなと思っているのですけど、なかなか尻尾を出してくれなくて……って、こんな話しても楽しくないのに、ごめんなさい!」

 慌て、はにかんだ様子で目元を緩める。

 気になる話ではあるが、それよりもまずは優先すべきことがある。

「あのさ、よかったら町を案内してくれないか」

「町をですか? はい、勿論いいですよ!」

 ポンポンと両手で服に付いたゴミを払い、快く引き受けてくれる。

「丁度、お昼休憩でしたので! とは言いましても、もうすぐ終わっちゃいますけどね、えへへ」

 腕を捲り、任せて下さいと頷く。

 せっかくの昼休憩に申し訳ないことを頼んでしまったが、ここはルノの好意に甘えることにしよう。

「では、こちらへ」

 ルノに案内される形で、街中を歩き始めることになった。

「コルンの町は、モアモッツァ大陸の最北部に作られた小さな町です。元々は一千人以上の人が住んでいたのですけど、年々住む人がいなくなってしまいまして、今では半分以下になっています」

 町の中央通りを二人で歩く。ちらほらとお店はあるが、辺境の地にあるからか、随分と長閑な感じがするな。魔王討伐の旅の途中に何度か訪れたことのあるような、よくある雰囲気の町だが、疲れた体を休めるには丁度いいかもしれない。

「町の正面側には住宅街が並んでいまして、中央正面には冒険者組合がありますよ」

「あ、そう言えばその制服って……」

「はい。冒険者組合職員の制服になります」

 なるほど、見覚えがあるとは思っていたが、ルノは組合職員だったのか。丁寧な話し方も納得だ。

「えっと、あっちが正面側ってことは、俺が迷い込んだのは……」

「裏山ですね。ご覧になっていただければ分かるかと思いますが、町の裏手側は商店街になっています。主に食堂や呑み屋、道具屋といった類の店舗が並んでいます」

「武具屋は何軒ぐらいあるんだ?」

「……あの、その……」

 この鎧兜を装備し続ける意味もなくなったから、新しい武具を買い揃えるのも悪くない。一冒険者としては気になるところだ。

 とはいえ、手持ちが少なくなってきたからな。まずは稼ぐ手段を考える必要があるだろう。

「実は、半年ほど前に潰れてしまいました」

「潰れた? ……つまり、一軒もないのか」

「はい……。ですがその代わり、当冒険者組合が国に発注をしておりますので、多少の武具は揃っているかと思います」

 冒険者組合が武具屋の代わりってことか。

 しかし妙だな、冒険者組合が直々に武具を卸し、冒険者達に販売しているとは……。

 国が運営する冒険者組合の仕事は依頼の発注や受注が主であり、民業圧迫になりかねない武具の売買には手出しをしないという暗黙の了解のようなものがエルデール大陸にはあったが、モアモッツァ大陸では異なるのか?

「まあ、武具の発注が滞りなくできているなら問題ないか」

「ううっ」

 横目にルノの顔を確認すると、気まずそうな様子だ。

 町の場所柄、発注すらも満足にできない状況下なのだろうか。

「それなのですが、質の良い武具は武具屋優先となっておりまして、中々こちらに回ってくることが少なくて……」

 やはりか。場所が悪いとあらゆる方面から弊害が出てくるな。

 これは自分好みの装備一式を買い揃えるのは時間が掛かりそうだ。

「仕方ないか。武具を買う時は気長に待つことにするよ」

「申し訳ございません……」

「ルノが謝ることじゃないから、気にしないでくれ」

 それに、よくよく考えてみると、今の俺には武具なんて必要なかった。今までは、魔王討伐の為に必死になって戦ってきた。だが、魔王亡き今、魔物と戦うことなくのんびりと生きていくことができる。誰にも縛られることなく、平穏な日々を過ごすのもいいかもしれないな。

 そう考えると、ジリュウと旅に出る前の俺に戻るのも有りか。手持ちがあるわけでもないし、一日中部屋に引きこもって悠々自適な遊民生活を送るというのも、今となって良い案だ。

「ところで、あの建物は?」

「あっ! お気付きになられましたか! あれはコルンの町で唯一の宿屋になります」

 これは非常に有り難い。武具屋に続いて宿屋までも潰れていたら、いよいよ泊まる場所が冒険者組合ぐらいしかなくなるところだった。

「旅人の方や行商の方が訪れることが滅多に無いので、あの一軒のみではありますが、最高のお持て成しをいたしますので、ご安心ください」

 一軒のみ……潰れてなくて一安心だ。

「盛況なのか」

「いえ、連日閑古鳥が鳴いておりますね」

「閑古鳥が……」

「この町を拠点に活動する冒険者様方ですが、冒険者組合の簡易宿泊所を利用されていますので、宿屋に泊まる必要がないのが現状と言いますか……」

「簡易宿泊所か。確かにあれは安かったからな」

 ホルンやエーニャ達と、何度か泊まったことがある。

 世の冒険者は、所属する冒険者組合の簡易宿泊所を無料で利用することができる。無所属の場合でも、他の宿屋に比べて格段に安かったはずだ。

「おや、ルノちゃん。そちらの鎧さんは冒険者かい?」

 街中を案内されていると、横から町のおばさんと思しき人物から声を掛けられた。

「はいっ。アルガ様と言います。仲良くして下さいね」

「はいはい、任せてよ~。よろしくね、アルガちゃん」

「よ、よろしく頼みます」

 ちゃん付けか。

 町のおばさんとの挨拶を皮切りに、次々と町民が近づいてきて、一人一人に紹介されていく。中には冒険者の姿もあり、こちらを値踏みするかのような目を向けられた。

 だが、ルノは気にすることなく、俺を連れて街中を歩き回る。……もしかすると、俺はこの町で最も友好的であろう住民を一人目で引き当てたのかもしれない。ルノには感謝してもし切れないぞ。

「ふうっ、後は此処だけですね」

 吐く息が白い。街中は寒さが増している。既に冬へと首を突っ込んでいるからな。これから更に寒くなってくるだろう。

 陽が落ちる前に街中の住民達に挨拶することが出来たのは運がいい。残すは、冒険者組合のみ。

「ルノの仕事場だよな」

「はい、そうです。同僚は皆優しくていい人ばかりですよ」

 ルノがそういうのならば、それは事実なのだろう。

 期待に胸を躍らせ、俺はルノと共に冒険者組合の扉を開いた。

「このボケ! ルノッ!! 何処をほっつき歩いてたんだい!!」

「ひっ」

 組合内部に足を踏み入れると同時に、罵声とコップが飛んできた。

 ルノの顔に当たる寸前で、コップの方は掴み取る。投げ付けてきたのは、皺くちゃの婆さんだった。

「危ないな。もう少しで怪我を負うところだったぞ」

「んん? 見ない顔だね、新人かい?」

「あっ、えと、この方はアルガ様です!」

「バカルノ! 名前なんてどうでもいいんだよ! 使えるか使えないかが問題だろ!」

 同僚は皆いい人らしいが、それはこの老婆を含めるのか?

「言い方が酷過ぎないか? ルノは昼休憩の時間を削って、俺の為に町を案内してくれたんだ」

「ああん? なんだい、口答えしてんのかい? あたしゃ此処の最高責任者だよ? 歯向かったらこの町で冒険者なんて出来ないんだからねえ!」

 この老婆が最高責任者を務めているのか。この町を拠点にしている冒険者達が可哀相だな。

 そう思って、横目に周りを観察してみる。冒険者と思しき姿の者達が、揃いも揃って俺に目を向け注目していた。ただでさえ初顔の新人冒険者だ。それに加えて最高責任者に喧嘩を売っているようなものだからな。目立つのも当然だ。

 しかし、黙って言いなりになるのは御免だ。理不尽な評価を受けてはルノが可哀相だからな。

「ルノに謝るべきだ。悪いことをしたのは貴方の方だからな」

「……くっくけっけっ、小童が歯向かうとはいい度胸してるじゃないかい。よっぽどの自信だ、さぞかし凄い紋章の持ち主なんだろうねえ?」

 腹の探り合いか。こちらの紋章を訊ね、大したことが無ければ上から目線で言い包めてくるに違いない。言葉を交わしたばかりだが、笑い方や喋り方から性格の悪さが表に滲み出ている。……否、この老婆は初めから隠そうとはしていないな。

「【遊民】だ」

 ルノを老婆の悪意から守る為に、俺は嘘を吐く。

「は?」

「聞こえなかったのか? 俺の紋章は【遊民】だと言ったんだ」

「ゆ、ゆ~みん? くっ、くへっへっ、くけっけっけっけっ」

 笑いを堪え切れなくなったのだろう。目の前の老婆は腹を抱えて爆笑し始めた。ルノの笑い方と比べると、見るに堪えないな。

「戦闘職ならまだしも……、ただの遊民ッ、くへっ、くけっけけけ、こいつは笑わせてくれるねえ!」

 本当の紋章を口にしても、嘘吐き呼ばわりされるだけだ。【偽者】の紋章なんてものは紋章図鑑にも載っていないからな。だからと言って、ではどうぞと見せるつもりは毛頭ない。

「悪かったねえ~、遊民を粋がらせてしまったよ! 小童は小童に生まれたことを後悔しながらも頑張って生きてるからねえ? いやはや全く、神は実に不平等なもんだよ、くけけっ」

 ひとしきり俺を罵倒し、怒りが収まったのか、老婆は御機嫌な様子で背を向ける。

「あ、あのっ、申し訳ございませんでした!」

「謝る暇があんならさっさと仕事に戻るんだね、このクズがっ」

「はいっ」

 ぺこりと頭を下げる。老婆が奥の部屋に消えるのを見届けると、ふう、と安堵の息を吐いた。

「お恥ずかしい所を見せてしまいましたね」

「……いや、ルノは何も悪くないだろ」

「組合長には逆らえませんから」

 苦笑いし、ルノは頬を掻く。

 何とも言い難い、実に理不尽な世界が構築されている。俺とジリュウの間柄とは全く異なるが、この場所にはこの場所のしがらみが存在するということか。

「ルノくん、気にすることはないぞい」

「ボードン様。お気遣いありがとうございますね」

 老婆が去ってから、中年であろう冒険者が声を掛けてくる。斧と剣を携えているようだが、戦士系の紋章持ちだろうか。

「いいっていいって、ルノくんはコルンの町の癒しなんだからなあ」

「そうそう、あんなババアの言う事なんて聞き流していいんだよ」

 わらわらと他の冒険者達が集まり始めた。老婆はともかく、他の人には好かれているらしい。

 しかし調子のいい奴らだな。今更文句を言っても老婆の耳には届かないぞ。

「あっ、っと、アルガ様」

「ん?」

 周りの勢いに押されて、ルノとの距離が離れてしまったが、ルノが俺の名を口にする。

「アルガ様は、冒険者組合には所属されていますか?」

「いや、無所属だが」

「でしたら、この町の冒険者になりませんか?」

「この町の?」

「はいっ、コルンの町の冒険者組合は、来る者を拒まず、去る者を引き留めず! それがモットウなのです! この町での滞在期間がどのぐらいになるのか存じ上げませんが、町にいる間だけでも所属すると便利ですよ?」

「……遊民でも大丈夫なのか」

「勿論です! 戦闘職では無い方でも、魔物狩り以外の依頼をお任せいたしますので!」

 魔物狩りは戦闘職の仕事だが、遊民のような非戦闘職にも依頼はあるらしい。冒険者組合を利用したことがないから、そこら辺の事情は判断がつかないが、ルノの言葉に嘘はないだろう。

「それなら、よろしく頼む」

「はいっ」

 では改めまして、と咳を一つ。ルノは受付側に回り、引き出しから名札を取り出す。それを左胸元に付けると、満面の笑みを浮かべてみせた。

「コルンの町の冒険者組合へようこそ、受付担当のルノと申します」

 揺らぐことなく、真っ直ぐに頭を下げる。

 完璧な形と仕草だ。これが組合職員のお辞儀なのか。仕事への切り替えが実に軽やかで素晴らしい。

「それでは初めに、お名前と紋章の種類をお教え下さいますか?」

「名前はアルガ。紋章は……【遊民】だ」

 もう一度、俺は嘘を吐く。紋章の形を確認する決まりが無いことを祈ろう。ルノの為とはいえ、これだけ大勢の前で【遊民】だと宣言してしまったからな。嘘が発覚し、組合長の耳にでも入れば色々と面倒なことになりそうだ。

 勿論、だからといって俺の紋章を見せるわけにはいかない。【勇者】の紋章とは上下逆さまになっているなど知れ渡ってしまえば、奇異な目を向けられるだろう。

 調子のいい奴らが多いとはいえ、組合長の他はほぼほぼ友好的な人ばかりの町だ。暫くの間は此処を拠点に活動したいものだが……。

「【遊民】……ですね?」

 俺の嘘に、ルノの肩が揺れる。……まさか、気付かれたか。

「それでは紋章の確認作業を行ないたいと思いますが……」

「ぐっ」

 俺の考えは甘かった。所属登録には、やはり証明が必要だった。

 こんなことなら、安易に登録しようなんて考えなければよかった。

「……あー、えっと! 鎧を脱ぐのは大変ですからね! 組合長もお認めになっていますので、必要無いと思います!」

「えっ」

 いいのか? とは言わなかった。ルノが気を遣ってくれたことが明らかだったからだ。

 ……俺のことを助けてくれた、ってことか。

「アルガ様、他に何か必要なことはございますか?」

「あ……ああ、手頃な依頼は無いか。手持ちが少なくなってきたから、宿代を稼いでおきたいんだ」

「以来の受注ですね、畏まりました。では先に、所属登録を行ないます」

 手に収まる程度の金属板を一枚取り出し、羽ペンと変わらぬ大きさの棒切れを掴み取った。

 棒の先で金属板に触れ、ルノが唇を動かす。……俺の名前だな。

「はい、出来ました。お受け取り下さいませ」

 ニコッと微笑み、ルノが金属板を手渡す。

 棒切れに魔法が付与されていたのだろう。いつの間にか俺の名前が刻み込まれている。

「当冒険者組合に所属する冒険者証になります。以後、盗難や紛失にはお気を付け下さいね」

「ありがとう」

「いえいえ、では次に参ります。……えっと、依頼の受注ですね」

「何かあるか」

「う、……うう」

 何故か急に唸り出す。

 今までの笑顔は何処に消えてしまったのか、ルノは難しそうな表情を作り込んでいる。

「その、アルガ様は……戦闘などは得意なのでしょうか」

 俺の頭の先から足元まで、ルノはサラッと瞳に映す。【遊民】の紋章を持つとはいえ、姿形だけで言えば戦闘職と偽っても信じる者は少なくないはずだ。故に、ルノは俺が戦闘も可能な遊民なのかもしれないと考えているのだろう。

 だが、今此処で戦闘経験有りと答えるのは正解か否か。下手に目立って素性が表に出てしまえば、この町に居辛くなることは間違いない。

 一応、俺は勇者に成り変わろうとした裏切り者だからな。エルデール大陸では賞金首扱いだ。この町の冒険者達に命を狙われる可能性も否定出来ない。

「戦う遊民っていないのか?」

「そうですね……いるにはいますが、極稀ですよ? 【遊民】という紋章の性質上、ダラダラと日々を過ごすことや、自由気ままに遊び呆ける行為に長けておりますので……」

「それなら、不得意ってことで頼む」

「ふ、不得意ってことで、ですか? はあ……、畏まりました」

 疑問符が浮かんでいるが、追及してこないのも優しさの一種か。ルノが受付嬢で助かった。

「不得意となりますと、魔物討伐の依頼はお任せできませんね……」

「えっ、そうなのか?」

「当然です。何かが起きた後では遅いのです」

 キリリとした表情で、ルノが言う。

 嘘の紋章の選択を誤ってしまった。せめて【戦士】や【剣士】の紋章にするべきだったが、状況的には仕方がなかったか。

「うう、普段は戦闘職の方にばかり発注しておりますので、少々お待ちいただけますか」

「遊民に最適な依頼って無いのか?」

「……も、申し訳ございません」

 謝られてしまった。

「何処の冒険者組合でも、魔物討伐の依頼が引く手あまたなのは御存じかと思います。依頼には無い魔物の討伐に成功した場合でも、魔核をご提出していただくことで、予め組合が設定した金額を報酬としてお支払いすることが出来ますので」

 但し、と付け加える。

「【遊民】の紋章を持つアルガ様が魔物と戦うのは危険ですので、受注自体を……」

「断っているのか」

「申し訳ございません、わたしの力が足りずに……」

「いやいや、別にルノが気にすることは無いからな」

 組合への所属登録の件で、既に便宜を図ってもらっているからな。これ以上は甘え過ぎだ。

 しかしこうなると戦闘職と言っていた方が正解だったか。日銭を稼ぐことが出来なければ、何れのたれ死ぬことになる。

「あの、一つ疑問なのですが、【遊民】の紋章持ちのアルガ様が一人きりで旅に出て大丈夫なのですか? 魔物と遭遇したら命を落とす可能性が高いと思うのですが……」

「その点は心配ない。それなりに強い方だからな」

 仮にも、魔王を倒した男だ。そんじょそこらの魔物に後れをとるほど間抜けではない。

「確かに、先ほどの……っと、失礼しました」

 何かを思い出し、けれどもすぐに気を取り直す。

 恐らくは、俺がコップを掴んだ時のことを考えているのだろう。

「……アルガ様は不思議な方ですね。ただ、危険な依頼を発注することは出来かねますので、もっと別の、簡単な依頼を探してみますね」

「ああ、助かるよ」

「えーっと、遊民の方にもお任せ出来る依頼は……ううっ」

 まだ、悩んでいる。まさか、【遊民】の紋章がこれほどに頭を悩ませるものだとは思いもしなかった。冒険者組合の受付嬢が、数多に存在する依頼の中から適したものを探し出すのに苦労している姿を見て、俺まで申し訳ない気持ちになってくる。

「……あっ、ああっ、あった! アルガ様ッ、ありました! アルガ様が受注可能な依頼がっ!!」

 目を輝かせ、ルノが声を出す。

 必死に探してくれたことに感謝しなければならない。……ルノと出会ってから感謝しっ放しだな。

「依頼内容は?」

「これです! 木の実の収穫になります!」

「木の実?」

「はいっ、町の裏手に山があるのは御存じですよね?」

「……ああ、そっち側から町に来たからな」

「その裏山でしか採れない木の実ですが、なんと十種類以上もあるのです!」

「ふむ、気になるな」

「裏山は他の冒険者様の狩場になっておりますし、魔物も奥の方にしか出てくることはありません」

 力強くお勧めされる。

 危険度が低いのは分かったが、問題は報酬の額だ。

「木の実一個で幾らぐらいになるんだ」

「えっとですね、この依頼は冒険者組合や個々人からのものではないので、採れるだけ採ってきていただいて構いませんよ!」

「いやだから木の実一個の価値を聞いているんだが」

「その、あの……、木の実の種類や状態によって査定額が変わりますので……」

「教えてくれ」

「……木の実一個で、モアモッツァ半銅貨一枚が平均的な相場になります」

「安ッ!?」

 俺が倒したある魔人の討伐報酬額について、ジリュウが口にしていたことを思い出す。

 その額、なんと金貨一千枚。半銅貨一枚の百万倍の額に相当する。

「ううーっ、アルガ様が受注可能な依頼といいましたら、木の実採りの他に無いですもん!」

 うろ覚えだが、スライム一体の討伐報酬がエルデール銅貨一枚相当で、ゴブリンが相手ならばエルデール銅貨三枚相当は保証されていたと思う。大陸間の貨幣価値に多少のズレはあるだろうが、木の実一個の価値はスライム一体の討伐報酬額よりも圧倒的に低いことが分かる。

「……まあ、仕方ないよな」

「引き受けていただけるのですか?」

「戦闘職じゃないからな。とりあえず今日はその依頼を受注させてもらうよ」

「よかった……ありがとうございますっ! 実は、組合長の好物が木の実でして、この町では特に需要があるのです」

 あの老婆の好物なのか。途端に収穫意欲が失せてきたぞ。

「ただ、組合長の意向で収穫報酬額を低めに設定しておりまして、中々引き受けて下さる方がいなくて困っていたのです」

 額が低い原因も、あの老婆か。

「適当に採って、受付で提出すればいいのか」

「はい、はい! それでお願いいたしますっ」

 木の実一個で、モアモッツァ半銅貨一枚か。

 コルンの町の宿代がどの程度か気になるところだが、三十個ほど収穫すれば問題ないはずだ。

「それじゃあ、早速採りに行ってくる」

 背を向け、外へと続く扉の方向に歩き始め……。

「いってらっしゃいませ、アルガ様!」

 振り向いた。

「……ああ」

 名を呼ばれ、気分が良くなる。

 これが俺の新しい人生なのか。今まで生きてきた中でも最高に心地良いぞ。

「おいこら、早く退けっての。次はオレがルノに受付してもらうんだぜ」

「すまない」

 余韻に浸っていると、肩をぶつけられた。名前も知らない冒険者は、俺の顔を見ながら舌打ちをする。その冒険者の取り巻きらしき男達は、ケタケタと笑いつつ、真似するかのように肩をぶつけていく。……組合長の他にも、この町には嫌な奴がいるらしい。関わり合いにはなりたくないものだ。

 せっかく遊民として生きていくことを許されたのだからな。

 争いは起こさない。平和で長閑な生き方を目指そう。

「裏山、裏山……っと」

 扉を開け、冒険者組合の外に出た。

 今のところ、この町には俺の過去を知る者は誰一人としていない。それは俺にとって好都合だ。

 本来ならば、裏山に生息しているであろう魔物を二体か三体ほど倒して魔核を回収し、宿代を稼ぎたいが、悪目立ちするのは厄介だ。

 今は様子見段階だからな。もう暫く我慢して、徐々に魔物狩りに手を出そう。

 それまでは、この裏山で木の実を収穫することになりそうだ。

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